LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

99/99/99 LWのサイゼリヤにようこそ

オタクのブログです。

/* メモ
トップ記事更新:24/1/6
2020年4月以降の記事は全部載せたがそれ以前の記事は絞っている
人気記事に★マークつけた

*/

■『魔法少女七周忌♡うるかリユニオン』掲載中

あれから七年、皆が魔法を拗らせた。
元魔法少女と元敵幹部が再会するガールミーツガール。

www.alphapolis.co.jp

 

■アニメ・映画感想
ボーはおそれている
16bitセンセーション
君たちはどう生きるか
★ぼっち・ざ・ろっく
★リコリス・リコイル
ウマ娘 プリティーダービー Season2
★劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト
★シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇
Re:ゼロから始める異世界生活(第2期前半)
遊戯王ZEXAL
仮面ライダー555
傷物語
ウォッチメン
プリンセスコネクト!Re:Dive
遊戯王5D's
PSYCHO-PASS
アキハバラ電脳組
ソードアートオンライン
バットマンvsスーパーマン
マギアレコード
痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。
アズールレーン
劇場版ハイスクールフリート
異種族レビュアーズ
★パラサイト 半地下の家族
ドラえもん のび太と鉄人兵団
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)
Re:ゼロから始める異世界生活(第1期)
オーバーロード
グランベルム前
ジョーカー
トイ・ストーリー4
遊戯王ARC-V
通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?
魔法少女なのはストライカーズ
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲
★遊戯王GX
八月のシンデレラナイン
バーチャルさんはみている
輪るピングドラム

■漫画・ラノベ感想
バリ山行・サンショウウオの四十九日
暗号学園のいろは
バトゥーキ・嘘喰い
★ダンジョン飯
鉄鍋のジャン
死亡遊戯で飯を食う。
★東京卍リベンジャーズ
進撃の巨人
二月の勝者
がっこうぐらし
サムライ8
進撃の巨人
ワールドトリガー前
ワンピース

■お題箱
181/182/183/184/185/186/縮小/187/188/189/190/
171/172/173/174/175/176/177/178/179/180/
161/162/163/164/165/166/167/168/169/170/
151/152/153/154/155/156/157/158/159/160/
141/142/143/144/145/146/147/148/149/150/
131/132/133/134/135/136/137/138/139/140/
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■消費コンテンツ
2024年 2~3/4/5~6/7/8~9/10~11/12/
2023年 1/2/3/4~6/7~9/10~翌1/
2022年 1~2/3~4/5/6~8/9~11/12/
2021年 1/2/3/4/5/6/7/8~9/10~12/売却コンテンツ12/
2020年 4/5/6/7/8/9/10/11/12/2020春アニメ12/2020秋アニメ/

■創作
魔法少女七周忌♡うるかリユニオン(うるユニ)』あとがき
席には限りがございます!(にはりが)』解説大反省会1大反省会2
ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン(ゲーマゲ)』解説
皇白花には蛆が憑いている(すめうじ)』解説
Vだけど、Vじゃない!(VV)』

■サイゼミ
1/2/3/4/5前/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/

■理系トピックス
ソシャゲのデータサイエンスというのはガチャの排出率を考えることではなくて……
ひろゆきと親しむ身近な因果推論
データサイエンティスト業務用リハビリ書籍感想
★データサイエンス系資格だいたい全部取った
データサイエンスエキスパート攻略
『入門 統計的因果推論(Judea Pearl)』メモ
統計検定1級とかいうゲームに勝利した
複雑ネットワーク科学入門書籍の感想
竹村彰通『新装改訂版 現代数理統計学』の感想
ポインタと確定記述、変数名と固有名のアナロジーについて
機械学習入門書籍レビュー

■その他
冬合宿でプレイしたカード・ボードゲーム初見レビュー
ここ最近のデスゲーム系ラノベを10冊読んだ
★東大卒無職のTwitter就活記
カードゲーム『CROSS GEAR』紹介/解説1234
★マジでカードゲーム強い人たちにマジで強くなる方法聞いてきた
2023年買って良かったもの
★「生成AIの『学習』は学術用語だ」ということをそろそろちゃんと説明した方がいい
2023俺が選ぶ歌い手ベスト10
★就活に苦しむインテリの学生に社会の真実を教える
★『粛聖!!ロリ神レクイエム☆』はロリコンソングではありません
中学生ぶりにラノベ熱が再燃したので女性主人公ラノベレビュー12
「入間人間の手口がだいぶわかってきた」って何やねん
1秒もプレイしてないNIKKEキャラデザ真剣評価
重い腰を上げて10年前に積んだ女性主人公ラノベ83冊を崩した1234
AI挿絵付きWeb小説を投稿し始めて2ヶ月経った話
★君はAI創作の最前線にして最底辺「AI拓也」を知っているか
プランナー目線の生成AI妥協論
何故AIにはイラストを発注できないのか?
★小二で全国模試一位を取った男の半生延長戦
人生で初めて歌ってみたに激ハマりしてる話
2021年買ってよかったもの
白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか:Vtuberの存在論と意味論延長戦
ゲートルーラーは「本物」かもしれない
表紙が三枚あるノートを特注した話
ロラン・バルト『物語の構造分析』メモ 構造分析vsテクスト分析
プライムデーセールでKindle端末を買うべきか?
『Vだけど、Vじゃない!』:Vtuberはどこにいるのか?
ダブルマスターズドラフト攻略
倫理は永井均しか勝たない
ポストモダニズムから資本主義リアリズムまでの間に何があった!?
『リアリティーショーを批判しているオタクもVTuber見てんじゃん』を受けて
ハッシュタグの氾濫、メタ政治性を巡る闘争
100日後に死ぬワニはなぜ失敗したのか
オタクの中韓コンテンツ張り
『ダンベル何キロ持てる?』を見たオタクが3ヶ月筋トレした結果……
日本興行収入上位映画100本を見た感想
実用系アニメのポテンシャルを評価せよ
ガチャを叩く時代は終わった

25/1/18 2024年12月消費コンテンツ

去年分、最近完結した人気漫画たちを一気に読んだ月だった。

メディア別リスト

漫画(73冊)

二月の勝者(全21巻)
推しの子(全16巻)
僕のヒーローアカデミア(37~42巻)
呪術廻戦(全30巻)

書籍(2冊)

MacBook完全マニュアル2024
統計学再入門ー科学哲学から探る統計思考の原点ー

ゲーム(1本)

クライマキナ

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

二月の勝者

消費して良かったコンテンツ

呪術廻戦
推しの子
僕のヒーローアカデミア

消費して損はなかったコンテンツ

統計学再入門ー科学哲学から探る統計思考の原点ー
MacBook完全マニュアル2024

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

クライマキナ

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

(特になし)

ピックアップ

二月の勝者

完結したので改めて全巻再読。やはりめちゃめちゃ面白かった。
まあ全体として思うところは以前に書いた単独記事と変わらないのでそっちを読んでほしい(もう4年前か……)。
saize-lw.hatenablog.com
やはり受験をテーマにした作品自体がそう多くない中、単なる勉強の話だけではなく塾講師という職業の規範や懐事情を含めた受験戦略まで満遍なく妥協なく描いたこの漫画の出来は傑出している。
実際のところ俺はトップ層以外の学校にはそれほど詳しくなかったのだが中学受験をガチったことがある人は誰でも心から楽しめると思う、バスケ部出身者がバスケ漫画を楽しむように。

たぶん賛否両論ありそうなのは随所で挿入される黒木の無料塾エピソードだろうが、受験に係る動向を広く描くというテーマには合致していたので俺はそれほど気にならなかった。
黒木が過干渉によって家庭を壊した過去とその精算は職業としての塾講師の在り方を描いていく上で必要だ。ああ見えて実は弱者救済を志向している黒木に対し、フェニックスの灰谷はひたすらエリートを育てることで社会に貢献しようとしているという立場の違いなどもきちんと描けている。また困難層とわかりやすく対比させることで、受験する塾通いの生徒は恵まれた上澄みに入る(塾に通わずに戦う受験も当然ある)と釘を刺したクリスマスのエピソードもかなり良かった。
強いて言えば、最大の誤算は単に桜花ゼミナールでの受験模様を描くだけでかなり面白くなってしまうことだったのではないか。塾外での作品の魅力として黒木に人間ドラマ的バックグラウンドを持たせたが、実際のところ塾受験パートだけで全然面白いのでそこから外れたテーマがノイズに見えてしまっているという事情のように思われる。

ただ終盤に一点だけ明確な不満があった点として、「共学に行きたい」というだけの理由で開成を蹴るオチだけはいくら何でも有り得ないと思う。それは笑いで済ませていいエピソードではないというか、子供の将来を考えるなら周りがふんじばってでも止めるべき行動だと俺は思う。いくら子供の自主性を重んじると言っても限度はある。
ちなみに補欠合格が連続したのは確かにけっこうなご都合展開だが俺はあまり気にならなかった。「受験漫画においては補欠合格を逆転の手札としてドラマチックに描ける」という発見自体がこの漫画の発明だ。

補足567:開成には上ブレした一般人も受かっていく一方、筑駒はそもそも狙える枠ではないのでフェニックス最上位層の宇宙人が当然のように受かっている以上には言及されないという温度感には正直かなりニッコリしてしまった!
 

推しの子

完結したので全巻初見で読破。最近の漫画はめっちゃ流行ってもこの巻数でスッと終わるのでありがたい。
まあ中盤以降の評判が悪くなるのもわかるが、俺は概ね最初から最後まで面白かったと思う。MEMちょとツクヨミが好き。

補足568:推しの子に限ったことでもないが、最近の週刊連載は基本的に一気読みした方が面白くなるような気がする。漫画も今や成熟した娯楽ジャンルとなって一定の複雑さが求められる中、毎週の小分け提供では途中で中だるみしたり話がわからなくなったりすることも多いだろう。複雑なストーリーを味わうには全ての収拾がついてからまとめて読む方が適する。例えば推しの子をリアタイしていたら最後の映画編でアクアの策謀が見えずに何をしたいのかわからないまま話数が進むのはストレスが大きそうだと思った。

全体的にかぐや様の悪かったところが治って赤坂アカのポテンシャルが発揮された良漫画だったと思う。
赤坂アカの白眉は少年少女の表面的なコメディの裏に思春期的な内面をきっちり結びつけられる点にある。コメディ用の尖った性格を提示する割には「そういう性格のキャラ」というだけでは全く終わらせず、いちいちそこに至る論理的な経緯や意識された振る舞いなどを描けてしまう。それも(基本的には)少女漫画のような過剰な内面描写に陥らずにギャグの範疇で処理できる。
ただ、それは裏を返せばコメディがいちいちコメディで終わらずにネチャネチャした内面の話が常に付随してしまうということでもある。また、事あるごとに裏表を描きたがるせいでキャラが迷走して手綱を握れなくなることも多い。そういうコメディと内省のバランス繰りが破綻して自壊したのが氷かぐや編あたりだったと感じている。

しかし今回は本線のストーリーがずっとブレなかったのが偉い。
具体的には「アイの死を巡る復讐劇」というラインが主人公格に通底しており、かつ、それは外部の出来事なので内省的な変遷の影響をほとんど受けない。
このおかげで訳のわからない堂々巡りの内省に陥ることがなかったし、外の目標がしっかり立っているのでルビーやアクアの瞳に黒い星が灯るような説得力を伴った熱いシーンが描ける。だから最後までアクアが復讐を貫徹したのもやむを得ないことだったと思う(それが終盤の悪評の主因だとしても)。
作品全体を貫く復讐劇だけではなく、各エピソードでもきっちり芸能活動として外的に設定した目標を達成しているのが良かった。

補足569:演劇編が完全にアクタージュじゃんとは思った(面白かったけど)。アイドルものからの発展として成立するかと思われた演劇ものは意外と描ける空間が狭いのかもしれない。

俺はツクヨミが煽られて子役をやることになるエピソードが一番好きだ。
「極度に内省的な用途で配置したキャラをコメディ文脈の方に引き寄せる」という、今までのやり口とは真逆のアクロバティックなことをしているからだ(今まではコメディ用のキャラクターが内省的な方向に向かうのが全てだった)。
いまや赤坂アカが弱点を克服して自由に強みを活かせるようになった瞬間であり、インスタントバレットからの深読みをするなら遂に「逆・セカイ系」に到達した瞬間でもあるのだが、それは推しの子というよりはいよいよ赤坂アカ論の範疇になってくるので今は見送る。

呪術廻戦

saize-lw.hatenablog.com面白かったので単独記事を書いた。記事内では触れなかったけど、どの呪いも最初から最後まで呪いとして在り続ける(宿儺を含めて誰も絆されることはない)という呪いサイドの一貫性も良かったね。

僕のヒーローアカデミア

ようやく完結したのでやっと最後まで読んだ。
実績としては名実共にジャンプの屋台骨を担っていたはずなのに、オタクの間で話題になることが少ない謎のポジションという認識を持っている。周りが高齢化しているだけで今の小学生たちにとってはドラゴンボール的な一丁目一番地の漫画なのかもしれない。

まあ面白かったが、最終決戦がとにかく長い! 連載の長期化に伴って「ピンチに助けに来れるキャラ」のプールが肥大化しており、「もうダメかと思ったら意外なキャラが救出に来るやつ」を無限回やりすぎている。
最終決戦では誰と誰のバトルが何回繰り広げられたのかもう覚えていないが、OFAを失ったオールマイトがテクノロジーでAFOに対抗するバトルは熱くて良かった。作中でも極めて稀な「個性を持たない者の戦い」でありながら(無個性者がちゃんと戦ったのってこれが作中唯一?)、オールマイトだけが持っている莫大な経験値と好戦的な人格によって成立しているという説得力が異彩を放っていた。

ヒーローものとしてはいまどき特に珍しくもないことに、ヒーロー側だけではなくヴィラン側についても同じくらい長く尺を取って背景を描いてきている。(忘れている読者も多そうだが)プロローグの時点でハッピーエンドが保証されていたヒーロー側は別にどうでもいいとして、ヴィラン側が最終的にどう収拾されたのかと言えば、まあいかにも令和らしい妥当なところに落ち着いた気はする。
「悪者にも事情があったことは理解する、彼自身というよりは彼が生きた環境や星の巡りが悪かったのかもしれない、だが可能性があったことと実際にやってしまったことは別だし、バックグラウンドは理解した上でそれでも排除する」というのが令和の悪の末路として一つのスタンダードだ。別に雑な社会反映論を語る気もないけど、今の世代的な感覚もまあざっくりこんなもんだよなと思う。あらゆる悪性には環境要因が付きまとうことは共通了解になっているが、だからといって別に悪行は免罪されない。鬼滅の刃での(無惨を除く)鬼もだいたいそんな感じだった。
トゥワイスもトガちゃんもそういう流れの中で良い落としどころを見つけられたと思う。どちらも完全に改心したわけではないし、最後まで自分の可能性を追い求めていただけだ。善寄りであれ悪寄りであれやってしまったことは取り消せないし前のめりに倒れていくしかないというのは前向きでいいと思う。五年前くらいの俺なら「トゥワイスは救われなかったがトガちゃんは救われた」という見方をしていた気もするが、加齢の影響で少し視野が広くなっている。

