LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/12/12 お題箱回:創作近況、サイドデッキ理論、反出生百合etc

お題箱74

気付けばお題箱がかなり溜まってますがマイペースに処理していきます。

 

201.短編読みました。ややこしいテーマなのに読みやすくて面白かったです。
今後もラノベは書き続けるのでしょうか?

ありがとうございます。
ややこしいテーマなのに読みやすくて面白い『Vだけど、Vじゃない!』を宜しくお願いいたします。

kakuyomu.jp

とりあえず次の長編は書いてますし、創作も趣味の一つとして続くような気はします。
モチベーションが一番湧いてくるときってあんま面白くないアニメとか見てて「こんなんより俺のが絶対面白いの作れるわ~」って言ってるときと、自分で書いた文章読み返して「やっぱ俺の書いたやつが世界一面白いわ~」って言ってるときで、それがある限りは続きます。
とはいえ別に絶対一発当てるみたいな強い志があるわけでもないです。もういいやと思って辞めるのがいつかはわかりません。ほとんどの趣味はそうだと思いますが。

ついでに今書いてるやつの話もうちょっとしていいですか!? 周りに創作趣味の人がいなくて一人で孤独に書いてて普段誰にも話す機会がないので……
主人公がフィジカルエリートのプロゲーマー女子高生ということは前に書いたのですが→、メインヒロインは主人公とタッグチームを組んでいるロリ可愛い同級生の女の子です。
カッコイイ系の主人公とは対照的に女の子らしい外見と嗜好を持っており、特に花が大好きです。自分の眼球にアサガオの根を寄生させて眼窩での栽培を試みた結果、失明して片目の視力を完全に失い、今は義眼で同じ趣味を楽しんでいます。
共感能力が低めで他人を蹂躙することに抵抗が無いところは主人公と気が合うのですが、主人公からの熱烈なラブコールに対しては非常に冷淡です。毎日のように受けている告白にはイエスともノーとも返すことがないまま、主人公に抱えられて移動したりお姫様扱いを受ける毎日です。

 

202.フィクション世界内で提唱される理論ってどれも作者によって恣意的につくられた世界内での運用を前提にしているものじゃないですか?だからそれが正しいかどうかは別としても究極的には全て(それこそ道徳の教科書や聖書のようなものも含めて)信頼に値しないと思うんですけどLWさん的にはどう思いますか?

あまり質問の意図が掴めていない気もしますが、基本的には僕もそうだと思います。

ただ、「理論」というワードが指しているものの幅にもよります。
大雑把に言って、物理学を筆頭とした実証主義的な自然科学をフィクション世界で実験する意義が皆無である一方、哲学のような思弁的な営みは十分に有効であり得ます(実際、哲学の議論でよくやる極端な思考実験をフィクションと明確に区別するのは難しいと思います)。「道徳の教科書や聖書」を例に挙げているあたり、道徳や倫理に関する理論を想定しているのだとしたら、信頼に値する結論が出てもおかしくはありません。

 

203.普段BL漫画は読まれますか?(同人誌ではなく、一般書店で発売されているものです)

特に読まないですね……丁寧に注釈を付けて頂いていますが、同人誌も特に読まないです。
とはいえ男同士っぽいTwitter漫画はたまにRTしていますし、平均的な男性に比べてBLっぽい描写は嫌いではない方だと思います(それは僕が男子校育ちであることと無関係ではないでしょう)。
ただ、これは偏見かもしれませんが、女性作家が描く典型的なBLみたいなもの、顎の尖ったイケメンが顔を赤らめて「やめろよ、そんなところ……」みたいな女性的な悶え方をするやつ、明らかに異性愛の想像力で描かれているBLはそんなに好きではないです。もう少し匂わせるくらいでいいです。

ちなみにこれはかなりの確信を伴ってツイートしています。ヘテロはエロ以外需要無いです。

 

204.KSUに激しく興味があるんですけど、ガチ部外者は入れない集団だったりします?

