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20/4/12『マギアレコード』の感想 魔女システムのハッキングと願いの不成立

・マギレコの感想

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ようやく『マギレコ』を全話見ました。面白かった、みたまさんが良いね。

まどかマギカ』シリーズ、アニメ媒体の正統なナンバリングは全て追っているつもりだが、外伝が多すぎてよくわからないことになっている。具体的に言うと、本編と映画は全部見たが、スマホのマギレコ含めてゲームと漫画には一切触っていない。

まどマギ』が「王道と見せかけて邪道」という逆張りスタイルだったので『マギレコ』はどっちから始まるのかとワクワクしていたが、冒頭はとりあえず魔女との華やかな戦いからスタートした。
このまましばらくはいわゆる魔法少女っぽいことをやるのかと思いきや、第1話で早くもクロエちゃんが魔女との戦いに対する疲れを表明する。彼女は「願いなんて叶わなければよかった、魔法少女になったって死んじゃったら何の意味もない」と語り、魔法少女は救済されたいという基本線が強く提示される。ソウルジェムや魔女化といった核心についての説明は第12話まで待つことになるが、少なくとも魔法少女が願いの代わりに押し付けられたコストを部分的に認識している、本編で言うところの第3話以降の段階からスタートする。
その後、しばらくは章立てのゲームシナリオらしく2話の前後編構成で「街の怪異に潜む原因を倒す」という無限に既視感のある筋書きで話が進行する。怪異の原因は魔女ではなくウワサであり、更にその黒幕には「魔法少女の救済」を掲げるマギウスなる組織がいることがわかってくる。

最も衝撃的だったのは、魔女システムがハックされていることだ。
魔女は本来は魔法少女の末路であり制御不能な敵だったが、神浜市では魔女の力を「ドッペル」としてコントロール可能なことが判明する。他にもマギウスの面々は魔女を使役して戦っており、もはや魔女の力は武力として使用できる道具と化している。

元はと言えば、魔女システムとは「願いのリターン」を受け取る代わりに「魔女化のコスト」を支払うキュゥべえとの契約である。
魔法少女が願いを何でも一つだけ叶える代わりに、魂のソウルジェム化・魔女との戦い・潜在的な魔女化の脅威などの諸々のリスクを引き受けることになるわけだ。この取引は売主であるキュゥべえと買主である少女の間で取り交わされ、(多少の説明不足があるとはいえ)概ね強制の伴わない契約自由の原則に基づいている。

このように魔女システムを等価交換的な契約と見たとき、「ドッペル」を筆頭とするマギウス勢力によるシステムのハッキング行為は契約の一方的な破棄に相当する。魔女化を拒絶することによって、コストの支払いを踏み倒しているのだから。
よって、このときただちに問題になるのは、「リターンのみ受け取っておきながらコストだけ破棄するのはアンフェアではないか」ということだ。魔法少女キュゥべえに願いを叶えてもらっているはずなのに、いざコストを支払う段階になったら踏み倒すというのは筋が通らない。「魔法少女を魔女化から解放する」というマギウスの理念は単なる契約破りであって、社会的に考えると真に邪悪なのはマギウスではないかという気もしてくる。

しかし、ここで重要なのは、契約においてコストの踏み倒しが不当であるのは、事前にリターンを受け取っている場合に限られるということだ。逆に言えば、正しくリターンを受け取っていない場合はコストを踏み倒しても問題ない。商品が届かないのにお金を払う必要はないのだ。
契約としての魔女システムにも同じ論理が適用できる。もし願いの対価を受け取っていない魔法少女がいるとすれば、彼女が魔女化の支払いを踏み倒すのはむしろ全く妥当ではないか。そう思って見ると、「実は願いのリターンを受け取っていない魔法少女」というモチーフが見えてくる。

それが最もわかりやすいのは主人公のイロハだ。
イロハは物語開始時点から魔法少女であり、以前に何らかの願いを叶えてもらっていることは確かなのだが、「彼女自身すら願いの内容を知らない」という異様な状態にある。第2話でそれは「妹のウイの病気を治す」であることが判明するものの、肝心のウイが誰なのかがよくわからない。ウイについては断片的な夢と記憶があるだけで、皆で探しても見つからず、手がかりが見つかりそうになるたびに失われ、最後までウイまで辿り着けない。イロハは「ウイの病気を治す」という願いが正しく履行されているのか確かめられないし、元気なウイの姿を見ることもできない。それは果たして「願いが叶った」と言えるだろうか?

裏主人公らしきヤチヨも同様である。
ヤチヨの願いは「リーダーとして生き残りたい」だが、それは「リーダー以外を犠牲にする」と裏表であり、本来望んだような効果が得られないことに強く苦悩している姿が描かれる。恐らくヤチヨの場合は願い方に問題があり、本当に実現したかった状態が実現されていない。
ヤチヨもまた願いの正当な対価を受け取ったとは言い難いキャラクターであり、契約のリターンを享受していない買主として理解できる。

イロハとヤチヨは最終戦ではドッペルをかなり自由に扱える状態に至る。ドッペルを使用することは魔女化のコストを支払わないこととイコールであり、この二人は契約を踏み倒す買主だ。
しかし既に述べたようにこの二人は願いからのリターンをきちんと受け取っていないので、コストを支払わないことにも納得できる。不当な契約は一方的に破棄する権利があるし、踏み倒しは対価の不在によって正当化される。機能しない願いに値段は付かない。

