LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

24/1/14 お題箱回135:受容理論、シャドバビヨンドetc

お題箱回135

777.「この理不尽さが肝だから一話のコノハがあんま魅力のないキャラだったことにも筋が通る」ってどういうことですか

778.16bit sensationについて語ってください(完結まで見守る場合は完結後に)

779.16bitセンセーションは後半のガバガバSF展開も含めて当時のエロゲっぽさを再現したのかな〜と思ってましたがどうなんでしょうか?(昔のエロゲはFateしかやったことないガチキッズ)

780.16bitセンセーションALの感想、批評を聞いてみたい

781.16bitセンセーションの長文感想が読みたい

書きました!

saize-lw.hatenablog.com

女性主人公適性の高いコノハが終始よく動いててぼちぼち萌えだったと思います。

 

782.はじめまして。最近、こちらのブログを見つけ、楽しみに読んでいます。
新たな投稿も待ちつつ、遡って記事を読んでいるところです。
リコリス・リコイルの記事を読んで思ったことを質問させてください。
私は『リコリス・リコイル』に特段の思い入れはないので、私への気遣いはいらないです。
一般論として、ご意見が聞きたいです。
お時間のあるときにご回答くださるととても嬉しいです。

コンテンツの感想についての記事に対して、「創作や受容に対して規範的な指摘をするべきではない」「小難しい批評を公表する意義があるとは思えない」「作品に対する理解が浅い」「そもそも娯楽作品の見方が間違っている」といった趣旨のコメントがついているのを見ました。こういった類のコメントやレビューは、書籍、ブログ、Twitterなどの媒体を問わず、アニメや漫画、映画などに関する分析的な言説に対するものとしてよく見かけます。多くの場合いわゆるクソコメやクソリプとして扱われていて、一括りに無視されています。それが大人な対応だと思います。
しかし、これら一つ一つにきちんと反論しようとすると(勝手に反論しようとしていてすみません)、かなり厄介であると思います。というのも、屁理屈のようで、しばしば「批評/感想とは何か?それはどうあるべきか?」に関する議論や受容理論などに関する、議論の余地のある、様々な論点を含んでいるからです。「その指摘自体規範的ではないか」「そのコメントを公表する意義もないのではないか」「その記事の読み方/理解が間違っているのではないか」、、、のようなWhataboutism的な一言での応答は大体において可能ですが、作品と感想では違うと言われればそれまでですし、直観的にはあまりクリティカルな指摘ではないです。もちろん、「それに問題があるとは思わない」といった態度をとることもできるとは思いますが、その場合もその根拠を示したい、という話です。
まともに相手をしてしまった場合の費用対効果の悪さこそがクソコメたる所以にも思えますが、もし仮に、こういったコメントにマジレスしようとしたら、わざわざ分析哲学倫理学などを持ち出さないといけないのでしょうか?

ありがとうございます。

全体的にロジックの話とスタンスの話が混同されているような印象を受けます。ある主張のロジックを客観的に説明することはできますが、それを受けて最終的にどの主張を採用するかというスタンスは個人的な趣味の領域です。つまり「そもそも娯楽作品の見方が間違っている」と言われたときに「こういう見方にはこういう意義がある」というロジックを説明することは容易ですが、「こういう見方であるべきだ」として一つのスタンスを採択させることはあまり現実的ではありません。

例えばRPG好きと格ゲー好きが対立していて、RPG好き曰く「ゲームは豊富な世界を探索するのが本懐で現実の相手と戦う意義はない」と、格ゲー好き曰く「ゲームは人と競い合うのが本懐で自分の世界に閉じこもるべきではない」と言います。そこで和解の場を設けて「格ゲーだって人と戦うばかりではなくキャラと向き合う自主鍛錬の面も強い」だとか「RPGだってずっと一人でやっているわけではなく現代の攻略は人と協働することも多い」だとかお互いの立場への理解を深めて「なるほど、よく知らなかったゲームジャンルにもそれなりに意義があるかもしれないな」と納得することはできます。ただそれでも最終的にどっちのジャンルを遊ぶかは趣味の問題です。RPG好きが「確かに格ゲーで自分の技術を鍛えるのもRPGっぽくて面白いな」と鞍替えするかもしれませんし、逆に「格ゲーの魅力はわかったがやはり俺は好きなキャラのステータスを育てたい」と残留するかもしれません。

コンテンツへの向き合い方も同じような話です。分析的な見方に反している人はだいたい解像度が低いので受容理論などを用いて「批評的な見方も娯楽的な要素にも繋がってくるんだ」とか「批評も作品を理解する上でけっこう価値があるんだ」とかいう意義を伝えることは可能です(それ自体は普通に噛み砕いて説明すればいいだけなので特に手間ではないと思います)。ただその上で「批評的な見方をすべきか否か」というスタンスは趣味の問題でその人の自由です。選択肢としての価値を提示できることと、実践的な正しさを一意に選択させることは別の話です。ロジックには根拠がありますが、スタンスにはありません。

スタンスを開示しているだけのコメントに対してレスポンスする旨味が薄いのもそういう理由です。スタンスを変えさせることは論理というよりはコミュニケーションの領分に属するので、一方通行のコメントに対してそれを行うモチベーションはなかなか生じません。

 

