LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/9/4 2020年7月消費コンテンツ

2020年7月消費コンテンツ

7月は前半期に腐ったイクラを食って腹を破壊し、自然回復(リジェネ)するため普段の朝活と夜活の時間を睡眠に充てていたのでほとんどコンテンツを消費できなかった。
どうせ消費ペースが落ちるならと開き直って久しぶりに据え置きゲームに手を出した(普段、ゲームはコンテンツあたりの消費時間が掴めない上に時間コスパが悪いので避けている)。腹を壊したせいで映画を見るときにエアロバイクを漕げない状態だったというのもある。映画に払う時間の価値が落ち、相対的にゲームプレイの価値が上がったわけだ。

放送中アニメは基本リアタイで追っているので7月に全部見たわけではないが、細切れに記録するのも気持ち悪いため終了月に記録することにする。

メディア別リスト

映画(3本)

ジョン・ウィック
スプリット
ミスター・ガラス

アニメ・特撮(126話)

仮面ライダー555(全50話)
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…(全12話)
かぐや様は告らせたい第二期(全12話)
かくしごと(全12話)
シャドウバース第1クール(全13話)
プリンセスコネクト!Re:Dive(全13話)
正解するカド(全14話)

書籍(2冊)

ポストモダンの思想的根拠
名指しと必然性

漫画(26冊)

ザ・ファブル(1~6巻まで)
食糧人類(全7巻)
カイジ24億編(7巻のみ)
ミステリと言う勿れ(1~6巻まで)

ゲーム(1本)

Civilization Vl

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

(特になし)

消費して良かったコンテンツ

仮面ライダー555
名指しと必然性
ポストモダンの思想的根拠
かくしごと

消費して損はなかったコンテンツ

Civilization Vl
カイジ24億編
プリンセスコネクト!Re:Dive
乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

正解するカド
ミスター・ガラス
シャドウバース第1クール
ザ・ファブル
かぐや様は告らせたい第二期
食糧人類
スプリット

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

ジョン・ウィック
ミステリと言う勿れ

ピックアップ

仮面ライダー555

saize-lw.hatenablog.com

構図が混迷を極めておりドラマとしてはかなり面白いのだが、全体としては龍騎を超えていない。いつか龍騎を超えるライダーは来るのか。

ポストモダンの思想的根拠

saize-lw.hatenablog.com

かなり面白かった。自由を基調とした人権思想と資本主義の独特の共犯関係については、最近読んだ的場昭弘マルクスとともに資本主義の終わりを考える』も良かった。そちらは第七回サイゼミの記録参照。

saize-lw.hatenablog.com

名指しと必然性

名指しと必然性―様相の形而上学と心身問題
 

これも内容については第七回サイゼミの記事に書いた。

実はこの書籍は論文形式ではなく講義録形式であり、クリプキ渾身のジョークも織り交ぜられているなど表面的には取っつきやすい。ただ、話し言葉で論じることの長短がはっきりと出ている。クリプキ自身の正直な気持ちや意図が表明されていることが大いに理解を助ける側面がある一方、割と複雑な論証をきちんと整理することなく口頭で済ませてしまうので読み解くのには労力を要する(特に心身問題に関して論じる後半部は混迷を極めている)。

どの論理展開を見るにつけても、クリプキは可能世界論者の中では極めて常識的な見解を大切にしているのが印象的だった。中でも「可能世界は発見するものではなく約定するものである」はけだし名言であり、可能世界の実在について論じる中でも非実在側の極を取るだろう(とはいえ、もう一方の極にいる様相実在論者のディヴィッド・ルイスが実在を主張する主な理由は経済的な合理性であって、決して形而上学的な信仰告白ではないのだが)。

かくしごと

saize-lw.hatenablog.com

基本的には上に書いたファーストインプレッションと変わっておらず、主人公は最後までベタベタな父親像を貫徹して終わった。最後の記憶喪失周りもどこかで見たようなエピソードの詰め合わせであり、ベタを徹底している。

