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21/7/23 竹村彰通『新装改訂版 現代数理統計学』の感想

竹村彰通『新装改訂版 現代数理統計学

7月はずっと竹村彰通『新装改訂版 現代数理統計学』を読んでいた。30年前くらいに初版が出された名著だが、ちょうど半年前に元の出版社が潰れたついでか何かで新装改訂版が登場したらしい。

別に試験があるわけではないし仕事で使うわけでもないし資格を取るわけでもないのだが、映画やアニメを見たい気分と同じでたまたま数学がやりたい気分だったので、手頃なコンテンツとして統計学を消費していた。

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全部で14章まであるのだが、体系的な説明は9章でひと段落してそれ以降は補足的な各論が続くようなので、とりあえず9章まで終えた。
何事もインプットしたらアウトプットしておくのが一番定着が早いため、各章ごとの感想を書いたやつを載せておく。あくまでも俺の現時点での理解と関心に基づいた感想の整理であり、この書籍の要約ではないし正しさも保証しないので統計学を学びたい人は参考にしないように注意せよ。

1.記述統計の復習

確率変数ではなく実際のデータ群に対する平均や分散等の定義はこの一章だけで適当に済ませて終わる。さすがに全部知っているので略。
しかしこの、記述統計とかいうなまじわかりやすくて小学生でも扱えるものがあるから却って数理統計学がわかりにくくなっているような気もする。例えば「平均」概念を一つ取ってみても、記述統計におけるそれと数理統計におけるそれは結構違う。というのも、平均を求める演算の入出力に注目したとき、どちらも出力は単一のスカラー値だというのに、前者は通常複数の変数を入力とするのに対して、後者は通常一つの確率変数を入力とするという違いがある。このギャップは「確率変数が複数のデータ値を確率も込みでまとめたような概念だから」という理解で大雑把に埋められないことも無いが、変数と確率変数というクラスの違いの重大さはのちのち思い知ることになる。

 

2.一次元の確率関数

新クラスとしての確率変数

まず確率変数があった。そういうことにしておきたい。

というのも、統計学における基礎概念としての確率変数をどう捉えるかについては、測度論という禁断の果実を食すかどうかで二つの道に分かれるように思われる。一つは正しく測度論を咀嚼することによって確率変数を「特殊な集合を用いて定義される写像」と捉える道、もう一つは測度論を見なかったことにして確率変数を「確率を伴う特殊なクラスの変数」と捉える道である。
さしあたって俺は後者の道を進むことにする。つまり、俺は確率変数のことを「変数概念の全く新しい派生クラス」と見做す。そうする理由は単にこの本ではそうしているからというだけだ。何も確率変数という新概念を語るのはその厳密な定義だけではない。それに対する演算を把握するなり、他のよく知られた概念との関係を調べるなり、やれることはいくらでもある。

このスタンスで行く場合、通常の変数を「定義域の上を動く値」とするならば、確率変数は「確率を伴って定義域の上を動く値」という理解になる。蛞蝓に殻がくっ付いて蝸牛になるのと同じように、変数に余計なオプションが加わった亜種だ。
この殻によって生じる顕著な扱いの違いとして、割と頻繁に定数と同一視される変数とは異なり、確率変数においては可能な値を定数として取り出したものは実現値として厳密に区別しなければならないことがある。確率変数のアイデンティティは各値に確率という余計な肩書が乗っていることにあるため、その重みを取り去って無造作に各値を取り出すと失うものが大きいのだ。これにより、分布関数や密度関数の引数が確率変数ではなく実現値であることが了解できる。

補足385:ただし、順序統計量や尤度関数や標本空間の議論では確率変数が実現値と同一視されていることもあり、そのあたりは柔軟に対応しなければならない。

補足386:ところでX~Fなどと書くときのFは密度関数ではなく分布関数の意であることは初めて知った。密度関数と違って分布関数は離散の場合も連続の場合も統一的に扱えるため、より基礎的な表記方法であるらしい。

クラス変換としての期待値演算

確率関数を全き異物の新クラスと見做してみると、E[X]という期待値概念の重要性が見えてくる。というのも、Eは確率変数を受け取って通常の変数を返すからだ。つまり期待値演算とは実現値をピックする以外の方法でクラスを変換する機構であり、これを介して初めて確率変数と通常の変数が式の中で接触できるようになる(文脈によっては直接接触していることもあるが)。よって確率変数がスカラー値を返す指標は、平均も分散もモーメントも期待値という加工装置を介しての定義となる。期待値演算は確率変数という珍妙な新クラスを扱いやすい見慣れた形に変更する包括的な操作であって、その利用例に平均や分散があると考えた方がわかりやすい。

そして、母関数は期待値演算の中でも特に可逆性という特殊な性質を持つ変異種である。一般に期待値演算に逆演算は定義されておらず、平均や分散から確率変数を復元することはできない。しかし母関数に限っては、逆転公式を用いることで確率変数を復元でき、これにより確率変数と母関数は一対一対応を持つのだという。母関数もまた期待値演算によって定義されるものであるから確率変数という新規で奇妙なものを含まないにも関わらず、任意の確率変数と完全に対応している。数学は苦手なので深入りはできないが、微積分を多項方程式に変換するラプラス変換と似たような形をしているのも、恐らく母関数がクラス変換と解釈できることと何らかの関係があるのだろう。

 

3.多次元の確率変数

確率変数が全く新奇なエーリアンであるという立場を取るならば、今度はそれらが複数登場した場合にどう考えればよいのかが問題になってくる。
この発展は物理学の教育過程に似ている。慣性の法則に従ってボールが一つ転がる系を考えたあとは、ボールが二つ登場して作用反作用の法則に従って衝突する系を考えるのが自然な流れだ。

確率変数同士の抽出・縁・生成・関係

しかし実際には世界にボールは無限にあって、むしろ無限個の相互作用こそが標準状態であり、一つだけ取り出した系の方こそが極端に簡略化された異常事態なのだ。よって、確率変数についても最初にやるべき仕事は、無限の成分が連なる確率ベクトルからいくつかの確率変数を抽出する削減方法だろう。この方法には2パターンあり、条件付き分布では関心外の世界全てをある値に固定して切り出し、周辺分布では関心外の全てを全平行世界を同時に観測して圧縮する。

世界から確率変数をいくつか抽出したあとは、そもそも彼らに何かしらの縁があるかどうかをジャッジする必要がある。リオデジャネイロで30km/hで転がるボールと東京で50km/hで転がるボールを実験対象に選んだとして、まずそれらの間に相互作用を想定すべきかどうかを確認するのは自然なことのように思われる。世界から取り出した確率変数同士に縁があるかどうかを判定するのが独立性の検証であることは言うまでもない。

有限少数の確率変数を入手した上で縁の有無を確認したあとは、複数の確率変数を足したり引いたりして別の確率変数を生成してみよう。それが変数変換とヤコビアンについての話である。
我々のスタンスからするとここで驚くべきは、変数変換は入出力共に確率変数である操作だということだ。一般の関数が普通の変数を入力して普通の変数を出力していたのに対して、期待値演算は確率変数を入力して普通の変数を出力していた。ここに来て遂に確率変数を入れて確率変数が出てくる演算が出現したのである。謎の新クラスが遂にそれ自体の中で閉じた演算を可能とした。
そして実際、通常の足し算のような表記は彼らのアイデンティティであるところの確率分布に対しては及んでおらず(Z=X+Yだからといってf(z)=f(x)+f(y)とはならない)、ヤコビアンを用いた特殊な計算を行うあたりに新クラスについて定義された特殊な新演算という趣があるわけだ。なお、再生性を持つ一部の分布についてはヤコビアン逆行列の計算をすっ飛ばして加算時の分布を導出できる。

そして最後にようやく関係の話が出てくる。つまり共分散であり、共分散はここでも確率変数を通常の変数に変える期待値演算によって定義されている。一次元のときは分散はせいぜい平均の次に注目される二次的な指標程度のものだったが、多次元になった途端に共分散が二つの確率変数の仲の良さを表す指標としていきなり濃厚に関係を記述する興味深い概念になる。この多次元になると優先度が逆転する感じはかなり詐欺臭く、共分散は何か定義でセコいことをしているような気がするのだが、残念ながら犯罪の証拠を掴むことはできなかった。

 

4.統計量と標本分布

統計量とは確率変数の関数であるが、この概念自体は前章で確率変数同士の演算を定義した時点で既に予告されている。統計量もまた確率変数なので分布を考えることができるのだが、それはヤコビアンか再生性を用いて導出できるというのも既出だ。
概念的には新しくないのに各論じみた分布ばかりが複数登場してかなり萎えてくる。証明というか導出が汚くてやる気が出ない。分散はカイ二乗分布、標本平均はt分布、分散の一致判定はF分布ということを覚えるだけで限界に近い。非心分布論に至っては、アドホックな密度関数が場当たり的に並ぶだけで何に使うのか全くわからなかった。それでも極限定理に関してはもう少しだけ興味深いものがあり、確率変数も構成要素の個数に応じて各要素が定義される点列のように扱えば無限に飛ばしたとき収束したりしなかったりするのは変数らしい表情を見せてくれる。

その一方、オマケのように統計量の一つとして紹介されている順序統計量は変則的でかなり面白い。「m個の実現値を並び替えたときn番目に大きい値」は当然何らかの分布を持つ確率変数であり、分布を考えることができるらしい。科学実験とかいう馴染みのない営みでは平均や分散とかいう地味で刺激に欠ける指標にしか関心がないのに対して、ギャンブルやゲームのような馴染み深く実戦的な現場においては複数回試行したうちでの最大値や二番目に大きい値が気になることも多いだろう。男なら順序統計量で戦え。

 

5.統計的決定理論

前章までで確率変数という概念自体について理解するフェイズが終わり、ここから実際にそれを用いて統計的な決定を行う理論の話が始まる。とはいえ、その決定を表す決定関数δは確率変数であるから、これもまた確率変数を扱う営みのバリエーションに過ぎないことには常に留意しておきたい。決定関数を用いた統計的推定の問題設定には「点推定」と「検定」の二種類があり、それぞれはかなり異なる展開を辿るせいで例示が混乱しているものの、問題の枠組みはもちろん統一的に扱うことができる。

決定関数をリスク関数で評価する

決定関数の評価基準とは、その決定によって統計家にもたらされる損失の大きさに他ならない。
まず最も素朴な損失関数Lはパラメタと決定関数を引数にとって見比べることで損失を返すが、このときパラメタは通常の変数、決定関数は確率変数というギャップには注意しなければならない(パラメタが確率変数であるのはベイズ推定に限る)。
決定関数の評価値の決定版になるのは、損失関数の期待値であるリスク関数Rだ。しかし、ここで言う期待値とはあくまでも決定関数に対して取るものであってパラメタに対しては作用しない。パラメタは確率変数に対して定義されている期待値の適用対象ではないため、リスク関数の中にそのまま残ってしまう。

リスク関数の中にパラメタがそのまま残ることにより、「パラメタによってリスクがまちまちである」という事態が生じる。もしこのパラメタならこの決定関数が優れるがあのパラメタならあの決定関数が優れるという一貫性に欠ける状況に対し、統一的な評価基準は存在しない。しかし選択肢としては最大リスクを最小にする保守的なミニマックス基準や、(θを確率変数とみなすことで)平均リスクを算出するベイズ基準があるほか、パラメタが張る空間に決定関数ごとにリスクを打点することでリスクセットを可視化する手法もある。
非常に穏当な決定関数の評価指標の一つとして、許容性の概念がある。大雑把に言えば、どのパラメタについてもそれよりも良い完全上位互換の決定関数が存在しない場合は許容的と呼ばれるのだが、非許容的な決定関数があまりにも雑魚すぎるだけで、許容的だからと言って強いわけではない。

 

6.十分統計量

4章ではいくつかの代表的な統計量が従う分布を天下り的に調べることしかやっていないが、ゴール地点として統計的決定理論を提示した今、統計量の持つ一般的性質が統計的決定理論にどのように寄与するかを考えても良い頃だ。
統計的決定理論が確率変数が従う分布のパラメタについて決定を行う営みであったことを思い出せば、分布のパラメタについての情報を持つ統計量が有益であることは予想が付く。実際、引数の確率変数から分布のパラメタに関する情報だけ濃縮還元して抽出した統計量を十分統計量と呼ぶ。

定義としては、統計量Tを与えたときのXの条件付き分布がパラメタに依存しないときTを十分統計量と呼ぶ。つまり既にTを知ってしまっているならば、それ以上Xを見たところでもはやパラメタに関して判明する情報がないのだ。分解定理はこれの直接的な表現であり、Xのうちでパラメタに関する項をTの関数項だけが所有していることを示す。
ここで改めて、十分統計量はそれ単独を見ていて何かがわかるものではないことに注意しておきたい。あくまでも元の確率変数の分布に関心があり、その限りにおいて必要なパラメタを圧縮抽出した姿が十分統計量なのである。よって、十分統計量を目撃したときには元の確率変数に思いを馳せ、一体どのようなパラメタがその十分統計量に込められているのかを思い出さなければならない。

十分統計量の決定関数への寄与

さて、十分性はそれだけでは統計量の持つ性質の一つに過ぎないから、統計的決定理論に照らして有用さを主張するには、その目的であるところの決定関数に対して何らかの貢献をすることを確認しなければならない。十分統計量がパラメタに関する情報を全て持っているならば、パラメタに関して決定を行うところの決定関数においてTを引数に取れば何か嬉しいことが起こるに違いないのだ。
実際、平均二乗誤差をリスク関数とする点推定では、十分統計量を用いて一般の決定関数をただちに改修できる。適当な決定関数δ(X)があるとき、この決定関数を十分統計量Tの条件付き分布として期待値を取ったものを新しい決定関数δ*(T)とすれば、δ*(T)のリスクはδ(X)のリスクはより小さくなる。これをラオ・ブラックウェルの定理とか言うらしい。
直観的には当たり前のことで、δ*(T)は十分統計量というパラメタに関する全ての情報を持っている確率変数をまず参照した上で生じるバリエーションについて期待値を取っているのに対して、δ(X)は整理されていないバリエーションの全てについて無秩序に期待値を取っているため、精度が落ちるのもやむを得まい。ラオ・ブラックウェルの定理が主張しているのは、「必要な情報をまとめてチェックしてから調べた方が精度が高い」ということだ。