本編でひたすら繰り返された噂のモチーフにも「願いそのものに最初から自壊と挫折の契機が潜在している」という点が共通している。
最もわかりやすいのは「フクロウの幸運水」だろう。幸運水を飲むとしばらくはラッキーのバフがかかるが、24回分の効果が切れた瞬間に不幸が降りかかってくる。幸運という最初のリターンのうちに既にそれを消費して自壊する結末が含まれているのだ。これが願いを叶えることに周囲の犠牲という不幸を含むヤチヨの願いと同型であることは言うまでもない。
「口寄せ神社」でも、「死んだ恋人に会いたい」という願いは暗黙に偽物との出会いを含意している(死者に出会うことはできないのだから)。最初の願いそのものが矛盾を孕んでおり、本来の願いとは異なる形でしか実現されない。「ひとりぼっちの最果て」でもアイの「塔から飛び降りた人物を幽閉する」という機能は成立に際して「飛び降り」を前提とする。つまり自殺を決行した人に対してしか発動しないはずで、自殺という強い意志的な行為=願いを妨害する性質を持っている。

こうした、「願いそのものが自己矛盾している」という『マギレコ』内で随所に見られるモチーフの萌芽は『まどマギ』本編にも見られる。
例えばサヤカの願いは「恭介の腕を治す」だが、腕が治った恭介がヒトミと付き合ったことがサヤカの魔女化の大きな要因となった。ヒトミに恭介を取られるのが魔女化するくらいショックなら最初から「恭介と付き合う」ことを含む内容を願っていればいいはずで、本当に望んでいることと実際に叶えた願いの間には乖離がある。
とはいえ、それはサヤカが願う内容を間違えてしまったということに過ぎない。サヤカに比べ、ヤチヨの願いの挫折はもっと根本的だ。改めて比較すると、ヤチヨの願い「リーダーとして生き残る」は、その内容のうちに「周囲を犠牲にする」を暗黙に含んでいたためにうまく作動しなかった(と、少なくともヤチヨ自身は感じている)。一方で、サヤカの願い「恭介の腕を治す」自体は完全に履行されている。そこから派生して恭介との恋愛が成就しなかったのは契約とはまた別の問題だ。サヤカは契約のリターン自体はきちんと受け取っている。
その差異にこそ『まどマギ』から『マギレコ』への願いの変質、およびそれに伴うマギウスの発生を見ることができる。

補足279:「心の中で本当に叶えたかったことと願いの文面上で要求したことが一致しない」という言語的な情報伝達に困難を見るならば、これはコミュニケーションの問題でもあるだろう。キュゥべえが昔から誤解を招く言い回しを多用するのは、単なるレトリック上の些末な問題ではなく、願いの成立に関わる本質的な困難なのかもしれない。また、チャットボットを用いてコミュニケーション障害を扱う題材としてアイとフタバのエピソードがあったことも覚えておきたい。

総じて、「魔女システムのハッキング」と「願いの不成立」は裏表の関係にある。願いが成立しなかった者にだけ魔女システムをハッキングする権利がある(=リターンを受け取っていない者にだけコストを踏み倒す権利がある)。逆に言うと、ドッペルが成立した背景には願いそのものの変質があったとも言える。

こうした、「契約自体を承認するか否か」というポイントは魔女システムへの対抗戦略の違いにも表れている。
本編において、まどかは「魔女化する前に魔法少女を救済する」という願いを叶えることで魔女システムを破壊した。魔女システムを壊して魔法少女を救うことを目指すという意味ではマギレコにおけるマギウスのドッペルと同じ目的の行為と言える。
しかし、その戦略には大きな違いがある。システムへの信頼という点において、まどかとマギウスの態度はむしろ真逆である。

補足280:まどかもマギウスも、魔法少女に世界の存続や人々の希望といった過剰な責任を押し付け続けてきたことへの反省、魔法少女ジャンルに対するアンチテーゼが背景にあることは共通している。それはまどか自身が魔法少女化に際してはっきり語っているほか、マギレコでも最後の集会シーンで明確に演説されている。

まどかの場合、契約は正しく履行されることを前提としており、システムそのものは信頼しているのだ。まどかが用いた具体的な手続きは「願う」ことであり、その力の源泉はあくまでも魔女システムにある。キュゥべえの意図を超えてもなお願いが完全に履行されるという、むしろシステムの頑健性こそがまどかによるシステムの破壊を可能にしたのだ。魔女システムを徹底的に利用し、特異点まで加速させることで自壊を狙うのがまどかの戦略だった。

その一方、マギウスの場合は契約自体が最初から正しく結ばれていないことに注目する。「契約は正しく履行されない」という前提及び、システムに対する不信がある。マギウスはそもそも魔女システムの有効性を信じていないので、リターンを受け取らない代わりにコスト支払いを拒否できる。実際、マギウスが魔女システムに対抗する手続きはまどかと異なり「願う」ものではない。「願い」というシステムの外部から自分に有利なように契約を書き換え、キュゥべえの与り知らぬ範疇で悪用するのがドッペルだ。だからこそ、これは動作不良を起こしたシステムへのハッキングなのだ。

この構図に照らして考えれば、イロハが最後までウイと出会えなかったことにも納得がいく。
ウイはリターンの不在の象徴であり、最初から無効な契約を構成する空白なのだ。イロハの「ウイの病気を治したい」という願いの文は指示対象を欠いたナンセンス命題であり、そもそも論理的な文章として成立していないので契約を締結しない。これによって、イロハは契約に縛られずにドッペルを行使する権利を得る。なにせ願いが壊れているのだから、コストを支払う必要があるはずもない。

補足281:にわかサブカル精神分析も寒々しいが、「追い求める割に実体がないウイって『対象a』ってこと!?」……と思った人も少なくないのでは。

……と思っていたのだが、どうやらゲーム本編や二期のPVではウイは普通に実体があるキャラクターらしい。別に俺はこのアニメしか見ていないので、偶然の産物でも一向に構わないのだが。