とはいえ、死柄木に関してはシンプルに描写を失敗していたような気がする。
死柄木も環境の犠牲者かつ前のめりに倒れた末路なのはわかるが、それなりにコミカルだったり仲間思いだったりした他のヴィランたちに比べると、頭に残るキャラが薄っぺらいまま終わってしまった。終始暴走している舞台装置としてのイメージの方が強く、結局死柄木がどういう人なのかという立体的な手触りが最後まで得られなかった。
もし何か一つでも過去が良い方向に変わっていたら、トゥワイスはホークスの良い仲間になっていたかもしれないし、トガちゃんはお茶子の一生の親友になっていたかもしれない。だが死柄木はデクと友達になっていた感が全然なくて、ワンチャンないやつがなんか良い雰囲気で死んでも別に全然エモくないのだ。

クライマキナ

ほしいものリストから頂きました。ありがとうございます。
前作のクライスタよりはギリギリで面白かったが、よくあるつまらないJRPGの域をまだ出ていない。ただキャラデザを中心としたアートはかなり良かったのと、アクションはめちゃめちゃ面白いわけではないにせよレベルデザイン班のこだわりを感じる仕上がりで好感を持てた。

アクション以外の話を先に済ませてしまうと、ストーリーもキャラもどこかで見たようなものに過ぎず「この作品の魅力」を語るラインに達していない。特に「エゴを描きたい割には失うものがないので響かない」というガッカリ感はクライスタと同じだ。
とはいえ、逆に言えば薄っぺらいだけで明確な瑕疵があるわけではないのでコンセプトがハマる人は十分に楽しめる予感もある。

一方、デザイン周りは全体的に優れていて特にキャラデザは明確に良かった。
ファミ通のデザイン独占インタビューが詳しいのでこれだけ見れば十分な気もする(→)。フィールド上の3Dモデルがジャギジャギしていて微妙だった件も立ち絵の解像度で相殺して不問としたい。
特にyoutubeでバズったトリニティMVは名作。
www.youtube.comフリューのプロモ動画の中でこれだけが頭一つ抜けた再生数を誇っている。クライスタがシャフト謹製の神OPを遺したように、クライマキナもこのMVが最大バリューだ。

大健闘

アクションパートはそれなりに楽しめた。少なくともクライスタよりはかなり良かった。
全体的に敵の火力が一貫して非常に高めなところにきちんと攻略させたいレベルデザイン班の意志を感じて好感度が持てる。いちいち細かくレベルキャップが付与されるのも「この難易度でプレイしてほしい(レベリングによるゴリ押しは許さない)」という強い意図があってのものだろう。
ボスの火力がヤバすぎて一瞬でハメ殺されるから負けイベかと思ったら普通にゲームオーバー画面になって「これ俺が倒すの?(重面春太)」ってなってるときが一番面白い。上に貼ったトリニティMV(専用BGM)を好きになれたのも、トリニティが強力なネームドエネミーとしてしっかり立ちはだかってくれたことが大きい。

意図したものかは微妙に不明だが(怪我の功名のような気もしているが)、なんか単独ではダメな感じの要素が絶妙に組み合わさっていい感じのアクション体験を生んでいるのが憎い。

  • ヒットストップや被ダメモーションが存在しない
  • その割には敵火力が異様に高いので気付いたらヌルっと死んでる
  • そのくせ敵は基本棒立ちからたまに攻撃予告してから動くだけでそれを見逃すと死ぬ
  • なのに味方の攻撃エフェクトが無駄に派手すぎて敵のエフェクトが見えない
  • しかも攻撃音が敵と味方で同じなので攻撃手順を意識しないと判別できない
  • でも味方独立支援機の攻撃がやたら長尺で全て完了するのに数十秒かかる

などのクソ仕様が全て重なった結果、「味方の攻撃タイミングや手順を意識しながら、稀にだけ来る敵攻撃をきっちり回避しつつ、しっかり殴り続けないと気付かないうちにこっちが死んでる」という普通に緊張感あるプレイが実現されている。

面白いんだかつまらないんだかよくわからないアクションの感想をnoteで検索すると色々な評価が見つかる。
note.com

 本作の手触りは最悪だ。自機は3機とも挙動が軽過ぎて制御し辛く、派手過ぎる演出が判断を妨げる。敵はモブもボスもボッ立ちの時間が長く、戦闘は単調。埋め合わせる様に一発の被ダメが極端にデカく、おまけに大半の敵がスパアマ持ち。そのくせ打撃感が無く、ダメージを与えている感覚も受けている感覚も極端に薄い。素振りの様な手応えで、気が付くと死んでいる。

マジでわかりすぎる!! 手触りが最悪すぎて一周回って逆にスリリングという説もあり、まあ敵が柔らかすぎたり敵の火力が低すぎるよりはいいとは思う。
note.comこっちは縛りプレイでめちゃめちゃやり込んでいる人。手触りが悪すぎるだけでよく見てちゃんと動けばパーフェクトクリアできる硬派ゲーのように見えなくもなく、やり込もうと思えばやり込むだけのポテンシャルはあるのだ。

賛否両論の問題作と言いつつ、こうして珍しく他人の感想を検索しているあたりなんだかんだで楽しんではいるという説もある。でもやる必要はないと思う。

統計学再入門ー科学哲学から探る統計思考の原点ー

そこそこ面白かった。
クラシカルな分布や統計の考え方についてのTipsを三つほど提供する本。ちなみに「数式を極力使わずに詳述」などと自称しているが、だいぶ使っているし統計学を一通り修めた上でないと通読は難しい水準だと思う。

最も気合を入れて書かれている仮説検定の話よりは、冒頭の演繹と帰納の話が一番面白かった。
統計学は肝心なところに流派が色々あってコンセンサスに乏しい謎の学問であることが知られているが(最も典型的なのは無根拠で決められた有意水準)、それは「そもそも統計学は厳密な正しさを求める演繹タイプの学問ではなく、誤りの可能性が残る代わりに新しい知識を発見できる帰納タイプの学問だから」という筋が通ったのは良かった。発見と誤りはトレードオフであり、そのウェイトをどう取るかは各人が恣意的に決めるべきで厳密な論理が働くところではないので流派が色々生じるのだ。

MacBook完全マニュアル2024

仕事でMacを初めて使うことになったので経費で買ってみた(正確に言うと大学の情報センターみたいなところで使ったこともあるがもうよく覚えていない)。
体系的な技術書ではなくこういう一般向けのTips集が今求めているものであり、仮想ディスプレイやclipy(mac用のクリップボードアプリ)など一定得るものはあった。

25/1/13 呪術廻戦の感想 領域展開とはいったい何だったのか?

呪術廻戦完結

完結したので全巻一気読み。かなり面白かった!

日車好き👍

Twitterで流れてくる断片から薄々感じてはいたが、だいぶ独特な感性で描かれていてジャンプらしくない漫画であった。この世の高評価作品を「期待に手堅く応える作品」と「見たことがない新しい作品」の二タイプに分けるとすれば呪術廻戦ははっきり後者に入ると思う。

確かに作中では漫画の枠すら超えて様々なコンテンツがオマージュされているし、特に術式がハンターハンターの念能力を下敷きにしていることは誰もが知る暗黙の了解ではある。
しかし要素の活かし方や根本的な感性は似たコンテンツのいずれとも異なる。こういう新しい作品が後続を巻き込んで一つの潮流を作っていくのかもしれないし、作者が持つ唯一無二の武器としてこれからも発展していくのかもしれない。その未来は今はまだわからないが、何か新時代の到来を予感させる良い漫画だった。

もう少し具体的に前置きすれば、表面的なストーリーラインは各編でボスが更新されていくオーソドックスなバトル漫画でありながら、そういうマクロな展開というよりはミクロな台詞・キャラ・能力・戦闘などに唸らされるところが多い。物語全体を駆動する大義や信条よりは、もっと個人的で主観的な世界の見え方や流れが強く意識されている。
とはいえ、そういう視座の高い内面を必ずしも心理描写として描くわけではないのが面白いところでもある。つまりセカイ系のように極端に内省的になることがなければ、熱い少年漫画のように気持ちの絶叫で一点突破していくこともない。むしろバトル上でのシステマチックな要素において世界との関係の在り方が表現されていることが呪術廻戦の白眉であると思う。

正確な台詞回しが気持ちいい

本題であるバトルの話に入る前に、まずは呪術廻戦における台詞の正確さについて触れておきたい。
というのは、呪術廻戦ではどのキャラクターも紋切り型の表現や不正確な省略を嫌い、今話すべきことを正しく話す傾向があることについてだ。個人的な感覚で言えば、呪術廻戦の作中で発せられる台詞の精度は哲学書のそれに近いと感じた。

例えば最初に好ましく感じた台詞として、主人公の虎杖が口にする「正しい死」というやや独特なフレーズがある。

何?

これは「(人が死ぬのが嫌なのではなく)人が理不尽な死を迎えるのが嫌だ」という思想を表現したものだが、本当に正しいことを言っていると思う。ちなみにここで言う正しさというのは「倫理的に善」ではなく「論理的に正確」という意味だ。

正しいものは正しくないものと対比するのが一番わかりやすいのではっきり書いておこう。他の漫画や現実世界でよく発せられる、正しくないフレーズとしては「誰も死なせない」が対応する。
これはよく考えるとかなり不自然な文章、多くの前提を落とした論理的に不正確な表現だと常々思う。人が必滅である以上、長期的に見て「死なせない」という目標は絶対に達成できないからだ。それに市井の感覚とも実はそれほど一致していないようにも感じる。実際、トロッコ問題を持ち出すまでもなく自らの命と引き換えに多くの命を救う自己犠牲の死は普通に称賛される(プラマイプラスなら死んでもよい)。
全てが言い間違いとまでは言わないが、冷静になって世界の前提を正しく整理すれば、本当に言いたいことは「死なせない」ではなく「正しい死」である状況は意外なほど多いはずだ(しつこいようだが、これは死生観や善悪の話ではなく論理的に正しい言葉遣いの話である)。
だから虎杖の思想自体は特異だとは思わない。ありきたりな死生観ではあるが、しかしありきたりな表現に逃げずに高い視座できちんと言語化したときに「正しい死」というワードが出てくるのだと思う。こうして生じた虎杖の発言は他にも「殺すという選択肢が入り込む」「(来栖が)野薔薇の代わりみたいになるのが嫌」など枚挙に暇がない。

また、この発展としてまず少し誤った表現を言いかけて自分で訂正するシーンも頻出する。正確な言葉遣いを心がけるとき、何かを言おうとしてから違和感に気付いて言い直すことはよくある。その過程自体が相手に正確なニュアンスを伝える言語的ジェスチャーだったりもするものだ。
特に夏油や真人などの饒舌な悪役たちがベタな台詞を言いかけて自分でストップをかけたりするのも面白い。あまりにもクリシェじみたことを言おうとすると、それが本当に自分が言いたいことなのかわからなくなってしまう気持ちはよくわかる。

何にせよ、日常的には怠惰や誇張によって様々な前提を捨象した粗雑な言葉が流通するが、正確な言語化を行うためにはまずは高い解像度で世界を捉えなければならない。
そういう「世界の捉え方」が言語的なやり取りだけではなくバトルシステムとしても組み込まれているのが呪術廻戦の真骨頂であり、具体的には領域展開や黒閃に表象されてくる。

渋谷事変:必中と黒閃という発明を見よ

最初に領域展開という奥義を見たとき皆はどう思っただろう?
正直に言えば、俺は設定ミスだと思った。そのくらい奇妙な設定だと感じた。

局所的な世界を展開するタイプの能力自体はよくある。
例えば「固有結界」「領域(テリトリー)」「虚軸(キャスト)」「異天空間(トバリ)」「世界種(ワールド)」など。タイプとしての通称が与えられていないものまで含めば、スタンド能力、念能力、卍解能力の一部なども同じカテゴリーに入るだろう。
その手の能力は領域内に限って「質的に新しい能力」を発現するのがスタンダードだ。異なる世界では異なるルールが適用され、それまでとは違う強力な攻撃を可能にすることでバトル上での機能が果たされる。

一方、呪術廻戦の領域展開では最初に提示される効果が単なる「必中」だ。質的に新しい能力は出てこず、領域展開をしなくても使える術式がただ必ず当たるだけ。

なんで?

もちろん現実的に考えて攻撃が絶対ヒットするのがかなり強いのはわかるが、しかしそうは言っても能力バトルの究極奥義が「必中」というのはちょっと地味すぎやしないか。わざわざ独自の印相によって独自の世界を展開するにも関わらず、その効果は使用者によらず同じ。実質的にはほぼ即死を意味するので展開上の差分も出ない。
実際、作中でも領域展開対策は「必中効果を無効にする汎用抵抗能力(簡易領域や彌虚葛籠)」を発展させる方向で進んでしまう。攻撃が一律なら対策も一律、相手の領域展開が何であろうと必中をシャットアウトする抵抗能力を使えばいい。能力バトル的な相性とか攻略を考える余地が残らない。
もっと身も蓋もないことを言えば、必中なんてわざわざ奥義として設定しなくても作者の匙加減で当てたり当てなかったりすればいいのではとか、少なくともハンターハンターで念能力者が領域展開を取得したとしてもあまり面白そうじゃないなとか考えたりもしてしまう(リッパー・サイクロトロンが必中必殺になってフィンクスがネテロを倒すバトルが面白いか?)。

続けて登場する「黒閃」も同じくらい変な技設定だ。

つまり?