決定関数に良い性質をもたらす完備性

最後に、統計量が持ち得る性質として完備性が紹介される。ある統計量の関数に対して期待値が0になるならばその関数は定数0に限るという性質らしいが、統計量ではなく任意の関数が噛んでいるために何を言っているのか若干わかりにくい。これは後の章でわかることだが、ここで言う統計量の関数とは決定関数を表す用途で使われることが多いようだ(決定関数は十分統計量を引数にすると良いということはさっき確認した)。
では完備性はどのように保証されるのかと言うと、地道に定義通りに調べてみるのも一つの手だが、一般には指数型分布族とかいうものに属する分布であれば、運悪く極端に悪い性質でも持っていない限りは十分統計量が完備であることが従うらしい。指数型分布族とは指数の肩に統計量の加重和が乗っているような形で表せる密度関数のことで(実際にはここに「パラメタを含まないあまりの項」と「基準化定数」がおまけでくっつく)、何故これが完備になるのかはあまりピンと来ないが、そういうものだということでとりあえずは納得しておく。

 

7.点推定論

5章で一般的な枠組みを定めた統計的推定のバリエーションとして、パラメタそのものを推定しようと試みる点推定がある。点推定における決定関数はパラメタの推定量、リスクは平均二乗誤差を用いて与えられる。

期待値が一致する上にバラツキが少ないUMVU

では決定関数はどんなものが望ましいのかと言うと、点推定の場合は一様最小分散普遍推定量(UMVU)という基準がある。これは任意のパラメタに対して推定量の平均が真のパラメタに一致しかつ分散が最も小さいことを示し、直感的には問題なさそうなことを納得できる。ちなみにこれは4章で論じた「平均二乗誤差で定めたリスク関数を最小にする」という第一の要求に更に加えて、「バイアスが0である」という要求を加えたものに等しい。
次の問題は推定量がUMVUであることをどう示すかだ。平均が真のパラメタに一致することは式変形で割と容易に示せるが、分散が最小であることはそうもいかない。その証明には二つの方法があり、一つはフィッシャー情報量に基づくクラメル・ラオの不等式、もう一つは完備十分統計量を用いる方法である。

フィッシャー情報量による下限設定

唐突に現れた新概念である「フィッシャー情報量」には何通りかの表現パターンが与えられているが、個人的には「対数尤度のパラメタ微分の分散」という定義が最もわかりやすいように思われる。
この定義には三つの概念が連鎖しているので一つずつ見ていくと、まず「対数尤度」は単に尤度のスケールを変えたものであるからほぼ尤度のような意味として良いだろう。次に「対数尤度のパラメタ微分」はパラメタの変化に対する尤度の変化、すなわちパラメタの影響力に等しい。

ここで「対数尤度のパラメタ微分の平均」が0であることは顕著な性質だ。確率変数の全範囲でパラメタの影響力を考えると、全体としては完全なフラットにならされてしまうことを意味する。これは元々の密度関数の全範囲積分が1であることに由来しており、パラメタがどれだけ頑張ったところで密度関数に及ぼせる影響の全体はこの1という大枠でがっしり抑えられてしまっている。
よって、フィッシャー情報量すなわち「対数尤度のパラメタ微分の分散」は「対数尤度のパラメタ微分の平均」が0であることを前提として、その中央周りの散らばり度合いに相当する。すなわちフィッシャー情報量が大きければパラメタは影響力の振れ幅が大きく、小さければ影響力の振れ幅が小さい。フィッシャー情報量が大きいときはパラメタは気分屋の荒れたドラマー、フィッシャー情報量が小さいときはパラメタは保守的な奏法のギタリストというイメージになる(ただしどちらもパフォーマンスを平均するとゼロになるカスのアーティストだ)。

以上を踏まえるならば、「推定量の分散はフィッシャー情報量の逆数で下から抑えられる」というクラメル・ラオの不等式にもイメージが持てないこともない。まずフィッシャー情報量が比較的大きいとき、不偏推定量の分散は比較的小さくできる。パラメタの影響力の振れ幅が大きいためにパラメタが発見しやすいからだ。逆にフィッシャー情報量が比較的小さいとき、不偏推定量の分散は比較的大きくなってしまう。パラメタの影響力の振れ幅が小さいためにパラメタが発見しにくいからだ。よって、クラメル・ラオの不等式が主張しているのは、「目立つやつは見つけやすいが地味なやつは見つけにくい」ということだと解釈できる。アイドル発掘みたいなことか。

完備十分統計量によるパーフェクト改修

まず、前章で出てきたラオ・ブラックウェルの定理を用いて不偏推定量を改善していく営みについて考えたい。ラオ・ブラックウェルの定理はパラメタに関する情報を全て持っている十分統計量Tを条件とした期待値を取ることで決定関数のリスクを小さくしていけることを主張していた。つまり、決定関数は十分統計量を用いて随時改善することができる。
特にこのときに用いるTが完備十分統計量である場合、ただちにUMVUが得られてワンキルになるという。これを理解するにはどんな不偏推定量も完備十分統計量の条件付き期待値を求めれば同じ決定関数になってしまうことを示せばよく、それは完備性の定義からただちにわかる。完備十分統計量で改修した二つの決定関数の差の期待値を取れば、それはTの関数かつ期待値0、よって完備性の定義から常に0、すなわち改修後の決定関数は一致する。
ちなみに完備十分統計量による方法は原理的にはクラメル・ラオの不等式による方法の完全上位互換らしい。じゃあモブの話は書くなよという気もするが、まあ、現実的にはそちらの方が楽に説明できるパターンがあってぼちぼち使うこともあるみたいな感じなのだろう。

代替案としての最尤推定

さて、ここまでUMVUを信じてやってきていたのにいきなりちゃぶ台を返され、実はUMVUはそんなに信用できる指標でもないという話が唐突に出てくる。母数の変換を受け付けないため取り回しが悪いとか、どう考えても不合理な推定を肯定するとか、実は非許容的だったりするというような失敗例が色々紹介される。

そこで、より一般的な決定関数を構成する方法として最尤推定が提案される。これは驚くほど単純なもので、密度関数をパラメタの関数である尤度関数と見做して、実現値に対して尤度関数を最大化するパラメタを選ぶ。ちなみに尤度関数においてはパラメタが変数となる代わりに確率変数の実現値が定数として固定されるという逆転現象が起こっており、そのイレギュラー感にはいかにもな裏技感が漂っている。
ちなみに最尤推定は理論的な裏付けが弱い割には推定量は悉く良い性質を持ち合わせており、パラメタの変換を受け付ける上、nが大きいとUMVUと同じ最適性を持つらしい(漸近有効性)。もう最尤推定だけでよくないか?

 

8.検定論

5章で一般的な枠組みを定めた統計的推定のバリエーションの二つ目として、パラメタをそのまま扱うのではなく、パラメタが存在する領域についての仮説を検証する検定がある。検定では母数空間を排反に分けることで帰無仮説と対立仮説を立て、決定関数は帰無仮説の受容を示す0か棄却を示す1の二択とし、リスクは0-1損失で与える。

帰無仮説と対立仮説の設定慣習

帰無仮説と対立仮説をどう定めるかは慣習に過ぎないが、対立仮説は異常や有効などの「顕著な事態」の検出として設定されることが多い。もともと検定では誤って棄却する可能性(第一種の過誤)は低く、誤って受容する可能性(第二種の過誤)は高く設定するというこれもやはり慣習があるため、「誤って帰無仮説を受容するのは構わないが、誤って帰無仮説を棄却するのはやばい」というリスクヘッジに合わせているのだ。対立仮説として設定される典型例としては新薬の有効性、工場での不良検出、数学的な仮定の誤りがある。
これら二種類の過誤の確率はトレードオフである。第一種の過誤の確率を低くするには受容に寄せて保守的に、第一種の過誤の確率を低くするには棄却に寄せて挑戦的に決定関数を作ることになるからだ。一般的な慣習としては、まず第一種の過誤の確率を重く見てαで抑えるようにコントロールした上で、次に第二種の過誤の確率を可能な限り小さくする(ただしこちらは値を決めない努力目標)ように決定関数を定めることになる。

補足387:他の書籍だと「第一種の過誤はコントロールできるが第二種の過誤はコントロールできない」などと書いてあることがあり、数学的には同じ操作のはずなのに何故その差が生じるのかが不明だった。しかしこの書籍では「数学的には対称だが慣習的にそのような手続きで検定を行っているに過ぎない」と明記されていてわかりやすかった。

もちろん過誤の確率は決定関数に依存するため、結局のところは今までと同じように決定関数の決め方や評価方法が問題となる。話の枠組みは決定関数をリスク関数で評価するという一般的な方式から特に変化していないのだが、検定問題では慣習的に帰無仮説を棄却する確率を検出力と呼んでリスク関数の代わりに用いる。
また、決定関数と同値な表現として、標本空間を決定関数の値によって受容域と棄却域に分割することもよく行われる。更に、検定は統計量に対して行うことが一般的であるため、実際にはある統計検定量Tに対して閾値として棄却限界cを定めてTがcより小さければ受容、Tがcより大きければ棄却という方式になることが多い(Tがcより大きい確率が検出力となる)。

決定関数の評価①:帰無仮説の下での検出力を抑える

まず、第一種の過誤の確率をαで抑えることについて。
ある決定関数について、帰無仮説のもとでの検出力の上限をサイズと呼ぶ。すなわちサイズとは第一種の過誤が起きる確率の最大値であり、これが有意水準α以下であればこの決定関数はとりあえず第一の条件を満たす。
ただ、Tがcより大きいときに決定としては一様に棄却するとしても、Tの値によって棄却の強さは変わってくるため、棄却時にはその強さを数値化しておいた方が便利だ。その指標として、帰無仮説が棄却されたとき帰無仮説のもとで検定統計量Tの実現値について片側確率の上限をp値とする。通常の検定では棄却限界を決めてから統計量が棄却されるかどうか見るのとは逆に、p値では逆に棄却された統計量からそれが棄却されるような棄却限界がどんなサイズの検定に対応しているかを判断するわけだ。p値は帰無仮説の信憑性と解釈でき、p値が小さいほど棄却は強力なものになる。

決定関数の評価②:対立仮説の下での検出力を上げる

次に、対立仮説のもとでの検出力を最大にすることについて。対立仮説のもとで全てのパラメタに対して検出力が最大になる検定を一様最強力検定(UMP検定)と呼び、これが理想的な検定であることは明らかだ。
帰無仮説と対立仮説がいずれも単純仮説の場合、最強力検定(MP検定)は尤度比を統計検定量とすることで得られる。棄却限界をc、尤度比がcに一致したときの棄却確率をrとする。この検定のサイズをαとすれば、有意水準αの検定では最強力検定となる。この構成方法においてはcとrを定めてからαが定まるという順序だが、実際にはcとrの関数としてαを求めた上で適切にcとrを選ぶ。このMP検定の構成法をネイマン・ピアソンの補題と呼ぶ。証明は容易であり、尤度比の条件式を用いれば「対立仮説のもとでの検出力の差」を「帰無仮説のもとでの検出力の差」に変換できる。

この方法は片側検定の場合には容易に拡張できる。密度関数がある統計量Tに対して単調尤度比を持つ場合、Tを代わりに検定統計量として同様に検定関数を構成する。ネイマン・ピアソンの補題による判定では検定統計量が棄却限界に対して大か小かだけが争点となるのであるから、検定統計量が単調に変化する限りは不等号を変化させないため、片側検定に拡張してよいというだけだ。

両側検定での不偏性による妥協

単調性を満たす片側検定においてはUMP検定が構成できる一方、両側検定の場合はこの方法は用いることが出来ないため、不偏性という性質を満たす決定関数のクラスに対してUMP検定を構成することで妥協する(UMPU検定)。不偏性とは任意の対立仮説のもとでの検出力が有意水準以上となることであり、常に有意水準の確率で帰無仮説を棄却するような検定よりも良い結果を出すということを示す。
正直この項目はよくわかっておらず、両側検定ではUMP検定が構成できないことは良いとしても、不偏性を付け加えてクラスを絞ることが何故有効なのかがイマイチ判然としない。

代替案としての尤度比検定

点推定においてUMVUが存在するとは限らなかったことと同様、検定においてもUMPUが存在するとは限らない。この場合も尤度比を用いた尤度比検定によって一般的な検定方式を得ることができる。ただし検定における尤度比検定は点推定における最尤推定と異なりnが大でもUMPUになるとは限らないようだ(しかし、その代わりに分布収束という非常に良い性質を持っている)。
尤度比を「帰無仮説のもとでの最大尤度」に対する「対立仮説のもとでの最大尤度」の比率と定義する。つまり対立仮説のもとでの最大確からしさが、帰無仮説のもとでの最大確からしさに比してどのくらい大きいかという指標である。尤度比が閾値以上なら、つまり対立仮説の相対的な確からしさが一定以上なら帰無仮説を棄却する。
ちなみに対立仮説でのみ自由に動けるパラメタの個数をpとすれば、帰無仮説のもとでnを∞に飛ばしたとき対数尤度比は自由度pのカイ二乗分布に分布収束するらしい。これによって漸近的ではあるが有意水準αの検定を容易に得られることが尤度比検定を汎用的なものにしている。もう尤度比検定だけでよくないか?

