LWのサイゼリヤ

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23/1/23 お題箱108:広告データサイエンティスト、過酷な体勢、アニマルライツetc

お題箱回108

523.クオンツ投資とかで資金作って、第二の岩田聡になって任天堂と張り合ってくれた時に、古参勢アピしたいです。応援しています。

応援ありがとうございます。

ただ僕が今後の人生で起業する可能性は極めて低いと思います。社会的に成功することや社会に影響を与えることへの関心が薄く、そうする動機に乏しいからです。「どうしてあなたは発破技師にならないのか?」と聞かれたとき「発破技師になる理由が特にないから」と答えるのと同じニュアンスで起業する理由が特にありません。

特にコンテンツ周りなら適当なプラットフォームを使って個人でいくらでも発信できる時代ですしね。強いて言えば規模の問題で組織化や集金が必要になったときに検討する可能性が無くもないくらいでしょうか(それも個人クラウドファンディング等でかなりの程度フォローできそうではありますが)。

 

524.ガスキーさんのいいね欄でエッチなネタを漁ることはありますか?
僕はあります

あります。暇なときいいね欄を漁るフォロワーは何人かいますが、ガスキーもその一人です。攻防バランスよく適当に配置されているので手頃です。

 

525.広告データサイエンティストについてはどう考えてますか?

一番王道というか無難なデータサイエンスの使い道の一つだと思います。実世界じゃなくてデジタルからログを取ってくるやつはデータの質がいいですし、KPIにも直結して目的がわかりやすいですしね。それでいて適度にコンテンツやデザインとの接続もあって、かなり手頃な感じがします。

個人的な関心の度合いで言えば、広告データサイエンティストというタスクのタイプというよりは、広告というタスクで扱う内容に依存する気がします。服とかスーパーの広告出稿でA/Bテストをしろと言われても分野への関心が低いのでいまいちやる気が出ませんが、ゲームとかコンテンツ産業なら興味があってモチベーションが上がると思います。

 

526.ブログを愛読していてこれを書いているのはどんな人なんだろうと大変興味を持っていたので、半生の記事を書いて下さって嬉しかったです。お姉さんがいらっしゃるというのが一番意外なところでした。
ブコメが言いたい放題なのは残念ですが、普段からの読者はこの記事が読めて嬉しかったと伝えたいです。

ありがとうございます。この記事ですね。

saize-lw.hatenablog.com

僕は僕個人の人生にはあまり需要はないかなと思って普段あまり書かないのですが、めちゃめちゃ伸びたのでびっくりしました。この記事に関連する質問は他にもいくつか来ています。

姉との仲は悪くないですが、関心が薄くて人生で影響を受けている事柄もほとんどないので話題に出す機会が少ないです。人生を振り返ったときにきょうだいの影はほとんど見えないというか、彼女がどういう人物かをあまりよく知らない気がします。ある程度年齢を重ねたらきょうだいなんてそんなもんですかね?

また、レスポンス編の記事にも書きましたが、僕はこの記事に付いたブコメがそれほど悪辣だとは思っていないです。ネットはこのくらいの感じでいいです。

 

527.過酷な体勢は修正できましたか?
気になって夜しか眠れません

再入院はしたくないので修正しました。

あれ以降、下関係の問題を抱えたことはまだないですが、遺伝的に前立腺が弱い(前立腺に何らかの疾病が発生しやすい)系譜らしいのでやや戦々恐々としています。

 

528.Lwを人間として見るべきか、理解できない怪物として見るべきか

めだかボックスみたいな世界観になってますね。こうしてお題箱も開放して、考えていることは全部ブログに書いているので理解不能要素はあんまりないと思います。

 

529.今回のガチャが優れたゲーム体験であるという話、下記の記事の「確定されたメインストーリーの体験と、ユーザーそれぞれの個人的な体験がうまく融合していく」みたいなことで合ってますか?
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/201222x/2

news.denfaminicogamer.jp

合ってます! このインタビューは初めて読みましたが、僕のガチャに対する考え方とほぼ同じです。

松永氏:
 それってまさに、物語をゲームでやることの最大のメリットだと思うんです。縁や絆を感じるような運命的な出会いに、インタラクティブに立ち会うことができてしまう。

