LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/12/6 2020年10月消費コンテンツ

2020年10月消費コンテンツ

最近映像作品を見るより書籍を読むのがメインになっている感じがある。

メディア別リスト

映画(6本)

TENET
AI崩壊
マッドマックス2
ハンニバル・ライジング
マッドマックス3
ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

書籍(8冊)

大衆の反逆
機械学習入門 ボルツマン機械学習から深層学習まで
基礎から学ぶ人工知能の教科書
高校数学でわかるディープラーニングのしくみ
最短コースでわかるディープラーニングの数学
やさしく学ぶ機械学習を理解するための数学のきほん
はじめての構造主義
フランス現代思想

アニメ(60話)

デカダンス(全12話)
Lapis Re:LiGHTs(全12話)
Re:ゼロから始める異世界生活 第2期前半(全13話)
攻殻機動隊(全23話)

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

【アニメ】Re:ゼロから始める異世界生活(第2期前半)

消費して良かったコンテンツ

【アニメ】Lapis Re:LiGHTs
【映画】AI崩壊
【映画】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー
【書籍】大衆の反逆
【書籍】最短コースでわかるディープラーニングの数学
【アニメ】デカダンス

消費して損はなかったコンテンツ

【アニメ】攻殻機動隊
【映画】TENET
【書籍】はじめての構造主義
【書籍】高校数学でわかるディープラーニングのしくみ
【書籍】基礎から学ぶ人工知能の教科書

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

【書籍】やさしく学ぶ機械学習を理解するための数学のきほん
【映画】ハンニバル・ライジング
【書籍】フランス現代思想

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

【書籍】機械学習入門 ボルツマン機械学習から深層学習まで
【映画】マッドマックス2
【映画】マッドマックス3

ピックアップ

Re:ゼロから始める異世界生活(第2期前半)

saize-lw.hatenablog.com

一期の時点では「最近の異世界系流行りアニメ(このすば、SAO、オーバーロードみたいなライン)の中では頭一つ抜けてる」くらいの印象だったが、二期で強固な主題を持つ突出して優れた作品という評価が確固たるものになった。早く見た方がいい。

一期では萌えるキャラがイマイチいなかったが、二期はエキドナとフレデリカが萌えでありがたかった。後半山のように出てくる魔女たちもかなり萌え。
魔女って物語の元凶ポジションのはずなのでちょっとずつ消化していくのかと思いきや突然一気に出てきたし、しかも最終的には何となく協力者サイドみたいな雰囲気を出すのでビックリしてしまった。続きを楽しみにしている。

 

機械学習関連書籍

saize-lw.hatenablog.com

上の記事に詳しく書いたので参照。
初学者に向けてどれか一冊を選ぶとすれば「高校数学でわかるディープラーニングの仕組み」だが、モアベターな書籍が他にもありそうな気はする。

 

Lapis Re:LiGHTs

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面白かった。
俺は常に毎期『ギャラクシーエンジェル』みたいなアニメを求めていて、その枠にきっちり収まった感じ。第三話のドッヂボール回あたりが最高潮で後半に向かうにつれて失速した感じはあるが、こういうアニメが期に一本あると助かる。あと腋がめっちゃ出るのもありがたい。

補足360:『ギャラクシーエンジェル』みたいなアニメ→主要登場人物に女の子しか登場しない、作画が良い、登場人物のキャラが強い、コメディとギャグが厚い、シリアスや道徳にあまり走らない、ライトな百合要素があると完璧。

アイカツ』や『ラブライブ』あたりから学園アイドルアニメというジャンルが尊い努力による偉大な成功を説く教育アニメポジションを占めがちになり、道徳の教科書を愛読していそうなオタクたちに好まれるようになって久しい。それらとの差別化のためかどうかは知らないが、KLab×KADOKAWAという王道企業がバックにいながら相対的に邪道であるギャグコメディ路線が選択されたことには、『ギャラクシーエンジェル』みたいなアニメを未だに求め続けている俺のようなやつに希望を感じさせなくもない。
学園アイドルアニメとして特に面白かったのが第10話前後。「退学を回避するため」というありがちなモチベーションで行ったライブで普通に退学を食らい、学校を追い出された末に「別に退学したけどよくない?」「他の学校でもよくない?」みたいな空気になって目的を忘れてダラダラしてるシーンがめっちゃ良かった。そう、君たちは別に成功に向かって努力しなくてもいい。

www.lapisrelights.com

メディアミックスの一環でゲームにもなるらしいのだが、教師役の男主人公になってキャラたちとギャルゲー風味に交流していく感じらしいので興味が全くなくなってしまった。そういうのは求めていない。ゲームが売れればアニメ二期が作られる可能性があるのでとりあえず表面的には応援するフリをしたいと思うが、インストールすることはないだろう。
ソシャゲがアニメ化する際に男性主人公がオミットされて女の子だけが残り百合っぽい感じになることはよくあるが、ラピライの場合はアニメが先行したせいで逆パターンになってしまったようだ。

www.youtube.com

あとIV KLOREの曲がいい感じ。

 