 

9.区間推定

点推定の発展として、パラメタの推定量だけではなくその誤差がどのくらいあるのかを知りたいという需要がある。区間推定はこのニーズに応え、推定したい量のばらつき度合いを示す区間を返す。このように挙動としては点推定の発展形だが、実際に区間推定を構成する手続きは点推定ではなく検定から派生する。

信頼域の構成

真の母数θがある区間に含まれる信頼係数が一定値以上のとき、その区間を信頼区間と言う。確率ではなく信頼係数と呼ぶのが面倒なところで、真の母数は事前に決まっており固定された値なので確率とは解釈できないことによっている。変わるのは区間であって真の母数ではないし、かつ、区間が決まったら事後的には真の母数はそこに確率0で含まれるか確率1で含まれないかのいずれかであって、確率0≤p≤1で含まれるわけではない。

信頼区間における信頼係数を確認するには、確率変数に関する分布関数の形に変形して分布に基づいた確率を求めることになるが、実際に信頼区間を構成する際には概ねその逆を辿ると考えて良い。帰無仮説が単純仮説であるような検定において、受容域A(θ)は帰無仮説で仮定したパラメタθの関数として表せる。つまり受容域はパラメタの値を標本空間の部分集合に移す写像と見做せる。これを逆に解いて、ある標本を母数区間の部分集合に移すような写像が信頼区間S(X)となる。つまり、信頼区間とはあるXに対してそれが受容されるような検定を作った場合に帰無仮説で仮定されるパラメタの値の範囲となる。

信頼区間の最適性

検定において決定関数が不偏性や一様最強力性で評価されたように、信頼区間も同様のいくつかの最適性を持つ。信頼区間における不偏性とは真でない母数を含む確率が1-信頼係数以下になること、一様最強力不偏性とは不偏性を満たす信頼区間のクラスの中であらゆる真でない母数に対してそれが含まれる確率が一様に最小になること。受容域A(θ)と信頼区間S(X)が一対一で対応していることから容易に予想されるように、不偏性と一様最強力不偏性は受容域と信頼区間の相互変換に対して常に保たれる。ちなみに、一様最強力不偏性とは信頼域の体積の期待値が最小になるという性質も備えている。
この辺、どうせ検定の最適性を満たしたあとに機械的に変換を施すという手続きで信頼区間を構成するので、問題があるならまだしも良好な性質しかないということであればわざわざ意識することも無さそうで割と何でもいい。

代替案としての最尤推定に基づく信頼区間

毎回最後に登場して全てを終わらせる尤度に基づく推定方法が区間推定にも出現してしまった。ここでは点推定における最尤推定の素朴な拡張として登場し、最尤推定量は標本数が大きいときに平均が真の母数、分散がフィッシャー情報量の逆数である正規分布に漸近することを用いる。要するに正規分布に従うことにして区間推定を行えば良いだけなので、元の分布に関わらず瞬殺できてしまう。尤度が強すぎる件。

21/7/18 お題箱回:喧嘩稼業、筋トレメニュー、冷笑煽りetc

お題箱85

298.休みあった方が高強度で趣味こなせるみたいなところない?

確かに口先では「もう休み要らんわ~」と嘯いていることもありますが、最近勉強っぽいことをしているとそこそこまとまった時間があった方が捗るという説もあります。

多分こういうのは自分でコントロール出来ている感が一番大事で、働くにせよ休むにせよ自分でベストケースを選択しているという認識なら大丈夫ですが、大いなる力によってそうさせられているという認識だとストレスになってくるみたいな感じでしょう。よって、僕は実際に休みが無くなったら2週間くらいで根を上げる可能性は高いです。

 

299.喧嘩稼業について語って欲しい

喧嘩稼業は新刊が出るたびに紙で買っている数少ない漫画の一つです。

喧嘩商売の頃は「謀略を駆使して戦う少年主人公の十兵衛が因縁ある工藤を倒す」という少年漫画的なストーリーラインが存在していたのですが、喧嘩稼業になってからは複数ファイターの群像劇になり十兵衛の存在感は相対的に低下しつつあります。
それに伴って、「何でもアリのバーリトゥード」「正々堂々とは戦わない」「とにかく相手を倒せばそれでいい」というような十兵衛の思想も「陰」という抽象的な立ち位置を与えられました。逆に言えば、陰側の人々が持つダークファイト思想は漫画的には明らかに主人公である十兵衛のファイトスタイルに由来しているため、全体としては今でも陰の雰囲気の方が強いです。

それを踏まえるならば、光の中で生まれた格闘者である陽側の人間はここまでの喧嘩商売及び喧嘩稼業での十兵衛の立ち位置に対する裏面というポジションがあります(裏面が陽というのがまた捻くれています)。
よって陽vs陰というバトルはここまでの格闘の美学を問い直す自己言及的なものにならざるを得ないはずで、それをかなり楽しみにしていたのですが、この先に陰と陽の試合があるのかは微妙なところです。陽の人々もなんだかんだで陰な戦い方をしたりしますし、特に最も陽側だったであろう川口と金隆山を相討ちで退場させたあたり、純粋な陽ファイターはもう残っていないのではという疑惑もあります。

 

300.今の筋トレメニュー教えてください

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筋トレを初めてもう少しで二年経ちますが、未だに全部家トレです。基本は朝起きて出勤前にやります。

まず無酸素運動は腹、背中、足、肩、胸、腕の6部位のうちでそのとき気が向いた部位をやります。どの部位も一度やるとしばらく筋肉痛になるので、どこをやったのかは筋肉痛で覚えておいて、筋肉痛になっていない部位を適当に選んで鍛える感じです。記録も特にしていません。昔は筋トレしたかどうかを記録していたのですが、どうせほぼ毎日やるのでやめました。

基本的にはどれも適当なトレをしばらくやって身体をならしたあと、物理的に身体が動かなくなる限界までやり込みます。そのあと1分休憩してからまた物理限界が来るまでやるというのを3回繰り返します。「限界までやる」という基準なので回数はあまり数えていませんが、だいたい20回→10回→5回みたいな感じで減っていきます。
具体的にはそれぞれ以下の通りです。

腹:なかやまきんにくんのこの動画を1~2回やる→立ちアブローラー限界まで


www.youtube.com

背中:この動画を見つつバーベルデッドリフトを限界まで×3回


www.youtube.com

足:バーベルスクワットを限界一歩手前まで×3回(自宅にバーベルラックが無く、限界までやると背負ったバーベルを床に下ろせず詰むため限界一歩手前で抑える)

肩:ダンベルサイドレイズ、フロントレイズ、ショルダープレスあたりを限界まで×3回

胸:足を椅子の上に乗せてプッシュアップを限界まで×3回

腕:ダンベルアームカールを限界まで×3回

限界を3回味わったあとはプロテイン飲んで風呂に入って終了です。

有酸素運動はエアロバイクとジョギングの二択です。
こちらも適当に朝の気分で決めます。なんか見たい映画とかアニメがあるときはエアロバイク、外の空気を吸いたいときはジョギングです(特に何も希望がないときや時間が無いときは無酸素運動)。エアロバイクは28km/hで45分(アニメ2話分)、ジョギングは10km/hを30分くらいです。

 

301.シン・ゴジラは何が駄目だったんですか?

趣味のレベルに過ぎませんが、後半の題材には僕はあまり関心がなかったというだけです。

「現実(ニッポン)vs虚構(ゴジラ)」というキャッチコピーで言うと、前半は虚構が圧倒的な異物として現実を侵略してくる虚構のターン、後半は持ち直した現実が虚構に対抗する現実のターンになっています(切り替わり地点が内閣総辞職ビームです)。
僕の関心が高かったのは前半戦の方で、ただただ外より訪れる理解不能なこの世の終わりとしてのゴジラクトゥルフ神話みたいな魅力があって宗教的にも面白いよねみたいな話を書いたりもしました→。一方、後半ではゴジラが分析・対応可能なものになって実際にどう対処するのかをシミュレーションする政治的科学的空想読本的な内容でした。

ただ前半についてはテーマをより強力に圧縮した『巨神兵東京に現る』が既に存在しているため、極論それを見れば『シン・ゴジラ』じゃなくてもというような気もします。

 

302.ポリコレアフロの「なぜ人を殺してないいけないんですか」の話ってコンプレックス云々言い出すまではまぁ正しいと思うんですけど、LWさん的にはどうですか?

殺人の是非に関しては彼は正しいと思います。僕も「留保無しで人は人を殺してもよい」ということに同意します。
これに関しては、正しいからこそ当たり前のことを言うだけで「こいつは何を言っているんだ」「また僕何か言っちゃいました?」みたいな流れがキツイという感じです。彼が言うことって自己矛盾していたり逆に当たり前だったりすることも多く、どちらにしても実際に感心できるようなこと(整合していてそれなりに新しい含蓄があること)ではないため、周囲のわざとらしい持ち上げ反応が異世界転生っぽいです。

ちなみに最近どこかで読んだのですが、彼の語りが浅薄なのは作者の意図通りであって、彼の未成熟さを裏付ける描写であるという読みもあるようです。
つまり彼は探偵役にありがちな人格として他人との適切な距離感を取れておらず、それはそもそも場の空気を無視して持論を滔々と語り始めるだけではなく、彼の話す内容にも現れているということです。彼の対人態度の根底にある稚拙さが話の形式と内容に時折顔を出しているに過ぎないという読み方はそれなりに一貫性があって面白いと思います。

 

303.何浪何留何休年で何歳で就職されたんですか?
あと出身校ってtkkmで合ってます?

1浪1留1休からそのまま退学して26歳で就職いたしました。就職時点で学部卒職歴無し26歳、当時は全然気にしていませんでしたが冷静に見ると普通に引きこもりの社会復帰みたいなバケモンじみた経歴です。出身校は中学から筑駒です。

 

304.お前の書く文章が面白すぎてムカつくから滝ガレにタレこんだやったわ
取り上げられたらこのブログの名前をBuzzLWのサイゼリヤに変えろこのクソオモシロカリスマオタクコンテンツ批評ブロガーがよ

ツンデレすぎません? ありがとうございます。

ちなみに滝ガレのことは面白情報アカウント兼ネット大衆扇動アカウントとしてかなり評価しています。ネットでホットなニュースを取り上げるという体で適当な対象を燃やす際の彼の振る舞いはあるネットの雰囲気によく合致した優れた技術で、タイムラインを眺めるだけでも学ぶところが多いです。

滝ガレの扇動手法を僕は「冷笑煽り」と呼んでいるのですが、それは伝統的にはネットやテレビが「義憤煽り」、つまりわかりやすい悪を仕立て上げてそれを成敗したい正義感をくすぐるという扇動を基本としてきたことを踏まえています。
まず義憤煽りで扇動される人は正義感によって駆動している点で基本的には善側の人、素直すぎるが故に動かされてしまうというタイプです。しかしネットにはもっと捻くれた人がたくさんいるのは御存知の通りで、彼らは義憤煽りのような単純な正義のムーブメントには乗らない代わりに、起きている事態そのものを「ちょっと上から冷笑する」という仕草を非常に好みます。大雑把に言えば、義憤で動く人は「俺はこの事件は絶対に許せない」と能動的なコミットメントをするのに対して、冷笑で動く人は「こんな事件があるなんてしょうもないやつもいたもんだ(冷静な俺とは関係ないけど)」と消極的なデタッチメントをするという対比があります。

この冷笑側の人を動かすのが滝ガレは非常に上手く、最近のツイートを一つ見るだけでもその才能がよく発揮されています。

これはセンス無い扇動者なら「ここに馬鹿がいます、非科学的で有害だから皆でボコりましょうね~」みたいな義憤とコミットの方向に持っていくんですが、滝ガレはあえて「スルーします」(←スルーしてない)と言うことでフォロワーを冷笑とデタッチの方向に持っていきます。
この誘導によって敵のポジションが「科学的無知」という実はかなり厄介で手に負えない怪物ではなく、「承認欲求の塊」という人間的でわかりやすいしょうもなさに作り替えられていることは見逃せません。「我々で馬鹿の過ちを正そう」として真偽を巡る次元で同じ舞台に立って戦うのではなく、「我々は馬鹿の正体を見た」と既に全てを看破していることを前提として一段上の優位から人間的矮小さを嘲笑する方向に話を持っていく手腕が天才的です。
こうして「熱狂的冷笑」という矛盾した方向にフォロワーを扇動する滝ガレの手法は、恐らく覚えておくとこの先何かもっと大きな形で起こる事態に対して役立つのではないかという漠然とした予感があります。

 

305.就職してからの方が文章の丁寧さが増してる気がする(逆転現象)

逆転現象ですかね? 社会に出たことで文章が丁寧になるという順当な流れのような気もします。

 

306.LWさんの考える必修アニメを教えてください。

飲んでるときとかに聞かれたら「ギャラクシーエンジェルと御先祖様万々歳と~」とか好きなだけのアニメを並べ始めるんですが、改まって聞かれるといつでもどこでも必修なのはエヴァくらいです。

 

307.エヴァの感想から来ました。どうでもゲリオンwww

攻殻AKIRAエヴァ・PHYCHOPASSみたいなテーマの濃いアニメがあったら紹介して頂けると嬉しいです。

ありがとうございます。
制作側が濃い思想を込めているアニメという意味ならかなり客観的に決まることで、難解な言い回しを好む、表現の抽象度が高い、衒学的な引用を行うなどの一定の顕著な振る舞いがあるような気がします。それに合致する範囲でよく言われているlainとかワンダーエッグプライオリティとかが手頃だと思います。

個人的にはアニメのテーマの濃さって作る側ではなく語る側で決まる側面もかなりあると思っていて、制作側が特に意識していなかったであろうポジションやテーマが消費者側から見出されることもよくあります。僕は『お母好き』とかいうどうしようもない単純娯楽アニメをかなり情熱的に語っていたこともありました。

saize-lw.hatenablog.com

 

21/7/4 2021年5月消費コンテンツ

2021年5月消費コンテンツ

5月も小説を懸命に生産していました(生産コンテンツ参照)。

メディア別リスト

映画(2本)