「誰でも使い得る技であってそれ自体は固有能力ではない」というところは領域展開に似た立て付けだが、今度は必中とは真逆に「狙って出せない」「ほぼランダム」という設定がわざわざ与えられている。鍛えて強化した末に習得する技ではなく、運さえ良ければ誰でもいつでも使える技に必殺技としての格が与えられている謎。
更に、黒閃は発生がランダムである割には進化イベントまで兼ね揃えている。つまり一度発動に成功すれば「呪力の核を掴む(?)」ことで使用者が明確にワンランク強化されるのだ。「強くなったから黒閃が打てる」のではなく「たまたま黒閃を打てたから強くなる」というのは順序が逆で、少年漫画によくある修行パートへのアンチテーゼですらある。

しかし、呪術廻戦では己から見た世界の在り方が重視されていることに気付くといずれも腑に落ちる。要するに、領域展開の必中も黒閃も「世界の流れが良いこと」の表現なのだ。
仕事でもスポーツでも勉強でも恋愛でも何でもいいが、人生において「流れ」が来る時間は誰にでもある。全てが絶対にクリーンヒットする自信、そして2.5乗(?)の出力。
それは「ツキ」とか「ノリ」と呼ばれるものでもあって、本質的にアンコントローラブルなはずの領域への不合理な確信があるが故にスペシャル足り得るのだ。そして運良くそういう成功体験を一度通れば、その流れを思い出すことで一定の再現性が得られたりもする(核心を掴む!)。

人がワンランク上に進む奥義の本質とは何か。
この問いに対し、肉体的精神的に確実な成長ではなく、逆に運によって感覚される「己と世界の流れ」を答えとした表現が領域展開の必中であり黒閃でもある。そういう「感じ」は善悪や思想とは無関係に誰にでも生じるものだから、固有の術式によらず誰でも使い得る汎用スキルとして設定されているのも納得だ。

死滅回游:真のルール設定能力を見よ

死滅回游編からは領域展開の必中効果はそれほど強調されなくなり、さっき色々挙げたような「いわゆる世界展開系の能力」に近付いていく。つまり領域内では独自のルールが設定され、それに従って戦闘が進行する立て付けの領域展開が増えていく。

とはいえ「領域内の専用ルールに自他を巻き込む」という一見するとありきたりな世界展開系能力にシフトしてもなお、呪術廻戦における描写は依然として極めて特異だ。その理由は展開される世界の異常な解像度の高さにあり、その徹底ぶりは一つの発明と言える水準にまで達している。

特にわかりやすく完成度が高いのは坐殺博徒で、このページを開いたとき芥見下々は天才だと確信した。

ここヤバすぎる

坐殺博徒が凄いのは、パチンコをモチーフにした能力というよりはもはやパチンコそのものを持ってきてしまっていることだ。

他の多くの発明と同様、こうして一度提示されれば当たり前の話ではある。確かに秤が持っているはずの世界の認識をそのまま領域展開にすればこういう詳細ルールを伴うのがむしろ自然だ。
常識的に考えて、パチンコの能力を発現するようなキャラが単なる「パチンコをモチーフにした攻撃能力」程度で満足するだろうか。例えば「殴ったときにスロットが回転して揃ったら大ダメージ」程度のしょうもない能力で満足するだろうか? しないだろう。
パチンコを術式にするほどやり込んでいるのなら、パチンコの再現はもっと厳密なものであるべきだろう。遊技機として最大の目標である大当たりが終着点に設定され、そこに至るまでのルールも完璧に組み込まれるべきだろう。
彼はパチンコをモチーフにした何かによってではなく、まさにパチンコそのものによって世界と関係しているのだから。

弁護士や芸人だって全く同じだ。
弁護士が裁判の能力を発現するのであれば、六法と法解釈をそのまま持ち込むべきだ。彼が普段から接している世界のルールは簡略化された作中独自ルールなどでは決してなく、職能としてはっきり定義された法律とその運用なのだから。
芸人が漫才の能力を発現するのであれば、漫才の面白さ以外のあらゆる干渉を拒絶できるべきだ。ただ漫才が面白いかどうかだけが彼が接している世界のルールであり、ギャグ補正の能力を発現したいと思っているわけでは決してない。ウケるかどうかが全ての能力基準になるべきだし、彼のバトルは一週丸々使って漫才が描かれるものであるべきなのだ。

各キャラが職能や趣味を通じて世界を見ている解像度がそのまま表現されたものが死滅回游の領域展開だ。俺が今まで読んできた漫画によくある「モチーフ系攻撃能力」は読者の可読性に配慮して妥協された産物だったのだと初めて気付いて頭を殴られた思いだった。

一旦まとめよう。
渋谷事変では主観的な「世界の流れ」を掘り下げることで領域展開に必中効果を与えたのに対し、死滅回游では更に「世界の見え方」を掘り下げることで超具体的なルールを付加している。いずれでも世界の感じ方を重視してそのまま能力に落とし込んでいる点が通底する。

新宿決戦:領域展開の領域展開を見よ

最終的に、新宿決戦で描かれたのはいわば領域展開の領域展開だった。

各編ごとに領域展開の描写方法が変わっていく中、最後に新宿決戦でフィーチャーされたのは非常に細かい仕様部分である。
つまり作中最大戦力である五条と宿儺を筆頭にしたハイレベルな戦闘の表現としては、ここまで積み上げてきたルールの確認と手続きを厳密に進める戦闘が描かれた。無量空処を何秒展開するだとか、領域内での防衛が何だとか、魔虚羅の適応条件が何とか。戦う当人たちの認識をモノローグや観戦者たちが語る独特な立て付けは新宿決戦で初めて導入されたものだ。

そんな将棋の実況みたいな

こうして緻密に分析される領域展開はそれ自体が世界に存在する対象物でもある。
もともと顕微鏡のように世界の解像度を上げて捉える仕組みが領域展開だったとして、その領域展開自体もまたこの漫画における創造物として世界に存在する対象の一つなのだ。だから領域展開そのものを分析対象として解体して使い尽くすことは領域展開の領域展開に等しい所業である。

この発動者はもちろん作者だ。弁護士の日車寛見が裁判に詳しいように、領域展開に最も詳しいのは作者の芥見下々である。
もともと作品全体に通底する正確な言葉遣いや世界認識は、各キャラクターの造形というよりは芥見下々自身の世界認識に属するものだろう(キャラクターごとに個別設定されているわけではなく作品全体をカバーしている)。実際、芥見は一巻の頃からオマケページにおいて設定の整合性を異様に気にする素振りをよく見せていた。この振る舞いが新宿決戦では戦闘描写に活かされ、プロットを語る物語というよりはルールが厳格なTRPGのように所与の要素が細かく精密に運用される。
特に新宿決戦が決着したあとの僅かな話数で少なくない紙面を使ってバトルの反省会をしていることにはかなりの異様さを感じた。素朴なバトルの結果にはほとんど関心がなく(宿儺を倒したこと自体は世界の見え方を変革するほどの事態ではないから)、それよりはバトルを語る解像度に抜け落ちがなかったのかという確認作業を作中でやってしまうあたりがこの漫画にしてこの作者ありだ。

真人は気付いてた本質設定

あまり注目されていないが、非常に印象に残っている真人の台詞がある。

地味な名言

魂と肉体の関係に関して術式を跨いで一貫した説明を試みる夏油(羂索)に対し、真人は「それって一貫してないといけないこと?」と素朴な疑問符を浮かべてみせる。
意外にもこの見解は作品全体で支持され続けているように思える。つまり真人が単に呪いとしての行動原理の延長で答えたというよりは、術式の本質的な在り方をたまたま真人が看破したシーンであるように思える。

ただ、この一貫性のなさに関しては粒度を慎重に捉える必要がある。
というのも、呪力や術式や領域といった専門用語を定義する「共通ルール」においてはむしろ異常なまでに整合性が志向されているように思われるからだ。さっきも書いたように、それはおまけページでの解説や新宿決戦のモノローグで強く現れる。
一方、矛盾が容認されているのは各術式の個別具体的な内容についてだ。「魂がどう肉体がどう」とかいう細かい術式内容については術式を跨いで一貫していなくても構わないことに真人は気付いている。

形式的な整合性と内容的な矛盾の両立!
これは領域の衝突でも描写されていることだ。複数の領域が同時同地点に展開した際の基本ルールが「より洗練された方が残る」という択一方式であることから明らかなように、領域とは物理的な媒質のように押し付け合ったり打ち消し合ったりするものであって、領域の効果内容が相互作用することはない(ゴムゴムvsゴロゴロのような勝負にはならない)。
真人が正しく指摘したように、個別の術式はそれ自体が世界だ。所与の世界とは現にそう感覚していることが全てであり、「矛盾しているのではないか」という議論をそもそも受け付けない。

芥見先生の新作に期待

まとめよう。
呪術廻戦では、各々が高い解像度で主観的に世界を感覚していることが本質的な意味を持っている。それは紋切り型ではない正しい言葉遣いの前提であると同時に、世界の流れを掴むことが本質的な強さに直結する所以でもある。個々人が感じる世界は独断的に妥協なく定義され、その志向性は作者自身の語りとしても浮かび上がる。

個人的には、こういう感性はきっと作品というよりは作者に紐づいたものだと思う。たまたま哲学的な素養と漫画家としての資質を併せ持つ特性が週間少年ジャンプのバトル漫画というフォーマットで発露する、異質掛け合わせによって類稀な傑作が成立した。芥見先生の今後の作品も楽しみにしている。

25/1/6 冬合宿でプレイしたカード・ボードゲーム初見レビュー

1/2~5に年二で恒例の冬合宿に行ってきた。今回は伊東のデカい施設を借り切って4日間テーブルゲームをやり続けた。

かなりでかい建物

そこで新しく触れたカード・ボードゲームのレビューを書く。全部初プレイ。

ワンピースカードゲーム

  • プレイ時間:4時間くらい
  • 面白さ【★★★】
  • 新鮮さ【★★☆】
  • 好きさ【★★☆】

ひふみが作ってきたキューブドラフトでプレイ。

総評
カードゲーム史に残る名作。「これ作ったやつ天才だな」と感じたカードゲームはクロスギア以来。さすがにめちゃめちゃ流行ってるだけのことはある。
カードゲームも飽和してきたこの時代にカード効果というよりは基本システムの時点でもう面白いのが驚異的。派手なドローや除去には乏しいコンバットゲーなのに、戦闘が面白すぎてバニラの殴り合いでも十分楽しめる。

良かったところ
戦闘の面白さを担保している最大の肝は1マナを1000打点に変換できるシステム。
この打点変換によって手札消費以上の択が常にマナに潜在することになり、とにかく選択肢が尽きない。マナがあるだけで常に展開と強化の二択がある、小粒クリーチャーも強化して殴れる、フラッド時にもむしろ戦闘に強くなる、リーサル時の詰め方も多いなど、あらゆる盤面や戦闘やカードやターンに対してプレイ選択の余地が生じる。

もっと正確に言えば、「1マナを1000打点に変換できる」というだけのことに莫大な意味が生じるようになっている根幹ゲームシステムの設計が偉い。
つまりワンピカードでは1マナで作る1000打点が常に命運を分けるように逆算して全てがデザインされているということだ(逆に、そういう逆算デザインがなされていないデュエマでマナを1000打点に変換できたところで多少フラッドを受けられるくらいでそこまでエキサイティングではないだろう)。ワンピプレイヤーがTwitterでずっと6000とか7000とか言っている理由がよくわかった。
最もわかりやすいデザイン上のポイントとして、終始ゲームの中核にいるリーダーが常にお互い5000打点で固定されていることがある(ファッティや装備品によってその打点を成長させる思想のゲームではない)。リーダーへの攻撃が通ることは即座にライフを削ることに直結するため、いつでも1000打点を付与する価値がある。

コンバットゲーなだけあって気持ちよく戦闘ができるように色々と細かく配慮されているのも偉い。
マナによる1000点上昇が自ターンのみで防御時に持ち越せないデザインは防御戦法を拒否するためだろうし、リーダーがアタックしてタップする裏目がほぼ存在しないためとりあえずのアタックが肯定されるのも上手い。
コンバットトリックを防御側しか使えないのもよく考え抜かれている。攻撃側は始めからドンで1000点付与できる優位があるのだし、そこでコンバットトリックの打ち合いなどという運ゲーのジャンケンを始める必要はない。

この辺りは最近のカードゲームで微妙に感じたポイントが全てクリアされていて特に気持ちよかった。
例えばシャドバエボルヴはストラクの時点で殴り損のシーンがかなり多くてキモかったし、コナンカードゲームはコンバットトリックを一戦闘一枚に限って配慮していたがそれはそれとしてジャンケンなのは変わらないのでキモかった。

良くなかったところ
ゲーム上で感じた欠点は特にないが、かなり競技志向なので人や環境を選ぶゲームだとは思う。
基本システムの時点で選択肢が多くて楽しめるということは、それだけベースの部分で腕が出やすいということでもある。つまりこれは弱いやつは強いやつに一生勝てないタイプのゲームだ。かつてディメンションゼロがこの競技性のジレンマによって散ったことは語り草だが、今ではカード自体の競技人口自体が増えているしIPの強さもあって上手くポジションを取れているのだろう。

あとかなり個人的なことを言えば、ちょっと前にハマったクロスギアとプレイ感が似ていたのでそこで新鮮さを一つ下げている(クロスギアの記事→)。だいたいずっと「これクロスギアだな」と思いながらプレイしていた。クロスギアは半分ボドゲだし表面的なゲームシステムはあまり似ていないのだが、選択肢が常に多い、マナの使い道が豊富、ゲーム展開が早い、殴り側が有利、返しの考慮が重要などの理念的な部分が共通している。

ワンピカードとクロスギアが似通っているというよりは、この二つが既存のカードゲームと一線を画した新時代のニュースタンダードなのだろう。恐らく今後はワンピカードやクロスギアのようなカードゲームが増えていく、そういう歴史上の転換点に今立っているのだと思う。どちらも触れたことがない人はどちらかには触れておいた方がいい。

実際のプレイ
キューブドラフトだったのでプレイの前にまずドラフトした。
とはいえやったことないカードゲームのテキストを読む意味はないので、色と種族だけで決め打ち。プール内に革命軍シナジーが存在することだけはインストで把握していたため、カード下部に「革命軍」と書いてあるカードがあればピック(テキストに革命軍云々と書かれていればなお良し)、それがなければ革命軍リーダーのサボと色が合う赤白のカードをランダムピック、それもなければ一番光ってるカードをピックみたいなルーチンで動作していた(単純ルールベースAI)。
運良く革命軍が卓一だったため、ひふみ曰く相当強いデッキになっていたらしい。が、俺の戦闘が下手すぎて1-2で終わった。とりあえず1点通しておくかと思って突撃し続けていたが、普通に殴り返されたりブロッカーに阻まれたりして盤面が崩壊して死んでいく負けパターンが頻発。
もっちーさんに「次のターンの殴り返しを考えた方がいい」とアドバイスされ、デッキが強くてもプレイが雑魚すぎると勝てない良ゲーム性を証明する結果となった。

ホロカ

  • プレイ時間:2時間くらい
  • 面白さ【★★☆】
  • 新鮮さ【★☆☆】
  • 好きさ【★★☆】

俺が新弾発売日に在宅勤務の合間を縫って新宿まで自転車を漕いで買ってきたストラクでプレイ。カード屋に開店凸する若さがまだ残っていたとは……

総評
ポケカ亜種の域を出ていないが、後発らしい改善や工夫が盛り込まれていてそれなりに楽しめる。
現実的にはガワになっているIPの違いも大きいわけで、ポケカみたいな大味なカードゲームがやりたいときに代わりにホロカをやる旨味は十分にある。

良かったところ
大前提として露骨にポケカのガワ替えなので、(このカードゲームの功績ではないにせよ)ポケカくらいの面白さは最低保証がある。

もちろん細かい差異も色々あるが、あの悪名高いポケカのサイドシステムがまともに改良されているのはまず触れておくべきポイントかもしれない。ホロカではサイドを取るのは倒した側ではなく倒された側、そしてサイドカードは全てエネであり即座に場のポケモンにチャージされる。
これはポケカ側が黎明期の意味不明なルールを頑なに変えていないだけで、クローンを作るなら極めて順当なアップデートではある。どちらかが優位になったときはスノーボールではなくバランスした方が面白いし、放っておいても手札が増えるなら補填されるのはアドバンテージではなくテンポであるべきだ。そしてサイドはエネであってメインデッキではないので、サイド落ちなどという不毛な運事故からも解放される。

