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20/4/4 アズールレーン(アニメ)の感想 アニメ版ベルファストに見る「主人なきメイド」と実存主義

アズールレーン(アニメ)の感想

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2020年最大の話題作、アズールレーンアニメが終わった。

面白いときと面白くないときが両極端なアニメだったが、三ヶ月待たせた末の最終二話が後者寄りだったので微妙な後味になってしまった。シリアスな題材は延々と同じシーンを繰り返したり、海戦で緊張状態を描きたがる割には何も進展しなかったり、第三勢力の介入によるなし崩し的な終戦が陳腐だったり、不満が残るところは多い。
しかしその一方、可愛いキャラクターたちが動いてくれて嬉しかったり(特にシェフィールドの出番が多くて良かった!)、アクションとコメディはかなり良かったり、エンタープライズベルファストを固定カップリングにしたのが神がかっていたりなどの嬉しいポイントも多くあり、エンタメ的には総合収支でプラスでいいだろう。

話の本筋が尻すぼみだった一方、細部のモチーフは光るものが多く、第六話時点でお風呂回をダシにして中間経過を書いた。

saize-lw.hatenablog.com

ここで高く評価した題材は後半ではほとんど進行しなかったため、今でも結果的に評価を温存した状態になっている。この記事を以てアズールレーンを高く評価すると言えば7割程度は事足りる。

ただ、残りの3割として未だ欠けているのはベルファストに関する議論の整理だ。
上の感想で触れたキャラクターはエンタープライズ、赤城、ユニコーンが中心で、ベルファストについてはほとんど触っていない。よって、全話放送後の感想として、ベルファストについて書いておこうと思う(ただ、ベルファスト周りの話も後半で進行したわけではなく、第六話時点からアップデートされた点はあまりない)。

1.サブカルにおける実存主義的なモチーフ

記事タイトルにもあるように実存主義の話をするにあたり、近年のサブカルチャーにおける実存主義的なモチーフに関して良い解説動画があるのでこれを紹介することで導入としたい。わかりやすいしコンパクトな動画なので是非見ておいてほしい。

www.youtube.com

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補足268:ニーアとデトロイトに対して実存主義を読み込む外在的理由(「サルトル」というキャラクターの存在、制作者インタビュー)を最初にきちんと提示しているところが良い。というのは、実存主義的なモチーフは読み込もうと思えば何にでも読み込めてしまう見境の無いところがあるからだ。極端な話、「キャラクターが何かを主体的に選択する」という描写さえあればサルトルにこじつけることは常に可能だが、そういう描写が全く無い作品の方が例外的と言ってもいい。よって、作品論として結び付けるのであれば、それに足る動機・帰結・正当性などの相応の合理性が求められる。

上の動画は見た前提で要約を省略するが、今回最も重要な図式は以下のものだ。

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「神 - 人間」「人間 - ペーパーナイフ」「人間 - アンドロイド」のような、前者が後者を意味づけたり作ったりする関係のことをさしあたり「創造主 - 被造物」関係と呼ぶことにする。

サルトルがメインに主張したかったのはもちろん「神 - 人間」関係であり、その比喩として「人間 - ペーパーナイフ」関係を提示したわけだが、サブカルを読み解く上では「人間 - アンドロイド」関係に類似した構造を見つけ出せるというわけだ。今回の記事の結末を先取りすれば、ここに「御主人様 - メイド」関係を付け加える予定である。

補足269:「人間」の立ち位置が「神 - 人間」関係と「人間 - アンドロイド」関係では真逆になることに注意。人間は「神 - 人間」関係では寄る辺なき被造物だが、「人間 - アンドロイド」関係では絶対なる創造主となる。用法は文脈に依存するので混乱しないように。

2.被造物のモチーフを実存主義で読むかリベラリズムで読むか

しかし、本筋に入る前に少し脱線しておきたい。

被造物に対する実存主義的な読みに関しては、俺も『トイ・ストーリー4』の感想で全く同じことを書いた(この記事でも上の動画でも同じペーパーナイフの喩えを用いているのは参考文献が同じだからだ)。

blog.livedoor.jp

デトロイト』や『ニーアオートマタ』における「アンドロイド」と、『トイ・ストーリー』シリーズにおける「オモチャ」は全く同じように解釈できる。いずれも人間が作った道具だったものが意志を持ち、人間の定めた目的を脱して主体的な選択を迫られると言う構図がある。

ただ、トイストーリーの記事では、近年のディズニーがリベラルの伝道師であることに鑑みて、実存主義的な読みとリベラリズムの読みを意図的に混同して書いた。
それは冒頭に貼ったアズールレーン第六話時点での感想でも同様だ。「女性の身体」というフェミニズムの観点から入ってリベラルな切り口から話を始め、途中でエンタープライズの話題を扱う際には実存に触れている。