形式的な入部手続きを備えたサークルとかではないので、ガチ部外者は入れないのかと聞かれればそうなのかもしれません。
サイゼミは定期会合という実体を持っていますが、KSUは「いつメン」くらいの意味で適当に使ってるだけです。「いつメンで旅行くか」って言う代わりに「KSU旅やるか」とか言ってる感じです。てかカスみたいな集団なので興味持つ意味無いですよ。

 

205.lwさんが原根健太さんについて好きなところを語ってください

jspeed.hatenadiary.jp

伝説のブログ「くされにっき」やTwitterを通じてカードゲーム界に大きな影響を及ぼしてきたハラケンですが、その中でも最大のものはサイドチェンジ概念のレベルを底上げしたことだと思います。

彼が広めた「サイド後のデッキも完成形でなければならない」という思想ってカードゲーム全般の理論が洗練された今でこそ常識になってますけど、十年も前はかなり革命的でした。
かつての古い思想としてはやっぱり「サイドデッキ=メタカード置き場」という固定観念がかなり強固で、いざサイドデッキを組むとなると「環境的に強いメタカードを選ぶ」「用途別にメタカードを揃える」「苦手な相手には有効なメタカードを厚く取る」みたいな水準で構築する人がほとんどだったと思います。メタカード以外を入れるとすればあとはもう一発芸の完全スイッチくらいで、【チェーンバーン】を【甲虫装機】に、【カウントダウン】を【自爆スイッチ】にシフトするための15枚を詰め込むくらいが精々でしょう。

しかしJSPEEDが明確にしたのは「サイド後のゲームもまず最初にあるのはメタカードではなくゲームプランである」ということです。
例えば相手の仕掛けが数ターンがかりなら罠を置くタイミングを変えるなり、相手が裏守備への対抗手段を持っていなければ裏から入るプランを備えるなり、相手が一対一交換しか出来ないデッキならアドバンテージで突き放すなりというような無数のプランが有り得ます。メタカードを入れるにしても、サイド後のゲームプランの中で「メタカードで対処することで勝てる」という判断があればメタカードに頼ってもよいということに過ぎません。
気付いている人も20年は前から気付いていた(そして勝っていた)ことだと思いますが、少なくとも遊戯王においてこれをはっきり言語化してゲームのレベルを一段上に押し上げたのはやはりJSPEEDの功績でしょう。

ちなみに、そのようなプランレベルでの考え方から導かれる「サイドチェンジはデッキのパワーを下げる」という結論も驚くべきものです。デッキが目指すべきプランはメインが一番強い形に最適化されているはずで、サイドチェンジはその完成形をわざわざ崩す行為だからです。ここから「サイドチェンジはしないに越したことはない」という地点にまで達したのが沖縄のすねーくはーとさんで、サイドデッキ無しの縛りプレイで優勝したりしていました。

 

206.銀髪の基礎打点高すぎない?

高すぎます。銀髪だけで100点満点中70点くらい入ります。

f:id:saize_lw:20201211214204j:plain

 

207.何の知識もない文系にも分かるようなニューラルネット記事待ってます

saize-lw.hatenablog.com

上の記事から適当な本を読んでください。この中で一番のお勧めは『高校数学でわかるディープラーニングの仕組み』ですが、いまどきディープラーニングの本は無限にあるので大きめの本屋に行って読み通せそうな本を探すことをお勧めします。

ちなみに大抵の記事は「書いてください」と言われればしょうがねえなあと書いている気がしますが、ディープラーニングの解説は何件来ても絶対に書かないという固い意志があります(理系分野は得意なだけで好きではないので)。

 

208.LWさんって割と効率重視っぽいのに、好きでもないソシャゲとかに時間投下してるの謎

効率重視の人間というのはその通りですが、ソシャゲには言うほど時間投下してないです。
余暇にわざわざ遊ぶソシャゲはハースストーンとアズールレーンくらいで、ハースストーンは基本アニメ見ながらとか家事しながらとかマルチタスクでしかやりませんし、アズールレーンもイベントは周回せずにガチャで欲しいキャラだけ取って済ませることの方が多いです。