 主人公と自分を重ね合わせて、一本道の物語に没入するという昔ながらの楽しみ方もわかるんですが、そこには何かが足りないんじゃないのかと思っていたんです。結局のところ、一本道の物語は誰かが書いた物語であって、自分だけの物語にはならないんじゃないかと。

 でも、たとえメインストーリーが一本道だとしても「初めて引いたSSRのキャラと一緒に冒険する」というだけで、誰が読んでも同じになるはずだった物語が、自分だけの特別なものになる。やっぱり、これってすごいことだと思うんですよ。

奈須氏:
 わかります。いわゆる「骨太のストーリー」って、普通のメディアだったら、本当に誰が読んでも同じになるはずなんですよ。
 でも、我々の場合はしっかりと土台となるお話を用意したあとに、AさんはSSRキャラを引いた、BさんはSRキャラを引いた、という具合に、同じものを味わっているのに異なる視点が生まれているんですよね。

 大きなストーリーの流れはありながらも、実質的には個人の物語になっていく。私だけの、あなただけの記録になっていくという。

ただこの記事のコメント欄にもやっぱりガチャをどうしても認めたくない勢力がいて、そのほぼ全てが「この論に反論がある」というよりは「この論を認めてもなお他の理由でどうしてもガチャを肯定するわけにはいかない」という立場にあるようです。

・ガチャをいい話にしようとするなー!

・「ガチャを引くだけで、それは『運命の出会い』になる」 クソ、「ガチャを滅ぼします」をホンキで思っていないのは、ホントにクソ。

この辺はたぶんガチャの問題というよりは人生観の問題で、「娯楽には時間あたりいくらまでなら支払ってよいか」「他人の愚行権を認めるか」「娯楽に伴う破綻可能性をどこまで許容できるか」というようなところに見解の相違があるのでしょう。

ただ僕が既に書いた通り、ガチャの運命的な価値を担保しているのは「そうそう何度も引き直せない」という高額な価格帯レンジによるところが大きいため、こうした人生観の人たちに歩み寄る形でガチャ側が妥協することは今後もないと思います。

 

530.ガチャを集金システムではなく革命的なゲームシステムとして捉えるLw、Lwの小説に出てくる悪役

実際悪役っぽさは結構あって、「ガチャを売る仕事に良心が耐えられずガチャを肯定するロジックの幻影を作り出してしまった」とかいう悪役のオリジンを勝手に想像している人が一部にいたのは面白かったです。

しかし僕はソシャゲ会社に就職する前からほぼ同内容の記事を書いており、就職を経てその確信が補強されただけです。ソシャゲ以外にやりたいことがある人はソシャゲをやらなくていいですが、ソシャゲ以外に特にやりたいことがない人はソシャゲをやって人生を豊かにしてほしいです。

ガチャに限らず「適切なお金の使い道が見付からず人生に虚しさを感じている人が、お金の注ぎ先を見付けることで欲求が満たされる」という事態は他にもいくらでもあって、ガチャに比較的近いものだと「カードコレクター」あたりもそうですね。

最近ちょっと古いカードが無限に高騰してアコギな値段が付いていますが、これは売る側は儲けられて嬉しいのはもちろんのこと、買う側にとっても子供っぽい趣味のまま大人になってしまったために年相応の出費が嵩むライフイベントが発生せずにお金が余って困惑している独身男性に適度な難易度の人生の目標を与えてくれる蜘蛛の糸です。

20年前に刷られたしょうもないカードをそのまま300円で売るより30000円の値札を付けてあげた方が買い手と売り手の双方にとって幸福なので、こういう状態は「搾取」ではなく「福祉」と呼びます。

 

531.LWさんはアニマルライツについてどのようにお考えでしょうか?

