LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

25/7/20 2025年4~6月消費・生産コンテンツ

どうしてもコンテンツ消費とトレードオフになってしまう趣味の創作との付き合い方を考えている。

メディア別リスト

漫画(26冊)

ウソツキ!ゴクオーくん(全25巻)
秘密法人デスメイカー(1巻)

書籍(6冊)

テスカトリポカ
贈与論
反実仮想機械学習
深層学習 生成AIの基礎
2025 情報処理安全確保支援士「専門知識+午後問題」の重点対策 重点対策書シリーズ
うかる! 情報処理安全確保支援士 午後問題集[第2版]

映画(1本)

マインクラフト/ザ・ムービー

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

秘密法人デスメイカー

消費して良かったコンテンツ

ウソツキ!ゴクオーくん
テスカトリポカ

消費して損はなかったコンテンツ

うかる! 情報処理安全確保支援士 午後問題集[第2版]
深層学習 生成AIの基礎
贈与論
反実仮想機械学習

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

2025 情報処理安全確保支援士「専門知識+午後問題」の重点対策 重点対策書シリーズ
マインクラフト/ザ・ムービー

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

(特になし)

ピックアップ

ウソツキ!ゴクオーくん

面白かったので感想記事を書いた。名作。
saize-lw.hatenablog.com

深層学習 生成AIの基礎

面白かったので感想記事を書いた。あとは生成AIの原理については内部挙動に関する研究が一定まとまってから思い出す予定。
saize-lw.hatenablog.com

セキスペ関連書籍

無事取得したので勝ち語り記事を書いた。昨日合格証書が届いたので会社にインセンティブ申請を忘れないように(メモ)。
saize-lw.hatenablog.com

秘密法人デスメイカー

神の漫画。俺史の2020年代を代表する作品の一つとして人生に残るコンテンツ。
人生に残りすぎてもはや面白さがどうという感じですらなくなってきた。ハマったので考察記事も書いた。
saize-lw.hatenablog.comTwitterでは単なる露悪コンテンツと見る向きも強いことに対しては物申しておきたい。
確かにそれは持ち味の一つではあるが、面白い露悪と面白くない露悪の境界は明確にある(俺も普段から露悪コンテンツが好きなわけではない)。元々性格が悪いだけのキャラが誰かを貶めるために悪意的なことを言うだけの振る舞いは特に面白くないのだが、何らかの信条や背景によって自然と出てくる思考が様々な倫理に反しているという状況はかなり面白い。
そこのところ、デスメイカーが優れているのはキャラクターごとにやる行動とやらない行動にはっきりとラインを引いていることだ。デュアルホーンが子供たちには一刻も早く死んでほしい割には他のキャラには親切だったり、ケルベガスも性欲によって暴走しがちな割にはアセクシュアルに遭遇して本当にまずいと思ったシーンではブレーキがかかったりする。この辺りは全く安直に描かれておらず、明確にコントロールされているが故に後から出てきた情報で初めて整合が取れるようになることも多い。
珍しく考察記事を書いたのも露悪売りの漫画という浅い認識に一石を投じたかった意図がある。別に俺の考察が設定として正解かどうかはどうでもいいのだが、そういう読みも受けられるようにしっかり考えて作られているコンテンツだと示したかった。

テスカトリポカ

元々ブロッコリーマンの読書会で芥川賞を毎回読んでいたのだが、「芥川賞はもう大体わかったから直木賞でも読まない?」という流れになってとりあえず過去の直木賞受賞作で評判の良いこれを読んだ(経緯詳細→)。
実際かなり面白かった。芥川賞の面白い作品は面白くない中ではギリ面白い寄りくらいの感じだが、これはちゃんと面白い中で面白い。

「芥川賞は純文学寄りで直木賞はエンタメ寄り」という前評判通り、しっかりエンタメ小説としての質が高い。芥川賞の作品は主人公が内面的に納得すれば話が終わってしまうのと異なり、きちんと事件ドリブンで最後まで話が進んでいく。
良い意味で現実離れした外連味のある描写や設定が多く、全体的に世界観がヤングジャンプすぎる(キャラの質感はバトゥーキやDINERに近い)。片手で人を殺せる少年、液体窒素で凍らせて殺すマフィア、闇堕ちした心臓外科医の元エリートなど設定が濃いキャラたちに事欠かず、「ラバラバ」や「ラ・チャターラ」のようなコードネームのかっこよさもしっかり押さえているのが嬉しいところ。