HELLO WORLD
田園に死す

アニメ(12話)

リゼロ二期(第39~50話)

書籍(2冊)

論理パラドクス 論証力を磨く99問
戦略的データサイエンス入門

漫画(8冊)

大奥(12~19巻)

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

田園に死す

消費して良かったコンテンツ

Re:ゼロから始める異世界生活 二期(39~50話)
戦略的データサイエンス入門
論理パラドクス 論証力を磨く99問
HELLO WORLD

消費して損はなかったコンテンツ

(特になし)

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

大奥(12~19巻)

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

(特になし)

ピックアップ

田園に死す

寺山修司は若干衒学的なアニメオタクがよくやいやい言っているので(「<何らかのアニメ作品・アニメ監督>は寺山修司から影響を受けている」系の話はちょっと調べただけでも無限に出てくる)、「流石にそろそろ見とくか」くらいの感じで見始めた。
面白!!……くはなかったが人生に残る名作。思ったより普通にオタクの映画で、押井守とか庵野秀明がたまに撮る実写映画と同じテンションで見られる。

序盤は延々と戦前ぽい農村での暮らしが描かれ、なんかよくある地味で意味わからん古い邦画かと思っていたのだが、中盤でここまでが映画作品だったことが発覚してタイムラインが現代に戻るシーンから圧倒的に面白くなってくる。実は序盤に流されていたのは良いように脚色され理想化された暮らしで、主人公は本当は幼少期にはもっとままならずどうしようもない世界を生きていたのだ。主人公が過去に戻って幼い自分と接触し、過去を変えようとしながらも諦念の中で人生の寄る辺無さを改めて噛み締める会話は圧巻。

全体的に「これが元ネタの元ネタか」感が強く、ネット文化に触れたあとにジョジョ一部とかガンダムファーストを見て「あっこれかあ!」となる感じに近いものがある。ここまで俺がアニメを見てきた遍歴が概ね『田園に死す』を見るための伏線だったような気すらしてくる。確かにサブカルの源流とか言われるのも納得だ。
数多のアニメで散々見てきたような「親とのアンビバレントな確執」「理想と現実のギャップ」「幼児性を持ち越してしまった大人」というテーマが執拗に描かれ、そうしたジレンマが高度経済成長に伴う文化環境の変化に由来しているのは驚きだ(そこから来ていたのか!!)。また、いかにもアニメ的なパラレルワールドのモチーフと、古い農村・老いた母・恐山の口寄せのような和風で泥臭いモチーフの組合せのアンバランスさを新鮮で面白く感じたが、こういうことをやった人の大元に寺山修司がいるのであれば順番が逆なのだろう。

寺山修司の他の作品も気が向いたときに適当に見ておこうと思う。

 

論理パラドクス 論証力を磨く99問

パッと見ではよくある子供だましのパズルを並べたしょうもない新書と見分けが付かないが、この本は本物。著者は東大教授で哲学者の三浦俊彦であり、論理への偏執的な解像度の高さが遺憾なく発揮されている。取り上げている題材は一度は聞いたことがあるようなものだが、しょうもない本が「不思議だね」で終わらせてしまうところでも精緻な議論を突き詰めていきただでは終わらない。

補足383:と言っても、俺が芸術学の講義を受けたり分析哲学系の著作の方を先に読んだりしたから彼に対してアカデミズムの人間という印象を強く持っているだけで、世間的には「一般向けの書籍をよく書いているタイプの研究者」みたいなポジションだという説もある。

補足384:ちなみにこれはこの前潰れた本郷三丁目の大学堂書店で購入した→

例えば、「クレタ人のパラドックス」くらいは誰でも知っているだろう。「クレタ人が『クレタ人は嘘しか言わない』と言うのは嘘か本当か」という話があって、大抵の書籍では「もし本当なら嘘しか言わないはずなのに本当のことを言っているから矛盾、もし嘘なら本当のことを言うはずなのに嘘を吐いているから矛盾、どっちでもおかしくて不思議だね」くらいの適当な考察で終わってしまう。
しかし、この本ではきちんと「全称命題の否定は単称命題の形式を取るので『クレタ人は嘘しか言わない』の否定は『あるクレタ人は真実を言うこともある』であって、嘘であるとして何の問題も無い(あるクレタ人は真実を言うタイミングもあるのだが、少なくとも今ここにいるクレタ人は嘘を吐くタイミングだった)」という厳密な正解に辿り着く。
それすらも自己言及のパラドックスに関する一連の考察のスタートに過ぎない。様々な問題を検討しながら「真でも偽でもない」と「真でも偽でも『真でも偽でもない』でもない」をきっちり区別していったり、一見すると矛盾した奇妙な事態を引き起こす不合理が制度と存在のどちらにあるのかを考えてみたり、書き口は平易でありながら高い精度で分析が進んでいく。

取り上げられるトピックは極めて多岐にわたっており、言語哲学周りではグルーのパラドックス、知識概念に関するゲティア問題、心身問題にトロッコ問題、最近PCR検査周りでよく取り上げられたベイズの定理に至るまで、粘着質な考察を一通り読むことができる。こうなってくるとどこかで聞いたことがある題材が多いのも嬉しいところで、「不思議だね~」程度のレベルでポップに消化されがちな哲学問題に対して射程と奥行きをきちんと把握してワンランク上に行けそうな一冊。 

 

HELLO WORLD

ジェネリック新海誠映画(軽いSF風味を加えたセカイ系っぽい青春恋愛アニメ)の一つくらいに思っていたが、なかなか面白かった。脚本が野崎まどなので少し贔屓目に見ているかもしれない。

ベースにある「今いる世界が実は作られたシステム世界で、上位のシステム管理者と戦う」というあらすじは『マトリックス』以来の手垢塗れのものだ。ここに「上位の管理者に連れ去られたヒロインを助けに行く」というストーリーラインを足すことで青春アニメ感を出している。
ただし、それだけお膳立てしておきながら「上位存在を打倒してめでたしめでたし」という無難なハッピーエンドを途中で放棄し、むしろそれに逆行する形で話をまとめていることが興味深い。「上の階層にいる方が優位だ(だからレッドピルを飲め)」という暗黙の前提が成立しておらず、むしろ下の階層=作られた世界をポジティブに捉えようとする姿勢が強く押し出されている。
タイトルの「HELLO WORLD」で示されている「新しい世界」とは「今新しく作られた世界=下の階層の世界」であり、作られた世界がむしろ今新たに作られたが故に可能性に満ちた新しい世界であることを歓待する意図が込められている。「どの世界でもとりあえず頑張ってやっていき!」という気持ちがHELLO WORLDというフレーズに集約されており、この前向きさは不毛な袋小路に陥りがちな世界の懐疑論に新しい風を吹き込むものだ。
「今いる世界の階層は大して重要ではない」という思想は最終的に裏主人公が救済されるオチが付くところにもよく表れている。この映画の話が全て月面基地みたいなところで展開していたシミュレーション世界だったことが発覚したとして、それで話が矮小化されるわけでもないのだ。この作品は世界がシミュレーションであることに動じない。

正直もっとカスみたいな新海フォロワー映画だと思っていたので相対的にかなり楽しめた。「シミュレーションか否か」という伝統的な論点自体をズラし、作られた世界を肯定的に捉えていくという意味では、非常に上手く脚色してエンタメ的にも成功した世界線ドラゴンクエストユアストーリーという感じもある。

 

戦略的データサイエンス入門

理系っぽい本を読む気運が高まっているので読んだ。

かなりの名著で、人によってはバイブルになるだろう一冊。数あるデータサイエンス系の書籍の中でも実用に向けて合目的的に執筆されている点が特長的。というのは、「実用的な手法をまとめている」という意味ではなく(データサイエンスに「実用的でない手法」などあるだろうか?)、「実用から逆算して体系化している」という意味だ。
一般的な情報科学の教科書では知識のトピックは羅列されているが、それがいつどのように何故どうして使うべきかまではなかなか記載されていない。例えば教科書には分類木の説明に「属集合全体の乱雑度の指標としてエントロピーを~それを踏まえた情報利得の計算方法は~」みたいなことがつらつら書いてあるからといって、実際にデータを渡されてさあ分析しようというときに「とりあえず教科書に書いてあった分類木の手法を使えそうなので使ってみます」ではお話しにならない。そのレベルから脱却してテクニック集を体系的なプランニングに変換していくための方法論が記されており、内容的には既に知っていることが多かったが退屈せずに読めた。

特に付録A・Bの二点にこの本の素晴らしさが集約されており、良すぎて印刷してノートに貼ってしまった。

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付録Aにはこの本で議論されてきた、データサイエンス手法を実際に適用する際の注意事項がチェックリストのようにまとめられている。それは「関係者への正当化及びインパクトの測定は可能か」「現実的に標本にバイアスがかかるのは仕方ないとして、それを把握して修正するサブプランがあるか」といったビジネス上での振る舞いから、「目的変数を値域込みできちんと定義しているか」「業務知識に基づいた評価関数のプランはあるか(どうせ精度測定は現実的には役に立たないので)」等のモデリング上での数理的な警告にまで及んでいる。
付録Bではデータ分析計画のサンプルを提示し、一見すると問題なさそうな提案書に潜む技術的な問題や言葉遣いの問題を複数指摘している。「何故離脱した顧客のみモデリングして離脱しなかった顧客をモデリングしないのか」「何故損失期待値ではなく損失確率でランク付けするのか」「第一種過誤と第二種過誤の違いを峻別しなければ評価が意味をなさない」等、実践レベルで考えなければ見過ごしてしまいそうな様々なダメ出しを読むことができる。

 

Re:ゼロから始める異世界生活 二期後半クール

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やはりリゼロは面白い、このパンツ履いてなさそうな人好き。

前半の感想は以下。

saize-lw.hatenablog.com

二期後半クールは基本的には前半クールの答え合わせなのであまり付け加えることはないが、スバルが死に戻りの活用を咎められたことによって一度も死に戻りせずにクリアしたのはさすが。話作りが図式的に極めてはっきりしている割にはエンタメとしてのまとまりが良く、やはりリゼロはよく出来ている。

後半クールは「スバルが死に戻りを行わないことで生じる負担をエミリア、ガーフィール、ベアトリスに分散させる話」と要約してよい。この三人は戦力的にも結界編を突破する要であり、「ここまでスバルが一人だけで懸命に頑張って死に戻って問題を解決してきたやつをもうやめましょう」という前半クールの提案を履行する過程がきっちり描かれている。

第一にエミリアは負担の分散が最もわかりやすく描かれており、今までならばスバルがエミリアのために尽くして何とかしていたところ、今回はもうスバルは死に戻りをやらないのでエミリアが自分で頑張る羽目になる。
その過程でエミリア自身もスバルと類似した他者への加害の罪を背負っていたことが明らかになるが(森一帯を人間ごと凍結したこと)、スバルの問題系が自分の犠牲と幸福に寄っている一方で、エミリアは人の上に立つ者として他者への贖罪と信頼がテーマになっていくのだろう。

第二にガーフィールにおいては、スバルの協力者になるために解決しなければならない問題として、自らを置いて出ていった母親が直後に死亡したエピソードが挿入される。
すなわちガーフィールのポジションは「死者に置いていかれた者」であり、ガーフィールを置いて死亡した母親が平行世界を置いて死亡したスバルとパラレルであることは言うまでもない。ガーフィールが母親の亡霊と折り合いを付けることは、ここまで死に戻ってきていたスバルが第二の試練で直面した罪に対して一定の赦しを得ることでもある。
この、パラレルワールドの問題について対応した葛藤を持つキャラを使って疑似的に解決する処理には舌を巻いた。リゼロはシュタゲ等と違ってジャンルがSFではないため、平行世界で「実際に何が起きているのか」を詰めることの旨味が少ない。よって第二の試練の説明でもそれが実際にあったことかどうかは特定できないようにぼかされていたが、ここで代わりに最高戦力であるガーフィールに回想させることでこの問題を結界編解決の要として位置付けることができたわけだ。

第三にベアトリスもまたスバルが死に戻らないことによる負担を一部背負う形で「その人探し」を諦めることになる。
謎が多かったベアトリスは寿命の長い人生を永遠に満たしてくれる「その人」を見つけなければならないという強迫観念に苛まれていることが明らかになるが、それもまた死に戻りによってベストルートを目指さなければならないと思っていたスバルの強迫観念とパラレルなのだ。永劫のベストケースを諦めるという刹那主義への転換がスバルからベアトリスにも感染しており、このモチーフは唐突にも思われたラムの恋心にもそれが見て取れる。人心は変わりゆくものであるからベストケースを目指す必要は無いという姿勢は一期のペテルギウス周りで描かれた信仰にかかる問題へのソリューションでもあり得る。

三期以降も楽しみにしています。

 

生産コンテンツ

ゲーミング自殺、16連射ハルマゲドン

趣味で書いている小説の5月進捗報告です(前回分→)。5月は第七章「ハッピーピープル」と第八章「いまいち燃えない私」を概ね完成させました。
ついでに毎月キャラ紹介とか何かコンテンツを置いとく予定です(一応、ここに書く設定等は開発段階のものであり進捗に応じて変更される可能性があります)。

字数

170725字→190042字

各章進捗

第一章 完全自殺マニュアル【99%】
第二章 拡散性トロンマーシー【99%】
第三章 サイバイガール【99%】
第四章 上を向いて叫ぼう【99%】
第五章 聖なる知己殺し【99%】
第六章 ほとんど宗教的なif【99%】
第七章 ハッピーピープル【99%】
第八章 いまいち燃えない私【90%】
第九章 白い蛆ら【5%】
第十章 MOMOチャレンジ一年生【1%】
第十一章 鏖殺教室【1%】
第十二章 (未定)【0%】
第十三章 (未定)【0%】

 

キャラ紹介③ VAISさん

主人公である彼方の師匠で、怪しいカタコトで喋る長身の外人お姉さんです。黒一色の外套と車掌帽を纏っており、長い金髪がよく映えます。
ただし、彼方とVAISが出会うのは現実世界ではなくVR空間です。VAISはハンドルネームだし外人の容姿もアバターのそれなので、実際にはVAISがどんな人間なのかは誰にもわかりません。

VR空間において、VAISは彼女が『次元鉄道(エルライン)』と呼ぶオリジナル違法MODを使います。
『次元鉄道』とは虹色のレールの上を走る漆黒の超巨大なSL列車であり、上に腰かけたVAISと共に出現したが最後、周囲に甚大で復旧不能な被害を巻き起こします。勝手に敷かれるレールとSLの巨体によってワールドの建造物は問答無用で破壊され、轢殺されたアバターたちのデータと共に全てデリートされます。
これが犯罪相当の悪質なハッキングであることは言うまでもありません。あらゆるセキュリティウォールを踏み潰しながら、VAISは『次元鉄道』に乗っていつでもどこにでも現れます。

VAIS自身は気の良い陽気なアメリカンお姉さんですが、彼方の師匠だけあって彼方よりも戦闘が強いです。そして彼方以上の暴力原理主義者であり、「人生とは暴力と想像力の両輪である」という思想を持つ強火のアナーキストです。
すなわち「想像したことを実現する暴力と、暴力を運用するための想像力の二つさえあれば何でもできる」という確信が彼女の人生哲学です。実際、彼女が『次元鉄道』で何もかも破壊しながら現れるのは、まさしく違法MODを作り出す想像力と、それがもたらす暴力の二つを誇示するために他なりません。

 

21/6/19 お題箱回:諸々

お題箱84

288.おたくのカリスマになりつつあることを自覚していますか?

