LWのサイゼリヤ

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21/4/29 お題箱回:人狼延長戦

お題箱81

前回お題箱返答回で人狼に触れてからTwitterで色々リプライを貰ったりして完全にこのゲームを理解しました。色々来ている人狼関連の投稿に答えつつ、「我が人狼理解に一点の曇り無し」ということを証明します。

 

273.LWさんが人狼ゲームをどう認識しているのか、多少は理解できているつもりで質問するのですが
そもそも人狼が「各プレイヤーがどんなルールを内面化しているのか?」を互いに読み解き合う(騙り合う)ゲームで(も)ある、という側面についてはどうお考えになるでしょうか?

なまじ、偶発的に似た偏り方をして「ルール(定石ムーブ)」を前提かのように錯覚、共有する集団内でプレーするから「それは幻想だ!」という看破に意識を割かれるのであって、
そもそもが「偶発的に共有できた(かのように見える)ルールを手掛かりに、他プレイヤーの見ている"ルールの像"を読む(そして解釈を誘導する)」ところに力点があるゲームに思えます。
「その点は承知しており、かつそれを好ましいとは思わない」という感じかもしれませんが、何か語ることがあればお聞きしたいです。

少なくとも事実上、人狼が他プレイヤーが持っているルールの像(=無根拠な妄想)を推測するゲームとして営まれていることと、その妄想に寄り添うのが楽しまれていることについては同意します。
ただ一つ大きな異論があるのは、「『各プレイヤーがどんなルールを内面化しているのか?』を互いに読み解きあう」と表現できるほど妄想には多彩なバリエーションがあるわけではないだろうということです。それぞれが多様な妄想を持っているわけではなく、知らんけどどっかにセオリーと偽って書かれている支配的な妄想を皆が共有していて、「支配妄想の保持者」と「それ以外」に分かれているのが実情であるように思われます。
よって、「偶発的に似た偏り方をする」という表現にもあまり同意できません。現実的にも、皆がそれぞれ異なる源泉から異なる妄想を産出してそれがたまたま一致しているわけではなく、支配妄想を保持する方が有利になることに気付いた上で便乗しているはずです。既にある特定の妄想が支配的になっている場においては、それを取り込むのが最も有効であることは理解できます。

人狼における支配妄想を麻雀で喩えると、「三手目に中を捨てたやつは皆で狙い撃ちにするとよい」という妄想が流通している状態に近いです(ルール上は中と白と發は可換なはずなのに、何故か中だけが対象になっているあたりが妄想ポイントです)。
仮にこの妄想が麻雀界隈で支配的になっている場合、それを知らずに三手目に中を捨ててしまう新人プレイヤーはまず勝てないでしょう。何局か戦ってボコボコにされ続けた末に途中で妄想ルールの存在に気付き、自身もその妄想に従うことで負けを防げることを理解します。こうして支配妄想はニューカマーを取り込んで更に拡大し、実質的な追加ルールとして機能していきます。それはそれで戦略性のあるプレイを生み、多少は牌効率を崩してでも中は二手目や四手目に捨てることが勝率を最大化するためのセオリーとなるかもしれません。

ただ、仮に「三手目に中を捨てたやつは皆で狙い撃ちにするとよい」という支配妄想が十分に共有されていたとしてもなおそれが明文ルールと決定的に異なるのは、支配妄想は「ゲーム内のルールを参照している限りは絶対に把握できない」という意味でゲームの外部にある点です。
具体的に言えば、「334の塊からは4を落として刻子を狙うより、3を落として順子を両面待ちする方がツモ上がりしやすい」というセオリーはいつどこで誰と卓を囲んでいても正しいですが、「三手目に中を捨てない方がよい」というセオリーは皆が支配妄想を共有していることによってのみ成り立ちます。どちらも勝率を最大化するセオリーであるとしても、前者は明文ルールから生まれたゲーム内のセオリーである一方、後者は支配妄想から生まれたゲーム外のセオリーです。
よって、支配妄想由来のセオリーに沿わなかったという理由で敗北したとして、それはゲームに負けたことになるのかどうかが微妙なところです。もし麻雀プロリーグとかでトップランカーだけが「三手目に中を捨てたやつは皆で狙い撃ちにする」っていう妄想を共有してて、それを知らない新人は三手目に中を捨てて理由もよくわからないまま負けた場合に「新人は麻雀が下手だった」ということになるのでしょうか。それはゲーム前にどれだけ情報を集めたかを競う就活セミナーのビジネスマナーワークみたいなもので、少なくとも我々が通常ゲームと呼んでいる営みとはかなり異なる営みであるように思われます。

補足375:とはいえ、カードゲームのメタゲーム読みデッキ選択なんかはこの営みに近いので、これを言ってしまうとアグロが流行っているときにミッドレンジを持ち込むのもゲームではないと言わなければいけなくなる恐れがあります。ないかもしれませんが、少なくとも類似ケースではあります。

とはいえ、その支配妄想という名の既得権益が勝敗を決定する排他的で内輪な性質自体が悪辣とか陰湿とかいう攻撃をするつもりはあまりありません(まあ、その気持ちが全くないと言えば嘘になりますが……)。
僕が誤っていたのは人狼を理詰めのゲームだと勘違いしていたというただ一点であり、コミュニケーションワークとして考えるならば楽しむ道も十分に残されているように思います。実際、高校生が自習時間に打つ麻雀で「三手目に中を捨てたやつは皆で狙い撃ちにするとよい」というローカルなノリが自然発生するのはいかにもあり得そうなことですし、それは明文化されたルールではないからこそ場の盛り上がりに大いに貢献するでしょう。

 

