LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/4/11『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』感想 楽しく暴力を振るいたい!

防振りの感想

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話は面白くないけど女の子が可愛くて良かった。主人公とサリーちゃんがかなり良い。

一見物腰の柔らかい主人公が本質的には融通の利かない自己完結型の性格をしており、それがタイトルにもある「極振り」ゲームプレイとも整合しているところに好感が持てる。異様なゲームプレイをするプレイヤーはそれなりに異様な性格をしていなければならない。
第2話までサリーちゃんの参加を遅らせ、まず主人公の性格をソロプレイできちんと表現したのが良かった。単独行動でも楽しそう、異様なこだわりを持ち柔軟性を欠くアスペ気質、自分の選択を疑わずに虫やヒドラを食べるなど、いかにも極振りしそうな振る舞いが目立つ。

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一方、サリーちゃんはそんなに尖ってなくて最大公約数的だけど、女性主人公の親友の完成形って感じがする。こういうちょっとボーイッシュで運動神経の良いポニーテールで面倒見のいい女の子がいると女性主人公は捗る。

人間関係が広がるようで全然広がってないのもグッド。
他のキャラクターの振る舞いがコピーペーストしたようにNPC的で、「定期的に主人公を持ち上げる強くて良い人」くらいのステータスしかない。双子とか少年とか色々出てくる割にはビジュアル以外に特に差別化点が無く、最初から最後まで人間同士の関係らしきものは主人公とサリーちゃんの間くらいにしかない。

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中盤までの「二人だけの世界」感が最後まで維持されていたのは本当に嬉しい。

1.異世界転生としての『防振り』

『防振り』は設定的にはHMDを用いてプレイするVRMMOだが、とてもそうとは思えない描写が全編を通して目に付く。

とりあえず誰でもツッコミを入れるのは、インターフェイス周りの適当さだろう。
「頭に装着するだけのHMDなのに明らかにフルダイブしている」を筆頭に、「味覚や触覚はどこから来ているのか」「そもそもどうやって操作しているのか」など、ただちに生じてくる疑問点は数えきれない。

また、あくまでもVRなので外部には操作している人間がいるはずだ。ゲーム内のキャラクターが本当に活動しているわけではないのに、一貫して現実世界への関心が極めて低い。
現実世界に戻るシーンはほとんどなく、あってもギャグシーンが挿入される程度だ。他のキャラクターでそれは特に顕著であり、主人公とサリー以外が現実でどういう人物であるかは描写されないどころか僅かな興味が向くことすらない。炎帝さんはなりきりプレイが熱すぎるし、モブ兵士のゲームプレイモチベーションも不可解だ(せっかくのMMORPGで何故モブ兵士として下働きするロールを?)。

総じて、ゲーム世界というよりは異世界という方がしっくり来る。
上に挙げたような違和感の数々は実質的な異世界転生としてVRMMOを扱う目的が先行した描写であることは明らかで、細かい不整合を突っ込むのも不毛だろう。

よって、『防振り』のジャンル的な立ち位置を今風の無双系異世界転生と捉えたとき、それを女主人公でやることの需要は以前から高かった(俺調べ)。
少年主人公はどうしても鼻に付くが、美少女主人公が強いことは水が流れる如く自然の摂理である。特に前期にその枠だったはずの『のうきん』があまりにもあんまりな内容で空振りしたため、相対的に『防振り』にかかる期待は大きかった。全話が終わった今、『防振り』はその責任を十分に果たしてくれたと思う。

以下、流行りの(?)「異世界転生無双」が美少女verになるにあたり、どんな仕掛けが用いられたのかについて詳しく書いていきたい。

2.VRMMOとしての『防振り』

早速手のひらを返すようだが、『防振り』における美少女無双を考える上で本当に重要なのは、実はついさっき棄却したばかりのVRMMOとしての特徴である。つまり、表面的な無双というモチーフは明らかに異世界転生の文法であるにも関わらず、それに本質的に貢献しているのはVRMMOの文法であるという捻れた構造が背後にある。
よって、まずは『防振り』内で現れていたVRMMO設定由来の描写について確認しておきたい。それは一言で言えば「ゲームはゲームでしかない(リアルではない)」という心構えであり、作中のキャラクターにおいては「背景の欠落」という形で現れてくる。