半年前なら「これは多重質問の誤謬ですね」とか言って適当に流せたんですが、カリスマではないにせよ、最近ブログやツイートの影響力が想定を超える事態になっているなあと思うことはよくあります。
いまやTwitterとかnoteで色々な人が色々な文脈で色々な記事を引用していますし、ブログで紹介した本が一時的にAmazonで中古売り切れて高騰状態になったりとか、この前サイゼミに初出席するために西から飛行機に乗って東京に来る方が出現したのは椅子から転げ落ちてしまいました(ありがたいことです)。
僕は自分が他人からどう見られているのかを気にする能力が弱いためそれで発信内容がどうこうなることはありませんが、それ故に影響力に対する適切な振る舞いもわからないので近いうちに何かが大なり小なり事故るような予感もあります。もしくは、既に事故っているのですがまだ気付いていないのかもしれません。

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289.ご飯食べながら本読む!とか携帯いじってるときも足は筋トレしてるぜ的なマルチタスクってしますか?
テレビとか配信見ながらソシャゲは割とありがちだと思いますが、極端な例だとスマブラのディレクターの方は多忙の中でもエアロバイクこぎながら番組2本同時視聴とかしてるみたいで、LWさんもそういうような時短というか効率化を意識してたら教えてほしいです

マルチタスクはよくやります。
昼食は本を読みながら食べますし、エアロバイク漕ぎながらスマホYoutube見つつNHKの録画を見たりもします(筋トレは強度が高すぎるので有酸素運動以外はマルチタスクしません)。桜井さん、忙しい中めちゃゲームしてるのが凄いですよね。

時短とか効率化という面ももちろんありますし、単に時間あたりの刺激が足りないと暇で退屈だからというのもあります。
ただボーっと座ってるよりはスマホ見てる方が退屈が紛れるのと同じで、ボーっと飯食ってるよりは本読みながら食った方が楽です。エアロバイクもNHKYoutubeもどれか一つだと足りないので、全部まとめてようやくそれなりの情報量になってくるみたいな感じです。だから大抵のマルチタスキングは別に頑張ってやるわけじゃなくて、やらないよりやった方が楽だからという方が近い気もします。

ただしマルチタスキングするためのコツは確実にあって、アクティビティを物理的に同時進行できるようなものに置き換えていくことです。
例えば、本を読みながら飯を食いたければ「おかずと白米」みたいな食事は諦めた方がいいです。おかずと白米を箸で食べようとすると手元をちゃんと見る必要があり、一時的に本から目を離すことになるからです。米が食いたければお茶漬けとか炊き込みご飯とか、おかずが存在しないタイプのやつがオススメです。これを極めればチューブ系の完全食とかに行き着くという予感はありますが、まだそこまでは到達していません。

 

290.胎界主、あとで読むリストに入ってます?

入ってはいます。
お題箱への投稿によって依頼されている「あとで読むリスト」は今30コンテンツくらいあるのですが、僕は他人がお勧めしたものよりも自分が読みたいものを優先するため、消費ペースは極めて遅いです。一応、欲しいものリストに入っているものについては送られれば最速で消費します。

 

291.脇フェチの人って脇を性的に見ているのですか?それとも萌えているだけですか?

僕は二次元限定ですが、基本的には性的に見ています。
概ね乳とかに対する見方と同じだと思います。乳って基本的には性的な文脈で見ていますが、芸術的な彫刻などの例外的な状態においては稀に性的ではなくなることもありますよね。そういう感じです。

 

292.こないだのヴァイオレット・エヴァーガーデンの感想を見て思ったんですが、めだかボックス球磨川編なんかもLwさん的には同じ枠に入ってきませんか?球磨川編では終始個性の扱い方というテーマで負の外れ値と正の外れ値である2名が戦いました。決まり手は「黒神めだかが敵からも応援されること」「黒神は手のひら孵しで球磨川と同じ能力になったが球磨川はそもそも"弱く"ないこと」(仲間を守り黒神と戦う人間はそれだけで強い)の2つだと思います。この場合、Lwさんは球磨川のそもそもの弱さが損なわれ、「黒人なんてそもそもいなかった」ように感じるのでしょうか?

それは全く仰る通りです。球磨川ルサンチマンは最終的に極めて正常な方向に収束していて、特に擁護の余地はありません。
ただ、それでも僕は球磨川めだかボックスは嫌いではありません。球磨川は一定の向上心を持ちつつも依然として強烈なルサンチマンを持つキャラクターとして描かれ続けたからです。

球磨川の扱いを見るにつけ思うのは、西尾維新は本当に根っからのキャラクター小説家であるということです。
というのは、西尾維新はキャラクターに対しては極めてラディカルですが、ストーリーについては(キャラクターの破天荒ぶりに比べれば)意外と常識的な節があるということです。強烈なキャラクターが喋ったり動いたりするたびに「大丈夫かこいつ」と思わせる一方で、そのキャラクターが活躍するお話自体は拍子抜けするほどまともな方向に収斂していくことが多い気がします。
球磨川もヴァイオレットちゃんどころではない異常キャラクターですから、めだかちゃんがそうしかけたように頭のおかしいやつとして排除する方がずっと簡単だったはずで、彼に対して説得力を伴って少年漫画的な落としどころを付けたのはむしろキャラクター小説家としての技量のようにも思います(キャラクターの異常性をストーリーにまで伝播させず、むしろストーリーはウェルメイドなものに保つということ)。

 

293.LWさんのブログを剽窃したtsurikawa_svが鍵垢でなくなっていますが、何か一言ありましたか?

DMでちょっとやり取りしましたが、ツイートしたので概ね全てです。
別に文章それ自体が丸っとコピーされていたわけではないですし、それで稼いでいたわけでもないのでまあそんなに大したことではないです。内容が酷似している場合は引用元を明示しないと剽窃と見做される可能性が高いので安全のためにそうした方がいいというだけですね。

 

294.オモコロで面白いと思った記事を教えてください

omocoro.jp

カモンBB『ドラキュラの箱舟』です。かなり思い出補正がかかっていますが、当時は「この世にはこんなすごい漫画を描くやつがおるんや~」って衝撃を受けました。

あれから11年経って思うことは、オモコロみたいなサイトって未だにオモコロしかないですね。オモコロって割とパターンが決まっていて模倣しやすそうなので類似サイトが乱立して覇を争うことになるのかと思いきや、オモコロに並ぶクオリティを持つ類似サイトは皆無と言ってよいと思います。
それはシンプルにオモコロ初期ライター並みに面白い人間がそう多くはないというだけのような気はしていて、実際、オモコロ内ですら比較的最近に加入して面白いライターはARuFaとダ・ヴィンチ・恐山の二人だけです(とはいえ、現在のオモコロはマルチなライターだけではなく、凸ノやマンスーンあたりを先駆けにして漫画や工作などの一芸に特化した人材も集めており、その路線で掲載されるものはかなりクオリティが高い傾向にあります)。

オモコロ初期メンバーのように地力のある人たちは当初の芸風を捨てても全然面白いコンテンツを作っていけるのが凄いところです。違和感を切り取る不条理4コマを描いていた小野ほりでいはいつの間にかリベラル宣教師になってますし、クズ漫画専門だった剛はバズった猫漫画に味を占めて日常路線に転向しましたし、『バトル少年カズヤ』の中川ホメオパシーは最近なんかもう根本敬みたいになってますね。

 

295.闇の自己啓発がウケてるし、サイゼミも書籍化しませんか?

何度か経験して気付いてきたんですが、ブログがバズってもRT先で褒められてちょっと嬉しいくらいが精々で、別に書籍化の話とかお金の臭いがするDMが来たりすることは特にありません。

 

296.自分はで素面でやっていきたいので、酒や精神薬、大麻LSD等は全て避けて生活しているのですが、LWさんはそれぞれどういう風に扱ってますか?

後ろ二つはともかく前二つは全然やります。酒は好きでは無いですが酔うのは好きですし、精神科でも精神薬をよく変えて色々飲んでいました。
素面でやっていきたいというよりは、不可逆的なレベルで素面でなくなることはそうそうないのであまり気にしていないという方が正確な気がします。酒や薬をやったことで自己の連続性が断絶した経験は一切ないですし、吐くまで酒を飲んでも記憶が飛んだりもしません。 

 

297.https://www.pixiv.net/novel/contest/yuribungei3
私がすめうじ信者なのもあるんですが、一回どこかの賞レースに応募して評価されてほしいです
例として上のURLのコンテストを紹介します。とはいえもう締め切ってるし今年は12万文字以下までなんですよね…6万字超過…
いい投稿レースあればいいんですけど

ありがとうございます。すめうじを宜しくお願いします→

ワナビパワーが足りず面倒臭さの方が勝ってしまって自分から応募したりすることは基本無いのですが、コンテストには応募しない!!というような信条も特にないので、もし応募した先で評価されたら普通にすごく嬉しいだろうなとは思います。
今思い付いたのですが、なんか信頼のおける知り合いにテキストファイルを渡しながら飯を奢って目に付いたコンテストにポポポポと投げる作業をやってもらうみたいのが良いのかもしれません。

21/6/12 2021年4月消費コンテンツ

2021年4月消費&生産コンテンツ

消費コンテンツと言いつつ、今月から生産コンテンツの話もしていいですか?

つまりここ1年くらい書いている『ゲーミング自殺、16連射ハルマゲドン』という趣味小説の月一進捗報告をここで兼ねます。素人が進捗報告とかするのは作家気取りでイタいという感覚があって普段ツイートもあまりしないのですが、マジで終わらないという現実が恥を上回りました。
当初は10万字強くらいの予定が、今20万字を超えているにも関わらず内容的には60%くらいしか進んでいないので、たぶん終わる頃には30万字くらいになっています(ちなみにこうしてブログを書いたり映画を見たりしつつ1ヶ月に生産できる小説文字数は3万字/月くらいのようです)。前回すめうじを書いたのが2020年2月なので、ちょうど2年後の2022年2月にはイラスト発注まで済ませてどっかに投稿するのを目標にします。

メディア別リスト

映画(1本)

シャッターアイランド

アニメ(85話)

ひぐらしのなく頃に解(全24話)
トップをねらえ!(全6話)
トップをねらえ2!(全6話)
アイドールズ(全12話、10分アニメにつき4話換算)
びそくぜんしん(全12話、8分アニメにつき3話換算)
アイドリープライド(全12話)
装甲娘戦記(全12話)
ぶらどらぶ(7~12話)
ワンダーエッグプライオリティ(1~12話)

書籍(6冊)

ちくま評論入門
たった2日でわかるSQL
SQLデータ分析・活用入門
現代アートの哲学
漢文力
図解入門 最新 データサイエンスがよ~くわかる本

漫画(32冊)

プラチナエンド(全14巻)
ケーキの切れない非行少年たち(1巻)
薬師のひとりごと(5~7巻)
葬送のフリーレン(1~4巻)
終末のワルキューレ(1~10巻)

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

(特になし)

消費して良かったコンテンツ

現代アートの哲学
シャッターアイランド
装甲娘戦記
葬送のフリーレン

消費して損はなかったコンテンツ

終末のワルキューレ
プラチナエンド
ひぐらしのなく頃に解
ちくま評論入門
SQLデータ分析・活用入門

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

びそくぜんしん
アイドリープライド
トップをねらえ2!
薬師のひとりごと
図解入門 最新 データサイエンスがよ~くわかる本
漢文力
アイドールズ
ケーキの切れない非行少年たち
ぶらどらぶ

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

トップをねらえ!
たった2日でわかるSQL

最終話放送まで保留

ワンダーエッグプライオリティ

ピックアップ

現代アートの哲学

saize-lw.hatenablog.com

欲しいものリストから送ってもらった本で、面白かったのでサイゼミでも取り上げた。
消費社会に大衆が跋扈するいわゆるポストモダンにおける作品の評価の在り方について芸術サイドの動揺が綴られており、オタク文化内でも議論の出発点として十分通用する。読んでおいて損はしないオススメの一冊。

 

シャッターアイランド

シャッター アイランド (吹替版)

シャッター アイランド (吹替版)