274.こんにちは。いつも楽しくブログ拝見させていただいています。
2021/04/18のブログにて人狼の話をされていたと思うのですが、結論に疑問を持ちました。
もっと根本的な話として「人狼は空気を読むゲーム」的な側面があり、それが出来ていない人間を人狼として排除する傾向があると思います。
自分は浅学の身で仔細を言葉にできないのですが、例えば仮に20人で人狼をしていて、みんながAを吊ろうとしている時、その全員が「誰に投票しても影響がないだろう」と考えてランダムに投票した場合、結果は議論の内容とはまったく関係のない方向に転がっていくことになります。そうなってしまっては議論の意味が無く、ゲームは成立しません。ゲームを成立させるために、「議論の結果そう決まった」ことに逆らってはいけないという暗黙のルールが存在すると言えます。それが空気を読むことだからです。
そこでランダムに投票を行う人間はその暗黙のルールを破る≒ゲームをかき乱す存在として認識されるし、それを行って今メリットがある人間は人狼しかいない、というように結論付けられてもおかしくはないと思います。テスト中に大声を出して妨害する奴、みたいな認識を持たれるのではないでしょうか?
以上です。不躾な内容で申し訳ありません。

ありがとうございます。
こちらも基本的に上で書いたことと同じで、人狼が支配妄想の保持を前提としたコミュニケーションワークであるということを仰っているのだと思います。

ここで仰っている「ランダム投票するやつがいるとゲームが成り立たなくなる」として表現されている「ゲーム」というのも、明文化されたルールによるいわゆるゲームではなく、支配妄想で駆動している妄想ワークの方でしょう。というのは、ルールで決まっている範疇ではランダム投票は禁止されていないため、ルールに禁止されていない行為を行うことでゲームが成り立たなくなるということはルールの定義上有り得ないからです。

なお、僕一人しかランダム投票していない段階から「僕に感化された結果、全員がランダム投票を開始する」という事態を警戒するのはかなりの過剰反応であるように思われますが(実際にそれが起こるまでにはあまり現実的ではないステップをいくつもクリアする必要があるでしょう)、彼らが立脚している妄想が寄る辺ないことを認識しているからこそ滑りやすい坂を滑らないように過剰な滑り止めが散布されることも理解できます。

補足376:一般的に言っても、十分な人数が参加する選挙の本質は投票行為それ自体ではなく選挙運動であるため、「実際に僕の投票が結果を変えないこと」より「その異常性がパフォーマンスとして影響力を持ってしまうこと」を警戒するということは筋が通っているように思われます。これは普通の民主主義国家における普通の選挙を想像してもらえればよいのですが、まさか「自分が投票に行くかどうか」が投票結果を左右すると勘違いしている人はいませんよね。僕が次回の都知事選挙に行こうが行くまいが、都知事になる人は変わらないというのは端的に事実です。というのも、(実際の選挙を最大まで単純化して候補二人への多数決とすると)自分の投票が結果を左右するのは、自分以外の投票が綺麗に半分ずつに割れていて自分のプラス一票によってどちらが多数派か変わるという天文学的な確率のケースだけだからです。だからこそ選挙では「投票に行け!」とか「共産党に投票しろ!」とかアジって自分以外の票を操作することこそが重要なのであって、あなたが黙って投票所に行って黙って一票入れる行為には、少なくとも選挙結果から見れば全く何の意味もありません(なお、この補足は僕が自分の持つ一票を超えて投票率を操作しようとするアジテーションではありません)。

ただ、これに関しては「人狼は支配妄想を共有するゲームである」という理解の発展版として、りっぷるがいみじくも「人狼は馬鹿の動員ゲームである」と指摘したことはかなり説得力があります。
つまり人狼ゲームの参加者には、「妄想を妄想と認識している人」と「妄想を妄想と認識していない人」の二種類がおり、前者が後者を騙して動員することが人狼ゲームの本質であるということです。
この括りにおいては、妄想に乗ることを勧めてきている投稿者も、妄想に絶対に乗らない僕も「妄想を妄想と認識している」という点で前者にカテゴライズされます。一方でそれとは別に、そもそも妄想とルールを区別できていない層がおり、この層は支配妄想から導かれる偽のセオリーと、ルールから導かれる真のセオリーも区別できていません。よって、彼らに対して完成度の高い支配妄想を叩き付けることによって、(実際は無根拠であるというシニカルさを経由せずに)迫真の同意を取って投票を有利に運ぶことが可能になります。

そして、そういう扇動者にとっては僕のように意味もなく支配妄想から外れた行動を取る参加者は非常に厄介な存在となります。というのも、僕の行動は絶対に妄想と整合するように位置付けることができないため、動員対象の人が混乱してしまうからです。そうなると動員に失敗して投票を操作できずに不利になってしまいます(人狼を動員ゲームと見る限り、これはゲーム内の事態です)。
だから僕がランダムに投票すると吊られる理由は「本当に人狼だと思われたから」ではなく、「(人狼かどうかとは特に関係ないのだが)動員時のノイズを排除する必要があるから」です。僕を放置できないことについても、「僕を放置していると感化された人が現れて支配妄想が崩壊するかもしれないから」という過剰防衛説よりは、「僕を放置していると支配妄想の説得力が薄れて動員に差し支えるから」という切実に邪魔説の方が納得できます。

 

275.人狼周りの議論を見て思ったんですが、Lwさんってアニメや漫画で言うところの天才キャラっぽい悩みしてません?

最初は「適当に投票していいわけねえだろ~」って言ってた人も僕としばらく問答した末に説得されてしまって「確かによく考えると別にランダムに投票してもいいのかもしれない……」とか言い始めるみたいなことが何度かあって、「ソクラテスかよ」とツッコミされたのはかなりウケました。