このように「被造物」というモチーフは実存主義リベラリズムのどちらでも見ることができるし、重なり合う部分が多くある。そのどちらが正しいのか決めるのではなく、それぞれの見方がどう違うのかについて、いい機会なのでここではっきりさせておきたい。

最大の違いは「被造物は作られた存在である」という事実をネガティブに見るかポジティブに見るかにある。
「作られた」という事実をネガティブで不本意な抑圧と見ればそれから解放されることが素晴らしいというリベラルな構図に接続するし、逆に「作られた」という事実をポジティブな人生の指針であると見ればそれを失うことで生じる困惑に対処するという実存主義的な構図に接続する。

例えば、「作られた」という事実がポジティブな意味を持つ作品としては『オーバーロード』が挙げられる。
オーバーロード』では「クリエイター - キャラクター」関係が「創造主 - 被造物」関係に相当する。つまりオンラインゲーム上でのキャラクリエイション行為について、アンドロイドを製造する行為と全く同じように、(近代以前にはアクチュアリティを持っていた)神の創造行為と同一視しているのだ。

blog.livedoor.jp

詳しくは上の記事に書いたが、『オーバーロード』が優れるのは被造物であるキャラクターたちが「作られた」という事実に対して困惑するどころか、それを喜んで受け入れてアイデンティティとすることだ。彼らはクリエイターを「至高の御方」と呼び、絶対の忠誠を誓っている。
このため、「神を捨てる」という実存主義の前提となるイベントは発生しない。『オーバーロード』はいわば『ニーアオートマタ』や『トイ・ストーリー』の前段階なのである。何かにつけて主体性が尊ばれがちな昨今において、あえて神に従属する存在を描く『オーバーロード』は被造物に関する前提を整理する上での引用価値が高い。

3.キャラクター論への拡大解釈と擬人化について

前節では『トイ・ストーリー』や『オーバーロード』の過去記事を通じて「創造主 - 被造物」関係が様々な局面で現れる様子を見てきた。
これを最大まで拡大解釈したとき、一般に「キャラクター」全般を「被造物」とみなせる。何故なら、メタ的に見てキャラクターとは総じて作者である人間の産物であり、「人間 - キャラクター」関係は常に「創造主 - 被造物」関係だからだ。よって、実存主義をキャラクター論として考えることもできる。

アズールレーンでは、特に「擬人化」という形でこうした被造物としてのキャラクターに関する議論が現れてくる。
ここで言う擬人化とは城や果物や艦船などの無機物を人間と見なす萌えカルチャーだが、「人ならざるものを人とみなす」という操作こそがまさに神の所業なのだ。一定の記号や設定に人間性(?)を付与する瞬間にこそ、無機物は正しく被造物となり、神との関係が完成する。

一般的に言って、擬人化コンテンツは「そもそも人になるとはどういうことなのか(内面や主体性の発生因)」をほとんど設定しない傾向にあり、それが擬人化という操作を神聖な創造行為と捉えることに貢献している。というのは、艦船擬人化コンテンツの本家である『艦これ』においての扱いが特にわかりやすい。

補足270:アズールレーンでは何かゴチャゴチャ設定されている気配はあるのだが、現在進行形で設定が語られている最中なので詳しいことはよくわからない。設定が完成したときアズールレーンにおいては擬人化の操作がソリッドなものとなる可能性はあり、それは楽しみにしている。

艦これでは「世界の艦船が女の子になった」くらいの設定はされているものの、それがどのような意味の変異なのかはほとんど説明されない。
例えば、「艦娘の元になった艦とは、パラレルワールドにある同名艦なのか、それともまさにこの世界で実在した個体なのか(世界との関係)」「艦娘が発生した瞬間における記憶や内面はどのように形成されたのか(個体としての歴史性)」「彼女が本質的に人間ではなく艦船であると主張しうる根拠はあるのか(艦娘という種の定義)」などは不明なままである。

総じて、艦娘にはその存在の根拠が欠落しており、その曖昧さが擬人化キャラクターを創造するという行為を神の人間創造と同じくらい神秘的なものとする。擬人化にまつわる設定の適当さが創造主と被造物の関係を読み込むのにかなり都合の良い土壌を提供したと言ってもよい。
例えば、もし艦娘が物理的に艦船が変形した存在だとすれば(トランスフォーマー説)、艦娘は女の子になる以前から記憶を保持できるような何らかの内面を持ち得る存在者だったはずであり、擬人化された時点で初めて人間的な内面が創造されたわけではない。一方、艦娘が艦船の記憶だけを抽出して移植された存在であれば(人体改造説)、彼女の艦船としての性質は付随的な属性に過ぎず、あくまでも人間として創造されたことの方が重要になるだろう。