私の場合、かつてはヴィーガンをなんとなく胡散臭く思っていたのですが、大学の一般教養科目ピーター・シンガーの『実践の倫理』を読んで、「すげえ!ヴィーガン正しいじゃん!」と衝撃を受けたのを覚えています(その後1ヶ月程度は肉食を禁じ、飲み会ではポテトと枝豆だけを消費していました)。

僕はアニマルライツに関しては珍しくかなりの過激派で、人間以外の動物は倫理的な考慮の対象ではないと思っています(倫理という概念を動物に対して適用するのはカテゴリーエラーだということです)。よって「動物を倫理的にどう扱うべきか」というタイプの問題は議論をする以前に最初から存在しません。動物を殺して食べるのはもちろん、殺処分したり虐待したりすることも全て問題ないです。様々な意見を考慮した上で問題ないと言っているのではなく、問題がある可能性が最初からゼロなので考慮する必要がありません(これ伝わりますかね?)。

これはインテリがよくやる「さあ俺を論破してみろ」という露悪的なポジショニングではなく、本当に心の底から動物を権利主体として認める意味がわからないと思っています。この考え方があまり尋常ではないという認識はあるので『動物の権利』→とか『動物からの倫理学入門』→を読んだりしたのですが、どれも全然納得できませんでした(ただ本丸のピーターシンガーの著作を直接読んだことはないので、一度くらいは読んだ方がいいかもしれません)。

書籍を読んで思うのは、アニマルライツという分野自体が動物を何らかの主体として認めることを前提にしているので、僕からすると根本的なところが全くズレているということです。例えば多くのアニマルライツ擁護者は「もし動物が苦痛を感じることができるならば動物に苦痛を与えてはいけないはずだ」という前提を持っているので生物学とか認知理論を総動員して「動物は苦痛を感じられること」を一生懸命示そうとするのですが、僕は「動物が苦痛を感じていようが動物に苦痛を与えてよい(動物は倫理的に考慮される権利を持たないため)」と考えるのでその論証には特に意味がありません。

一応書いておくと、別に動物は嫌いではないですし苛めたり虐待したりしたことは一度もありません。セロテープとか鉛筆が倫理的な主体ではないからといって、わざわざ痛めつけて遊んだりしないのと同じです。動物の場合は法律でも禁止されてますしね。

 

532.永井均ツイッター本(『独自成類的人間』)にLWさんの引用ツイート(FAKE野郎)が載ってて笑ってしまいました。
このようないわゆる著名人?にツイートに反応されることについて、何か感想のようなものはありますか?

この件ですね。報告ありがとうございます。この投稿を見て本をチェックしに行きました。

どんな形であれ、ツイートや発信に何らかの反応があるのは概ね良いことだと思います。「波長が合わない人に頑張って合わせに行く必要はないけど、潜在的に波長が合う人は一定数存在するのでそこにリーチするための拡散はされた方がいい」というスタンスは一貫しており、ブログを書いているのにもそういう考えが常にあります。

ただ永井均に限って言えば、本で取り上げられたからといって「永井に評価されて嬉しい!」という類の感触は全然無いです。たぶん永井は自分の思考に資するか否かだけで全てを見ていて、ツイートだろうがChatGPT生成だろうが乱数生成だろうが彼の思考を促す限りにおいて「おお」とか言って反応するタイプです。よって僕のツイートはたまたま彼の思考を触発した路傍の石だったというだけで、評価されて掲載というような華々しい文脈ではないはずです。

 

533.前に興味ある学術分野の勉強の仕方についてお話されていましたが、例えばイラスト等の手を動かして身につけるタイプの創作技術を勉強する時にLWさんがどうするのか興味があります。
良ければご教授ください。

うーん、イラストは一度も勉強しようとしたことがないのでわからないですね。

小説創作活動は「こんなんよりは俺が書いた方が絶対面白いだろ」という苛立ちが原動力になっているのですが、イラストに関してそう感じることは無く「俺には出来ないことをできる人がいるのは素晴らしいことだ」みたいな純粋なリスペクトしかないのでモチベーションが生じません。

強いて言えば筋トレあたりがギリギリ近くて、達成可能な目標を立てながら地道に肉体に染み込ませるような感じでやっていくと思います。手を動かすタイプの勉強はただ漫然と動かすだけでもやった感が出てしまうのが恐らく一番警戒すべきところで、スキルツリーをはっきり言語化して持っておく必要があります。それも遠い目標を立てるのはあまり良くなくて、短いサイクルで達成できる明確に言語化可能な目標を立てて無理だった場合は修正していくみたいなPDCAを意識するのがいい気がします。