そんなことより、最終話で主人公がギャグ漫画家として失脚した原因が「死別した妻を捜索していることが美談として報道されたせいで、下ネタギャグを描き続けられなくなった」であるのには唸ってしまった。
一見すると陳腐だがその実かなり含蓄のあるエピソードだ。『かくしごと』という漫画自体がギャグ漫画でありながら美しい親子愛を描く人情漫画としての側面を持っていること、ひいては久米田康治自身がかつては下ネタとメタ表現だらけのギャグ漫画家だったのに最近はベタに生や死を扱ってしまうことへの複層的な自己言及として読めてしまう。言及の射程が非常に広く、久米田自身の独特なギャグ漫画観を感じる。

一般的に言ってギャグとは広範に流通している価値観をあえて外すものであり、本質的に反社会的な営みだ。その典型は行き過ぎたブラックジョークが一般倫理と衝突することだが(BLMな昨今、「『ブラックジョーク』っていうのは何も黒人のジョークのことじゃあないぜ」というジョークすらそれなりに過激なブラックジョークと化しつつある)、『かくしごと』のエピソードはもっとラディカルな事例を扱っている。衝突する社会通念が倫理や道徳の類ではなく美談や称賛であったとしても、それは十分にギャグに対する攻撃で有り得る。

また、よりよく似ている事例としては、去年の今頃に吉本興業が荒れていたときのビートたけしの発言も思い出す。

www.sanspo.com

ビートたけしは「涙を流して会見したやつの芸を見て、誰が笑うんだ」と語っているが、これは『かくしごと』のエピソードと全く同じで、「生き分かれた妻を捜す聖人の下ネタを見て、誰が笑うんだ」ということである。

ことギャグ漫画家のポジション取りという話題となると、(「作者と作品は切り離せるか」という浅薄な議論に深くコミットするつもりはないが)いまどき漫画家の多くがSNS上で自分のキャラクターをマネジメントをしているというのは事実だろう。特にギャグ漫画においてそれは顕著であり、「ギャグ漫画家がギャグ漫画的な人格を演じる」ということは他のジャンルに比べて起こりやすい。ちょぼらうにょぽみ然り、大川ぶくぶ然りである。

補足324:その点、最大にまでギャグ漫画的な人格としてTwitterでのキャラクターを自己規定していたカエルDXが百合漫画を描いているらしいことはかなり興味深く、『観音寺睡蓮の苦悩』は機会があれば読みたいと思っている(つまりまだ機会が無いので読んでいないということだが……)。

SNS上でのギャグ漫画作者のポジション取りの独特さを一番よく感じるのは、TwitterのPR漫画を読むときだ。Twitterでバズるのは主にギャグ漫画家なのでギャグ漫画家にPR漫画が依頼されることがよくある(そしてアナ雪ステマ騒動以降は #PR タグによってその旨が明示されるようになった)が、その漫画に独特の気恥ずかしさを感じるのは俺だけではないはずだ。
PR漫画なので最終的には商品なり作品なりのPRをしなければならないのだが、ギャグ漫画家という体面があるので直截に褒め称えるにはいかず、ちょっとスレたフリをしたりしてみるが、結局のところ契約上の都合で商品の印象を下げる程には振り切れない。この滑りっぷりは漫画として痛々しいだけでなく、PR漫画は作者自身の体験を語るという体裁でなされるが故に作者のキャラクターにまで爪痕を残す。この悲惨な切り売りの対価として作者が幾ら受け取れるのかは知らないが、いずれにせよPRギャグ漫画が漫画として成功しているのは今までに一度も見たことがない。

少し脱線した。そんなわけで、昨今のSNS情勢にも照らして「ギャグ漫画家のポジショニング」という話題にはかなり思うところがあり、それがよりにもよって久米田康治からの自己言及が出てくることには何か重いものを感じざるをえない。ひょっとしたら、初めて顔出しで神谷浩史との対談動画を公開したのにも何か関係があるのかもしれないし、別に何もないのかもしれない。

www.youtube.com

Civilization Vl

【PS4】シドマイヤーズ シヴィライゼーション VI

【PS4】シドマイヤーズ シヴィライゼーション VI

  • 発売日: 2019/11/22
  • メディア: Video Game
 

「せっかく久しぶりのゲームだしめっちゃハマるやつやろう」と思ってPS4版を購入したが、全くハマらなかった。何度か失敗したあと1回だけクリアしたが、次にやるのはいつになるかわからない。
ハマる理由を書くのに比べてハマらない理由を書くのは難しいが(「特にハマる理由が無かったのだが……?」)、強いて言えば、俺はこのゲームの遊び方がよくわからなかった。自由気ままに楽しむ箱庭系ゲームなのか、最適解を求める戦略ゲームなのかが最後までわからなかったというのがある。