いずれの場合も擬人化の時点を創造と捉えるには都合が悪い。そもそも、人間の内面が如何にして生じるかは現代の科学でも解明されていない未解決問題であり、それをスッキリ正当化する設定など土台不可能である。設定をきちんと詰めない方が良いこともあるのだ。

4.「主人なきメイド」と実存主義

アズールレーンアニメでも「創造主 - 被造物」関係は「人間 - 船」関係をベースとするが、アズールレーンがキャラクターコンテンツである以上、その関係は「人間 - キャラクター」関係ともパラレルであることは言うまでもない。

特にエンタープライズは「戦うために作られた」という人間が付与した設定に偏執的にこだわっていることが問題として提示される。彼女が解決すべき課題は「戦う以外の道はあるのか」や「戦う以外に何をするか」であり、やはり自由の刑を受けた者としての振る舞いを選択していく話として読める。
これに対してソリューションの役割を明示的に引き受けているのがベルファストだ。「皆戦う以外にも商売とか色々やってる(そんなこと気にしてるのはお前だけ)」「戦わない選択もある(綾波を救ってもいい)」というようなアドバイスエンタープライズやジャベリンに振りまいていく。これは創造主の意図を超えた主体的な選択のサジェストであり、ベルファスト実存主義の伝道師と見るのが最も素直な見方だろう。

しかし、最も注目すべきポイントはベルファストがアニメ版に限って「主人なきメイド」であるという点にある。というのは、アニメ版アズールレーンでは(恐らくは「男を出すと売れない」という商業的な判断で)指揮官がオミットされたため、メイドキャラクターが仕える御主人様がいないという奇妙な事態が生じているのだ。
一応、作中ではロイヤルメイド隊はクイーン・エリザベスに仕えていることになってはいる。ただ、それは設定上の正当化に過ぎず、クイーン・エリザベスは決して萌え属性としてのメイドが仕える主ではない。ベルファストがクイーン・エリザベスを「女王陛下」と呼び、(アプリ版で指揮官を呼ぶように)「御主人様」とは決して呼ばないことからもそれは明らかだ。

補足271:アプリ版ではロイヤルメイド隊はクイーン・エリザベスを「陛下」と呼び、指揮官を「御主人様」と呼ぶ方針で統一されていた。つまり、もともと設定上の雇用主と萌え属性としての雇用主が合致しないという指揮系統の混線があり、アニメ版では後者が壊れたという経緯がある。

アニメ版でのみ発生した「主人なきメイド」という異常事態に対し、本編全体を貫くテーマに照らして合理的な理由付けを与えたのがアズールレーンアニメが決定的に優れていた点である。
具体的には、「メイドをやっているのは人間の真似事だから」という説明が第5話で与えられる。このときのベルファストエンタープライズのやり取りは以下。

「艦なのにメイドとか女王とか、まるで人間の……」
「まるで人間の真似事だ、そのように仰りたいのでしょうか? 変わりませんよ。人も船も違いはありません。等しく心を持つ命でございます」
「いや我々は戦うために生まれてきた。人間とは違う」

(略)

「どんな過酷な世界であっても人は気高く生きることができるのだと。迷える人々の模範となるため、私たちは優雅でなければならないのです」

ここで言う人間とは、もちろん艦船たちから見た人間である。つまり、「人間 - キャラクター」関係において君臨する創造主だ。
人間との違いを強調するエンタープライズに対し、ベルファストは「違いはありません」と断言し、それを示すために「あえて自覚的にメイドの真似事をする」というアイロニカルな態度を引き受ける。この屈折こそがアニメ版でのみ生じたベルファストの真髄であるということについて説明していこう。

実存主義的に見れば、「御主人様 - メイド」関係もまた「創造主 - 被造物」関係の一つとして考えられる。
「メイドはただの雇用契約だから別に被造物ではないのでは?」と思うかもしれないが、萌えカルチャーの文脈ではそうではないと言わざるを得ない。何故なら、「メイド」とは明らかに単なる契約上の職業ではなく、キャラクターの存在を定義する根本的な性質の一つだからだ。
メイドキャラはいわばメイドという職業の擬人化であり、メイドキャラがメイドでない状態は基本的に存在しない。業務時間中には「~で御座います」などと慇懃な口調を使うメイドが業務時間外には「そだねー」とか言っていても別におかしくはないはずだが、萌え属性としてのメイドキャラはそれを許さない。メイドキャラにとって「メイドであること」とは存在と不可分の本質であり、この意味で、その発生因である御主人様はメイドの創造主であると言えるのだ。