最もわかりやすいのは主人公とサリーの目的の単純さだ。
彼女らの行動にはゲーム上の目的以上の意味が全く与えられておらず、主人公が発する「勝ちたい」は「ゲームで勝ちたい」という意味でしかない。「ゲーム部の部活で勝ちたい」とか「約束を果たすために勝ちたい」というような他の目的と紐づいていない、自己目的化した目的である。ゲームはゲームでしかなく、それに伴う無駄な背景は欠落しているのだ。
俺なんかはどうしても「主人公とサリーが遠い昔に一緒にオンゲーで遊ぶことを誓った」とか「主人公は実は半身不随でゲーム空間でだけは自由に動ける」みたいな「ゲームに対する深い意味付け」が欲しくなってきてしまうのだが、そういう余計なバックグラウンドが一切ない。それはバトルが佳境に入ってくる後半でも全く変わらず、対NPCでも対PCでも「勝たなければならない理由」「達成しなければならない理由」は特に設定されない。

それは他のキャラクターも同様だ。仲間になるキャラクターでもゲーム外の事情は描写されない。つまり「どうしてゲームをやっているのか」「ゲームに勝つと何が起こるのか」というレベルの目的性は設定されていない。リアルでの事情や固有に抱えている問題も特になく、表面的な性格や口調くらいしかわからない。

そして、最も重要なのは名もなきモブプレイヤーたちだ。主人公や強者たちを持ち上げたり殺されたりするだけのモブにこそ、「ゲームはゲームでしかない」というある種の冷笑的な態度が最も強く現れている。
モブプレイヤーにとってVRMMOはかなり気軽な娯楽であるようだ。モブたちは死んでもヘラヘラとモニターで観戦するばかりだ。勝たなければいけない理由が特にないので、主人公に殺されても笑っていられる。彼らはゲーム内の人生を真面目に生きているわけではなく、殺される立場を謳歌できる。
これは異世界転生ならば起こらないことだ。異世界転生ならば、(そこが現実世界ではないにせよ)モブにとっても現行の人生が唯一の人生であり、自分の人生にはある程度執着するのが自然である。よって、「キルされても別に切実には困らない」というモブの在り方はVRMMO的な特徴を密輸入していると言える。
そして、これが主人公の魔王化に際して決定的に重要な役割を担うことになる。

補足276:なお、今回の本題にはあまり関係ないので補足に回すが、美少女主人公ということに注目したときに異世界転生ではなくMMORPGの形態を取ったことに合理性がある理由としてもう一つ挙げられるのは、「最初に現実世界を不可逆的に離脱する必要がない」という点だ。スバルやカズマのような引きこもりダメンズたちはともかく、親友の美少女がいるような現実世界を謳歌している美少女が死ぬのは忍びない。

3.魔王化という究極の享楽

まず、魔王化に象徴される主人公のハイスペックさは「現実世界のステータスがゲーム内に反映されている」設定に根を持っているらしいことには注目しておきたい。

リアルで泳ぎが得意とか木登りが上手いとか反射神経がいいとかいうのはプレイにも反映されるの。プレイヤースキルっていうやつ

(第2話より、サリー曰く)

この設定はかなり衝撃的でクリティカルだ。VRゲームでは現実的にリアルのスキルが反映されてしまうのはわからなくもないが、別世界で別人格を作るMMORPGのプレイ感覚とは明らかに符号していない。
しかし、「リアルのステータスを引き継ぐ」という設定を拡大解釈すれば了解できることは多い。例えば、主人公がまだあまり強くなかった初期から妙に人気があったことにも、美少女的容姿や振る舞いがゲーム内にかなり反映されていると考えれば納得がいく。
それが設定的に正しいかどうかはともかく、異世界がリアルでは実現できない夢を叶える断絶された逃避先ではなく、むしろ美少女である主人公が潜在的に持っている高いポテンシャルを発揮するステージとして描かれているくらいのことは言えそうだ。いずれにせよ、「現実世界でのスキルが反映される」という設定からは主人公のポテンシャルが元々高いという美少女らしい前提が伺える。

そんな土台を踏まえた上で、美少女が無双するという強さに強さを掛け合わせた終局として主人公は「魔王化」に向かう。元々極めて高いポテンシャルを持つ美少女主人公がそれを最大まで高めた最終形態として、露悪的な暴力の化身が出現するという基本線がある。

魔王の強さを表現するために異世界で行われた行動は「モブの虐殺」と「強者の連合」の二つだ。
どちらも中盤以降はわりと露骨に描かれていたが、最も強力だったのは最終話のイベント消化シーンだろう。利害の一致した強者たちが徒党を組んでモブを虐殺していくというあんまりすぎるゲームプレイに加え、最後には主人公が他ギルドのリーダーをアジトに招待して友好関係を結ぶに至った。
主人公は個人として最強クラスの戦力を持つことにも加え、コミュニティとしても最強クラスの人脈を備え、まさに世界を牛耳る完全な暴力を手にしている。