ちなみにソシャゲのことは結構評価していて、何が起きているかを追っておきたい程度には関心があります。
FGO以降オタク界にもソシャゲが浸透して2010年頃の「俺たちオタクはソシャゲなんてやらねえ」みたいな空気はもう消え去りましたが、当時よくあった批判として「ソシャゲはゲームとしては下の下の下、プレイヤースキルが問われずに時間か金だけで勝てるクソゲー」という指摘は未だに事実だと思います。
しかし、その批判はいまや問いに転化されるべきです。すなわち、「何故ゲームとしては下の下の下なのにオタクが皆ソシャゲをやるようになったのか」という疑問に対する答えは一つしか無くて、ソシャゲは(当時の批判が想定していた据え置き機のような)ゲームとは別の評価軸を持つ別の遊びだからです。
ソシャゲはアニメとかゲームとかに並ぶ新しいカテゴリの娯楽であって、いわゆるゲームの下位種として無視できる段階はもう終わっています。そう思うと、動向を知るのに払う時間はある程度は無駄ではありません。

 

209.物語消費論を読んでから初めて多重人格探偵サイコの原作が大塚英志って気づいたのでサイコの感想を伺いたいです

僕は逆に『サイコ』から入って『ロリータ℃の素敵な冒険』とかを読んだあと、大塚英志が評論もやっているのを知りました。だから最初に読んだ評論もたしか『キャラクター小説の作り方』とかで、『物語消費論』でも『サブカルチャー文学論』でもありませんでした。最初が『サイコ』だったせいで僕にとっては大塚英志は批評家の中でもかなり特別な位置を占めています。すいません、いま自分語りをしました。

『サイコ』って西園伸二が生きてる頃は快楽猟奇殺人サスペンスをちゃんとやってたと思います。当時中学生だった僕は当然そういう『サイコ』が好きで、上野達のフラワー殺人でかなりブチ上がってました。『サイチョコ』までわざわざ読んでて、「ひらりん」って『物語の体操』では事務所のイラストレーター(だっけ?)みたいな紹介されてたと思いますけど、それも僕にとっては「『サイチョコ』の作者」の方が先に来ます。
ただ、主人公が弖虎に変わったあたりから真相を巡るサスペンスとしてはシンプルに破綻したと思います。全ての元凶としてルーシー・モノストーンと学窓(ガクソ)を措定しておきながら、明らかにその真相を語るつもりは一切ないでしょう。むしろ真相自体を投げ捨てることで物語が矮小なプロットに収まることを慎重に避け、それらしいモチーフをパッチワークしたようなイメージの集合体、高度に象徴的な漫画を目指していたような気がします。今丁寧に読めばバーコードやスペアが何を象徴していたのかには一定の回答が出せる気もしますが、ボードリヤール等を援用するのがむしろ想定されている感想なんでしょうね。

なんか『サイコ』って中高時代に好きだったコンテンツなのであまり距離を取って冷静に語ることが出来ませんね。気が向いたらまた何か書くかもしれません(多分書きませんが)。

 

210.echo showもレビューして❤️

Echo Show 5 (エコーショー5) スマートディスプレイ with Alexa、チャコール

Echo Show 5 (エコーショー5) スマートディスプレイ with Alexa、チャコール

  • 発売日: 2019/06/26
  • メディア: エレクトロニクス
 

Primeセールで5000円で売ってたのでとりあえず買ったんですが、今のところバックライト付き置き時計としてしか使っていません。搭載されているアレクサに話しかける用事も特にないし、多分買う意味は無いと思います。

 

211.8月消費コンテンツ記事めちゃくちゃ面白かったです!ウォッチメン各話タイトルまじで格好いいですね……

ひとつだけ。
"この姿勢には一貫性があり、わざわざ「個人の主義主張、思想、信条の表現や発言に寛容でありますが」と前置きするあたり好感度が持てる。"
好感度→好感 のタイプミスではないでしょうか。

次回も楽しみに待ってます!