AI崩壊

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なかなか面白かった。いや、映画としては全然面白くないと思うが、最初の期待が虚無だったので相対的にかなり楽しめた。
俺が「どうせ駄作だろう」という期待でこの映画を見始めたのを責められる人はいないだろう。「その日、AIが命の選別を始めた。」というキャッチコピーの地雷臭がすさまじいからだ。多少なりとも情報科学的なバックグラウンドがある人にとって、このキャッチコピーは水素水と同じくらい疑似科学臭がすると言っても過言ではない。

補足361:こういうAIを神と同一視するオカルト思想の源流が一神教にあることやその背景にあるイデオロギー的な企図を指摘する書籍として『AI原論』が非常に面白い→

しかし、「AIが何の略なのかもしらない層に向けた似非科学オカルト大衆SFなんだろな~」と脱力しながら再生ボタンを押した瞬間、まず開幕で松尾豊が出てきて椅子から転げ落ちてしまった。他のどの俳優よりも先に松尾豊が喋るという神采配である。
松尾豊は深層学習界では日本トップクラスの研究者だ。まさか松尾豊が似非科学オカルトSFに名前を貸すはずが無いし、それどころか、もし仮にオカルトっぽい描写があったとして、向こうのバックに松尾豊が付いている以上は間違っているのはこちら側の知識である可能性の方が高い。開始10秒で完全にパワーバランスが逆転し、似非科学オカルト大衆SF野郎の嫌疑がかかるのはこちら側になってしまった。情報科学を齧った視聴者が舐め切った態度で見始めるのに対して、最速で先制ジャブを放つ強力な構成である。

まあ、松尾豊の監修権限がどれだけあったのかは知らないが、AI関連の描写は実際かなりしっかりしていた。それは必ずしも「全ての描写が現実の技術で実現可能」という意味では無いが(そもそも「統一AIが全インフラを統御している」という基本設定はそれなりにファンタジックだし)、技術的なツボというか、「こういうことをしたらオカルト科学だろ」みたいなギリギリのラインを超えないような気配りが随所に見られる。

例えばその一つは、主人公が天才AI研究者という肩書きの割には悪と戦うために自らAIを作り出したりしないことだ。「悪のAIに指名手配された天才AI研究者の逃走劇」というあらすじからして「どうせ逃げた先で正義の最強AIを開発して悪のAIに対抗するんだろ?」とか思っていたが、全然そんなことはなかった。
「データ収集環境が整っていなければどんな天才でもAIを作れない」というのは科学的に見てかなり正しい。現代的な統計ベースAIの作成には、コードだけではなく数百万規模の大量のビッグデータを必要とする。漫画とかでよくあるみたいに天才プログラマがブラインドタッチでチャチャッとコードを書いて作れるものではなく、地道なデータ収集が必ず必要になる。

また、「命の選別をするAI」は決して自ら意志を持って暴走したわけではなく、暴走させるようにコードを改変した黒幕がいたこともきちんと描かれている。単純娯楽SFならともかく、仮にも社会派映画を気取るなら「人間の黒幕の存在」は外せないポイントである。
科学的に言って、数多のSFで無限に描かれてきたファンタジーとは異なり、AIが自発的に暴走することは有り得ない。AIは内発的な動機を持たないし持てない、外部から目的性を設定されなければ始動しないことがAIと生命の最大の溝だ。これはまさに補足361で勧めた『AI原論』でよく議論されている。AIが内発的な動機を持たない以上、「責任を取ることは人間にしかできない」というようなことを主人公が決め台詞で述べるのも正しい。