ポケカとの差異という意味で目玉になるのはコラボシステムだろう。簡単に言えば、バトル場にいるポケモンとは別に毎ターンベンチからポケモンを一時的に追加(コラボ)して二体で殴れる。
コラボシステムのおかげで盤面が二面になるので攻撃先の選択肢が増えるし、コラボするポケモンを毎ターン変更できるのも上手い。コラボはすぐ引っ込むため殺せないなら叩く意味が薄いが、コラボして強いキャラは総じてHPが低いため殺せるなら殺したい。
ただしコラボを迂闊に殺してサイドを取られれば、エネチャージ補填によって相手がセットアップを早めてしまう。基本的にはコラボし得でありながら、お互いにリスクリターンのバリエーションを生む良システム。
フレーバー的なことも言うと、コラボシステムはホロライブのアイドルバトルというコンセプトにも合致している。根本的に新しい発明ではないにせよ、順当にフレイバーに沿って多少の複雑さを追加しているあたりは正しく後発のクローンらしい振る舞いだ。

あとなんだかんだで美少女カードイラストが華やかなのは嬉しいところ。
イラストの総合的なクオリティはワンピカードほど高くはないが、順当に綺麗なものが揃っていて、見た限りではエロ売りまではしていないのも健全で良い。こんなきり~(こんなスラッシュ)とか言いながら技を撃つのもなんだかんだで楽しくはある。

良くなかったところ
積極的に悪かったところは特にないが、どこまでいってもポケカのバリアントに過ぎないのがプロダクトとしての限界ではある。
現実的にはゲーム性というよりはIPでどちらを遊ぶか決める人が多いだろうし、そこで競合したところでそこまで問題は生じないのだろう。陽キャファミリーキッズ層が好むポケカと陰キャ独身オタク層が好むホロカという感じで上手く棲み分けられるのはカード業界全体としてはプラスのようにも感じる。

ちなみにあまりにも元が悪すぎるサイドシステムは改善された一方、ポケカから引き継いだ難点もあると言えばある。
例えばターン1でしかプレイできない代わりに露骨なパワーカードとして作られているサポートをちょうどよく引けた者と引けなかった者(or引きすぎた者)で格差が生じるのは相変わらず。

実際のプレイ
百鬼あやめストラクと癒月ちょこストラクで対戦した。基本的にはあやめ側が有利でちょこ側が捲れないこともないくらいのバランスで、ストラク間の格差が大きい。

「余ーだ余」が強すぎ

この百鬼あやめ2ndがあまりにも強すぎる。手札1枚を40打点に変換でき(3枚まで)、単体で160火力が出せてしまう。これはホロパワー、アーツ、コラボなどでバックアップすればあらゆる対面を確定で落としうる火力であり、殴り合い自体を拒否できる。ポケカと同じで手札は簡単に増えるので火力用の手札装填も大して手間ではなく、むしろ無駄に増えた手札を効率的にダンプできる手段となる。
一方、癒月ちょこストラクは回復を主軸としたデッキ。一見すると回復で火力に対抗できそうだが、実際には全然対抗できないのはカードオタクならすぐに察するところだろう。一般的に攻め側と受け側では受け側が不利、なぜなら先に動くイニシアチブがなく相手主導の噛み合いが要求されるからだ。更には百鬼あやめ2ndの超火力によって回復する暇もなく確定で落とされる(可能性がある)のはあまりにも分が悪すぎる。

アニマルカードゲーム(ACG)

  • プレイ時間:3時間くらい
  • 面白さ【★☆☆】
  • 新鮮さ【☆☆☆】
  • 好きさ【★★☆】

ゲッタ~がクラファンで買ったやつをプレイ。
知らない人向けに書いておくと、Twitterで連載されている漫画「カードゲームうさぎ」の作中カードゲーム「アニマルカードゲーム(ACG)」が実際にカード化されたもの(原作漫画のタイトルは「アニマルカードゲーム」ではなく「カードゲームうさぎ」であることに注意)。周りのカードオタクはだいたい全員読んでいるし俺も原作ファン。

総評
今回最大の問題作。非常に評価が難しく、MtGプレイヤーが多い環境では評判は微妙だった。

まず大前提として、漫画「カードゲームうさぎ」のファングッズとして申し分ない出来なのは間違いない。
「カードゲームうさぎ」は競技カードゲーマーを描いた漫画なので、そのファングッズとしてよく出来ているということは、競技カードゲームがよく表現されているということでもある。
だが、遊戯王のように「カードゲーム漫画の作中カードゲームをカード化した」のではなく、「カードゲーマー漫画の作中カードゲームをカード化した」という極めて独特な背景が評価を難しくする。
競技カードゲームが巧みに表現されていることは競技カードゲーマーを満足させることを必ずしも意味しないらしい。そういう複雑な批評的背景があり、競技カードゲーマー出自の人々にとってはnot for usかもしれない。

良かったところ
まず基本ルールはMtGなので、その段階でMtG程度には面白い最低保証がある。
ちなみにカードゲームうさぎ内で遊ばれているACGがMtG亜種だと明言されているわけではないが、作中のやり取りがあまりにもMtGすぎるのでネタ元がMtGであることは暗黙の共通了解になっている。

(ホロカがポケカをアップデートしていたように)後発らしくMtGの問題点を解消したシステムもいくつかあり、その中でも特筆すべきは土地の扱い。
「MtGに土地事故は必要か否か」は古来から定番の論争だが、少なくとも普及を見据えて今からカードゲームを作るなら全く不要であることは間違いない。よってACGでは土地は独立した土地デッキから毎ターン確実に土地が供給され、土地事故でキレることがない(ただしデュアラン系のタップインリスクや色事故等はあるので完全に運要素が消滅しているわけではない)。

クラファンセットにはストラクが6個収録されており、ストーム系コンボ、テンポ系ビート、スライ系バーン、ドローゴーコントロールなど、作中キャラが使っていた色々なバリエーションのデッキが楽しめる。

良くなかったところ
MtG(みたいなカードゲーム)を競技でプレイしているキャラクターたちのデッキを忠実にカード化した弊害として、「一つの勝ち筋に対して最適化されて極まったカードとデッキ」が最初から提供されており、あそびがない割には既視感しかないことがある。

つまり、実際に対戦すると典型的な見飽きたやり取りをなぞるだけの勝負になりがちなのだ。デッキリストを見ただけで最初から行動ルーチンとマッチアップごとの論点が把握できてしまい、実際にプレイする必要がないと言っても過言ではない。
レオストームはライオンの嵐を通すデッキ、野良バーンは本体火力を投げ続けて4キルする足切りデッキ、冬コンは一生ドローゴーして隙を見た冬設置からピン差しの冬将軍が4回殴るデッキ。「本来の勝ち筋じゃないけどなんかグダってバニラでどついてたら勝ったわ」みたいなサブプランが存在しない。
ただそれは我々がオタクすぎるだけで、「MtGを遊んだことがなくてカードゲームうさぎが好きな読者」が遊ぶ分には原作で見たようなMtGの競技プレイを次々に発見できる喜びがあるのかもしれない。そういう意味でファングッズとして優れていることは間違いないと書いた。

また、こうした難点を感じるのはまだストラク状態でしか遊んでいないからかもしれない。競技用に組まれたデッキの再現、それもストラクで提供されているせいで戦略を単調に感じてしまっただけで、デッキを跨いだ組み換えを試していけば通常のカードゲームのように独自の味が出てくる可能性はある。

実際のプレイ
主にイーグルビートを調整しつつ、みそ氏のレオストームやひふみの冬コンと戦った。

ドローゴーである冬コン相手が特にこのゲームの異常さを感じた試合だった。
こちらのマスカンが割れていないうちはギリ有利かと思いきや、MtGでのネチネチコントロール歴が長いひふみは初見でも衝撃の震えや包囲司令官のような脅威を的確に打ち消してくる(冬のシャットアウト性能が高すぎるのでマスカンが絞りやすいのもあるが)。最終的に冬が設置された返しでの脅威が全てカウンターされ、勝ち手段がなくなったので冬将軍が殴り切る前にこちらが投了。初戦から早くも環境末期のような雰囲気が漂い始める。
サイドチェンジ後もこちらが先手ならマナ有利を活かして最速で軽い脅威の設置を試み、あとは相手の手札が整っていない序盤か冬が設置された返しなどの適切なタイミングでマスカン連打してお祈りくらいしかやることがない(こちら側に瞬速系の動きが全くないのでエンド時に投げる釣りがない)。それが通れば勝ち、通らなければ負け。
冬と冬将軍がしょうもないのではなく、冬と冬将軍を想定してもなお行動アルゴリズムを最初からお互いに了解しているのでダイスを振って勝敗を決めているのとあまり変わらない感じがする。

トゥルーマリンショー

  • プレイ時間:5時間くらい
  • 面白さ【★★★】
  • 新鮮さ【★★☆】
  • 好きさ【★★★】

ゲッタ~がたぶん通販で買ったやつをプレイ。

総評
宝鍾マリンの同人カードゲームであるドミニオン系ゲーム。
順当に改善されたシステムの数々によってデッキを強化して回す楽しみがあり、ブリブリの萌えキャラ要素も好みで俺は一番好き。

良かったところ
市場からの購入を通じてデッキを拡大再生産するドミニオン系ゲーム。
金・アクション・VPが全て同じカード種類にまとめられ、それぞれに発動コストが存在している。よってカードを使うにはいちいちコストを支払う必要があるので、単なる銀貨や金貨を使うにもそれなりの計画性が要求されてくる。
ドミニオンで言う勝利点カードが重くて強いカードに置き換わっているため、終盤になってもデッキが弱くなるどころかむしろ強化されているのは回していて楽しいポイント。ドミニオンは基本システムが単純なだけにコンポーネントを複雑化させる方向に向かうしかなかったが、こちらは複雑さを基本システムに押し付けているのでカードテキストは直感的でも楽しみやすい。

ちなみに何故かホロライブキャラと同列にアズールレーンと東方のキャラが登場する立て付けは一見すると意味不明だが、これはあくまでもホロライブのカードゲームではなく宝鍾マリンのカードゲームだからだろう。恐らく宝鍾マリンにプレイ歴がある東方やアズールレーンのキャラは宝鍾マリンの仲間扱いでよいという判断がある(特にアズールレーンは船員というフレーバー要素とも噛み合っている)。
トゥルーマリンショーというタイトルがトゥルーマンショーのパロディであることを踏まえると、主人公がフィクションのキャラに囲まれるフレイバーとして正当化できないこともない。

良くなかったところ
基本的にはドミニオンの修正改善版ではあるものの、クリアされていない点として引きムラの問題がどうしてもある。
カードにいちいちマナコストが設定されているため引き次第では何もプレイできない詰み状態が発生しやすく、ドミニオン同様に最初に躓いた人が拡大再生産に失敗してそのまま死にやすい。マナを次ターンに持ち越すことで事故率を下げられるが、手札次第では賭けに出ることを強いられた上で運悪くターンスキップする状況も少なくはない。
また、手札が4枚しかない割には初期デッキからハンデスが存在するのでデッキが回らないストレスがそこそこ発生しやすい。マナを払わずにカードを入手できる救済措置もなくはないが、手に入るカードが弱いので基本役に立たない。

また、これは大味なゲームが志向されているだけかもしれないが、第二弾以降のカードデザインには疑問を感じるものも多い。
特に第二弾のスタートカード「ワザップ少年」はあまりにもゲームの楽しさを損なう性能で即座に使用が禁止された。手柄やハンデスを通じたインタラクションが想定されている割には対策カードの汎用性が高く強力で、特定のカードを取ったもの勝ちの展開になりやすい。

更にこれも問題点というよりは単にまだ攻略できていないだけかもしれないが、ゲームの終わらせ方が極端に難しいのもある。
詳細は割愛するが、ざっくり言うとスタートプレイヤーが勝利点を確保できないうちにゲームが終わりがちで大幅に不利になりやすい問題がある(逆にスタートプレイヤーの一巡前のプレイヤーは大幅に有利)。
元々ドミニオンでスタートプレイヤーが有利すぎる欠陥を是正しているという説もあるものの、それはそれとしてプレイした範囲では不利を捲るほどの要素は見つけられなかった(救済要素のボーナス点も結局は捲れない)。

実際のプレイ
最初は有り得ないくらい弱くて毎回最下位を取っていたが、よく勝っていたもっちーとゲッタ~から教えを受けることで優勝が安定するようになって面白さがわかった。
コツは
・序盤は廃棄に徹する(手札が少ないので弱いカードの悪影響が大きい)
・コストを意識して購入と盤面維持を行う(引いたカードを使えるマナの受けを作る)
・強いカードを捨て札にして引きやすくする
・弱いカードは盤面に維持して引かないようにする(実質廃棄)
・強いカードは金量が合わなくても支払いに使った方がいい(もう一度引けるようになるので)
あたり。コツを知る者と知らない者では勝負にならないくらいの敷居の高さはある。

レキシオ

  • プレイ時間:30分くらい
  • 面白さ【★☆☆】
  • 新鮮さ【☆☆☆】
  • 好きさ【☆☆☆】

ゴッシーが持ってきたやつをプレイ。

総評
大富豪の亜種。パーティーゲームとしてカジュアルに遊ぶにはいいかもしれないが、やり込むほどの深みはない。

良かったところ
要するに特殊ルールの大富豪なので大富豪と同じくらいには楽しめる。
売りにしている麻雀牌型のコンポーネントは触っている分には多少は楽しいが、プレイ上での欠点も多い(後述)。

良くなかったところ
要するに特殊ルールの大富豪なので大富豪と同じくらいにしか楽しめない。
公式HP(→)における「全く新しいタイプのボードゲームです」「麻雀×ポーカー×大富豪」という触れ込みは誇大広告すぎる。大富豪で使える役をポーカーから借用して、大富豪でカードの代わりに牌を使っているだけだ。

むしろカードの代わりに麻雀牌が使われているせいでプレイしにくくなっていると感じるところもある。
数字の表記が大きくなく上下を揃えないと6と9が判別できないなど牌の視認性があまり良くないので、カードと違って目元まで持ち上げられないデメリットが大きいのだ。
また、リアルで麻雀をやったことがある人ならわかると思うが、麻雀牌は手前のところでシュッとやって揃えるための出っ張りがないと整列しないのでかなり扱いにくい。麻雀用の机やマットをわざわざ使わないと麻雀牌を使う旨味は出ない。
総じてふつうにカード型で良かった気がするが、それを言ってしまうともうトランプで遊べばいいじゃんという話になる。無駄に高くて汎用性の低いトランプ?