ただ、これだけ成功したシリーズだけあって流石にゲーム設計はよく出来ていると感心する部分が多かった。例えば、様々なシステムに限界効用を逓減させる工夫が組み込まれているところがそれだ。つまり各リソースや各行動は基本的に一番最初に触れたときのリターンが一番大きく、同じ行動をしているとリターンが減っていくように設計されている。
具体的には科学ツリーや文明ツリーの「ブースト」がそうだ。ある要素を初めて使うときだけブーストが追加で入るというのは、最初に使うときだけリターンに下駄が履かされるということだ。他にも、人口リソースに対する都市の成長速度や生産リソースに対する生産速度が除算で与えられることも限界効用の逓減を表現する。数学的証明は省くが、生産リソースが増えれば増えるほど生産速度の伸びは減速するようになっている。

これら限界効用の逓減によって「色々な要素を広く浅く触る」というモチベーションが生まれる一方で、勝利条件を達成するためには「一つの要素を深く極める」という真逆の進行が要求される。この相矛盾する方向性の中でバランスを取るところにシミュレーションとしての戦略性があるのだろう。

プリンセスコネクト!Re:Dive

saize-lw.hatenablog.com

上の記事で書いていなかった性癖と萌え方面について書いておくと、虫食は非常に良かった。

f:id:saize_lw:20200831212556j:plain

俺は別にもともと虫好きではなかったのだが、美少女が蛆虫を食いまくる萌えラノベ(→)を書いたりすると流石に虫食に対して一定のシンパシーが形成されてしまう。自分でも虫料理屋に行ったり、部屋に出現した蜘蛛を素手で捕らえることに抵抗が無くなったり、キャルが虫を食っていると嬉しくなったりする。

ただ、萌えアニメなのに萌えるキャラがいないのはかなり痛かった。いまどきの言葉で言うところの「推しキャラ」がいない。

f:id:saize_lw:20200831212927p:plain

(適当にネットから拾ってきた画像、「ryonくん」さんのスクショ撮影に感謝)

アプリ版ではペコリーヌはこういう感じで割とドライだったりするのが好きだったのだが、アニメ版だと皆軒並み良い子になってしまって、道端で倒れている人を見たらすぐに駆け寄っていくようなキャラしかいない。

乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…

f:id:saize_lw:20200904203955j:plain

ファーストインプレッションは本当に面白かったのに、後半は本当に面白くなかった。
マリアの攻略が終わってカタリナのハーレムが完成したあたりで実質的に完結し、残りは全てFD状態になってしまった。

補足325:全ての闘争や葛藤が消失して仲良くなったキャラが無限に戯れるだけの状態を俺はFD(ファンディスク)状態と呼んでいる。

こういう説もあるのだが、俺はこの状態に陥ったらコンテンツは終わりだと思っている派閥である。ストパン然りラブライブ然り二期がFDになるアニメが昔は多かったのだが、最近は一期の中盤からFDになってしまうアニメが多い。
キャラクターコンテンツとして一つの到達点であることはわからないでもないが、人気が出て初めてファン向けのディスクが作られるからファンディスクなのであって、一期の最初に想定しているとなると「最初からファンディスク的なコンテンツが好まれる」という事態が進行しているのだろう。

また、全く別の話題として、「カタリナって岡部のマイルド版だよね」「はめふらってシュタゲの変奏だよね」という話がある。
岡部とカタリナは、いずれも現実世界の周辺にある可能世界についての知識があり、世界で起こり得る事象=可能性について周囲よりも優越しているという点で一致する(ただし、岡部が実際にバッドエンドを踏んでからやり直すのに対して、カタリナは事前回避できるのでコメディで済む)。要するにはめふらはループものの亜種と見ることもできるわけだが、「ループもの」かつ「異世界転生もの」とするならばリゼロが最も近いことになるか。
さて、「ループもの」と「異世界転生もの」は一見すると全く別のジャンルに思えるが、『可能世界・人工知能・物語理論』でマリーロールライアンが指摘した虚構性と物語性の区別を導入することで論理空間内の距離関係という一元的な基準によって説明できるようになる。

