LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/6/21 お題箱回

お題箱66

138.君膵の解説kwsk

前回簡単に書いたのでどうぞ。

saize-lw.hatenablog.com

みそ氏もなんか似たようなことを書いてました。

not-miso-inside.netlify.app

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ついでに「みそけど」と相互リンクになりました(1枚ドロー)。
どうでもいいですが(どうでもは良くないですが)、みそ氏と僕って多分ほぼ同年代で出身大学も同じなので間違いなくキャンパスのどこかですれ違ったことがあると思います(新海誠映画だったらすれ違い様にスローモーションになるので気付けるのですが、現実には人生の重要な局面でエフェクトが発生しないという欠陥があります)。恐らく知り合いネットワークを最短経路探索すればノード3つ分しか離れていないくらいの距離感でしょうね。今度飲みにでも行きましょう。

 

139.またラノベを書くんですね!すめうじがとても面白かったので新作も期待しています!
新作ラノベを読む前に、読んでおいた方がいい参考文献などは何かありますか?

ありがとうございます。
応援してもらえるのは本当にありがたいです。自分で創作するまでは「『感想ありがとうございます』みたいなやつ、言うて道徳的なポーズでしょ笑」って思ってたんですが、自分がそのポジションになると実際モチベーションがかなり上がります(一般に道徳的な体裁を嫌う僕が言うのだから相当なものです)。

流行りの異世界転生みたいな話をやりたくて、思想的には「反出生主義」「オートポイエーシス」「可能世界論」あたりがテーマになる予定です。それぞれについて比較的平易な書籍として、

・デイヴィッド・ベネター『生まれてこない方が良かった』

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・山下和也『オートポイエーシス論入門』

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・野上志学『デイヴィッド・ルイスの哲学』

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を挙げておきます。

いい機会なので次回予告的なこともうちょっと書いていいですか!?
次回も百合萌えラノベなので主要キャラクターは美少女と美女しかいません。男性には台詞も名前もないです。

とはいえ同じことをやっていても得るものがないので、基本的にすめうじと逆の枠組みの話をやりたいと思っています。すめうじが政治的・実存的なネチャネチャした話だったので、次はもうちょっと分析的・形而上学的なサッパリした話をやりたいです。あと前回は「ラノベってこんなもんでしょ」と思って結構意識的に地の文を減らしたり一度に続けていいのは二・三文くらいまでとか制約を設けたりしていたのですが、次回はもう少しちゃんとした小説っぽい冗長な描写を入れたいです(「冗長な」とか言ってしまうあたりに小説というものを舐めている感じがしますね)。

また、白花ちゃんはフニャフニャした成人女性でしたが、次の主人公はかっこよくて戦える男性口調の女子高生です。トレンチコートとローラーブレードを常に装備しており、シンプルに身体能力が高いフィジカルエリートで、VRオンラインゲームのプロゲーマーでもあります。概ね冷静で理知的ではありますが、スペックの高さ故に共感能力が欠如しており無自覚に独善性を撒き散らすきらいがあります。あと自殺フェチです。

 

140.使っている筆記用具やノートにこだわりはありますか?

値段やブランドのこだわりは特にないです。普段使っているノートはセブンイレブンで売ってる200円くらいのやつ、ペンも200円くらいのENERGELの0.3mm(替芯)ですが、機能的なこだわりは色々あります。

ノートは

  • リングではなく綴じ込み
    →リングはページの縁にまで書くとき指に当たって邪魔なので
  • サイズはB5
    →持ち運んだり開いたりしやすいので
  • 0.5mmくらいの格子のガイドが入ってるやつ
    →図や文章を書くのに便利なので

ペンは

  • ペン先がなるべく細いやつ
    →書き込みの密度を上げられるので
  • ノック式のやつ
    →キャップ式は書き始めるまでの手順が多い上にキャップを失くす危険があるので
  • 赤ペン
    →黒い文章に書き込むとき目立つので

みたいな感じです。
ペン先はその気になればもっと細くできるんですが、イマイチいいやつに巡り合えていません。以前買ったジェットストリームの0.28mmは全然書けなくて使い物になりませんでした。多分ペンが悪いというよりは安いノートの紙質がクソなのが悪いと思うので、ノートも込みで色々再考した方がいいかもしれません。

 

141.爆アド.com系のチャンネルって見てますか?

たまに見てるんですが、だいぶ前にはみるとんさんにブロックされたので微妙に話題に出しづらくなってしまいました。はみるとんさん、僕は第一回のブラックボンバーvsEmフレイムイーターで始まる前からカード相性的に詰んでるのが面白かったです。

 

142.LWさんには在野でブログ書くよりは、大学で研究して欲しいという気持ちが強い。
何なら現金で支援したいレベル。

143.LWさんが在野にいるのマジで勿体ないから早くアカデミアに戻って欲しい

いずれ大学に戻って人文系の修士を取りたいという気持ちはあるので、そのときにクラファンでもやることになったら宜しくお願いします。

ただ、将来的にいつか研究機関に戻るにせよ、たぶん30歳くらいまではこのまま普通に働くと思います。働き始めて初めてわかったんですが、仕事をするのは教育機関に通うより圧倒的に楽だし有益です。いま人生を振り返ると、小学校も中学校も高校も大学も仕事の何倍も苦痛でした(大学院は教育機関ではなく研究機関なので例外ですが、それはそれとして理系分野に興味が無いので苦痛でした)。