実際のプレイ
有り得ないくらいの大差でボロ負けしていた。適当に常に最強役を出していたので弱い牌が手元に溜まって一回も最後まで上がれなかったため(これも大富豪と同じ)。

バックギャモン

  • プレイ時間:1時間くらい
  • 面白さ【★☆☆】
  • 新鮮さ【★★☆】
  • 好きさ【★☆☆】

ブロッコリーマンが持ってきたやつをプレイ。マグネットゲームセットによく入っているが遊ばれないゲームとして有名なやつ(今の小学生にはタブレットがあるのでマグネットゲームセットは平成の遺物なのかもしれない)。

総評
現代的なボドゲにはさすがに及ばないものの、娯楽が貧弱だった時代のゲームにしてはなかなかよく出来ている。
面白いボドゲを特に持っていないときにその辺のダイスとか板を使って即興でやるゲームとしてはかなり面白い方だと思う。

良かったところ
すごろくの亜種っぽいが、コマ自体が大量にあって「どう進めるか」というよりは「どれを進めるか」が論点である点が独特。
ルールは簡単ではないものの「コマ二つでブロック」「コマが単騎で踏まれたらやり直し」「ゴール周辺のルール」の三つくらいを抑えておけば十分遊べる。
ダイスの目に応じた実質的な選択肢がかなり多い割には、良さげな択をそこそこ直感的にプレイできて初心者にも優しい。可能な限りブロックを作るのが安定だが、ブロックを作れない場合に踏まれるリスクをどこで取るかに頭を使う余地が出てくる。
ダイスを毎回2個振るのも絶妙だ。望む目が少なくとも一回出る確率は11/36≒30.5%という適度な値になっている(出ない寄りだが祈ればそこそこ出る)。ランダム性とプレイスキルが適度にバランスされていて毎回ダイスを振る楽しみがあった。

良くなかったところ
元も子もないようだが所詮はサイコロゲーではあって、プレイスキルよりは出目の方が重要そうではある。
何度か遊んでポイントを合算するシステムになっているのには運ゲーを緩和する意図があるのだろうが、そもそも一ゲームが長めなので何度もやるのはけっこう辛い(この無駄な長さは他に娯楽がなかった時代の趣がある)。

また、スタート地点から復帰できずにターンスキップするハマりが発生しやすいのはかなり面白くなかった。一度優位になった側が壁でロックしてターンスキップを繰り返す絶望的なゲームが進行するのは、令和のボドゲでは有り得ないとも言えるし、伝統的なゲームらしいとも言える。

更にダブルというルールがよく出来ているように見えてよくわからない。
俺の理解が足りていないのかもしれないが、少なくとも初心者から見た感じだと「不利かイーブンだとやる価値なし、ちょっと有利だとやる価値あり、めっちゃ有利だとやる価値なし」という感じなのでいつ使うのか判断しにくい。少なくともギャモン勝ち以上を狙えるのであれば続行する意味が生じてしまい、結局ダブルによって決着することは少なかった。

実際のプレイ
なぜかゲッタ~がダイスを振って俺がコマを動かすという分担体制でプレイ。
ゲッタ~のダイスが異常に強く、一瞬で圧倒的優位に立ってダブルすら拒否する消化試合になってしまうのがプレイ体験を著しく損ねていた。どのくらいダイスが強かったかと言うと、二回やって二回ともオープニングダイスが6のダブル(0.08%の最良パターンを引いている)。そのせいで奥深さがあまりわかっていないかもしれない、もうちょっと拮抗していたらもうちょっと面白かったのかもしれない。

何故かりゅーめいが高校でめちゃめちゃやり込んでいたらしく(バックギャモンが流行ってる高校謎すぎる)、上級者のアドバイスを受けられたのはかなりよかった。手札のような秘匿情報が存在しないのでカジュアルに観戦者に聞いたり皆で議論したりできるのは完全情報ゲームのいいところだ。
そんなガチ勢のりゅーめいによるとバックギャモンは既に完全解析が済んでおり、ソフトウェアでプレイすると試合後に「正解からどれだけ間違えたか」が表示されるようなゲームになっているらしい。それはそれでゲームとしては微妙な感じもするが、カジュアルにプレイするなら関係ないのかもしれない。

スキンケアルーティン

  • プレイ時間:30分くらい
  • 面白さ【☆☆☆】
  • 新鮮さ【★☆☆】
  • 好きさ【☆☆☆】

ヨグルティがゲムマで買ってきたやつをプレイ(ゲムマのときTwitterでちょっとバズってた)。

総評
申し訳ないが面白くなかった。
フレーバーが活かされていない、プレイに深みがない、ルールに欠陥があって進行できないの三拍子で何もない。
とはいえスキンケアをテーマにしてバズったマーケティングというか見せ方は上手かったし、スキンケアに関心があって普段はボドゲを遊ばない層がたまたま手に取る分には楽しめるのかもしれない(not for usなだけかもしれない)。

良かったところ
単純な絵合わせゲームなので、面倒な役を覚える必要もなく気軽に遊べる。
山札の捲りを楽しむ最低限のパーティー要素は備えているので遊んでいて退屈というほどではない(盛り上がろうと思えば盛り上がれる)。

良くなかったところ
単純な絵合わせゲームなので、プレイの腕があまり出ない。
スキンケアをモチーフにはしているものの、架空のスキンケア用品におけるブランドと成分を合わせていくだけなのでスキンケアに関する知識は特に得られない。そろそろスキンケアが気になり始めたアラサー男性たちでプレイしており、スキンケア知識への需要は明確にあったので、そこが満たされないのは悲しかった。
更にルールに欠陥があり一度ハマると進行不能になる。ルールに見落としがあったのかもしれないが、少なくとも三人でマニュアルを精査した限りでは解決方法を見つけられなかった。

実際のプレイ
三人で行った初プレイでもう「ハマり」が発生してそれ以上進められなくなってしまったのでそれが最初で最後のゲームとなった。
具体的には、一人が一度「ビューティニスタ」になったあと、他の二人が同点かつ現ビューティニスタより高い点数を揃え続ける盤面になった場合(ビューニィニスタが5点で他の二人が6点など)、以降のルーティンが全て引き分けになって進行できなくなる。

ウミガメのスープ

  • プレイ時間:1時間くらい
  • 面白さ【★★☆】
  • 新鮮さ【★★☆】
  • 好きさ【★☆☆】

F中さんの提案でプレイ。

総評
けっこう面白かったような気もするが、俺がこのゲームのことを未だによくわかっていないので何とも言えない。
人狼等と同じで明文化されたルールというよりは暗黙のコンテクストによって進行する会話ゲームなのだが、そのコンテクストを理解できていない。

良かったところ
手軽。適当な問題を探すスマホが一台あればその場で遊べる。会話の延長なのでボドゲと違って身構える必要もない。
そして何人でも参加できる、と見せかけて頭の回転が速い人が多いと発言や質問の衝突が何度も起こってストレスなので、許容人数はそこまで多くなさそう(頭の回転が速い人の許容人数は精々4人くらいだと思う)。

良くなかったところ
賞味期限が短そうではある。
具体的には、やり込み勢が現れるとテンプレ質問を対策するいたちごっこになって参入障壁が上がりながら古参だけが楽しむゲームになりそう。そういうタコツボ問題はこのゲームに限ったことでもないのだが(人狼のセオリー集を見よ!)、ウミガメのスープに限っては推理要素もあるのでレパートリーが底を突くのが早そうだ。
実際、やり込んでいるF中さんが「この問題に出てきている代名詞は同一人物ですか?」的なことを初手で連呼するルーチンを確立していて、そらそうなるよな~と思った。たぶんこの質問に対してはイエスだが巧妙な文章上の工夫によって実際には別人を登場させるような手口ももう登場しているのだろう。

実際のプレイ
五つくらい謎を解いたが、明示的に言語化されていない暗黙の了解がよくわからなかった。具体的には、俺が「これでもう謎はなくなった」と思った回答を提示しても正解判定にならなくてこれ以上何をクリアすればいいのかよくわからないということが頻発した。

俺はまずホワイトボードにタイムラインや因果ダイアグラムを書いてどの時点までに何があったのかや何が原因で何が生じたのかを厳密に確定しようとする。例えば「ずっと楽しみにしていたイベントが雨で延期になって喜んだのは何故でしょう?」という問題だとこんな図を書く。

このタイムラインによると延期が確定する直前までは楽しみ状態が継続していたので「楽しみにしていたイベントが中止ではなく延期になるのであれば喜びを感じることは感情の動きとして不自然ではない」という回答を提出するのだが、「そういうゲームじゃないから」「意味わからんこと言うな」みたいな感じになってしまう。正答は「イベントというのは高校甲子園の試合であり、疲れていたので雨で休養を取れるのが嬉しかった」らしいが、「それは俺の回答と同じだろ」と内心思っている。
ブロッコリーマンが俺を嗜めて言うことには、「ウミガメのスープというのは論理的な妥当性を演繹的に導くゲームではなくて、無根拠な仮説を投げつけて唯一のディテールを確定する帰納型のゲーム」らしい。なんかウミガメのスープというゲームにおいて妥当とされる解像度の回答タイプがあり、たぶんそれを俺がまだよくわかっていない。

余談

などと初見レビューをノリノリで書いているように見えて、実際のところゲーム力の衰えを痛感しながらゲームへのスタンスを考え直す合宿でもあった。

加齢の影響で「もはやゲームで勝つために労力をペイする気がない」と自覚したのはだいぶ昔の話だが、最近では「もはやゲームで勝つことに価値を見出していない」まで後退しつつある。
誤解がないように書くと、ゲームをプレイするモチベーション自体は今も昔もかなりある(あるから合宿には毎回参加している)。別に勝つことには興味がなくても「ゲームのシステム」に対しては強い関心があり、色々なシステムを知るためにゲームを体験したい気持ちで遊んでいる。システムへの知的好奇心は衰えていない。その成果がこの記事でもある。
しかしゲームでの勝ち気がどんどん失われていくことで、今までになかった質の問題が色々と生じ始めている。

一点目は、戦略がわからないとシステムもわからないこと。
勝つ気がないと、ルールに反しない範囲でそれっぽく遊べれば十分なので、深く考えずにほぼランダムな選択を行うことが多くなる。しかしそういうことをしているとゲーム内で想定されている戦略が全然わからなくなってしまう。作り手が想定している戦略はゲームシステムの意図とも密接に関連しているため、そうなると結局は本当に知りたかったシステムも見えなくなってしまうのだ。
特に今回はレキシオをあまりにも適当にプレイしていたせいで「これって本質的に大富豪と同じだ」と気付くのが帰宅してこの記事を書いてからになった。最低限、自明に想定されている戦略を思いつく程度の勝ち気は持っておかなければならないと感じる。

二点目は、記憶が残らなくなること。
これは初見ではないのでレビューには書かなかったが、テラフォーミングマーズをプレイしようとしたときの記憶喪失ぶりがヤバかった。過去にゴッシーの家でプレイしたはずなのだが(しかもここ一年以内)、本当にルールを一切覚えておらずカードやコンポーネントを前にしても何一つ思い出せないので、コイルさんに背後霊になってもらってインストしてもらいつつ初心者用企業を使ってなんとかプレイしている体にしたのは我ながらヤバかった。
人の顔などの興味がないものへの記憶が極めて貧弱な特性は昔から自覚しているが、遂にゲームにもそれが適用され始めたようだ。最初から勝つ気がない状態でプレイしていると全然頭を使わないので記憶も一切残らないのである。重ゲーをプレイするたびにインストし直す必要があると遊べるゲームも減ってきてしまうし、ルールが何となく頭に残る程度の関心は持ってプレイした方がよい。

三点目は、俺が良くても相手が良くないこと。
ゲッタ~が「LWとやってるとやる気ないジジイに無理やりゲームさせてるみたいだな(あまりにも弱すぎるし何も覚えなさすぎるので)」と言っていたのがそれだ。
俺が弱いのは俺は別に構わないとしても、一般論として相手があまりにも雑魚すぎるゲームはつまらない。俺が弱すぎて他の人が俺と戦いたくない状態になるのはマズいので、最低限サンドバッグ以上には戦えるラインの強さは維持しなくてはならない。

四点目は、ゲーム全体の地力が落ちていくこと。
カードゲームでもボードゲームでも、タイトルが違ってもある程度は共通の理論がある。例えばアドバンテージとか優先権についての基礎的なテクニックを覚えておけば初見のゲームでも対応できるし、周りでもそれが前提になっているレベルのプレイが行われることが多い。
昔取った杵柄は忘れないので勝つ気がなくても手なりで使えるが、そういう貯金がない新しいシステムがスタンダードになったときがマズい。勝つ気がないと新しく学習できないので全てのゲームに対して弱くなってしまうのだ。
今回だとワンピカードのコンバットは過去のどのカードゲームとも似ていないので適当にやっていてボコボコにされたし、今後ワンピカードみたいなシステムのゲームが増えてくると始まった瞬間に負けが確定しているゲームも増えることが容易に予想される。

これらに対する一応の対策として、とりあえずボコられたあとに「勝つ気でプレイしていてゲームを一定理解した人」に解説してもらうのが一番現実的なように感じた。
幸いにも俺の周りのカードゲーマーは言語化能力が高いし俺も理解力が高いので、一ゲームでも見るか見られるか、もしくは一言二言でも本質をやり取りすればそれだけで概ね追いつけることがわかった。
実際、トゥルーマリンショーでは五回連続で最下位を取ったあとに勝っていたやつと二つ会話したあとは即座に優勝できるようになった。勝てなさすぎることを自覚したタイミングで「誰か俺の背後霊やってくれ」的なことを俺から積極的に言っていこうと思う。

もう完全に諦めていることもあって、一つのゲームを継続的にやり込んで上達するのはもう無理だ。
面白いゲームはやり込む余地が多くありがちなので、モチベの高いカードゲーマーがやり込みがちである。今回だとワンピカードがその枠になった。カードゲーム大好き人間たちは合宿が終わった足でそのまま小田原のバトロコに行ってワンピドラフト二回戦をやっていたし、来週以降もしばらくは週末にワンピドラフトをするのだろうが、俺はそこにいない。

だから周りがやり込んでいるゲームを中途半端に齧るよりは、システムが新しそうだったり話題性が高かったりするゲームの体験版的なものを供給するような方向でカード・ボードゲームをやっていきたいと思っている。
最近だとディメンションゼロを「有名だけど実際にプレイした人は少なくて知る価値があるゲーム」として俺がしげすぎちゃんから一万円で買い取って皆で遊んだのは有意義な成功例だった。そんな感じで次の夏合宿までにはプレイする価値のありそうなゲームを確保しておきたい。

24/12/26 ソシャゲのデータサイエンスというのはガチャの排出率を考えることではなくて……

【ChatGPTによるこの記事の要約】

かなり精度良い要約なのでこれだけ読めばいい気もする

この記事は、ソーシャルゲーム(ソシャゲ)のデータ分析に関する考察を述べています。以下は要約です:

ガチャの分析は単純な確率論
ソシャゲの「ガチャ」は収益やプレイ体験にとって重要だが、データサイエンティストが複雑な分析を行う必要はほとんどない。基本的な確率論(多項分布や幾何分布)で十分対応できる。また、ガチャは「真の母数が完全に把握できる」ため、他の確率が絡む分野(例:保険や金融商品)と比べて扱いやすい。

重要なのはユーザー行動の分析
データ分析の主な対象は、ガチャではなくユーザーのプレイ状況である。具体的には以下のような分析が行われる:

  • アクティブユーザー数やイベント効果の分析
  • 新規ユーザーのリテンション(定着率)の追跡
  • RFM分析を通じた課金傾向の把握

これらは一般的なtoCサービスと似ているが、ゲーム特有のドメイン知識が必要となる。

ゲームの閉鎖性が分析に影響
ゲーム世界は現実から断絶された閉鎖環境であり、ユーザー行動の動機が直感的に理解しづらい。一方で、外部環境からの影響を受けにくいため、安定した分析が可能になるという利点もある。

エンタメとデータの相性の悪さ
データ分析は過去データに基づくものだが、エンタメ分野は未来志向で新規性を重視する。この矛盾が、ゲームのコンテンツ内容に踏み込む分析を難しくする。結果的に、プランナーと相談しながら直感的な判断に頼らざるを得ない場合が多い。