タイトルから色濃く提示されている「アステカ神話の復活」というモチーフが濃厚に描かれる割には、宗教的・思弁的になりすぎずにきちんとエンタメ文脈に回収されていくのも良かった。オカルティックな宗教に染まったバルミロと現代医学を極めた末永という正反対のバックグラウンドを持つ男がタッグを組んだが、最終的にはその思想の対立故に瓦解していく中で狂信者を相対化する視点が明確にある。
かといって全ての神話的モチーフが減衰していくわけでもなく、主人公格のコシモが辿る成長ラインは鮮やかだ。当初はコシモはその強烈な暴力性能と無垢な精神性故にバルミロによって裏社会で利用される被害者という文脈があり、特に作中では珍しく善良なポジションのパブロによってそれが担保されていた。しかし抗争を経てコシモはバルミロの制御を超えていき、宗教的な感性の下でバルミロを退場させるに至る。コシモが超越的な存在として開花していく過程には明らかにアステカ神話のエッセンスが活きており、その意味で最もモチーフの恩恵を享受したのはバルミロよりもコシモだろう。

この辺りは最終的にはやはりバランスなのだと思う。
多分もっとエンタメに寄せるならもっとバトルパートが多くなるはずだ。作中で暗殺者グループが育てられる割にはあまり敵が強くなく精々アームレスリングと雑魚狩りをこなす程度だったが、本当にこれがヤングジャンプの漫画だったら敵対勢力にもそれなりに強いやつがいて別の神話とかを持っていると思う。
ただそれはそれでアステカ神話のオカルティックなパワーというラインがブレてきて安っぽくなってしまうだろうし、メディアにも依存したバランスとテーマの扱いがある。

贈与論

だいぶ昔から時間があったら読もうと思っていたが、「空港には早めに着くように」という航空会社からのメールを真に受けて函館空港に五時間前に着いたら五時間暇になったので空港で読んだ。有名な古典だしよく引用されているので事前に何となく知っていた内容ではある。
ただ、作者のモースがあの『自殺論』を著したデュルケムの甥であることは初めて知った。ということは社会学がまだ黎明期に近い時期の著作であり、そのせいかフィールドワークの成果報告みたいな趣もある。つまり理論的にまとまっているというよりは一次情報の具体例ベースで説明が進み、部外者として率直に言えば非常に読みにくいが、そのおかげで後世の本で翻案の需要が生じているとも言えるかもしれない。

とはいえ、豊富な事例から繰り出される洞察の数々は現代でも腑に落ちるものだ。プラトンの本などを読むと流石に今とは全く感性が違う時代の話だと感じるが、モースはたかだか100年前だし今と同じ感性が分析されている。古典というよりは現代の本として楽しめる(正確に言えば、別に当時の「現代社会」を分析した本ではなく「アルカイックな社会」を分析した本なので、当時の状況については特に論じていないのだが)。
例えば、贈与という行為はその表面的なお気楽さに反して贈る義務・受け取る義務・返礼する義務をセットで備えた非常に義務的な営みであるというのは誰でも身に覚えがあるところだろう。贈与とは面子の問題でもあって、受け取りを拒否しようものなら即座に大きな溝を生むし、たとえ無償の贈与であろうが、いやむしろ無償の贈与だからこそ、明らかに返礼の義務が生じる。額面の均衡を以て貸し借りを清算したと考える場の方が例外的なのであり、日常生活は明らかに義務的な贈与によって回っている。
他にも、権力を誇示する手段としての気前の良さはむしろ現代にこそ活きてくる背景がある。国家間か個人間かを問わず原則としては暴力の使用が禁止されている現代社会において、自らの力を誇示する最良の手段は逆に相手を利することだ。それは戦争のように友敵を分かつネガティブな方向性ではなく、身内にも通用する形での権力の示し方でもある。

あまり近代文明化されていない部族の分析によって得られた洞察でありながら、2025年現在にまで係る射程がある贈与という論点の強さをはっきり感じる。自己啓発用途ではそれほど人気がないのがやや意外ですらあるかもしれない。