上記二点のような科学考証を貫徹した犠牲に、正直なところAI的な見どころには欠ける映画になっている。つまり一応情報技術的な戦いが行われているものの、「これ冷静に考えたらAI技術あんま関係なくない?」と感じざるを得ない。映画内でAIが引き起こす破滅的な事態に対し、AI管理社会の到来そのものは必要条件程度のものでしかないのだ。
例えば、主人公が用いたのはハッキングスキルであって人工知能スキルではないし、AIが人間社会に対する脅威となった原因もAI自身が持つ原理的な欠陥とはあまり関係がない。問題があるとすれば、AIに生命管理を含めたアクチュエータを完全に譲り渡している物理構成や、認証もなく簡単に内部コードを書き換えてしまう杜撰なセキュリティ設計だろう。

だが、それはそれでいい。この作品のタイトルは「AI」なのだから、AI周りのツボを押さえていた誠実さだけで十分だ。

補足362:実際のところ、俺は科学的な考証がしっかりしているかどうかは実は割とどうでもいいと思っている方だし、そのこと自体は作品の評価を直接に決定するわけでもない。だが、ことAIに限っては技術的なツボを押さえていることは好感度を上げやすい。それは定量的な意味での陳腐化を回避することに繋がるからだ。AI研究が進んでいなかった時代からAIが適当に暴走する作品は既に星の数ほどあるわけで、その屍の山に新たな屍を乗せることに何か意味があるとは思われない。それに比べれば、AIの活躍が現実的になってきた時流に乗っかったエンタメ邦画として大々的に宣伝されておきながら、かつ、AIをそれなりにまともに描くことも両立させるというポジション取りには同時代的な価値を見出せる。

 

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

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まあ面白かった。
幸いネタバレを踏まずに見ることができたが、公開当時の荒れ方からして「まあだいたいこんなような内容だろ」と思っていた内容そのままだった。

今更書くのはかなり恥ずかしいのだが、皆が薄々思っていることは誰かが言わないと始まらない。すなわち「旧劇以来の『現実に帰れ』に対する『現実に帰らないバージョン』」であると。その試み自体安直というか、拍手して褒め称えるほどのものではない。最初から逆張りしそうなコンテンツならともかく、よりにもよってドラクエでやってしまったという規模感によってのみ無駄に燃えている。

ただ、俺はそれでもやはりこういうやつが好きだ。ルフィが敵をブッ飛ばすシーンにワクワクするのと同じくらい浅薄な意味で、今まで現実だと思っていた世界が作りものだったと判明するシーンにはワクワクしてしまう。
「現実に帰らない」を日和らずに貫徹しているのも良かった。ここまでの話がアトラクションであることが判明してもなお、まるでそんなことが無かったかのようにドラクエ内の文脈で感動的な振りをして寒々しいエンディングをやってみせるのがそれだ。もはや自慰行為でしかないことが明らかとなった登場人物たちとの絆をそれでもきちんと描く余白を設けるのは気合が入っている。

 

デカダンス

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みそ氏がやたら推してきたので見たやつ。とりあえず一話を見たら女性主人公で「これはみそ&LW公認アニメきたか」と結構ワクワクしながら見たが、終わってみれば当初の期待ほどは面白くなかった。

俺だけではなく皆そうだと思うが、最初に「おおっ!」と思うのは、マトリックス的な種明かしを第2話冒頭という理論上最速のスピードで実行したことだ。伏線を張りまくった末に第10話で明かすようだと陳腐なアニメだが、最速で世界の真実を明かしてしまった以上、その上に更に何を積み立てていくのかを楽しみにしていた。
が、よくあるディストピアものに差を付けるスタートダッシュは負の加速度によって二次関数的に減速し、最終的には結局よくあるディストピアものに落ち着いてしまった。騙されたままのタンカーの人生を見て決意を固めるカブラギも、システムを知って絶望した末にそれでも自分の経験だけは本物だとして立ち直っていくナツキもベタベタから一歩も出ていない(実存!)。

ただ、最終的にシステムの外に出るのではなく、多少改変されたシステムを運営する状態に落ち着いたことには好感が持てる。安定状態はシステムの外にはない。システムは進化して温存されるし、進んでそうされなければならない。
それに自覚的であったことを示すのは、オメガをあっさり討伐してしまったことだ。つまり、仮に「一般にシステムは破壊されなければならない」という単純な二元論を取るのであれば、オメガもまた保護すべき対象のはずだ。
何故なら、ガドルもタンカーと同じシステムの被害者だからである。サイボーグの都合によって生み出されたり殺されたりするガドルの事情は、一応の人生を謳歌できるタンカーよりも酷い。サイボーグにとってのバグがカブラギで、タンカーにとってのバグがナツキであったように、ガドルにとってのバグはオメガだ。ガドルにとっては生殺与奪を握られている屈辱的な状況を打開する起死回生の一手がオメガだった。
しかしカブラギやナツキはあれほどバグの素晴らしさを語ってきたというのに、同じ立場のはずのオメガを「自分たちにとって都合が悪いから」というだけの理由で華々しく討伐してしまう。彼らは徹底的に利己的であり、バグの称揚はあくまでも有益な範囲でしか発動しない。ガドルは一貫して倒すべき敵としてしか描かれず、サイボーグとタンカーが結束するための餌として利用され、最終的にも飼いならされている状態は変わっていない。