補足272:でもお正月のローディングイラストではベルファストも餅食ってゴロゴロしてたから、もしかしたらベルファストには「業務時間外の性格」が存在するのかもしれない。

補足273:古今東西恋愛シミュレーションで頻出する「メイドキャラとの恋愛」というイベントが異様な様相を呈するのも同じ理由による。常識的に考えて、恋愛とは個人的に行われるが、メイドとの雇用契約は社会的に行われるというギャップがある。もし「メイドキャラとの恋愛」が個人的な領域のイベントであればメイドがメイドであり続けることは不可能だし、社会的な領域のイベントであればこの恋愛は「レンタル彼女」のような商業サービスに過ぎないことになる。

同じように、相手の存在によって初めて創造される萌え属性は他にもいくつかある。例えば「メスガキ」がそうだ。

mekasue.hatenablog.com

この記事は非常に興味深い。VRChat上でメスガキキャラクターを演じようとしても煽る相手が存在しないためにそもそもキャラが成立せず、VRChatでメスガキになることは不可能であると指摘している。メイドが御主人様を必要とするのと同じように、メスガキは煽る大人を必要としているのだ。

また、『ボンバーガール』の公式Twitter漫画でのグリムアロエの振る舞いにも同じ「メスガキパラドックス」が見て取れる。
グリムアロエはゲーム内ではお兄ちゃん(プレイヤー)を煽るメスガキなのだが、プレイヤーとの接触経路がないTwitter漫画では煽る相手が存在しないのでメスガキキャラが維持できない。このときのグリムアロエは意外と常識人であり、良心の呵責に苛まれたりツッコミ役に回ったりすることも多い。

つまり、「煽り相手 - メスガキ」関係と「御主人様 - メイド」関係はいずれも「創造主 - 被造物」関係のパターンであり、「煽り相手のいないメスガキ」もまた「主人なきメイド」と同型である。

もっと一般化すれば、この世の萌え属性は二種類に分類できることになる。

  • A 相手が必要:メスガキ、メイド、ツンデレヤンデレ
  • B 相手が不要:クール、熱血、根暗、努力家

相手が必要なAグループに関しては、そのキャラクターの創造に際して必ず相手を必要とするという意味で「創造主 - 被造物」関係が常に読み込める。

アズールレーンアニメでは、この回路を利用してエンタープライズが抱える「人間 - 艦船」関係と、ベルファストが抱える「御主人様 - メイド」関係がパラレルに重ねられた。
自由の刑に処されたエンタープライズに対し、ベルファストは御主人様が不在の状態で「あえて」メイドをやるという「創造主の真似事」により、人生を意味づける主体的な選択が可能であることを示したというわけだ。この逆説はやや入り組んでいるが、逆パターンを考えれば容易に理解できる。もしベルファストが創造主=御主人様との関係に囚われているのであれば、可能な態度は「主人がいないにも関わらず盲目的に主人の偶像を探す」「主人がいないことに困惑し、メイドであることに思い悩む」のいずれかしかない。「あえてメイドの真似事をする」という一歩引いた態度は、ベルファストが創造主との関係を既に括弧に入れて相対化していなければ成立しない。
繰り返すが、この構図が可能になった背景には、アニメ版では御主人様=指揮官がオミットされたことによって「主人なきメイド」が寄る辺なき存在として宙に浮いていたという前提があり、メディアの特性を利用した議論が非常に優れていた。

補足274:最終話でエンタープライズが到達した「あえて戦うことを引き受ける」という態度もベルファストの自覚的な主従関係への復帰と同様に理解できる。いずれも神との関係に無自覚に従属するのではなく、一歩引いた地点から「あえて」自覚的に引き受けるというアイロニカルな態度が共通する。ただ、エンタープライズの「あえて」はベルファストのそれに比べると一段劣ると言わざるを得ない。軍人が戦争を嘆くのは、気の持ちようの問題ではなく、実際に戦争が止まらないという悲惨な事実にウェイトがあるはずだ。それをあえて引き受けたところで問題は解決されていないどころか安全に痛い範囲でのみ反省するという正当化を招く。それに比べると、ベルファストが扱ったメイドキャラとしての整合性という内面的な問題の方がうまく実存主義的なモチーフを利用していると言えるだろう。

補足275:なお、アニメ版ベルファストが演じた「主人なきメイド」のモチーフと、それが指摘する神との屈折した関係は自分のラノベで登場させたメイドキャラクターにそのまま流用した。『皇白花には蛆が憑いている』解説3-3-6節を参照。