ありがとうございます。この記事ですね、当該部分を修正しました。 

saize-lw.hatenablog.com

というか、もう12月ですね。記事を書くまでに2ヶ月あって、返答までに2ヶ月あって、8月って4ヶ月前ですね。

 

212.最近どこかで見た、反出生主義者だけど性欲は存在する人類にとっての答えが「百合」であるというほら話で笑うと同時に感心してしまいました
lwさんはどう思います?答えにくい話題なのでこの質問は飛ばしても構いませんが......

どうなんでしょう? 反出生主義も一枚岩ではないので一概には言えませんが、素朴な感想としては反出生から入って百合に至るまでの理論的整合性を確保するのは結構難しい気がします。
というのは、現在ブームになっているディヴィッド・ベネターの反出生主義ってかなり実利ベースの議論で規範や欲望に関する話題はあまり扱わないので、恐らく「子供を作りたくないけどセックスの快楽は得たいならコンドーム使って避妊セックスすればいいじゃん」という回答になると思われます。反出生原理主義者(?)が否定するのはまさしく出生そのものだけですから、別にヘテロセックス自体が規範的にどうこうという話ではありません。レズセックスも否定はされないと思いますが、直観的に考えてもっと無難な選択肢である避妊セックスを押しのけてまで主張するのは困難でしょう。

出生に繋がり得る行動も全面的に否定するという規範的な主張を採用するのであれば、恐らくベネター風の合理的な分析哲学ではなく、何かアクティビィストが絡むような社会運動を想定したものになるような気がします。となると、安直にリベラルなモチベーションで反男性の論陣を張るレズビアンフェミニズムの助けを借りるのが良いでしょうか。

反出生からフェミニズムに行く困難さに比べれば、ある種のフェミニズムから反出生に行くのはそう難しくないでしょう。男女という関係を否定するレベルでラディカルに家父長制を否定するのであれば、現実問題として子供を作れないことに対する正当化は必要になるはずだからです。以前も少し触れたように→、反出生主義とフェミニズムって(女性や非存在者という)周縁者を擁護するという点で相性は決して悪くないと思いますが、その場合は「非存在者に対するリベラリズム」という悪魔的事態を認めるかどうかが焦点になるでしょう。

補足365:「非存在者に対するリベラリズム」という表現がよくわからないというツイートを見かけたので補足します。まず、僕が思うにフェミニズムと反出生主義の相性が実はそこまで悪くないというのは

フェミニズムは男性に抑圧されてきた女性の権利を担保する
・反出生主義は存在者に抑圧されてきた非存在者(=まだ生まれていない赤ちゃん)の権利を担保する

というように今まで省みられてこなかった者たちを擁立しようという構造が形式的には似通っているからです。
ただ、フェミニズムに限らずリベラルって「今現に女性が抑圧されているなら、その事態は無視できない!」みたいな、現にある個々人の苦しみを過大評価することによって活動として成立しているようなところがあるじゃないですか。これをそのまま反出生主義に適用しようとすると「今現に非存在者が抑圧されているなら、その事態は無視できない!」っていうモチベーションになるんですが、非存在者って存在していない以上、明らかに今現在に苦しんではいないわけです。そういう現実化していないものって、いわゆるリベラルが擁立する対象になるのかどうか全然わからないですねという気持ちを込めて、あえて矛盾した標語を掲げるようなつもりで「非存在者に対するリベラリズム」と書きました。

思想的な整合性はともかく、サブカルのモチーフとしては『少女終末旅行』然り、終末ものと百合ものは相性が良いっていうのは確実にあるでしょうね。男女だったら他にどんだけ人類滅びてても近親相姦連打で捲れるやんみたいな希望ありますけど、女女だったら無事に詰みなので。