さて、良心的な理想的美少女が完璧な暴力から享楽を得るにあたり考えるべきは、暴力から生じる悲劇と罪悪感をどう処理するのかという問題だ。
言葉の定義上、「殴る」という行為には「殴られる」相手が必要である。一般的に言って暴力とは常に他者との関係の中にあり、その行使は他者と無縁でいられない。暴力を振るえば誰かは傷付くし、自分にも傷付けた罪悪感が生じてくる。いみじくも「大いなる力には大いなる責任が伴う」と言うように、個人が力を持つことは常に周囲との軋轢を生む。
魔王化して暴力を振るうことは美少女に望まれる享楽であったとしても、暴力を振るった結果は享楽からは遠くなる。このジレンマはどう解決すればいいのだろうか? 暴力を振るった結果に生じる被虐者の悲しみや苦痛、加虐者の罪悪感を取り除くにはどうすればいいのだろうか?
念のために注意しておくが、今は人道的な意味で「暴力が他者を傷付けるのはよくない」などと言っているのでは全くない。暴力を振るうのは気持ちいいが、悲劇や罪悪感を生じたくはないと言っているのだ。そういうネガティブな要素は暴力の享楽を減ずるからである。よって、悲劇や罪悪感は取り除くべき障害であり、その排除に成功したときにこそ、暴力を究極の享楽として享受できるようになる。

補足277:他者を害することから生じるあらゆる結果を含めて暴力の享楽であるとする立場もあるだろうが、今回はサディズムと破壊の享楽は必ずしも一致しないということにしておこう。

補足278:今回の論旨からすると、極まった暴力の享楽からはその享受の障害となるものがオミットされ、逆に人道的な配慮が生じてくる。逆に人道的な配慮が極まれば、他人を害することですらも正当化されて暴力の享楽が生じる。すなわち「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」、これは陰陽魚の論理である。

ここに来て、VRMMO的な特徴として捉えてきた「背景の欠落」が重要な役割を果たしていることがわかってくる。それは被害者であるモブと加害者である主人公の両方に適用される。

まず、殺されるモブたちにとってゲームはゲームでしかないので、殺されてもいちいち悲しむ必要がない。彼らはゲーム内で強い目的があるような物語を生きておらず、「どうしても勝ちたかった」と泣くことすらない。
よって、このゲーム内では本当の意味で害される他者が存在しない。どのモブも娯楽として殺されるというマゾヒスティックな感性を備えているので、被害状況に気を配る必要がないのだ。合目的的に考えれば因果が逆で、主人公が虐殺する罪悪感を減ずるためにモブから悲劇がオミットされていると言ってもいい。

また、それらしい目的が存在しないのは主人公も同じだ。
主人公の成功を描く際にストーリー的な文脈に頼ることができないので、それらしい記号を寄せ集めて純粋な力の大きさを描くしかなく、魔王化は唐突なものとなる。実際、それらしいパーツ、BGM、シーン、行動に分解された魔王の記号があるだけで、それらを統合する文脈が決定的に欠落している。
主人公が振るうのは純粋な記号的加害であり、コストやリスクとは常に無縁なのだ。

つまり、主人公の魔王化は暴力の最も都合の良いところだけを選択的に抽出しているのだ。
絵面的には加害だが、行為としては加害ではない。暴力を振るう絵面だけを好きなだけ享受でき、そこから派生する罪悪感や悲劇や責任からは無縁である。こうしてVRMMO的なある種の冷笑的な態度を密輸入することで無双における加害のジレンマが解決され、ここに来て異世界にしてVRMMOである『NewWorld Online』は美少女主人公が他者を圧殺して究極の享楽を貪る空間として顕現する。

4.まとめ:美少女の楽しい暴力

意外と話が複雑だったので総括しておこう。

まず、適当なインターフェイス設定による異世界転生的な描写によって、主人公の美少女が無双するというジャンル上の基本線が構築された。
その無双状態は魔王化に象徴され、強さが極まったことの表現としてモブの虐殺や強者の結託のような露悪的な行動が描かれた。
その際に蹂躙されるモブについては「所詮は娯楽である」というVRMMO設定を密輸入して悲劇をシャットアウトすると共に、主人公についても文脈を欠落させた記号的な暴力を前面に出して罪悪感を払拭した。
これにより、暴力の行使に伴う障害を完全に取り除き、美少女主人公が振るう究極の享楽としての暴力が完成した。

総じて、VRMMOの文法と異世界転生の文法を巧みに使い分けながら主人公を魔王化させ、暴力を究極の享楽として正当化し最強の美少女を描くことに成功していたという点でかなり完成度の高いアニメだったと思う。続編も楽しみにしている。
ちなみに、こうしたロジックはタイトルの「痛いのは嫌なので」というところにもよく現れている。痛いのが嫌なのは何も殴られるときだけではない。他人を殴るときにも、自分の手が痛くなるのは嫌なのだ。