  • レオナルド ディカプリオ
Amazon

www.amazon.co.jp

映画自体も面白かったが、再生後にたまたま目に入ったこのレビューが良かった。
「正解探し」では抜け落ちるものがあるという挑発的な書き出しで始まり(「正解探し」とは具体的には主人公がラストシーンで本当は回復していたとか回復していないとかいう考察について)、浅い鑑賞者への批難だけではなくよりポジティブな見方を提示しているのが良い。
映画の表現から複数あり得る解釈の正当性を戦わせるのではなく解釈のそれぞれが多層的に重なることを認めた上でそれらを味わうということは、結局また一周して異なる見方を生成する表現の繊細さを読み込むというレイヤーへと戻っていく。曖昧な表現を一元的に整理裁断するために解釈があるのではなく、表現の曖昧さと解釈の多様性はそのままパラレルで有りうるということ。『タクシードライバー』などもそうだが、表現にこだわりつつも一貫したテーマの中で複数の解釈を許容するスコセッシの映画はその格好の題材となりうる。
ちょうどこれを見たときに『現代アートの哲学』を読んでいる途中で、「死んだ作者に代わって誕生した読者が開かれた解釈を求めるのはいいが、自分だけの独断や逆に何でもアリの相対主義に陥らないようにするにはどうすれば……」というありがちなことを考えていたので、たまたま目にして腑に落ちた(何故かレビューのレビューを書いてしまった)。

 

装甲娘戦記

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2021春アニメで一番面白かった。

可愛いのか可愛くないのかよくわからない微妙なキャラデザの美少女たちが繰り広げるギャグの出来が良く、ボケているのかいないのかよくわからないボケ倒し風の意味不明行動に誰も突っ込まない空気感が気持ちいい。

ギャグとシリアスが半々くらいの美少女ロボアニメだが、何気に裏テーマとして「いきなり世界を託された子供たちと、子供たちに世界を背負わせる大人たちのギャップ」という正統なロボットアニメのモチーフが走っている。
それは『エヴァ』では「エヴァに乗ることを大人に強要されるシンジ」として現れたし、(ロボットものではないが)美少女ものとしては『まどマギ』で「今まで魔法少女に過度な期待を背負わせてきたことへの反省と救済」という皆さん御存知のテーマもある。いずれにせよ、「いきなり殺伐とした世界に転移して、世界の最高戦力として怪物と戦わされる主人公たち」という『装甲娘戦記』の何気に重い背景設定もその流れの中にある。

ただし、『装甲娘戦記』の主人公たちは世界の危機に対する関心が低い。彼女らは本当にいきなり知らない世界に飛ばされてきただけなのでそれもやむを得ないところがあり、代わりに女子高生らしく食ったり遊んだりすることを好む。戦闘を一つ終えてまた次の戦場に移動するときにはしばらく戦闘そっちのけで御当地観光にのめり込むというのがこのアニメにおける流れのテンプレの一つだ。あまりにも危機感がなさすぎて、連日観光している間に世界を救うキーアイテムのタイマーが0になるという展開には笑った。
しかし、彼女らが呑気なのは「これが誰も傷付かないお気楽極楽な美少女ギャグアニメだから」というわけでもなく、戦闘そのものは極めてシビアだ。美少女を含めた人間が普通に殺されることは明言されており、「巨砲の砲身を生身の人間が支え、発砲して敵を倒すと同時に反動で全身が弾けて死亡する」というゴアすぎるシーンを三話でブチ込んでもいる。そんな状況の中で主人公たちが頑張る理由は「手近な仲間を死なせないため」に終始しており、もっと大きな世界を守るためというモチベーションはなかなか出てこない。最終的には主人公は無事に異世界を救うが、救ったと同時に現実世界に帰還するために異世界の様子は一切描かれない(実は失敗していてもわからない)。

こうした「シビアな戦局の割にはお気楽な主人公たち」という温度差に対して、きっちり説明を付けたのが第10話だ。第10話では主人公たち美少女勢は一切画面に映ることなく、裏方にいる大人たちが「我々はどうするべきか」という話をギャグを交えて延々と話し続ける異様な24分が展開する。よく聞けば重いテーマと地味な絵面の中でコメディ調の会話劇を一話分保たせる脚本は大したものだ。
この第10話では、大人たちは(多少の見解の相違はありつつも)主人公たち子供の自由と権利をかなり重視していることが語られる。もちろん戦争としては戦力である彼女たちにはもっと戦ってほしいのだが、そうは言っても志願してきたわけでもない彼女らに戦争をやらせるのは酷だという極めてまともな感性がある。あえて息抜きのために観光の余地を与えて自由にしておいたり、主人公たちが余計なプレッシャーを背負わないように与える情報を絞ったりもする。
つまりロボットアニメにしては珍しいことに、周りの大人たちが自分たちの生存可能性を下げてまで子供の権利を尊重するという配慮があり、その結果として主人公たちはある程度おちゃらけていられたのである。未成年の主人公が戦力として戦うアニメにおいて不可避に生じてくる「大人ではなく子供が戦っている」という事態の異常性を主題化したロボットアニメは数多いが、その一つのバリエーションとして「周りの大人が子供に代わってちゃんとリスクをテイクし、子供の扱い方や与える情報もちゃんと考慮する」という極めてまともな背景事情が描かれているわけだ(ミサトさん聞いてるか!?)。

また、美少女ミリタリーアニメとして見ても「極めてまともな大人たちが後ろにいる」というエクスキューズはそれなりに強力だ。
というのも、ポップな美少女ミリタリーアニメには「戦闘は見栄えのために本格的であってほしいが、美少女には萌えのためにあまり深刻であってほしくない」という矛盾した要請があり、このジレンマの話は前に『ハイスクールフリート』絡みでも書いた。

saize-lw.hatenablog.com

「美少女を戦場に送りつつシリアスにはしない」という困難を実現するために、『ハイスクール・フリート』は美少女を悪意から保護する不自然な展開を多用し、『ガルパン』は戦争を部活として作り替えた。『装甲娘戦記』ではまともな大人の配慮があるという形で、きちんとした理由付けに成功している。

 

葬送のフリーレン

saize-lw.hatenablog.com

書きました。

 

プラチナエンド

saize-lw.hatenablog.com

プラチナエンドも同じ記事に書きました。

後半戦の論点がはっきりしない議論を延々と続ける不毛さはかなり好みだったが、原作者が何を思ってこんな異常な舵取りをしたのか、どこかでインタビューとかされていたら読んでみたい(まともな編集者ならこの展開はとても許さないように思われるので)。

 

ひぐらしのなく頃に解

ホラーサスペンスだった第一期では入り組んだ人間関係を丁寧に描いていたが、ループものにジャンルが切り替わる第二期ではループに係る設定や展開があまりにもプリミティブでビックリしてしまった。「ループもの黎明期に特有の粗削りな作品」という感触だが、ゼロ年代中期のループものはこんな水準だっただろうか。

物語の建て付けがループものを表面的に成立させるための必要最低限しか語られず、ループの根っこにある原因や進行に関する言及は皆無だ。例えば梨花がループしているのは何故かとか、ある周回でのみ状況が好転するのは何故かとか、圭一が別ループの記憶を保持したのは何故かとかいう手の話は一切出てこない。「羽入はゲームプレイヤーの代理人としてのメタキャラクターである」というよりは、「あまりにも適当に配置されすぎて作中で積極的に定位する場所がないからそういうことにせざるを得ない」という方が実情に近いように思われる。

とはいえアドホックな設定を盛ったところで面白くなるとは限らないし、所詮は美少女コンテンツなので意図的に梨花の心情とその近辺にだけ情報を絞ったという判断であれば理解できる。実際、軽くググったところではもっと大きな謎が背景に控えているようではある。後続の展開も見据えて、より大きな物語の中の一部として、寄生虫とか宇宙人についての真相は宙吊りにしたままでとりあえずループの解決だけを図っていたのだろうか?


ちくま評論入門

高校生の頃に買わされて国語の教科書代わりに使われていたような記憶を伴って部屋の隅に転がっていた本。何も覚えていなかったが捨てるために読み直した。

今読むとなかなか良い教科書だ。目まぐるしく変わる時代の中で高校レベルを超えた「物の見方」を身に着けさせようという意図を強く感じる。とりわけ二項対立を無化していくような文章が多く掲載されており、もうちょっとリッチな本であれば脱構築とか弁証法みたいなワードで語られそうな論理構造が頻出する。
主題自体が挑戦的な文章も多く、その中でも特に萱野稔人の国家権力論が載っているのは笑ってしまった。国家とはとどのつまり暴力装置であり、権力とはすなわち暴力であるというのはそれはそうなのだが、高校生に読ませる教科書の文章として選ぶのはかなり気合が入っている(アナーキストを育成すな)。また、今読むと「この他者理解のモチーフはラカン鏡像段階だな」とか「ここで言う野生の思考は明らかにレヴィストロースを踏まえているな」とか背景にあるものが手に取るようにわかるので自分の成長を感じて気持ちがいい。

しかし驚いたのは、教育のために要求している読解のレベルが極めて低いことだ。各文章に添付されている設問は概ね「指示を正確に理解しているか」というレベルでしかなく、それ以上の読み解きはほとんど要求されない(つまり、この文章において「それ以上」の「それ」とは何かというような問い。もちろん答えは「指示を正確に理解していること」)。
とはいえ、指示内容の正確な把握のような超基礎的な国語能力はより高レベルな議論の前提条件ではあって、こうしてどこかできちんと教えるのが高校教育の本懐ではあるのだろう。それが出来なければ、「萱野稔人の国家権力論の限界は何か」とか「歴史的に見た妥当性はどうか」とか「この論を運用すべき局面はあるか」というような議論も当然行えまい。
国語は数学などと比べて段階ごとの達成が抽象的で、ともすれば漠然と「何となく読めばわかるもの」という認識の解像度にもなりかねない。しかしこうして教科書を読み返すと「文章を正確に読めるレベル」や「文章の内容について議論できるレベル」ははっきり区別されているのであり、数学が四則演算から微分計算に進むように明確なレベルが定義されているのだなというのは一つ学びだった。

 

アイドリープライド

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QPフラッパーってもうクソアニメキャラデザ請負人みたいな印象になりつつあるのだが、そのサンプルがまた一つ増えてしまった。

どこが良いとか悪いとかいう以前にこのアイドルアニメに固有の魅力というものが全く見当たらない無のアニメで、企画書が読みたくて仕方がない。
だいぶ前から氾濫し続けている無数のアイドルコンテンツの中でこのアイドリープライドはどこでどう差別化するつもりなのか、いまやアイドルものに対して目の肥えた消費者から限られた関心を勝ち取る勝算はどこにあるのか、アイドルものという巨大なパイからおこぼれを拾えればいいという戦略なのか。俺は普段マーケティングがどうこう言うキャラクターではないはずだが、あまりにもコンテンツの目指している方向性がわからなさすぎてそればかり気になってしまう。

周りのオタクが言っていたことでやや一理あると思ったのは、このコンテンツの独自性は「特定の故人とプロデューサーのラブコメを、アイドルマネジメントとは独立してきちんと描く」ところにあるのではないかということだ。
確かに「故人のアイドルの幽霊と主人公だけが接触できる(他のアイドルはそもそも幽霊アイドルの存在を認識すらできない)」という設定は主人公に(無数にいるアイドルとではない)固有の恋人関係を認めており、アニメ最終話でもプロデュースしたアイドルのライブ成功そっちのけで幽霊とラブコメしていた。既にプロデューサーに固有の恋人がいるということは、「一般にアイドルとプロデューサーは恋愛関係に陥るものだ」という(アイドルマスター以来の)(そこそこ最悪な)前提を打開し、それなりに倫理的でもある一つの差別化が可能で有りうる。

ちなみに原作のソシャゲは汗フェチ界隈では大きな注目を集めている。友情努力勝利にフィーチャーする過程で(それ自体はアイドルものとしては珍しくもないが)、QPフラッパーの画力でやたら気合が入った汗だくイラストが無限に見られるのが強力だからだ。

だが、スポ根路線で行くならそれはそれでアニメ最終話で日和って奇跡の同票引き分けとかいうクソ展開は我慢した方が良かったのでは?