f:id:saize_lw:20200831222801p:plain

図があった方が直感的に理解しやすいので、前に俺が某所で講義したときのスライドを持ってきた。「虚構性=宇宙間移動」が「異世界転生もの」、「物語性=宇宙内移動」が「ループもの」に相当し、前者が比較的近い世界の移動、後者が比較的遠い世界の移動となる。
細かい説明は省くが、ループものと異世界転生ものはいずれも世界を移動する試みであり、その違いは結局のところ世界を移動する距離という定量的なところにしかない(定性的には同じ営みである)ということだけ直感的に理解してもらえればよろしい。実際、ループものの主人公も異世界転生ものの主人公も他の登場人物と比べて「別世界の知識」を持っているという点で優越しているなど、かなり挙動が似ていたりする(その優越を外部に開示できないところも同じだ)。

かぐや様は告らせたい第二期

f:id:saize_lw:20200904202405j:plain

saize-lw.hatenablog.com

一期に比べると全く面白くなかった。すっかり恋愛頭脳戦が終わってラブコメになってしまった。かぐ告に対して思うところは上に書いたことから変わっていない。遂に偏屈な恋愛観を葬送して普通の恋愛と普通のラブコメを手に入れることができたのだろう。早坂の出番が多いのは良かった、早坂は好き。

ただ、二期でフィーチャーされた石上周りのエピソードはどことなくib的なセカイ系臭さを感じた。石上が助けようとした娘(名前忘れた)には全く真相が伝わっておらず勘違いしたままそれでいいじゃんと終わる、自己満足的な解決の仕方がかなりセカイ系っぽい。石上の救済で肝要なのはあくまでも白銀を代表とした生徒会の面々に認められることだけであって、一般大衆からは理解されないことが却ってその結束を強める。これは例えば『天気の子』で主人公たちが反社会分子になることによって、男女二人だけの世界に引きこもる恋愛をむしろ強化したのに似ている。

正解するカド

f:id:saize_lw:20200901070950j:plain

みそ氏と会うときに話題作りのために見たのだが、シンプルにクソでビックリしてしましった。ピザハットから配達されたチーズピザみたいに話がどんどん悪くなっていくけど、脚本の人途中で死んだ?

補足326:どうでもいいが俺は『正解するカド』を『ファイ・ブレイン 神のパズル』と混同しており、第三話くらいまで「ザシュニナが真道にミニパズルを出して解くアニメなんだろ?」と思っていた。

今思えば一番良かったのは第一話で、そこで外交官である主人公が開示した「唯一の形而上学的な正解など存在せず、ステークホルダーの政治的な利害を考慮して考え続けるのが正解」という信条がヤハクィザシュニナの思想と対立する様子を描いたアニメなのだろう。そういう多文化主義vs一元論的な構図は現実でもよくせめぎ合っているものだが、『正解するカド』では世界のルールそのものから異なっている「異方」との接触としてファンタジックに描かれるという基本的な枠組みは十分に興味深い。
実際、中盤で「ワム」絡みの騒動を「オブジェクトではなく手続きの問題である」とひっくり返したあたりまではそこそこ面白かった(当初は神格化されていた技術が解体されて普及する過程が、一元的な事物の咀嚼に相当する)。「異方的な感覚を持つ者」として中間的な存在が一般に語られたり、異方の多次元世界を画的に頑張って描写していたり、圧倒的な異文化との接触はかなり上手く描いていたように思う。

補足327:我々の世界は三次元なので、超立方体のように四次元以上のオブジェクトを描写するためには一次元分を何とか工夫して捻りだす必要がある。ただ、これは見逃されがちなボトルネックなのだが、今のところ我々の説明媒体は主として画像や動画なので実際の表示は三次元ですらなくもう一次元低い二次元媒体で行われることの方が多い(黒板、モニター、紙、書籍、その全てが二次元のスクリーンしか持たない)。つまり、もともと二次元に三次元を表示することですら一次元分を何とか工夫して捻り出しているのであり、そこから更に四次元以上となると実際には二次元以上の跳躍が必要になる。それは『正解するカド』も同様だ。