こうしたオメガの扱いはダブスタとして低評価に数えてもいいし、建設的な提案として高評価に数えてもいいが、俺は後者を選びたい。彼らが主体的に生きるということは結局のところ何らかの利己的なシステムを作り出してしまうことのはずで、そこを誤魔化しても仕方ないからだ。

補足363:システムというワードから『サイコパス』との類似を指摘するような感想も多く見たが、『サイコパス』が優れていたのは「実存志向↔本質志向」の他に「現実主義↔理想主義」という軸を設けた上で最終的にシビュラシステムを無傷で存続させたことだ→。『デカダンス』もシステムを全否定しないという意味では路線は似ているが、この土俵で比べてしまうなら、より繊細な議論を展開した『サイコパス』に軍配が上がることは否めない。

  

攻殻機動隊

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劇場版は『G.I.S.』と『イノセンス』を見ており、アニメ放送版をようやく見た。
劇場版の印象からもっと衒学的な感じかと思っていたが、意外と手堅い内容だった。前半は毎回異なる主題の電脳や義体を巡る事件を扱って世界観を提示していき、後半はバトーや局長が活躍するキャラ回も増えつつ、全体的に笑い男事件が通底するという丸い構成。娯楽アニメとしてかなり楽しめた。

全体を通して扱われる笑い男事件は、最終的に「オリジナルを欠いた偶像」というパトレイバー劇場版あたりと同じ押井守的主題に落ち着いていく。実家のような安心感はあるが、これもう他でやってるのにわざわざテレビシリーズでやる意味あったかというモヤモヤ感もある。
一番気に食わないのは、タチコマの自我発生をギャグではなくシリアスな最終回答として提出してしまったことだ。タチコマが完全機械サイドからの協力者として重要なキャラクターであることはわかるし、タチコマ回で自我は発生することは全然構わない。ただ、それはコメディでしかないのだ。自然発生する人格として笑い男と並列に扱ってしまったら、それはもう『AI崩壊』の懸念として書いたような浅薄なオカルトSFではないか?

補足364:こういう文脈で具体的な作品名を挙げるのは気が引けるが、例えば『イヴの時間』。

確かに、『G.I.S』での人形遣いは無機的なネットワークから自動発生したという意味ではタチコマと同質の存在ではある。しかし『G.I.S.』の主題は人形遣いの発生それ自体だけではない。人形遣いの発生と同時に進行する草薙素子の電脳化とセットで初めて主題なのだ。電脳世界の無機物から現実世界の有機物へ向かう人形遣いと鏡合わせに全く逆向きの軌跡を辿る草薙素子がいて、その存在を前提とした上での変遷を描いたからこそ中間地点の合流が描かれていたわけだ。
つまり、テレビ放送版では「どのようにタチコマのようなものが生まれるか」という生成論に関心があった一方、『G.I.S.』では「人形遣いのようなものはどのようなものか」という存在論に関心がある→。これは俺の関心に相対的な意味であることは前置きしておかなければならないとはいえ、存在の様態に関して広汎な議題を提示できる存在論に対し、せいぜい局所的な妄想を提示するにとどまる生成論を主題とするのは得策ではない。

 

TENET

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タイムラインのオタクどもが皆揃って見ている作品がラブライブやきららアニメではなく『TENET』になってしまったあたりに男オタクの加齢を感じる。
普通に面白かったのだが(正直に言うとよくわからんかったところは考察サイトを見て「へーそうなんだ」と思った)、素朴な単純娯楽映画以外の感想があまりない。これに限らずクリストファー・ノーランの作品はだいたい全部そんな感じで、『メメント』『プレステージ』『インセプション』あたりも軒並みそのような感想しか持てない。これは決してディスっているわけではないのだが、そんなに高尚な作品ではないというか、俺の中ではヤングジャンプ青年漫画とかにかなり近いところにカテゴライズされている。