 

漢文力

昔予備校に通っていた頃に漢文の予備校講師が勧めてきたので買って積んでいたやつ。

中国文学研究者が現在にも通用する思考法という触れ込みで漢文の考え方を紹介する本だが、こじつけ感は否めない。「形式知暗黙知の違い」とか、漢文以外の領域でも散々言われていて特に新しくもなくどうとでも言えるポップ哲学について、筆者が詳しい漢文から拾って引用しているに過ぎない。
科学的な記述を試みる割にはかなり適当なのも鼻につく。特に「きょう出発してきのう帰った」とかいう不条理な一節が漢文にあるからといって、「相対論のアイデアが古代中国にあった」と主張するのは流石にアインシュタインと近代実証科学を舐め過ぎだ。あくまでも文学者のエッセーとして、あまり真面目に受け止めるべきではないだろう。

ただ、色々トピックを並べているだけあって、面白そうなテーマもいくつかある。
例えば、書籍などで知った過去の偉人を一方的に自分の親友扱いとする「尚友」というカルチャーが古代中国にはあったらしい。この一方通行の見知りで成立(?)する友人関係はかなり現代的で、やはり一方通行の発信が育ったメディア時代に適応的だ。故人ではなくても、芸能人はもちろんのこと、YoutuberもTwitterの一方フォローも尚友の一つかもしれない。オタクにとっては漫画キャラやVtuberも尚友だというのは少し飛躍の行き過ぎかもしれないが、その手のことに適当に言及したいときに味付けとして引っ張ってくる引用元としてはまあまあ面白い話だ。

 

終末のワルキューレ

アニメ化するやつ。「神VS人類最終闘争」というあらすじ通りの内容で、しょうもないかどうかで言えばまあしょうもない漫画だが、ぼちぼち面白い。

バトル漫画としては「一人一戦のみ」が徹底しているのがそれなりに特徴的ではある。対戦表は最初から決まっており、試合ごとに神サイドと人類サイドから一人ずつが初めて現れ、基本的には皆試合中に死ぬなり戦闘不能になるなりして退場する。皆が名前を知っているキャラクターが一人一回限りで使い捨てのそれらしいバトルを繰り広げるだけだ。昔流行ったトーナメント形式のバトル漫画で同じキャラが何度も戦うことで意外な組み合わせや継続的な成長が描かれるのとは真逆である。この漫画では組み合わせの妙も成長過程もオミットされている。
ちなみにこれは新しいのかどうか有識者の友人に聞いたところ、「キャラクターバトルという概念が生まれた黎明期の戦後大衆小説とかはむしろこの形式が主流、例えば『駿河城御前試合』(シグルイの原作)がそう」みたいなことを言っていた。博識なオタクに感謝……

ちなみにバトル内容はワンパターンで率直に言ってあまり面白くはない。
「お互いに強力なイメージが固定された偉人であり、この漫画に特有のバックストーリーが作れない」という制約にかなり苦しんでいるのが見て取れる。つまり、どちらか一方の格を下げたり、この漫画に特有の独自設定で勝敗を決めたりすることができないため、決着時には「ほぼほぼ相討ちだが僅差でたまたま勝つ」「試合には負けたが勝負には勝った」というパターンが非常に多い(それしか引き出しがない)。
まだまだ試合はたくさん残っているが、新たなパターンが発明されるのか延々同じことが繰り返されるのかは楽しみなところだ。


おまけ:生産コンテンツ

ゲーミング自殺、16連射ハルマゲドン

趣味で書いている小説の4月の進捗報告です。ついでに毎月キャラ紹介とか何かコンテンツを置いとく予定です。

字数

164553字→170725字

各章進捗

第一章 完全自殺マニュアル【99%】
第二章 拡散性トロンマーシー【99%】
第三章 サイバイガール【99%】
第四章 上を向いて叫ぼう【99%】
第五章 聖なる知己殺し【99%】
第六章 ほとんど宗教的なif【99%】
第七章 ハッピーピープル【30%】
第八章 いまいち燃えない私【5%】
第九章 白い蛆ら【5%】
第十章 MOMOチャレンジ一年生【1%】
第十一章 鏖殺教室【1%】
第十二章 (未定)【0%】
第十三章 (未定)【0%】

 

キャラ紹介① 彼方ちゃん

主人公の女の子です。
長身で切れ目で冷静で男口調、アークナイツにいそうな感じのかっこいい系JKです。ノースリーブの制服とホットパンツの上にトレンチコートとローラーブレードを着用しています。
頭脳も容姿も全体的にスペックが高いですが、特に身体能力は人外の域に達しています。リンゴどころかカボチャすらも素手で粉砕し、スパイクを履けば壁を垂直に駆け上がり、ヤクザキックで厚い鉄板を蹴破ることも容易です。それでいて脳筋というわけでもなく、暴力を自覚的に振るう方です。

闘争に足が生えて歩き出したような戦闘民族であり、対人ゲームが大大大好きです。VRバトルロイヤルゲームのプロゲーマーでもあり、日本トップクラスのユース選手です。持ち前のフィジカルを活かして相手を叩き潰すことを好みます。
彼女のゲーム好きは単なるデジタルゲーム好きに留まらず、あらゆる人生の問題を勝ち負けを決めるゲームとみなしている節があります。そしてその際、強者が弱者を蹂躙することを当然の権利と見做していることは彼女の悪癖の中でも最悪のものです。すなわち彼女は完全な自己責任論者であり、政治的にはネオリベラリストです。
とはいえ雑魚狩りは全く好まず、常に自分より強い敵を探しています。一番嫌いなものは弱すぎる敵、一番好きなものは強すぎる敵です。自己研鑽を愛し、困難な課題を乗り越えることを何よりの娯楽としています。

しかし、それは裏を返せば一度クリアしてしまったゲームには関心を失うということでもあります。実際、「ゲームに勝利したあとはもはや時間の無駄なのでフィールドから最速で立ち去る」という奇妙な信条を持っています。この信条はVRゲーム内では「勝利した瞬間に自殺する」という奇行に結実し、ゲームファンの間では自殺フェチのマゾヒストと認識されている節があります。

 

キャラ紹介② 立夏ちゃん

メインヒロインの女の子です。
彼方と同い年の女子高生ですが、背が低く痩せ型で小さく、愛らしい容姿は小学生のようにも見えます。大きめのパーカーを羽織っており、手先は萌え袖状態です。貧弱な見た目通りに腕力も体力も無いに等しく、五十メートル走れば息切れで倒れ、ジャムの蓋を開けるのにも苦労します。
彼方と二人でタッグチームを組んでVRバトルロイヤルゲームに参加しています。立夏は戦闘を行えないため後方に待機して指示を出し、圧倒的な戦闘力を持つ彼方を適切な戦場に誘導することが仕事です。二人チームのゲームなのに彼方一人しか戦えないことは極めて大きなハンデですが、彼方の怪物じみた身体能力に加えて立夏の卓越した作戦立案能力がその無茶を可能にしています。

左目を中心に顔に咲くアサガオ立夏のトレードマークです。顔を覆う巨大な花が視線を遮るために彼女の表情はかなり読みづらいです。
この花はギミックやアクセサリではなく、自ら茎を目に刺して眼窩内の水分で生花を栽培しています。初めて刺したときに眼球破裂で失明したため、今は義眼です。この「義眼花」に対する彼女の執着には異様なものがあります。自宅の研究スペースでは人間の血や体液までも使って様々な栽培環境の対照実験を行い、理想の花を求めて日夜研究しています。

花に対する関心が高い代わりに人間に対する関心は著しく低く、他者に対する同情や憐憫は皆無です。表面的な物腰が柔らかいのも無関心さの裏返しに過ぎません。そのために弱者を蹂躙することに何ら抵抗がないという点では彼方と一致しています。
ゲーム外ではだいたい彼方にべったりくっ付いており、移動時には背中におぶられていることも多いですが、それは立夏が彼方に依存していることを全く意味しません。立夏は彼方の後ろに隠れることで他人との余計なコミュニケーションを避けたいだけです。それは彼方に対してすら例外ではなく、彼方から自分に向けられる熱烈な好意に対してもまともに取り合うことなくスルーし続けています。

21/6/5 お題箱回:進振り、車椅子利用etc

お題箱83

278.進振りでの文転って考えてましたか?

全く考えていませんでした。
進振りの時点では行きたいところが一切無く、点数的には工学部ならどこでも行けたので適当に当時底点が一番高かった計数に希望出して進振りが終わりました(僕の頃から情報系はまあまあ人気でしたが、最近は更にインフレしてるらしいですね)。
ただ、当時に戻れるなら絶対に文転して文学部か後期教養のどっかに行きます。当時それを考えもしなかった理由は、単に自然科学より人文科学の方が面白いし関心があることに気付いたのが進振りの後だったというだけです。

僕は大学入学当初から保健センターの精神科に通院しており、本郷キャンパスに移行してからも気が向いたら馴染みの主治医がいる日に予約を入れて診察を受けるキャンパスライフを送っていました。本郷の保健センターは医学部ゾーンのあたりにあって工学部ゾーンから割と遠いので、診察予約時間よりも早くに医学部ゾーンに着いてしまったときはゾーン内で手頃な休憩所として医学部図書館で時間を潰していました。

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医学部図書館って医学部通いのハイソの連中が利用するからか設備が他学部図書館より明らかに充実していて居心地が良いんですよね。入って右奥のあたりに一人用ソファにもたれかかって手塚治虫の全作品を読める謎のスペースがあって、僕はそこでよく『火の鳥』を読んでいました。

補足381:在学中は他の人が読みに来ると嫌だからずっと秘密にしてたんですが、もう卒業したので書きました。

また、入口ゲートを入って左側の方にあるゴツい扉で閉ざされている書庫にも実は自由に出入りでき、探険気分でよくそこに一人で潜っていました。どうせ解剖とか外科とか物理的な人体を扱う専門書籍は門外漢が読んでも全然わからないので、辛うじてわかりそうな精神疾患系の本が積まれているエリアをフラフラしていることが多かったです。そこで『分裂病の精神病理』というシリーズをたまたま手に取ったのが人文学的なものとの出会いだったように思います。

だから僕が最初に関心を持ったのは実は『動ポモ』ではなく日本の精神医学、特に分裂病とその周辺の現象学です。
批評界隈でスキゾフレニアと言えばまず西洋のフロイトラカンドゥルーズガタリが来て、構造主義からの流れの中にある図式において不可能性や破綻というネガティブな属性の中に回収されていきます。しかしこのシリーズから伺われる日本の精神医学界隈ではもっと現象学的な観点から患者の心象風景を虚心坦懐に捉えてポジティブに記述しようとする姿勢が強く、読み物として非常に面白いです。
もちろん木村敏の「イントラ・フェストゥム」とか安永浩の「ファントム理論」のように図式的な整理は頻繁に行うのですが、その根底にあるモチベーションは近代科学的な分類と整理という手法を用いたいからではなく、病者の歪み切った主観世界に少しでも近付くためには何とかしてそれを体系的に捉えることが必要だからという極めて実践的な試みです。周りでこの論文集を僕以外に読んでる人見たことないですが、オタクはそういうの好きだと思うので結構オススメです。

補足382:ここで言うネガティブ/ポジティブというのは悪い/良いという意味では全くなく、否定形/肯定形というニュアンスが近いです。ネガティブというのは何らかの図式の中で何かが充填されていないという欠落によってそれを否定形で語ること、ポジティブというのは逆に図式の中に何かを充填することで明確な位置付けを肯定形で語ることです。「ドーナツには穴がある」「ここには女性がいない」という穴と女性の語り方がネガティブ、「あんぱんにはあんこがある」「ここには男性がいる」というあんこと男性の語り方がポジティブです。ちなみに「穴」という概念は定義上ネガティブにしか語れないという顕著な性質を持ち、存在論的にも興味深い題材です。

なんか思ったより脱線しましたが、要するにその本郷キャンパスの医学部図書館で論文集を読んでから進振りで文転しておけば良かったと思うようになったという因果の流れなので、進振り時にはどうしようもなかったという話です。学生の方は暇だったら他学部図書館書庫を探険してみると人生を変える出会いがあるかもしれません。

 

279.「○○が問題だ」という主張に対して「でも××のほうが問題だ」という返し方をするの日常生活でもよくあるけど、政治な話題、特に人権や自由といった文脈で使うのはとてつもなく危険なのを認識したほうがいいです
このようなツイートを見かけました。このような論法はいたるところで見受けられ、自分も上のツイートと全く同じ考えを持っているのですが、その理由を私はうまく説明できません。上の文の(書かれていない)前提合意、背景の解析、本当に上の考えは妥当なものなのか、もし可能であれば分解し解説していただけないでしょうか

僕もその考えは妥当だと思います。
「でも××のほうが問題だ」系の反論って一見すると社会的な物事について優先順位を冷静に説いているように見えますが、実際にはマジョリティが享受している既得権益を温存するために支配体制に加担しているだけですからね。というのは、その社会的な物事についての優先順位自体がもともとマジョリティの合意で形成されたものだからです。

女性でも黒人でも何でもいいですが、最近話題になったので車椅子利用者の権利でも例に出しましょうか。
「車椅子の人が駅利用時にスロープが無くて苦労するのが問題だ、だからバリアフリーを拡充すべきだ」という主張に対し、「その問題は重要性が低いのではないか、何億円もかけて僅かな車椅子利用者をちょっと便利にするよりは他に解決すべき問題があるのではないか」という反論は少し前に実際に何度も聞いた話です。
ただ、そもそもなぜ車椅子の人が苦労しているのかと言えば、「車椅子利用者が快適に過ごすことは比較的重要度が低い問題である」と考えている人が多いからです。もしそうでなければ、車椅子利用者は社会的合意によって自然に生成されたスロープによって既に快適に駅を利用できているはずです。
よって「車椅子利用者の権利よりももっと重要な問題がある」という反論は「車椅子利用者が軽視されている」という前提の再確認に過ぎません。循環しており反論として機能していないのはこのためです。
そして元はと言えば、この抑圧的な前提は「健常者はスロープがあろうがなかろうがどうでもいいのでもっと他のことに金を使ってほしい」という健常者=マジョリティの利害から発生しています。マイノリティの主張を「社会的重要性」という理由で弾くのは、大抵はマジョリティが既得権益を死守してマジョリティにとって有利な世界を維持したいだけというのはそういう意味です。

だからマイノリティ側はこの手の反論に付き合ってはいけません。現在流通している重要度の優先順位を精密に確認しても、現状の困難が生まれている理由が追認できるだけで勝ち目がないからです。「でも××のほうが問題だ」と言われたら「お前の問題認識は聞いてねえんだよ」と吐き捨てて交渉の椅子を蹴り飛ばし、こちら側も何らかの倫理や利害を動員した鮮烈なアジテーションによってマジョリティの一部を味方に付け、優先順位という支配体制それ自体を革命しなければなりません。
その点、強硬策を取って波風を積極的に立てていく車椅子利用者サイドの戦略は、(ネット上では健常者にかなり攻撃されていますが)僕は頑張ってるなと思って見ています。革命が必要だというのに健常者に阿っても未来はありませんから、戦争を吹っかけていくのが正着手です。

 

280.百合が一番でヘテロが最後みたいなツイートについてですが、
これって好みの話ですか? 
それとも何か確信を持つに至る考えがあるのでしょうか

自分はTwitterで百合漫画見ても男女だったら良いのにと思うくらいヘテロ派なので気になります

これは完全に好みです。ヘテロものは全部根本に性欲が介在している前提で見るのでそういう含みがノイズになる場合は同性同士にしてほしいみたいなところはありますが(だからエロに限ってはヘテロでも可です)、僕がエロ人間というだけの話かもしれません。

 

281.魔女の旅々の話、詳しく書いて欲しい

書きました! 二期を楽しみにしています。

saize-lw.hatenablog.com

 

282.LWさんはワナビではない?

