LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/5/2 お題箱回

・お題箱64

128.めだかボックスについて語って欲しい

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めだかボックスはかなり好きで、全巻揃えて売っていない数少ない漫画の一つです。安心院さんと球磨川が好きですが、逆に安心院さんと球磨川が好きじゃないオタクって存在するんですか?

西尾維新は作中のモチーフを哲学や思想からかなり取ってきているよねとは友人ともよく話すところであり、球磨川ってニーチェっぽいよね、スキルからスタイル使いへの移行ってソシュールっぽいよね、後半の梟ってボードリヤールっぽいよねとか居酒屋で喋ります。

投票箱という民主制の象徴がタイトルを冠している意味もやはり大きく(アイテム自体は割とすぐに描写されなくなりましたが)、能力バトルの裏では統治形態や個人と社会に関する議論が行われています。特に個性をどう扱うのか、どう考えるのかという問いはリベラルのそれと接続し、安心院さんが言う「悪平等」にはどことなくリバタリアンがリベラルをバカにするようなニュアンスを感じたりもします。めだかちゃんが人吉を殴って見限るあたりもネット上では謎展開と揶揄されていますが、「個性とは相対的なものに過ぎない」という問題意識は安心院さんの無限スキルによっても提示されているはずです。

などと色々言いつつ、僕がめだかボックスの記事を書いていない理由は、僕以外にめだかボックスについて書きそうな知り合いが既にいるからというだけです。そいつが記事を上げたら僕もリツイートしてなんか言うと思います。

129.頭のいい人たちって横文字を使いたがる傾向にあると思うんですけど、その理由ってなぜなのでしょうか?

自分の頭が良いとは言いませんが、僕も横文字(カタカナ語)をかなり好む方です。
それは酔ってブン回っているときに顕著で、「それはただの数字の話で~」と言えばいいところを「それはアリスマティックでしかなくて~」と言ったりします。

横文字がどうというよりは、単に馴染みのない新しい言葉を使うのが楽しいからだと思います。Twitterでも「魔剤」「優勝」「ポカホンタス」とか独特の言い回しが流行るのと全く同じです。大抵の場合、新しい言葉を吸収するのは新しい概念を吸収することでもあって、頭が良いというか好奇心が強い人が本を読んだりしてそれを好むんでしょうね。

また、そもそも横文字にぴったり対応する日本語が存在しないために横文字を使わざるを得ないというシチュエーションもかなり多いです。
例えば「イデオロギー」って日本語では「観念、思想、考え方」くらいの訳が対応しますが、それでは「社会的な背景の下で権力と結び付いたもの」というニュアンスまでは表しきれません。だから「主体というイデオロギー」っていうフレーズと「主体という思想」っていうフレーズのニュアンスって全然違いますし、話の精度を上げようとすると横文字に頼らざるを得ないところがあります。

130.ツイッターに画像を貼っていた自殺論のお話がとても興味深いです。
記事になる予定はありますか?

これですね。

これはZoomで飲み会をしてる最中、酩酊した僕がホワイトボード機能を使って最近読んだ本の内容を解説し始めたときのツイートです。僕のオリジナルアイデアではなく本の内容をそのまま説明しているだけなので、原典を読まれるとよいと思います。

一つ目のツイートで解説している本は宮島喬の『デュルケム自殺論』です。

デュルケム自殺論 (有斐閣新書 D 34)

デュルケム自殺論 (有斐閣新書 D 34)

  • 作者:宮島 喬
  • 発売日: 1979/06/25
  • メディア: 新書
 

元々デュルケムっていう社会学者が書いた『自殺論』という有名な論文があって(wikipedia参照→)、宮島喬『デュルケム自殺論』はその解説書籍です。タイトルだけ見るとちょっと紛らわしいですが、完訳ではありません。
内容としては、「自殺を個人的なものではなく社会的なものとして捉えよう」という立場から、自殺を社会の病理と紐づけて類型を分類したものです。そこまで面白くはないですが、自殺という現象に対する解像度はかなり上がるので読んで損はないです。平易に書いてあるのでサラッと読めると思います。

二つ目のツイートで長々と解説しているのが『自殺の歴史社会学』です。

この本はかなり面白くて、どちらかというとこっちの方がオススメです。

タイトルに「意志のゆくえ」とあるように、「自殺が意志によるものか否か」という議論について主に扱っています。自殺が意志によるものか否かというのは、具体的に言うと、例えば過労自殺者に対して「結局のところ彼は自分の意志で決めて死んだのだ」と言うか、「彼は決して自分の意志で死んだのではなく会社に殺されたのだ」と言うかの違いです。
この本が非常に面白いのは、「自殺が意志によるものか否か」という問題を「自殺する意志を尊重するか否か」というようなヒューマニズムの枠組みではなく、「既に起こった自殺を意志的な行為として処理すると誰が得をして誰が損をするのか」という利害の枠組みで扱っていることです。「自殺が意志によるものか否か」は道徳的な次元に留まる問題ではなく、家・警察・保険会社・遺族・会社・学校などの無数のステークホルダーを巻き込んで規定されていく社会資源の問題なのです。
例えば、「厭世自殺」というものは一般的には「世を儚んだ幸薄い青年が自殺した」というように個人的な行為だと考えられがちです。しかし実際には、当時の旧家や警察にとっては「自殺は厭世自殺ということにしておくと色々都合が良い」という背景があり、彼ら事後処理人たちの利害が一致したために意図的に作り上げられた制度ではないかとこの本では指摘されます。それってかなり面白くないですか?

あとツイートでは紹介していないですが、ついでに一緒に読んだ自殺関連の書籍をもう一冊貼っておきます。

図説 自殺全書

図説 自殺全書

 

貼っておいてなんですが、特にオススメではないです。
装丁はやたら立派で分厚いものの、中身は色々な自殺事例を三面記事的に集めるだけ集めたコンビニ本みたいな感じです。全く頭を使わずに読めるのと、とにかく色々なパターンが記載されているので、オモシロ自殺集として暇潰しくらいにはなるかも。