留保的な結論
記事の内容は筆者の個人的な経験に基づいており、ソシャゲ業界全体の一般論ではない。ただし、少なくとも筆者のような考え方を持つ運営者がいたことを示している。

ガチャは大した確率モデルではない

俺は今データサイエンティストとして働いているが、自己紹介がてら「前いた会社ではソシャゲでちょっとデータ分析してたんすよ」的なことを言うと「つまりガチャの排出率設定とかやってたんすね」的な返しをされることが稀によくある。
確かにソシャゲと言えばガチャ、データ分析と言えば確率・統計、よってソシャゲのデータ分析と言えばガチャの確率・統計すなわち排出率という連想ゲームは自然ではある。

彦卿かよと思ったら新停雲来て熱かったガチャ

しかし収益上とプレイ上の重要性に反して、ガチャはわざわざデータサイエンティストが労力を払うほどの確率モデルではない。
というのも、数学的にはガチャは最も初歩的なくじ引きでしかないからだ。多項分布や幾何分布の期待値程度がわかっていれば、ビジネス上で必要な分析は事足りる(想定収益の概算など)。ステップアップや(裏)天井などの独自仕様を足したところで高校数学の範疇を出ず、そもそも一度開発を終えて運営フェイズに入ればガチャの立て付けはそう頻繁に更新しない。

補足565:逆に言えば高校レベルの数学がわかる必要はある。少なくとも「PU確率2%のガチャを50連引けば必ず当たる」と勘違いしない程度のリテラシーは欲しい。

少し統計がわかる人向けに書くと、ガチャは確率的な挙動をするビジネス上のキーファクターにしてはかなり珍しいことに「真の母数を最初から完全に把握している」という点で例外的に扱いやすいシステムとも言える(実現値から母数に遡る検定や推定全般を全く必要としないため、統計学というよりは確率論の領分)。
他の確率が絡む商品、例えば保険商品開発や金融商品取引ではこうはいかない。死亡確率や未来相場のようなクリティカルなパラメタないし確率変数の推定は社会情勢や災害のような外的要因に大きく左右され、それを知るデータ分析に大きな需要がある(ガチャにはない)。

平凡なサービス分析

ではガチャでなければ何を分析するのかと言うと、主にプレイ状況だ。
もう少し具体的にはログデータの分析、例えばイベントの効果を知るためのアクティブユーザー分析、新規ユニットの需要帯を知るためのユーザーセグメント別分析、初心者のリテンション模様を知るためのファネル分析など。何であれゲーム内のユーザー行動を分析することには専門知識の動員に値する複雑さとKPIに直結する需要がある。

補足566:他にもゲーム外でやれることとして時流を知るための競合分析や広告予算配分を最適化するためのマーケティング分析などもあるが、とりあえずはゲーム内の話に絞ることにする。

サービス内のユーザー行動を分析するという点ではこれらはソシャゲ特有の分析ではなく、世の中に数多あるtoC系サービス全般における分析内容とそう大きく変わらない。
例えばECサイトでは新規登録者が混乱せずにきちんと購入確定まで遷移しているかどうかを調べることが多いが、ソシャゲでも新規登録者がチュートリアルをつつがなく終えて育成に向かうような想定導線を辿っているかの追跡は重要だ。他に個別的な手法としてはより長く・頻繁に・多く金を使うユーザーの特徴を知るRFM分析などはいずれでも有効だろう。

ゲームという断絶された閉鎖世界

一方、ユーザー行動を分析する上でソシャゲに特有の点もある。
データ分析にはその領域特有のドメイン知識が必要なことはソシャゲに限った話でもないが、特にソシャゲにおいてはユーザーが参加しているゲーム環境が現実世界からほぼ完全に隔離された閉鎖世界であることが大きな問題になる。「領域に固有の細かい事情がある」というよりは「もはや一般的な事情が通用しない独自の世界を築いている」という方が近い。

これも一般的なECサイトと比較するのが分かりやすいかもしれない。
例えば適当なECサイトで日用品を購入するとき、缶詰を買うユーザーは食糧を備えておきたいのだろうし、防寒パンツを買うユーザーは冬で寒いのだろう。いずれにしてもサービス内での行動はサービス外における現実的な需要と対応しており、そのサービス自体には詳しくなくても行動動機は直感的に理解できることが多い。

ところが、ゲーム世界では全くそうはいかない。
遊びを生活から切り離して定義したのはたしかホイジンガだったと思うが、言ってしまえばソシャゲなんかやってもやらなくても生活には全く影響しないということが直感的な動機の理解を妨げる。
ゲーム内の行動は現実におけるあらゆる報酬に対応しない。武器を揃えたところで腹は膨れないし、サーバー一位になったところで冬は寒い。ユーザーがどうしてどうやって消費に至るのかというシンプルな属性分析ないしファネル分析を試みるだけで、分析者は「何が楽しくてこのゲームをやっているのか」という本質的な問いに向き合わなければならなくなる。
もっとも、この辺りはゲームプランナーの職能として概ね尽くされており、企画術以上に新しい論点があるわけではない。今言いたいのは、ゲームの分析は通常の生活からは根本的に断絶したユーザーの目的意識を把握しなければならないという点で他の多くのサービスとは異なるということだ(もちろん大きな目的意識だけではなく細かいシステムについても同様)。

一方、ゲームに特有の内界と外界の断絶が分析者にとってありがたいこともある。それは外部環境からの影響に対してゲーム内部のユーザー行動が極めて頑健なことだ。
ECサイトであれば競合サービスや社会全体の動向によって自前のサービス内での需要が大きく増減することは想像に難くない。楽天がプロテインを大安売りしたからAmazonでプロテインの売上が大きく下がるというようなことは当然よくあるだろう。
しかし、原神で足の速いシロネンがリリースされたからといって、スタレで足の速い飛霄の需要が下がることは有り得ないのだ。ゲーム内世界は他のゲーム内世界からさえも隔絶されており、ゲーム内の価値判断がゲーム世界内で完結しているために企画側で制御できない外乱による干渉は起こらないというメリットがある。

そもそもエンタメとデータの相性悪くない?

あとはソシャゲに限ったことでもなく、基本的にエンタメとデータは相性が悪いということを常々考えている。これは売れ行きやアクティブユーザー数のような表面的なKPI指標というよりは、ゲーム内ユニット性能のようなコンテンツ内容にまで踏み込んで分析をする際に顕著になってくることだ。

そもそもデータ分析とは基本的に過去志向の営みである。今までに累積されたデータを上手く解釈して過去に含まれる情報を抽出する主旨であり、未来予測ができるとは言ってもそれは過去の再生産を行っているに過ぎない。

一方で、エンタメは未来志向の新規性を常に求めてくる。例えばゲームで質的に最も歓迎されるのは新しい遊び感覚をもたらす新システムや新シナジーであり、過去の実装内容から容易に予想される効果しか持たないユニットは退屈なものとして敬遠される。よって何らかの施策を打つ(=新しいログデータを生成する)に際してはそれまでにないものを実装し、かつ、それが大きなインパクトを持つことが最も望ましい。

これをデータの言葉で言えば(回帰のイメージで言えば)、目的変数を説明するに際してかなり貢献度の高い説明変数が各データにそれぞれ個別に含まれているようなものだ。これは極めて頭の痛い状況であり、実際のところ、プランナーと相談しながら企画ドリブンで恣意的に切り分けた調査を行うくらいが妥協点になるだろう。

他の人のことは知らんけど(留保)

普段から自己紹介ついでに同業者に喋っていがちなことをつらつら書いたが、ソシャゲ会社はもう辞めてるし、ここに書いてあることを全てやれていたわけでもない。
そもそもソシャゲ会社のデータ活用度合いはかなりピンキリでコンセンサスがあるわけでもないので、ここに書いたことをソシャゲ業界の一般論と思われるとあまり良くない。データがわかるソシャゲ運営者の中にはこんなことを考えていた人が少なくとも一人はかつていたくらいの温度感で読むのが正しい。

24/12/21 7年間1352件全レスしてきたお題箱を縮小します

お題箱回答を縮小します

今まで7年近くに渡って1352件全レスしてきたお題箱の回答を縮小します。
今後は基本的にブログ用Twitterアカウント(→)で回答し、今までのように記事を書くのは長文回答したい投稿に絞ります。ちなみに三週間前くらいからもう新体制に移行しており、前回のお題箱記事(→)は既に長文回答したい投稿に絞ったものです。

これには決定的な出来事があったわけではなく、半年前くらいから「そろそろ潮時っぽいな」と薄々思っていたのが満潮になっただけです(実はお題箱回答記事にだけ何故か欲しいものリストが貼られていたのもモチベーションを保つための策だったりしたのですが、潮が満ちるのを防ぎきるほどの力はありませんでした)。
たぶん不特定多数へのギバーをやっている人間が遅かれ早かれ「もういいか」と思う要因がじわじわ積み重なっただけで、あまり独自性のある話でもありませんが、それでもやはり長くやってきて色々思うところはあるのでその辺をつらつらと書きます。

キャパオーバーや誹謗中傷のせいではない

まず安直な誤解を二つ解いておくと、回答を縮小する理由はキャパオーバーや誹謗中傷によるものではありません。
というのも、ここ一年くらいはお題箱への投稿ペースが異常に早くなっていて、末期はひと月当たり百件以上が殺到する状態でした。だから傍から見ると体力的・精神的にパンクしたように見える気がしますが、そういう事情は特にないということです。

実際、それほど遅延せず概ね最新分までの回答が追い付いていたことから明らかなように、ひと月あたり百件くらいは他の何も犠牲にせずに捌ける量です。「全レスがしんどかったら回答対象を絞ろう」とはずっと前から思っていましたが、実際に絞る必要は生じませんでした。

また、確かに投稿が増えるにつれて攻撃的なものも徐々に増えてはいましたが、それは別に構いません。匿名での攻撃なんて明日死ぬジジイの肩パンより軽いので普通に全レスしていましたし、世の中にはどうでもいい人がたくさんいることを許容しているのでそれ自体どうでもいいです。

こういう感じを目指してはいなかった

だから投稿量が増えたこと自体が直接的に問題だったわけではなく、それに伴って間接的に営みの質が変わっていたことが縮小の動機です。つまり「別に元々こういうことをしたかったわけではないな」と思い出したということです。

そもそも「LWのサイゼリヤ」という意味わからんブログタイトルは「俺がサイゼリヤで駄弁るようなことを書く場所にしよう」と思って名付けたものです。
大学帰りとかにサイゼリヤの四人ボックス席に溜まって興味のあることを取り留めなく駄弁るのをネット上で不特定多数に向けてやる、みたいなイメージでこのブログを作りました。ちなみに収益化に消極的なのもマネジメントとは程遠い放課後のダラダラ感からスタートしているからです。

だからお題箱のイメージも当初は「サイゼリヤの座席」でした(お題箱トップに「サイゼリヤ12番テーブル」とか書いてあるのはその名残)。
お題箱は非同期テキストコミュニケーションではあるにせよ、少なくとも理想としては「サイゼリヤのボックス座席で喋ってお互いに何か得られるといいね」という双方向性を目指しています。実際、初期のお題箱は僕にとっても関心がある話題が流通する互恵的な状態が保たれていました(ただ、これはこれで過去を美化しすぎているのであまり真に受けるべきではない気もしますが)。

しかし、お題箱は途中から「友達と同席するボックス席」というよりは「相談者を待つ回答席」になっていきました。つまりサイゼリヤのどっかのテーブルを僕が貸し切って、列に並ぶ人の相談に答えるみたいな場所になりました。
そういう変化自体は水が高きから低きに流れるが如く妥当なことではあります。そこそこ知識があってどんな質問にも無償で答え続ける変なやつがいれば外部からの相談が集まってくるでしょう。だから相談してくる人が悪いわけではないのはもちろん、僕自身も相談を受けるのが嫌というわけでもないです。
僕だって人間なので何かの縁があってこのブログを見つけた人が相談をしてくるのであれば答えられる範囲で答えたいし、僕の回答によって誰かがポジティブな方向に向かうのは明確に良いことだとは思っていて、どんな質問も例外とせず1352件も答え続けてきたのはそういうマインドによるものです(自分がこのタイプの善性というか返報思想を持っていることを知ったのがお題箱を始めた一番の収穫かもしれません)。しかもキャパにも余裕があるし暴言耐性S+なので誹謗中傷で心が折れることもありません。

だからそれはそれで変質を受け入れてやっていく選択肢もあったのですが、やっぱこれ続けなくていいなと思ったのは自分がほとんどの質問への回答をもはや面白いと思っていないことを自覚したからです。
文章を書くことは嫌いではないのでつまらなくはないですが、積極的に面白くやっているのかと聞かれるとそれは明確にNOです。「つまらなくはないけど面白くはない」レベルのことを収益も発生しない趣味のブログでやっていることには違和感があります。
この辺は僕の運用が間違っていたのかもしれません。僕は全然興味のない事柄に対しても中途半端に興味がある人より中身のあることを言えてしまうので、そうなると質問してきた人も「打てば響くんだな」と思って興味がないことをどんどん投げ込んでくる悪循環に陥ってしまいます。興味のない事柄は回答しない方向できっちりフィルタリングした方が良かったかもしれません。

ちなみに「面白くないだけでしんどいことはなかった」と言い切ってしまうのも嘘ではあって、論理的な質が低い投稿だけは答えるのがしんどかったです。
というのは、誤字脱字とか、「てにをは」が誤っているとか、単語の意味を間違えているみたいな表面的なミスのことではなく、論理展開が繋がっていないとか、概念や言葉の解像度が著しく低いとか、前提と仮定を切り分けていないとか、事実と感想を切り分けていないとか、文章に主旨が設定されていないとかいう深刻な論理的不備のことです。
そういう質問に正しく答えるためにはまず「これ何の話です?」「そもそも前提が誤っていて」みたいな大上段での切り分けと確認をやる必要があって、そこでやたらコストがかかる割には分解しても大したことを言っていないので得るものがありません。本当はもっと何か別のことを聞きたかったのかもしれないけれど、それを伝える言葉自体が欠如しているので芯を食った意思疎通ができず、答えたところで何にもなりません。
言語能力の多寡は必ずしも本人の責ではないので別に質問者が悪いわけではないのですが、お互いに得るものがなく疲弊するだけという無益さだけはしんどかったです。

良かったことも色々あった

もちろん良いこともたくさんありました。あったから7年も続けていました。

まずそもそも記事の書き方として質問への回答という形式は非常に優れています。
問題と答えが別人の担当としてはっきり分かれているので「そもそもこれは何の話なのか」という最も重要な論点設定で混乱することがない、他人の質問に答える責任がある以上は回答が途中で放棄されずに何かはクリアに出ることが保証されている、回答文も質問者に説明する体を取るので語り口をわかりやすくできる、など様々なメリットがあります。

またトピックとしても「聞かれなければ話さないけど、聞かれれば話す」という事柄はたくさんあって、そこを掘り当てる質問はこちらとしてもありがたいです。
ぶっちゃけその筆頭は自分語り系の記事ではあって、(表面的なプロフィール確認ではなく)語り甲斐のある信条とか生き様について聞いてくれればこっちも聞かれたのでやむを得ずという体で詳細に書けるのでとても楽です。実際、自分語りの権化みたいな記事は異常に伸びて就活などにも活用させて頂きました。
saize-lw.hatenablog.com