どうですかね? 夢に向かって日々努力~みたいなスタンスは取っていないですが、小説を書いてネットに公開してる素人という時点でワナビではないと言い繕うのもかなり難しい気がします。
ありがたいことに(?)DMとかお題箱で「LWさんの小説をこの賞に投稿してください(応募URL添付)」みたいな依頼(?)がときどき来るんですが、仮にその賞に投稿していたとしても、そのことを公言するのは何らかの選考を通過したときだけでしょう。落選はわざわざ報告したくないという程度の見栄は僕にもあるからです。

 

283.クソつまらないアニメ見たときのメンタルリセットってどうすれば良いんすかね…(神様になった日視聴後)

クソつまらないアニメは無数にありますし、ノートにクソでしたとか書いて忘れます。
個人的には、逆に迂闊に神映画とか神回に当たってしまってしばらく他のコンテンツを消費する気になれないみたいな状態の方がコンテンツ消費ペース的には厄介ではあります。

 

284.なんではみるとんさんにブロックされてるんですか?

一応別垢からDMで聞いてみたんですが返事が返ってきませんでした。
しかしそのブロックされた理由がわからないから聞きに行くというまさにその他人が自分に感じている不快感への疎さと無頓着さこそが、一般に人間がブロックされる理由のかなりの部分を構成しているような気はします。知り合いの知り合いくらいのYPにブロックされてること結構ありますけど、ブロックされた理由がわかったこと一度も無いですからね。

LWのサイゼリヤは爆アド.comを応援しています。チャンネル登録はこちらから→

 

285.シグルリどうでしたか?(ワルキューレとかオーディンとかわざわざ美少女の目の前で格好つけてから死んでいくモブ達とか)

これも書きました!

saize-lw.hatenablog.com

やっている試み自体はまあまあ面白かったと思うんですが、キャラデザが良い美少女4人メインの割には萌えパートの感性が古すぎて時代的な断層の上で終始滑りまくっており萌えアニメとして微妙だったのが結構辛かったです。

 

286.新条アカネって結局LWさん的には上手くヴィランとして処理されたんですか?

いや全然ですね……結局「ちょっと捻くれてるけど根は悪人じゃない普通のオタク女子」くらいのところに落ち着いた気がします。今思えば「雑スギィ!!」が最大瞬間風速でした。
ダイナゼノンもグリッドマンみたいなやつなら見なくていいかなと思って見てないですが、話題になったら最初から見ていたフリをしようと思います。

 

287.LWさんのフォローしてるブログが知りたいです(既出でしたらURLおねがいします)

それはあんまり無いですね……正直に言って僕は自分のブログを書くことに比べて他人のブログを読むことへの関心が恐らくかなり低いです。
よく読むのはカードゲームのブログと知り合いのブログくらいです。ここで言う知り合いというのも「ブロガー友達」みたいなやつでは全然なくて、古いカード関係の知り合いとか面識のある知り合いとかで、あいつが書いてるならまあ読んどくか~みたいな内輪なやつです。
いずれにしてもLWのサイゼリヤという文脈においてこれがオススメですと胸を張って言えるブログはあまり思い付かないです。

21/5/30 2021年3月消費コンテンツ

2021年3月消費コンテンツ

知人を含めて消費コンテンツ記事の輪が広がっており、noteで検索するといくつかヒットするようになってきました。

メディア別リスト

映画(4本)

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

アニメ(26話)

ひぐらしのなく頃に1期(1~26話)

書籍(7冊)

フランケンシュタイン
批評理論入門
功利主義入門
C言語ポインタ完全制覇
神速Excel
2時間早く仕事が終わるExcel実践術
はじめての簡単ExcelVBA

漫画(21冊)

二月の勝者(1~10巻)
大奥(1~11巻)

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

消費して良かったコンテンツ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
二月の勝者(1~10巻)
ひぐらしのなく頃に1期(1~26話)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

消費して損はなかったコンテンツ

C言語ポインタ完全制覇
批評理論入門
大奥(1~11巻)
フランケンシュタイン
功利主義入門

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

神速Excel

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

2時間早く仕事が終わるExcel実践術
はじめての簡単ExcelVBA

ピックアップ

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

saize-lw.hatenablog.com

劇場公開されてからしばらくの間ネット上の反応は俺の記事のようなジジイの批評と自分語りの死骸が圧倒的で、過剰なネタバレ配慮も相まってライトなファン活動が押しのけられていないかを若干気にしていた。が、今は無事にポップなカルチャーが盛り上がっている。「長髪レイ」という新たな萌え要素のファンアートが流通していたり、萌えキャラムーブが浮いているサクラを弄る風潮があったり、アヤナミレイ(仮称)の手動ネタbotができたり、そういうキャラ萌えをちゃんとやった方がいい。俺もちゃんと個人的な萌え方面のことを言えば、シンエヴァでは圧倒的に冬月とゲンドウが熱い。

 

二月の勝者

saize-lw.hatenablog.com

かなり面白かったので個別で記事を書いた。
Twitterで言われて初めて気付いたが、『二月の勝者』というタイトル自体が既に読者を選別している。二月の勝者=受験合格者ということが自明なのは中学受験経験者だけだ。

 

ひぐらしのなく頃に1期(1~26話)

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最近始まった三期が面白そうだったので今更見た。
ひぐらしは世代だったのに当時は逆張りで避けていたコンテンツの一つで(他にもコードギアス禁書目録がある)、見たことがないはずなのにブックオフでの立ち読みとか中学校での雑談とか断片的な情報が組み合わさってほぼ全ての内容を既に知ってしまっている。竜宮レナさんが記憶にあるよりは萌えで良かったのと、当時の男主人公は軒並み女の子の頭を撫でたがるのは相変わらず気持ち悪かった。

老オタク狙いのリブート企画が珍しくもなくなってきた昨今、元々の設定からしパラレルワールドを組み込んでいるコンテンツは分岐した別世界で事実上の新編を始める権利を持っていることが強力だ。マルチバース設定があると商業的にもメディアミックスに便利だし、いくらでも拡張出来て後から付け加えた設定が齟齬を生むこともまずない。リブート企画を見るにつけても、コンテンツはとりあえずマルチバースにしておくのが丸すぎる。
とはいえひぐらしは各メディアで同じ話を律儀に順番通り展開していたあたり(鬼隠し→綿流し→祟殺し→……)、まだまだ商業的なマルチバース運用が未熟だった時代のコンテンツのような感触もある。せっかく時系列を意識しなくていい話がいくつもあるのだから、アニメは鬼隠し、ソシャゲは綿流し、漫画は祟殺しというようにメディアごとでパラレルに進行する方が立体的にユーザーに訴求できて嬉しく、たぶん今だったらそうなる。

 

批評理論入門

オミミユさんに会ったとき貰いました。ありがとうございます。

タイトルに偽りなく、批評理論への入門時に最初に読む一冊としてかなり強力な本。スタンダードオブスタンダード、独自性が無い方向に洗練されており、内容も語り口も平易、高校教科書的な一冊。これを読むだけで誰でも一定のボキャブラリーを把握し、物理方程式を立てるように批評を立てられるようになるだろう。
ただ、「アニメの批評を書きたい」などというモチベーションでこれを読む人がいたら申し訳ないので一応念のため申し添えておくと、これらは文学理論界隈で古典的に流通している狭義での「いわゆる批評」のパッケージに過ぎない。それを適用して語れる物事と、趣味として本当に関心があって語るべき物事はまた別の話である(し、大抵は一致しないと思う)。

以前に他の文学理論入門も何冊か読んだが、これらを読むとしてもとりあえずこの『批評理論入門』を先に読んだ方がいい。というか、このあたりの本は別にわかりやすくはなかった(昔読んだときの感想を発見→)。

www.amazon.co.jp

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他の批評理論の本だと扱う理論によってその時々で違う本を取り上げることが多いのだが、『批評理論入門』では読みやすい課題図書(『フランケンシュタイン』)が設定されていて一貫してそれしか説明に使わないのもありがたい。他の入門書がいちいち違うテクストを取り上げるのは別に意地悪ではなく、たぶん色々なものに触れさせてあげようという老婆心及び「このくらいは読んでおけよ」という警鐘なのだが、そこまでモチベーションが高くないと批評だけを読んで本体の内容を推測する最悪な状態になりがちだ。そこのところ、『フランケンシュタイン』を一冊読んでおけば具体例を全て把握できるというのは相当に大きなサービスである。
更に言えば、テクストに固有の文脈は存在せず関心によって様々な見解が可能であるという立場が現代批評理論の主流なわけで、あえて対象を絞ることによって逆に視座の多様性の方を実践的に教える意味も大きい。 

 

C言語ポインタ完全制覇

saize-lw.hatenablog.com

なかなか面白くて誰が読むのかよくわからない記事を書いてしまった。この本が意外と面白かったために久々に情報科学熱が再燃してしまい、最近はデータサイエンス関連のオライリーを読んだりしている。

 

功利主義入門

昔一度読んだような気もするが、お題箱に功利主義に関する投稿が来ていたので軽く読み直した。記憶にあるより高校生向けの本、高校生に読ませたい一冊。まえがきでは倫理学ではラディカルな問いを立てますよと脅しておきながら、例の幸福を巡る水槽脳問題となると途端に腰が引けてしまう中途半端さが実に高校生向けだ。最近(というほど最近でもないが)技術界隈がバーチャルワールドの実現に向けてマジでXRを頑張っているのを見るにつけ、哲学界隈が多数決の妄想だけで「流石にレッドピルは飲んだ方がいいんじゃないか」みたいなことをナイーブに言ってしまう有様は正視に耐えない。
ちなみに「はじめての倫理学」というサブタイトルは若干盛っている。はじめての倫理学功利主義を題材にするのが良いという程度の意味であって、初学者が倫理学全体を総覧できるという意味ではない。

お題箱の返答にも書いたことだが、功利主義の最大の論点の一つは最大幸福の定義と未来予測をどうやるかにあるという認識を新たにした。第一義的な原則として最大幸福が望ましいことは良いとして、そこから自明に必要になってくる「幸福とは何ぞや、どうやって実現できるのか」というステップに議論が進んだ途端に人間観や幸福観が様々に分かれてきてしまう。
本書で比較的穏当な妥協点として提示されるリバタリアンパターナリズムという立場は『ポストモダンの思想的根拠』で現実に進行している事態として取り上げられていたものとほぼ同じだ。

saize-lw.hatenablog.com

功利主義の二次的規則の提案という立場においてはパターナリズムリベラリズムの妥協点を探るために「政治レベルでは最小不幸を目指してパターナリスティックな制約を付け、個人レベルでは最大幸福を求めて自由に過ごして頂く」という形だが、 ネオリベラリズムでは「リバタリアン的自由を制御するために、それをコミュニタリアニズム的管理が包囲する」という形になる。結局のところ、これは同じ囲い込みの裏表だろう。
ちなみにもともと後者は911以降に安全を求める市民の切実な声から監視カメラが要請されたという文脈だったが、その流れはコロナ禍で更に加速している。

 

フランケンシュタイン

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)
 

『批評理論入門』を読むために読んだ。

今読むと鬼滅の刃の鬼サイドの回想みたいな話だ。少なくともこれをジャンプで連載したときに「怪物がかわいそう」以外の感想が生まれることはあまり想像できず、当時としては生まれが死体である程度のことがどの程度哀れみを削ぐ要因になったのかの肌感覚はとても掴めない。

また、今読めば怪物の人権はAIの人権とパラレルで有りうる。レベルの低いAI作品はAIは内面を持つからAIには人権が必要だという極めて杜撰なロジックを自明としてしまうが、現実にはどんな理由があろうとペッパーくんの人権を配慮するのは少なくとも今はまだ狂人の振る舞いである。
死体のパッチワークから蘇生した怪物も、機械の肉体に走る電子コードで動くAIも、少なくとも他者から見れば根底に生命の神秘を欠いた哲学的ゾンビであるわけだが、このアナロジーは決してフィクションで描かれる空想の問題に留まらず、それを享受する人々の感性としては現実に影響のある形を取りうる。すなわち、『フランケンシュタイン』の原著執筆当時と現代を比べたとき、もし「怪物に人権を与えるべきだ」と考える人の数が過去から現在にかけて漸増しているのであれば、それは「ペッパーくんに人権を与えるべきだ」と考える人が同様に現在から未来へと漸増することを予見していると言って強ち的外れでもないだろう。

 

神速Excel

神速Excel 【ダウンロード教材付き】

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  • 作者:中田 元樹
  • 発売日: 2019/09/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

C言語ポインタ完全制覇』を読んでなんだか今すぐ使える浅いコンピュータ系の本が読みたい気分になって読んだ。俺はエンジニアではないので普段仕事で使うツールはExcelくらいしかなく(というのは若干盛っているが一番よく使うのはOffice標準ソフト)、図書館の棚を見ていたら前にTwitterで話題になっていたのを思い出して目を通してみた。

ショートカットを羅列するだけではなく、全体の流れの中でそれらをどのタイミングでそれを使うかまで細かく指定して反復練習まで準備しているのには好感が持てる(俺は反復練習はしなかったが)。Excelショートカットをまとめたツイートをとりあえずファボだけしておいて実際にはそれを使いもせずに死蔵しているなどというのはいかにもよくありそうな話で、個別知識の蓄積とその使用は別のカテゴリの知識であることが正しく認識されている(もしそうでなかったら、C++のマニュアルが手元に一冊あれば誰でも理論上可能なコード全てを書けることになってしまう)。

あと地味に素晴らしいのが、本を開いたままショートカットを練習できるように紙面が水平に開いて手で押さえなくてもそのまま保持される特殊な綴じ方になっていることだ。本を開いた状態でキータッチをすることが想定されている技術書は全部この綴じ方にしてほしい。