ただ、ヤハクィザシュニナの真の目的に迫り始めたあたりから雲行きが怪しくなってくる(その切り替わり地点にある「異方存在……徭 沙羅花!」はこの作品の混迷を象徴する台詞として記憶に焼き付いている)。
「ヤハクィザシュニナが提示する正解とは単なる通過点に過ぎず、更にその先が無限にあり、その一つが子供という未来的不確定性である」という回答自体は、一元論を否定するという意味ではそれなりに一貫している(ただしここに限ったことでもないが、設定的には全く一貫していない。生物に普遍的な営みすら予測できないザシュニナの弱体化はあまりにも不自然)。
ただ、それに伴って異文化との利害調停という見どころは完全に破棄されてしまった。ヤハクィザシュニナは一気に小物化して狼狽えてないでお礼の一つくらい言うべきだし(ここでお礼が言えないあたりに一元論者の驕りと限界があるのだろうか)、真道もザシュニイナを倒して満足してないでそこで交渉するのがお前の仕事だろ。「お互いに利益を~」みたいな話はどこに行ってしまったのか。
最後に取って付けたように「(ザシュニナは)そんなに悪いやつじゃなかった」とか言って何となく和解完了みたいな雰囲気を出していたのにはかなり笑ってしまった。そんなに悪いやつじゃないならボコるな。

スプリット&ミスター・ガラス

f:id:saize_lw:20200901080142j:plain

ウォッチメン』の感想を書いたとき、「じゃあ『ミスター・ガラス』はどうなの?」的なことを言われたので慌てて見た。普段ならこういうのは黙ってその日のうちに三部作を全部見てさも公開当初から見ていたようにレスポンスするのだが、たまには正直に告白することにする(もちろんしないこともある)。実は元々『アンブレイカブル』だけは見ていたのだが(これは本当)、全然面白くなかったので続きを見ていなかった。

『スプリット』も『ミスター・ガラス』も見ているのがかなり辛かったが、『ウォッチメン』や『ダークナイト』とのスタンスの違いはそれなりに面白かった。後者が「ヒーローが有効であるか」を延々とやっている横で、前者は「ヒーローの存在自体を認めるか否か」という少し前の段階の話をやっているというところに引用価値がある。

食糧人類

f:id:saize_lw:20200901081559j:plain

ちょっと前に広告でよく見たやつ。俺はよく知らない漫画の一部だけが頭にフックとして引っかかっているのが気持ち悪くて機会さえあれば割と読んでしまう方なので、ゴリ押し広告としては成功している。

話自体は面白くないし矛盾だらけだが、別に精緻なストーリーを期待していたわけではないのでそれはいい。一発ネタ漫画にしては細かいツッコミどころを無数に出して勢いを保ち続けていたのは良かった。

また、最大限好意的に見れば、最後の方でカマホモが述べていた「変化し続けることが重要だ」という思想にはそれなりに一貫性がある。謎の支配者たちの敗因は同じ場所に留まってイケメンを食い続ける安住に至ってしまったからであり、「新陳代謝が無ければ立ち行かない」ということが取って付けたようなテロメア異常(だっけ?)で示されているのだろう。
この結論を手に最初から読み返せば何か整然とした理解が得られそうな気もするが、この漫画に対してそこまでの情熱は無い。

ミステリと言う勿れ

f:id:saize_lw:20200901081656j:plain

本筋のミステリとヒューマンドラマは割と面白いのだが、主人公の蘊蓄が本当に鼻につく。このモジャモジャの主人公が状況と関係ないことをベラベラ喋り倒して周りの人を感化していくのが見どころというかキャラクターコンテンツとしての側面なのだが、あまりにも発言が浅い、クロエの流儀レベル。
例えば「女性に女性らしい仕事が押し付けられる」みたいな風潮を偏狭なジェンダーロールとして否定する割には、「女性には本来的に優れた資質がある」みたいなことを普通に言ってしまう(その二つは同根では?)。主人公のラディカルさなんてその程度でしかないのに、いちいち本質を突いたみたいな雰囲気になって周りが啓発されるあたりになろう系とTwitter漫画を融合したようないたたまれなさがある。
特に主人公が「本当に人を殺してはいけないんでしょうか?」って言って周囲が「何を言っているんだこいつ?」ってなる流れが一番厳しかった!