数学にも物理にも興味がないのに流れで理科一類くらいには入れてしまったせいで、僕は座って人の話を聞く講義という営みが本当に苦手なこと、理系分野には全然向いていないことの二つに気付くのに二十数年もかかってしまいました。DTFTもLSTMもPIDもマジでどうでもいいです。

 

144.アズレンのプレイヤー名にサイゼリヤ入れてるの、読者を意識しすぎでは!?(ソシャゲはもっと自由にプレイして欲しい)

これは別にブログ用にやっているわけではなく、単に「LW」というプレイヤーネームが既に使われていたので被り避けで適当な識別子をくっつけただけです。ゲームによってLWkoとかLWLWとか適当にやってます。

 

145.メモは見聞き終わってから一気に取るタイプですか?見ながら・聞きながら取るタイプですか?

基本的には見終わってから一気に取ります(鑑賞中は作品に集中したいので)。ただ、情報量が多くて後からだと忘れてしまいそうだったり、画面に集中するほど作品が面白くないときは手慰みにメモと鑑賞を並行していることもあります。2クール以上の長編作品で中弛みしてくる15話前後くらいにありがちです。
最終的な目的は考えていたことを全部記録しておくことなので、それが果たせれば何でもいいみたいな感じです。

 

146.今ジャンプ+でファイアパンチが復刻連載してます。いきなり登場する映画オタクが物語を滅茶苦茶にするのでおすすめです。

ファイアパンチは連載当時から読んでいました。

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途中までは面白かったんですが、アグニの火が一度消えたあたりからはかなり微妙でした。藤本タツキって完全にライブ感で話を作っているので、途中は非常に面白いですが話をまとめるのが絶望的に下手そうです。途中から出てきたパンツ一丁とかブロンド美女の祝福者はどう見ても持て余していましたし、チェンソーマンには収拾を付けられるんでしょうか。

いい機会なのでファイアパンチの話をしておくと、僕は「偽装と本心の緊張関係」というテーマでこの漫画を読みました。

「映画オタク」であるトガタには映画撮影という営みが本質的に偽装であることを示す役割があります。役者というのは本心では思ってもいないことを演技する存在であって、自分自身を偽らなければ成立しない、偽装の専門家です。
実際、トガタがアグニに対して「復讐者」という「映画の主役」=「偽装」を押し付けることによって、アグニは自分が復讐者であることを「偽装である」=「本心ではない」と考えるようになっていきます。復讐者というロールは苦痛に耐えて生き延びるための演技でしかなかったこと、本心は「この世の理不尽が許せない」という気持ちだったことを思い出し、ベヘムドルグでは復讐者であることを望むトガタを無視して救世主的な存在として振る舞うことになります。

しかし、その直後に事態は一変します。アグニは無意識にドマとその子供たちを虐殺して復讐を果たしてしまったからです。実は「救世主」の方が映画監督であるトガタへの反発として生まれた偽装であり、「復讐者」という演技ではない虐殺をしてしまった=本心を打ち明けてしまったことにアグニは困惑します。それを受けて、飄々として本心を見せなかった(それ故に偽装としての映画を愛していた)トガタにも動揺が生じてきます。
トガタは性同一性障害を患っており、女として見られることが本当に嫌だったという「本心」を吐露します。トガタもまた自分の男性的なロールを偽装していたことが判明するわけです。アグニが復讐者であることによって生き延びてきていたように、偽装は単なる嘘ではなく人生を守る外骨格という側面もあることが示されます。

トガタの死亡とほぼ同時に新たな映画オタクのスーリャが登場し、スターウォーズの続編が作られる世界を再創造する=世界を偽装するという究極の目的が提示されます。この後、ユダがルナを名乗ったり(固有名とアイデンティティの偽装)、サンが狂信者になったり(偽装を本心にしてしまう者の末路)と色々ありますが、アグニに関して言えばもう「アグニ(平穏な男性)」も「ファイアパンチ(復讐者)」も「サン(救世主)」もどれが偽装でどれが本心かわからないような状態に陥っていきます。

最終的に、数千年後にユダとアグニが再会して偽名を名乗って二人の世界を再創造するエンディングからは、僕は「偽装と本心という二項対立は堅牢なものではなく、むしろ究極的には一致する」という結論を読みました(スカした用語で言うところの脱構築というやつです)。
世界や自分を好き勝手に解釈して作り替えていく偽装という行為は、その営み自体はその本人の好みとか願いが無ければ不可能なものであって、その意味で偽装の背後には常に本心があるわけですよね。映画役者だって、演技そのものは偽装でも「この役を演じるぞ」という気合いは本心のはずです。サンとしてのアグニもルナとしてのユダも、名前と自分を偽装していると言えばそうなんですが、偽装したいという彼らの思いは本心です。きっと彼らがゼロから再構築していく世界もある意味では願いによって捻じ曲げられた偽装である反面、願いを追おうとする真正さは本心である……みたいななんかそんな感じですよね。藤本タツキがどう考えていたかは知りませんけど。