783.全てのゲームとか競技で、どうせ自分の実力はここが限界だな(これ以上成長しない)って思って飽きる瞬間ないですか?また、東大っていう頂点を取ったのは羨ましいです。

それはありませんが、「これ以上はタイパが悪い」と思って撤退することはかなりあります。今後やるべきことと予想される伸び率を考えたときに100時間投資して順位が1%上がる程度ならリターンに対して時間が勿体ないので辞めます。最初の伸び率が大きいところだけ拾ってそこそこで撤退する戦略を取っているゲーマーは一定数いますし、僕もその類です。

ゲームでランキング一位になるのと同じ意味で東大が頂点であるという感覚は特にありません。言うて毎年3000人は入っているし世の中に東大卒はたくさんいるので、頂点というよりはレジェンド帯とかプレデター帯みたいなイメージの方が近いです。

 

784.過去の人狼わかってない自分に今の自分が「なぜ一人だけ違う人に投票してはいけないのか」を説明するとしたらどう説明しますか?

人狼は現実的な成り行きについて議論するゲームではなく、外向きに開示する言動と行動の一貫性について議論するゲームだからです。

人狼がAさんであると自分を含めた全員が確信しているときに自分だけBさんに投票しても現実的には特に問題ないのですが(投票結果は変わらないため)、人狼の議論対象は言動と行動の一貫性なのでNG判定で人狼扱いになります。

昔は人狼が理解できない話を数千字書いた記憶がありますが、もう完全に理解したので二行で終わってしまいました。

 

785.シャドバの意外すぎる展開をどう評価しますか?
個人的には「サッカーや麻雀は迷走しすぎだろwww」と笑ってやりたい所なのですが、我らがハースストーンもデュエルやマーセナリーズといった巨大なクソが足元に転がっているので、あまり大声で批判できないのがもどかしいと思ってます。

まず作り手側の意図を確認すると、以下の8:20~あたりからワールド機能についてはっきり語られています。

www.youtube.com

このような機能を新たに実装しようとした背景としては、シャドウバースをより多くの人に楽しんでもらいつつ、プレイヤー同士のコミュニティを広げていってほしいという思いがあるからです。

シャドウバースはカードゲームが大きな要素にはなりますが、カードゲームを通じて繋がった仲間との絆を深めたりカードゲームにはそれほどなじみのないプレイヤーが仲間を作りやすくなる機会を提供したいと考えています。

ワールド機能を通じてプレイヤー同士のコミュニティが広がりカードゲーム以外も含めていつでも自由に楽しめるゲームになれたら幸いです。

カードゲーマー以外にとってもコミュニティとして機能するアプリを目指していることが強調されており、シャドウバースを滞在型メタバース系アプリに作り替えようとしていることが窺えます。つまりユーザーがシャドウバースを起動する目的が今まではカードバトルだったのに対して、ビヨンドではTwitterやdiscordに近い形でもっと漫然と開くアプリになるはずです。言い換えると、アプリがユーザーに対して出すバリューはリッチなコンテンツだけではなくなり、そこに(カードバトルとは直接関係のない)フレンドやコミュニティが加わってきます。

よって、まずカードバトルがあってその脇にサッカーや麻雀が並ぶというよりは、まずコミュニティアプリがあってそこでの交流要素としてカードバトルやサッカーや麻雀が実装されているイメージの方が近いはずです。特にダークファンタジーの世界観を完全に崩してmeet-me風のアバター空間を実装しているのが非常に特徴的で、これは邪推ですが、たぶんシャドバとは別に進んでいたメタバースプロジェクトにシャドバ改修のタイミングが重なってニコイチになったような印象を受けます。メタバース側としてはシャドウバースという強力な交流コンテンツが手に入り、シャドウバース側としても衰退に向かうDCGに新たなユーザー層を呼び込めるのでウィンウィンです。

シャドウバースから派生したゲームではなくあえて誰でも知っているゲームを実装しているところにも間口を広げる強い意図を感じます。特に麻雀はルールが固定されているので一度作れば運営コストが安く、代わりにサイバーエージェント側のMリーグと絡ませたりするコミュニティ集客施策にリソースを割くのかもしれません。今シャドバを遊んでいるプレイヤーにはビヨンドになる旨味は大してないと思いますが、今シャドバを遊んでいないプレイヤーをビヨンドにどれだけ集められるかが勝負でしょう。

一応ハースストーンにも触れておくと、デュエルやマーセナリーズはビヨンドとはかなり設計思想が違うと思います。あちらはアセットやシステムを流用して安く作ったゲームで既存プレイヤーを繋ぎ止めるか呼び戻すのがメインで、新規の間口を広げる意図はあまりないでしょう。

 

786.lwさんが考えうる中で一番楽な仕事ってなんですか?
時給50円とか0円とかをアリにしてしまうと何でもアリになってしまうので時給1000円以上という条件で教えてください。

10年前くらいなら「大企業の閑職テレワーク」とか答えたような気もしますが、それは別に楽ではないよねと思う年齢になってしまいました(加齢の影響)。今はこの図が概ね真実だと思っています。

いくら肉体的精神的な負荷が低くても何もしていないような仕事に数十年の人生を費やすのは小規模な五億年ボタンみたいなものでしんどいので、普通に自分の適性にフィットしたことをやっていくのが結局は一番楽だと思います。

 

 

何か買ってもらえると嬉しいです。

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