反実仮想機械学習

会社の勉強会で半年くらい読んでたやつ。クソかっこいいSFチックなタイトルに加え、表紙も技術書らしからぬスタイリッシュなもの。
ざっくり言えば、反実仮想機械学習とは起きていないことを起きたことだけから機械学習によって推定しようとする話だ。ここまではまだかっこいい雰囲気があるが、要するにクーポンの送り方みたいなCRM施策とかレコメンド表示みたいなウェブサイト設計の話という具体的なアプリケーション先まで把握してしまうと一気に所帯じみた手触りになってくる。

安直に考えれば、ただ単に起きたことのデータを使って機械学習したモデルで起きていないことを内挿的に推定すれば問題ない気がするが、介入が絡むケースで問題になるのは、起きたことのデータは大抵は偏った介入選択によってバイアスが乗っていることだ。
機械学習は学習データと推論データの分布が一致しているとき、最も典型的にはランダムサンプリングにおいてアンバイアスドで精度が高い推定が可能になる。逆に言えば、特徴量に介入有無が従属した学習データではなかなかそうもいかない。言い換えると、介入有無まで含めた特徴量のカバレッジが低いということでもあり、これを修正するためには辛うじて手元にあるものを総動員してウェイトをかけて補正しなければならない。
とはいっても別に万能の方法があるわけではなく、状況を都度都度モデリングして適切な期待値計算によって不偏かつ分散小になるように推定量の表式を求めるだけだ。ランキング、行動特徴量、強化学習などのバリエーションが色々と登場するが骨子は変わらない。

ただこれは因果推論全般に言えることだが、反実仮想に特有の原理的なテストの不可能性は常に存在し続ける。
というのも、各サンプルについて介入有無に応じたレスポンスが常に半面は反実仮想として欠落するので、どんなモデルが完成したところで欠落している状況と照らし合わせたチェックはどうやってもできない。故に通常の機械学習におけるtrain/testに相当するものが存在せず、推定量の正しさも「仮定が正しければ」という括弧付きにならざるを得ない。仮定した状況をgivenとした仮想データ実験は可能であるとして、その仮定の正しさまでは誰もわからない。
よって現実的にはオンラインテストとの合わせ技にならざるを得ず、実務的にはこの本で学んだ推定量に加えてA/Bテスト検証のような技法を併用することになるだろう。

マインクラフト/ザ・ムービー

旅行中に青森で見てぼちぼち面白かった(旅行記→)。
展開のテンポが常に早く、冒頭からダイジェストくらいのスピード感で進むのでだいぶビビる。ドーパミン中毒のZ世代向けというか、ショート動画世代の子供向けなのだろうが、ポンポン進んだ方が飽きにくくて嬉しい。

「マイクラ世界を冒険して悪者を倒す」という誰もが期待している筋をなぞるだけのストーリーに語るべきところはあまりないが、アーケードゲームの元チャンピオンという強いゲーマー属性のキャラが登場する割にはそのスキルが大して活かされないのは意外だった(少なくとも『ピクセル』はそういう話だったので)。
マイクラ世代から見たらピコピコでチャンピオンだったおっさんなんて眼中にないだろうし、対象層を踏まえた描き方としてはむしろ正しいのかもしれない。表面的な報奨に執着する情けない寄りの人物として描かれていることには哀愁を感じないこともないが、「年季の入ったゲームチャンピオンが昔取った杵柄で子供たちを導く」という展開で喜ぶのは大人たちだけだ(最後だけ少し活躍していたが、ゲームチャンピオン要素とは特に関係がない)。

さて、映画メディアにおけるゲームというモチーフの表現に関しては少し思うところがある。
一般的に言って、ゲームそのものをモチーフにした表現はレトロゲームのそれに寄る傾向が一定ある。他のコンテンツでも、ゲームそのものを表すようなパロディ的表現においてはドット絵が起用されるのを誰でも一度は見たことがあるはずだ。

ゲーマーキャラ銀狼の必殺技演出に現れるドット絵風の表現(スタレ)

どう甘く見積もってもゲームは15年以上前から既にドットの制約を逃れており、いまや最先端のプロセッサによって写実と区別が付かないほどリアルな画面を描けることは周知の事実。それなのに、ゲームの表象はファミコンみたいな段階で停止しているというギャップがある。
その理由は単純で、単に現代的なゲームに倣う形でゲームを表現してしまうと非ゲームと区別が付かなくなるからというだけだろう。表現がリアルではなくゲームであることを明示するには、まだゲームがリアルと乖離していた頃の古い表現を引っ張り出してくる必要がある。