そういう「良い質問があると良い記事が書きやすい」ということについて、僕はよく「良いトスを上げてくれると良いスパイクをしやすい」とか言っています。
ただ回答側も事前に何が良いトスなのかはよくわかってない、つまり「こういうトス欲しいなあ」と思って待ってることはあんまりなくて(そこまでわかっていればもう自分で書くから)、質問箱に入っている投稿を読んで初めて「このトスは良いトスだな、よし書くか」みたいな流れがあると嬉しいところです。
まあ変な喩えを使わなくてもシンプルに頭の良い人がお題箱経由で論理的な質が高い指摘をしてくれて助かるみたいなことも昔はよくありました。僕の記事に対して建設的で正確なコメントが来るのは今も昔もありがたいことではあります。

あとは結果方面で良かったこととして、問題解決タイプの回答が実際に誰かの助けになっていたときはとても良かったなと思います。
note.com例えばこのnoteを読んだときはお題箱に答えて本当に良かったと思ったものです。僕なりに就活の意義を答えた記事からエッセンスをきちんと理解して実行できる就活生にリーチしてきっちり就活を成功させている、そういうポジティブな結果に繋がることは素直に嬉しいと思います。

お題箱縮小以外は変わりません

冒頭に書いた通り、今後のお題箱の運用は基本的にはTwitterに移管します。
別にお題箱自体が嫌になったわけではなく、ブログで全レスするのが適切ではないと思っただけなので、Twitterでは概ね全レスしているし(100%ではないけど)、文字数を使って答えたい投稿は今後もブログで答えます。
あとはお題箱に直接答える形ではなくても投稿に触発されて記事を書いたりすることはあると思います。今まではお題箱に担保されていた「聞かれなければ話さないけど、聞かれれば話す」レベルのことをもう少し自発的に書こうかなとも思っていて、今までの更新頻度からお題箱分を差っ引いた頻度よりはもう少し記事を書く頻度を上げたいとは思っています。
ただ、直近に限って言えば長編ラノベを書いているという全然別の事情があってしばらくは更新ペースが低めになるような気もします。


そんな感じです。LWのサイゼリヤを引き続きよろしくお願いします。
そして何か買ってもらえると嬉しいです。www.amazon.co.jp

24/12/18 お題箱回186:諸々

このブログでのお題箱回答を縮小します。
今後は原則としてブログ用Twitterアカウント(→)で回答し、記事を書くのは回答に長文が必要な投稿に絞ります。
経緯と所感と方針については思ったより長くなったのでまた別に記事を書きます。

お題箱回186

1348.「無職はつまらない人間になっていく」についてです。
これって他人とコミュニケーションを取らない人間はつまらなくなっていくと同義ですか?フリーターは有職ですが、フードデリバリーなど比較的他人とのコミュニケーションが少ない職種はここでいう無職とほぼ同じですか?

その傾向はありますが同義ではありません。
無職がつまらない人間になりがちなのは独自性や新規性を失うからです。他人が聞いたとき「へえ」「ほう」と面白く感じられる話には視点や内容に独特で新しい要素が必要で、それはその人に固有の見聞や思考を重ねることで形成されます。
仕事をしていれば新しい情報に触れる機会が多い一方、無職は誰にでもリーチできる情報や長く変化しない情報にしか触れないので引き出しがなくなっていきます。これはインプットの経路があるかどうかという話なので、正確に言えば仕事をしていてもマンネリな業務しかしていなければ面白くなくなっていったり、逆に無職でも色々精力的に活動している人が面白さを保ったりすることは有り得ます。
また、最もインプット効率が良いのは人間とのコミュニケーションですが、それに限られるわけでもありません。例えば一人で黙々とウーバーイーツをやり込んでいるやつが独自のルート選択や配送順序、昨今の報酬事情やそれを踏まえた今後の考え方などを語れるのであれば十分に面白い人間でいられると思います。

1349.以前に「会社は組織の目的を達成する場所であって自分の正義を実現する場所じゃない(2020)」や「会社員は会社は雇用主が現金リソースを変換して確保する作業リソースに過ぎないので動作不良は全部雇用主の責任(2021)」とおっしゃっていましたが、無職期間や転職を経て考え方は変わりましたか?また、どのようなマインド、就業態度で普段の業務をこなしていますか?
自分自身LWさんのこの言葉たちを胸に普段勤務しているのですが、我が強すぎて業務内容に納得ができないと進められないところがまだあるので、改めてお聞きして参考にしたいです。

年度付きで発言が引用されるの哲学者みたいですね。あまり変わっていませんが、ニュアンスが正確に伝わっているかわからないので改めて書きます。

既に書いた通り「組織の最終目的を定めるのは経営者や資本家、その目的達成のために労働力を供給するのが会社員」という構図は動きません。
会社員はあくまでも備品であって備品の買い主と利益を折半する立場ではないため、会社員が数億円単位の大きな成果を出しても上がる給与はせいぜい数百万円くらいです。

とはいえ、最終目的を達成する手段を遂行する限りにおいて会社員にも会社員なりの自由度があります。
最終目的が所与だとしてもそれを達成する手段まで完全に整えられていることは多くないため、最終目的を小目的にブレイクダウンして実行・達成していく部分で創造性を発揮でき、そういう仕事上の工夫には自己実現の余地も多くあります。

働く上で追加で考えるようになったこととして、会社員が最終目的を達成するにあたって「論理的な正しさ」は部分的な効力しか持たないということがあります。
例えば、信頼や認知負荷の問題はよく論理的な正しさと衝突します。ある(小)目的を達成するにあたってある手段が最も効率的であることを一人だけが知っていたとしても、その人の見込みが正しいという信頼がなければ採用されません(説明作業が必要)。同様に、皆が「せーの」で実行すれば最も効率的であるような手段があったとしても、新しい試みへの慣れは大きな認知的なコストを伴うため、その抵抗によって効率が理論値に達しないこともあります(導入作業が必要)。
要するに最終目的への漸近を測るのは「実際にそうなった」という現実的な基準であり、「理想的にこうすべき」という理論的な想定はその補助に過ぎないということです(人間の特性や系の大きさ・複雑さに起因するオーバーヘッドが色々ある)。

1350.自分の進路について悩んでいます。
人生相談そのもので申し訳無いです。私はとある大学の医学生なのですが、このままで良いのかと悩んでいます。
私は軽度のADHDを患っており、興味のある分野は1日中ぶっ通しで勉強出来るのですが、興味のない分野はそもそも目に入れることが苦痛になるくらい集中できません。問題なのは私にとって医学全般がこの「興味のない分野」であることです。講義内容もテストの過去問も全く頭に入りません。
医学科に入ったのも親に言われたからです。
大学に入ったはじめの方はまぁ医者なら食いっぱぐれないからいいやくらいの気持ちだったのですが、自分の人生を一人前になるのに十数年必要とする医者という職業に捧げるのには躊躇を感じますし、そもそも障害を持っている自分が果たして医者になって良いのかとも思います。

今からでも自分の興味のある分野の学部に再受験したほうがいいのでしょうか。

ご自身のブログで興味のあることはスッと理解できるが興味のない分野は理解に時間がかかるとおっしゃっていたので似たようなものを感じ質問させていただきました。

お目汚しとなったのなら大変申し訳ございません。

何かアドバイス頂ければ幸いです。

普通に考えれば転学部すべきだと思いますが(全く集中できない分野でこのまま卒業できるとも思えないので)、もし苦痛に喘ぎながらでもギリギリ卒業できるのであれば転学部しなくていい可能性もあるのでそっちについて書きます。

というのは、(研究を除く)学部での勉強と社会での仕事は結構違う営みなので、前者が合わなくても後者は合うケースもあるということです。
学部での勉強は目的を一旦脇に置いておいて確実な知識をボトムアップに積み上げていくものですが、社会での仕事はまず達成すべき目的があってその実現手段をトップダウンに分解していく順序です。
よって医学的な知識それ自体には全く興味がないとしても、自分が達成したい目的に対する手段としては有効であることを認められれば問題ないというルートが有り得ます(ゲームで遊ぶときにコントローラー自体に興味がある人はほとんどいない)。僕も大学でのコンピュータサイエンスの研究は全然面白くなかったのでエンジニアになる道を捨ててプランナーになったのですが、社会に出て目的達成のための道具としては面白いことがわかったので今は似たような領域に戻ってきています。

ただそのためには医学の目的自体にはある程度ポジティブである必要はあって(病人を助けたいとか医学的な謎を解きたいとか)、どんなに考えてもモチベが全くないのであれば転学部した方が良さそうな気もします(でも人生で何をしたいのかわかるのは大学を出てからのことも多いような気もする)。

1351.一日を有意義に使う方法でtodoリストを教えていただき、ありがとうございます。実践してみようと思います。追加で質問なのですが、LWさんはtodoリスト外のことはtodoリストの項目が終わるまでやらない運用にしていますか?例えば、SNSやソシャゲなどです。それともそれらも含めてtodoリストを作成してるのですか?

目的次第です。
TODOリストは手段なので、その使い方も目的から逆算して考えてください。今の目的は一日を有意義に過ごすことなので、自分が「今日を有意義に使った」と感じる条件に沿うかどうかでTODOリストの細かい運用を定義すべきです。
例えば途中で寄り道しても最終的にTODOリストに列挙した項目が終わっていれば有意義な一日だと感じられるのであれば他のことをしてもいいですが、少しでも寄り道すると一日を有意義に感じられなくなるとか、寄り道をすると本来のTODOリストに復帰できず最終的に一日を無駄にするのであれば寄り道を禁止すべきです。
まだ自己理解が甘くて自分がどんな過ごし方をすれば一日を有意義に感じるかどうかがわからないのであれば、様々なパターンを実験して確かめて決めてください。

TODOリストに限らずこの手のライフハックの基本は自己理解です。自己の適性を把握した上で自分にとって最適な手段を特定するのが正しい運用なので、安易に他人の真似で済ませずに自分への実験をちゃんとやってください。

ちなみに僕の場合は
・最終的にTODOリストに書いてあることが終わっていればよいので、TODOリストの項目が終わる見込みなら寄り道してもいい
・ソシャゲは努力してやるべき活動なのでTODOリストに記載する
・Twitterは努力してやらないべき活動なのでTODOリストに記載しない
です。

1352.大学2年生です。
やるべきことから逃避する癖が酷く、大学にほとんど行っていません。サークル等にも所属しておらず、大学に友人と呼べるような人がほとんどいません。他人との繋がりは、高校時代の友人とゲームをプレイするくらいです。
最近ちょっと孤独が辛く感じるようになってきたのですが、どこから、どのように改善すればよいのでしょうか。

大学に行ってサークルに所属して友達を作りましょう。
問題を直接解決できる行動を今すぐしましょう。そのゴール設定は動かなくて、あと考える余地があるとすれば細かいマインドセットや行動設計の話くらいです。

やるべきことから逃避する癖を直すにはやるべきことをやるしかないです。どうしてもダメなら専門家の力を借りて、とにかくやるべきことをやる方向に動くことだけは諦めないでください。
逆にやらない方がいいのは、やるべきことをやらない方向に動くことです。いまどき発達障害とか怠惰な特性への理解と配慮はどんどん進んでいますし、やらない方向で理論武装したり、やらないことが肯定されるコミュニティに所属したりすることは難しくありません。ネガティブな特性を容認していく方が楽なのは間違いないし、その楽さ自体を否定するつもりは全くありません。
ただ覚えておいてほしいのは、「こういう理由でやるべきことに取り組めないのだ」という客観的で合理的な正しい理由が発見されたとしても、それはそれとして人生は無慈悲に詰むということです。人生が詰むかどうかはただ取った行動によってのみ決まり、その経緯や理由を特に問いません。「お前は何も悪くないが、それはそれとしてお前は終わりだ」ということはよくあります。僕も人生のリザルト画面が見える年齢になってきてようやくそういうことがわかってきました。
これは倫理ではなく生死の話です。例えば裸で雪山に向かうことにアイスバケツチャレンジみたいな深い意味があったとしても、それはそれとしてそいつは確実に死にます。そういう状況です。「甘えてはいけない」とか「ちゃんとしないと駄目だ」みたいな精神論の話は全くしていなくて、「それは本当に死ぬからやめた方がいい」という生存方法の話をしています。

ちなみに僕も大学院退学間際くらいのタイミングで「大学出たら友達が作りにくくなりそうだな」と思い立ってオタク系のサークルを片っ端から回った時期があります。それは結局どこにも繋がらずに終わったのですが、同じようにバラ撒いた伏線のいくつかは他で実りましたし、そういう気の持ちよう自体は我ながらかなりファインプレーでした。俺もやったんだからさ……


何か買ってもらえると嬉しいです。www.amazon.co.jp

24/11/30 2024年10・11月消費&生成コンテンツ

デスゲームものを書こうと思って先行文献を調べたりしていた。

メディア別リスト

漫画(25冊)

マッシュル(全18巻)
アスミカケル(全4巻)
次回のデスゲームにご期待ください!!(全3巻)

書籍(23冊)

プリンセス・ギャンビット ~スパイと奴隷王女の王国転覆遊戯~
スタァ・ミライプロジェクト 歌姫編
デスループ令嬢は生き残る為に両手を血に染めるようです
名探偵は推理で殺す 依頼.1 大罪人バトルロイヤルに潜入せよ
徒花の館 キリング・ゲーム
不死者と暗殺者のデスゲーム製作活動
デスゲームに巻き込まれた山本さん、気ままにゲームバランスを崩壊させる
溝碧の倫理なき遊戯の壊し方
俺の現実は恋愛ゲーム?? ~かと思ったら命がけのゲームだった~
父さんな、デスゲーム運営で食っているんだ
人狼ゲーム
人狼ゲーム BEAST SIDE
人狼ゲーム CRAZY LIKE A FOX
人狼ゲーム PRISON BREAK
人狼ゲーム LOVERS
人狼ゲーム MAD LAND
人狼ゲーム LOST EDEN(上・下)
人狼ゲーム INFERNO
人狼ゲーム デスゲームの運営人
ニュースペックテキスト 情報セキュリティマネジメント 2024年度 [最新 シラバスver.3.4 対応]
仕事ではじめる機械学習
Pythonライブラリによる因果推論・因果探索[概念と実践] 因果機械学習の鍵を解く

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

(特になし)

消費して良かったコンテンツ

プリンセス・ギャンビット ~スパイと奴隷王女の王国転覆遊戯~
人狼ゲーム LOVERS
人狼ゲーム
人狼ゲーム デスゲームの運営人

消費して損はなかったコンテンツ

Pythonライブラリによる因果推論・因果探索[概念と実践] 因果機械学習の鍵を解く
スタァ・ミライプロジェクト 歌姫編
デスループ令嬢は生き残る為に両手を血に染めるようです
仕事ではじめる機械学習
人狼ゲーム BEAST SIDE
人狼ゲーム CRAZY LIKE A FOX
人狼ゲーム PRISON BREAK
人狼ゲーム MAD LAND
人狼ゲーム LOST EDEN(上・下)
人狼ゲーム INFERNO
名探偵は推理で殺す 依頼.1 大罪人バトルロイヤルに潜入せよ