以上の事情を踏まえると、マイクラは映画原作として特異的に良い立ち位置にいる。
マイクラは元よりレトロゲームのドットを3D化したようなピクセル的な立方体をベースにしており、その形式によってタイトルのオリジナリティと共にゲームであることを強く明示できる。よって現代のゲームでありながらゲーム内容を忠実に再現するだけでそれがゲームを描いていることを問題なく提示でき、あえて別のゲーム的表現を持ち出す必要がない。
貴重なパーティー枠にレトロゲーマーのおっさんが登場したり、時代の整合性を無視してアーケードゲームへの憧憬が組み込まれていたりすることにもその辺りが関係あるのかもしれない。

あと狩野英孝のピグリンが超ハマり役で良かった。
news.yahoo.co.jpYahooニュースにも「役づくり一切なしで敵キャラ担当」とあるように、明らかに何も作っていない軽い声で演技をしている。しかしそれが奇跡的にキャラクターと噛み合って他で全く見ない良い味を生んでいた。
本来は主人公たちを襲撃する最も恐ろしいポジションの敵にあえて軽い口調の「マイペースでポンコツ」なキャラを配置することで、シリアス要素が重くならないようにコメディタッチを狙う意図なのだろう。しかしそれにしたって常軌を逸して軽すぎる狩野英孝の声によって、極めて軽薄な性格で自由気ままに振る舞う「そういう実力者キャラ」として完全に成立してしまっている。ゲスト声優が演技しない(という体)ことは大きな賭けだが、今回は完全に勝ちのパターンのようだ。

ちなみにマイクラゲーム内のガジェットは全て観客が知っている前提で説明なく登場するので、マイクラをプレイしたことがない人が見るのは厳しい。とはいえ、令和のキッズはだいたい皆マイクラを通っているのでそれでもなお圧倒的なパイを持っているあたりは凄まじいコンテンツ力だ。

生産コンテンツ

去年から書いていたラノベが一旦エピローグを残して二十万字書き終わったので、もう一ヶ月くらい追加して全体を周回推敲する作業をやる。

今後のために作業時間と作業分量を逐一記録していたが、働きながら一ヶ月で生産できるのはざっくり三~四万字くらいっぽいことがわかってきた。
ラノベ一つが約二十万字弱なので、案固めや推敲を加味した実質的な最短は半年くらいになるだろう。ただしそれは他の活動をそこそこ犠牲にして得られる速度なので、他の趣味とのバランスを加味するとやはりざっくり一年くらいで見た方が良さそうだ。

創作を持続可能な趣味にするにあたって、今のやり方だとちょっと重すぎる感じがしている。やると決めた以上は一年で一本というペースを守ることは容易なのだが、他の流動的な活動時間を食いすぎているのが望ましくない。この記事の消費コンテンツも創作にかける時間がなければもっと伸びる余地があった。

改善の方向性が三つある。

一つ、無駄な時間を削る。
これは創作に限ったことでもないが、やるべき作業に着手せずにマゴマゴしている時間がどうしてもあって、特に平日夜などは有益な活動を何もせずに終わってしまうことがある。この前ハースストーンとかいう完全なる時間の無駄をアンインストールしたし、何らかのマインドセットなどで強化することでもう少し切り詰めることができるはずだ。

二つ、作業を効率化する。
進まない作業をしている時間が一番無駄なので、作業を進めるための色々な手札を列挙しておいてフローチャート的に選択することでもっと時間を削減できるはずだ。とにかく書き出してみるとか、紙で整理するとか、一旦諦めるとか、とりあえず読み直してみるとか、作業を進めるための手札がいくつかある。

三つ、諦めを早くする。
これが一番難しい。効率が悪いタイミングでちょっとだけやってしまうのを我慢して、絶対にやらないという強い意志が必要だ。次回は月の前半はやってもいいけど後半は絶対にやってはいけないみたいな縛りを付与していきたいと思う。

この辺りは人生の現在地の記事でもう少し書くかもしれない。明らかに人生の現在地に係る事柄なので。