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

徒花の館 キリング・ゲーム
デスゲームに巻き込まれた山本さん、気ままにゲームバランスを崩壊させる
ニュースペックテキスト 情報セキュリティマネジメント 2024年度 [最新 シラバスver.3.4 対応]
マッシュル
次回のデスゲームにご期待ください!!
アスミカケル
不死者と暗殺者のデスゲーム製作活動

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

溝碧の倫理なき遊戯の壊し方
俺の現実は恋愛ゲーム?? ~かと思ったら命がけのゲームだった~
父さんな、デスゲーム運営で食っているんだ

ピックアップ

デスゲーム系ラノベ10冊

saize-lw.hatenablog.comまとめて書いた。プリンセス・ギャンビットの続刊をよろしくお願いします。

人狼ゲームシリーズ

川上亮のシリーズ作品。人狼も広義のデスゲームなので全部読んだ。
九作もあるが「十人前後の高校生が拉致され、ゲーム内で死ぬと本当に死ぬ人狼ゲームを強制的にプレイさせられる」という話を毎作繰り返すだけで、続き物としての連関はほぼない。
巻ごとに仕切り直して新しい参加者たちで改めてデスゲームを始める都合で、デスゲームのお約束を毎回毎回きっちりやるのが相当面白い。「広い部屋で全員が目覚める→ここはどこだ?→リアル人狼ゲームをプレイせよ……→ドッキリか?→とりあえず一人死ぬ→うわあああああ→もうやるしかないんだ……」という流れを繰り返し読むことになる。

そんな立て付けなのでリプレイ集のような趣もあるが、退屈せず全て面白く読めたし人狼ゲームの進行や定石についても勉強になった(俺は基本的にデスゲームが好きなので査定が甘くなっているのは確実にあるが)。
一応ルールが毎回全く同じというわけでは流石になく、異なるオプション役職を毎回入れ替えることでゲームや展開のバリエーションが確保されている。例えば『CRAZY LIKE A FOX』では狐役職がいたり、『MAD LAND』は村人の方が少ない狂人村だったりする(サブタイトル通り)。
また、シリーズ全体を通して本来の人狼とはルールが明確に異なるポイントとして、「村人たちが個人としても絶対に吊られたくない(吊られたら死ぬので)」ということがある(通常の人狼では自分がゲーム中に死亡しても最終的に陣営が勝利すればゲームとしては勝ちの扱いになるので、自分が死ぬこと自体は忌避されない)。とはいえ、そこはあまり違和感なく読めている。村人陣営としても自分を含む村人はなるべく減らさないに越したことはないのだし、そのおかげでちょっと新しい行動が生まれたりもする。

人狼ゲームの流れを踏まえると「登場人物たちは必ず高校生の男女で顔見知りが多い」という使い回し設定にもかなりの合理性があることがわかる。
人狼がゲームとして面白くない弱点は色々あるが、その中の一つに「序盤の指針が立てにくい」がある。後半になると人が減って情報が煮詰まってくるので色々推理のやりようもあるのだが、逆に人が多くて情報が少ない序盤はローラーやランダム吊りなどの機械的な作業になってしまいやすい。
それでは小説としてもゲームとしてもイマイチ面白くないので、この作品では解決策として人狼ゲームの進行とは無関係にプレイヤーたちが特定の誰かを殺したくなるようなインセンティブを外部から供給している。つまり、感情的に幼い高校生同士を顔見知りにしてしょうもないいざこざや愛憎を繰り広げてもらうことによって、論理的な推理とはまた別の部分で吊り先を指定する動機を作り、退屈な序盤を勝手に進めてもらっている。
そうやって高校生がワチャワチャしているうちにたくさんいるキャラも何となく掴めてくるし協力関係のラインも見えてきて、そこから終盤の推理や意外な真相に繋がっていく。そういうフォーマットの強固さとルールのバリエーションによって毎巻安定した面白さを作り出すことに成功している良シリーズ。

ゲームの性質上ネタバレにしかならないのでそれぞれの作品について細かくは書かないが、個人的な好みを言えば一作目『人狼ゲーム』、五作目『人狼ゲーム LOVERS』、九作目『人狼ゲーム デスゲームの運営人』あたりが特に良かった。
『人狼ゲーム』はシリーズ全体で一貫するフォーマットを初めて提示されて感心した、『人狼ゲーム LOVERS』は全員がクリア経験ありというハイレベル卓の中でクソ強いロリキャラ八木ひなたちゃんがめっちゃ萌えだった、『人狼ゲーム デスゲームの運営人』は今までと趣向を変えたギミックが面白かった。

次回のデスゲームにご期待ください!!

そういえば昔ジャンプラでも変則デスゲームものをやっていたのを思い出して読んだ。
デスゲームを題材にしたギャグコメディではあるが、壊滅的に面白くなかったラノベ『父さんな、デスゲーム運営で食っているんだ』と同じジレンマを全く越えられていない。つまり「デスゲームで笑いを取りたいが、デスゲームは人が死ぬので笑いごとではない」という矛盾に対するアンサーが特にないため、表面的な描写を少しでも掘り下げると一瞬で破綻する理解し難い内容になってしまっている。

とはいえ、あちらに比べるとまだそこそこ好感度が高い。何故なら、「デスゲームコメディをやる」という死にライン以外に「司会のお姉さんと参加者の少年でおねショタをやる」という生きラインがあるからだ。
言い換えると、デスゲーム文脈ではコメディを評価できないにせよ、デスゲーム司会のお姉さん文脈ではコメディに良さがある。特に「人が死ぬことはないが、デスゲーム司会としての経験が生きる」状況として作られた学級裁判編はそれが華々しく成功したエピソードだった。残念ながら俺はおねショタ属性がないのでそれほど刺さらなかったにせよ、欠点を補う魅力をそれなりに備えた粗削りな良作と評価してもいい。

マッシュル

本当につまらなかったが、それは俺が対象読者層ではないからだとこれほど強く確信できる漫画もない。
こういう漫画も少年漫画という括りの中では明確に必要なのだと思う。呪術廻戦とかチェンソーマンとか進撃の巨人みたいなオタク向けのハイコンテクスト少年漫画ばかりでも困ってしまうわけで、初めてジャンプを手に取って初めて漫画を読む少年向けに「漫画は面白いんだよ」ということをまず最初に伝える一周目の入門漫画が要る。漫画を読みすぎたオタクからすると手垢が付きすぎて未来視みたいに先が見えてしまう展開も、漫画を初めて読む人にとっては最大効率で原始的な面白さを伝えるギミックなのだ。

それはそれとして、作画上でとても興味深かったポイントとして「主人公が少なくともビジュアル的には全然マッチョではない」ということがある。
筋肉一本で魔法世界を制覇するというコンセプトの割には、主人公の少年が筋骨隆々ではなくむしろかなりの細身として描かれているのはなぜなのか? すぐ思いつく理由として「ギャグとしての意外性を描くため」や「単に筋骨隆々な主人公はかっこよくないから」などがあるが、個人的には「実は筋肉は常識の象徴だから」だと思う。
マッシュルではバトルシーンを含めてファンタジーに対するメタギャグ文脈が通底しており、特にボス戦では主語の大きい壮大な目的を垂れ流すボスキャラに対して主人公が「なんか自分のことを深いと思ってそう」みたいなことを言ってブッ倒すのがお決まりの流れになっている。付き合った上で論破するのではなくそもそも最初から付き合わない、相手の土俵に乗らない、徹底的に空気を読まない。
しかしそれは冷笑的な態度を取っているのではなく、むしろ「変に主語を大きくしないで身の周りのことを大切にして生きていこうよ」というポジティブで常識的な感性によるものだ。この主人公の立ち位置を踏まえると、魔法の世界で一人だけ筋肉で戦っていること自体が、魔法という地に足の付かない人類最大のファンタジーに対して誰でも知っている常識的な物理攻撃によって冷や水を浴びせるという構図でもあることが見えてくる。
だから主人公をボディビルダーのような膨れ上がった筋肉キャラにしてしまうと、それはそれで魔法ファンタジーに別の筋肉ファンタジーをぶつけることになってしまって主旨がズレてしまうのだろう。つまり主人公自身がムキムキの身体で「身の周りを大切にしよう」みたいなことを言うと、それはそれで筋肉教徒や自己実現みたいな文脈が付いてきて押し付けがましくなる、絵空事としての魔法へのカウンターにならずまた別の絵空事になってしまうということだ。

あと女性キャラが可愛かったのは明確に良かった(エロジジイ加点)。アイカツみたいなヒロイン可愛いしもうちょい出番あってもよくなかった?

アスミカケル

火ノ丸相撲が面白かったので読んだ。申し訳ないけどこっちは面白くなかった!
火ノ丸相撲で培った格闘描写や人物描写を活かしたクオリティの高い漫画だとは思うのだが、それ以外の立て付けのところで全然乗り切れなくて読み進めるのがしんどかった。別に漫画として不味かったところはなくて(やり方に瑕疵があったわけではなくて)、やろうとしたことが悉く刺さらなかったというのが正確な感想ではある。

明確な敗因が二点あって、まずMMAという題材が相撲に比べて楽しみにくかった。
「MMAでは何でもあり」というのは一見面白そうに見えて、何でもありすぎて論点が全然わからないのだ。打撃とか投げとか寝技に相性があるっぽいことはうっすらわかるが、今の課題に対して何故新しい技がアンサーになるのか、何がどう新しくてどのくらい凄いのかが全然わからなくて、タイプ相性が全くわからないポケモンをプレイしてるみたいだった。
MMAに比べると、火ノ丸相撲は「土俵から出るか手を付いたら負け」という物理的なルールが単純だし、基本的には力勝負の世界なので技で裏をかくという技巧的な文脈も理解しやすかったのだと思う。

もう一点は、主人公の魅力がなさすぎた。
死んでも相撲を諦めない狂人である火ノ丸相撲の潮と違って、アスミカケルの二兎はエンジンが弱い。祖父絡みで兄との確執があるが、それはMMAでクリアすべきなのかどうかがよくわからない(他の手段もあるのでは?)。また、兄貴が作中最大の仮想敵として設定されている割には根っからの悪人というわけでもなく、時には兄弟らしい距離感で助言したりするのも主人公のモチベーションをよくわからなくさせてしまっている。
いや、これはあまり良くない単純化だという自覚はある。アスミカケルではもっとリアルで一義的でないものを描きたかったという気持ちはわかる。いくら確執があっても血を分けた兄弟を完全な悪と断ずるほど家族関係は単純ではなくて、アンビバレントな葛藤と向き合いながら二兎が色々掴んでいくストーリーを想定していたのはわかる。でも流石に物語のモチベーションの根源にいるのがボケたジジイ一人というのはちょっと辛かったです!

あと女性キャラが可愛くなさすぎたのは明確に良くなかった(エロジジイ減点)。趣味は自由なのだがもうちょっと歩み寄る余地とかは……ないでしょうか?

仕事ではじめる機械学習

若干対象層じゃなかったけどまあ良著。
タイトル通り、今まで機械学習を使ってきていない組織が今から使うときの包括的なガイド。数理的なアルゴリズムの話だけではなく、プロジェクトの流れとかテスト時の諸注意とかパイプラインとか保守とか実務上の事柄がつらつら書いてある。数学的なレベルはそれほど高くないが、後半で一気に上がってくる印象もある。

特に良かった点として、実務的な効果検証としてアップリフトモデリングを紹介していたところがある。なぜか標準的な機械学習入門書にはそれほど書かれていないような気もするのだが、A/Bテストのように介入を想定した現実的な状況において本当に気にすべきメトリクスはたいてい介入後の値そのものというよりは介入有無に対する反実仮想的なアップリフト値である、というのは非常に正しい。

あとバンディットアルゴリズムの章が『ウェブ最適化ではじめる機械学習』(→)と被りすぎているのでパクりか?と思ったらあちらの著者が監修していたらしい。内容被って浮いてるしこっちにこんな詳細に書かなくてよくない?

Pythonライブラリによる因果推論・因果探索[概念と実践] 因果機械学習の鍵を解く

だいぶ良著。
主にpearl流での因果推論の理論から実装までを一冊に詰め込んでおり、今から実装を見据えて因果推論を触りたい人には最適っぽい教科書的な一冊。

理論パートは標準的な説明が載っているだけなので新たに学ぶことは特になかったが、この本で初めて学んでも良くはある。IVやSCを取り上げる割にはDIDやRDDを取り上げないというカバー範囲への微妙な違和感もなくはないが、それらは実装というよりは仮定の妥当性が鍵を握っているので、実践的なコードを紹介するという書籍の主旨にはそぐわないのかもしれない。
実装パートでは効果測定と因果探索がライブラリ付きで紹介されている。一から実装するのではなくて既存ライブラリを適切に紹介する本であり、悪く言えばブラックボックスの部分も多いが、よく言えば業務における即戦力とも言える。

正直なところ、本当の初学者がこれ一冊で因果推論を身に付けられるかどうかと言われると怪しい感じもするが、それはこの本に限った話でもない。因果推論自体が他のモデリングに比べて高度に抽象的で難解な概念や操作を扱う分野なのでそれはもう仕方ないことだ。どこから入っても色々自分で実装したり考えたりしながら少しずつ習得していくしかない。

ニュースペックテキスト 情報セキュリティマネジメント 2024年度 [最新 シラバスver.3.4 対応]

セキスペの勉強ついでにセキマネも取った。
セキマネはあらゆる意味でセキスペの完全下位互換なので本当に全く要らないのだが、2時間の試験を受けて合格すると会社から資格インセンティブが5万円貰えてしまうのでバイトとしての割があまりにも良すぎてついつい取ってしまった。異常にレートがいいし試験室に入る前にスマホや身分証を全て没収されるのでかなり闇バイトっぽい。
一応受ける試験はちゃんと全ての範囲を勉強するという自分ルールがあるので本屋で適当に手に取ったこれをちゃんと全部読んで問題も全部解いたが、新たに知ることはほとんどなかった。
新宿のブックオフに100円で売れた。

生成コンテンツ

新しいラノベを書き始めたのでその進捗も消費コンテンツ記事に書きます。持続可能な趣味として年に一本くらいは15万字前後で完結する中編ラノベを書いていきたいと思っております。

いま書いているのは「参加者が全員不死者のデスゲーム」みたいな話です(575)。いま35000字くらい書きました。

デスゲームに強制参加させられた八人の不死者たち。
「ゲーマーJK」及川オイカワ三途サンズ、「真祖吸血鬼」ヴァンヒール、「一流奇術師」遊道楽ユドラ、「バトルシスター」HEAVEN、「少女名探偵」シャルリロ、「トー横地雷系」萌え様、「帯刀軍人」無死ムシ、「継ぎ接ぎゾンビ」ゾンちゃん。
しかし首輪が爆発しても全身を潰されても誰も死なない、不死なので!
とりあえず運営を皆殺しにして帰宅しようとする不死者一同だったが、世界観がメチャクチャなこの八人を誰が何のためにどうやって集めたのかは割と気になる。
どうせ暇だし不毛なデスゲームを続行することに決め、真剣に殺し合ってもまあ死なないけど、不死者の絆は深まったり深まらなかったり。そして少しずつ見えてくるデスゲームの裏側は……?

みたいな感じです。今回の登場人物は全員美少女です。