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24/4/27 お題箱回155:専門性、エピソード作りetc

お題箱回155

964.学歴や資格の有無ではなく、お題箱への回答(見知らぬ他人への返答の仕方)を読んで、毎回LWさんは頭がいいなぁと思ってしまうのですが(頭の悪い感想ですみません)御自身で自分はアタマがいいと自覚したのはいつのどんな出来事からですか?

ありがとうございます。

そういう自覚を得たエピソードはあまり思い出せませんが、別に謙遜しているわけではなく思い出せない理由が色々あるという話をします(たぶん世界の見え方が思われている感じとだいぶ違う)。

かなり前に半生を語る記事で十歳の頃には全国一位だった話をちょっと書きましたが(→)、その瞬間にいきなり賢くなったわけではもちろんなく、もともと幼稚園児の頃から二歳上の姉の教材を勝手に全クリしたりしていました。だから物心つく前から人生の当たり前がそのラインで、模試の結果は単なる確認です。

そういう年齢の頃は「他人の知的能力の平均ライン」がどのくらいなのか全く見積もれないため、「周りにはできない難しいことが自分にはできて偉い!」ではなくて「自分にできる簡単なことを周りはやらない(やってないだけでやればできる?)」という世界の見え方になります。言い換えると、人生の最初から賢いと年齢の都合で世界を見積もる基準ラインがまず自分に置かれるので、「(基準ラインと比較して)自分が賢い」という感覚をわざわざ持たないということです。

また、小中高大も自分と同じくらい賢い同世代(=自分の基準ラインくらいの人たち)に囲まれて生きていたので、「自分が突出して賢い」という自己像を持つ機会はやはりあまりありませんでした。これは客観的な事実として、「ガチれば全国一位を取れる程度の能力」と「周りの環境においては平均程度の能力」は実は普通に両立します。

というのも、「何らかの知的競技で日本のトップを取る程度に賢いガキ」は世の中には実はかなり大量にいるからです。全国模試にしても一年に何度も開催されているのでそのたびに違う人が取りますし、総合一位とは言わずとも単一科目のトップ3くらいならよく入るとか、もしくは「全国将棋大会」とか「数学オリンピック」みたいな似たようなイベントの入賞者などもかき集めてくると、そういう実績がある程度には賢いガキどもで一学年分くらいは軽く埋め尽くすことができます(そういう実績は同じ人が重複して持っていることも多いですが、かといって全てを総舐めするほどの外れ値個体は存在しないということです)。

だから「自分は全体の中で特に賢い」という感覚よりは「自分は賢い集団の中での平均くらい」という感覚の方が親しみがあり、そのために「俺って実はめちゃ賢いのでは」みたいな自覚を得る印象的な出来事は実はなかなかありません。そういう感覚は今も割と強く残っていて、賢い同世代と喋ったとき最初に思うことは「ああ、同類か……」です。

 

965.フォロワーの影響で最近lwさんを知り、よくあなたの投稿をチェックするようになりました。山ほど未読記事があるので、ラーメン屋の行列とか、暇な時にとりあえずこれ見るかコンテンツがガッと増えて、助かっています。ちょくちょく見覚えのある記事が出てきて、あっこの人だったのかに都度なっています(AI拓哉解説とか)。
で、質問なのですが、自分の知識を超えて専門的な話題では、専門家の言うことを全面的に信じろ(勝手に判断するな)みたいなことを書かれている記事があったと思います。しかし昨今のインターネットでは、双方専門家みたいな顔をしたよくわからん人たちが毎日レスバしていて、片や○○大学教授、片やメディアで引っ張りだこのコメンテーター、のような感じで、どちらを信用すればいいのか判断に困ることが多々あります。例ならなんとなく教授の方が正しそうですが。そういう時って何を基準にすべきなんでしょうか。
あと、就活のご成功、おめでとうございます。

ありがとうございます。割と最近トップ記事が作られて過去記事を遡るのが簡単になったので活用してください。

前に書いたときは言葉が足りなかったかもしませんが、僕にとって「専門家」というのは「学術的な権威」と概ねイコールです。挙げて頂いている例だと「専門家みたいな顔をしたよくわからん人」と「メディアで引っ張りだこのコメンテーター」はその辺の素人と大差なく、「○○大学教授」だけが専門家という扱いになります。

僕が学術的な権威に限って信頼する理由は「絶対に正しいから」というよりは「心中を許容できるから」です。人類史上でアカデミアから出てきた知見が誤っていたことは何度かありますし、学術的な権威だからといって絶対に正しいと考えるのはあまり合理的ではありません。ただそれでも世の中に多くある候補の中では実証的な信頼度が最も高く、また、仮にそれが誤っていて裏目を踏んだとしても自分の選択を後悔しない覚悟を完了しているということです。これは僕がたまたま大学に所属してそういう価値観を培ったというだけなので、大学教授より変なインフルエンサーと心中したい人がそっちを信じるのも理解できますし、その態度に本質的な差異があるわけではありません。

補足526:どうしようもない不確実性への対処において「誰となら心中を許容できるか」が最後の判断基準になるのは専門知に限ったことでもなく、結婚とか投資もそうです(信頼のワンランク上に心中がある)。

ただし注意点が二つあって、まず学術的な権威にも強弱や優劣の概念はあります。例えば修士号より博士号の方が強いのは当然ですし、かつて名の知れた研究者だったとしてもアカデミアを離れて在野で変なことをしているうちに全然信頼できなくなるみたいなパターンもよくあります。

また、専門的な話題の内容によっては学術的な権威より在野の権威の方が強いケースも少なくありません。例えば純粋に数学的な経済理論の話ではなく、現実的なM&Aの手法とか成功確率みたいな話ならば大学教授よりやり手の投資家の方が信頼できるでしょうし、その辺りは話題に応じてケースバイケースではあります。

 

966.24日までテラフォーマーズ全話無料公開中です。今読み返しても信じられないほど面白くて凄い。まずゴキが火星で二足歩行の黒光りマッチョに進化してるって所から凄くないですか?lwさんのテラフォ評を聞いてみたいです

むかし全巻買っていたのですが、長期休載中に全部売ってしまいました。今は買い直すほどではないので完結したら読むくらいのスタンスです。

テラフォーマーズは大雑把に言えば進撃の巨人とか宝石の国みたいな「vs化け物もの」の系譜ですが、最初から敵の正体が完全に明かされていることは一つポイントだと思います。つまり「謎の怪物の正体を探る」みたいなパートが特に存在せず、「テラフォーミングのために人類が火星に散布したゴキブリが謎進化してしまった」という真相が第一話の冒頭から提示されているということです。

パニックの背後にある陰謀を探るラインを切ったことで、人類同士の利権争いとか生き物図鑑みたいな戦闘設定とか勝手に進化しまくっているゴキブリのような現在進行形の戦いに注力出来て、人間ドラマにもドキュメンタリーみたいな味が出ていると思います。特に進化して地球に乗り込んできたゴキブリが政治的にはどう絡んでくるのかがこれから楽しみな部分ではあります。

 

967.資格をゲームとして攻略しているときって対象となる試験の範囲全体を完全にカバーして選択問題の選ばなかったほうも解ききるトロコン的なプレイスタイルなのか、出題傾向や選択するジャンルを決めておく最短攻略みたいなプレイスタイルかどっちを取ることが多いですか?

完全に前者です。単にクリアするだけのゲームというよりはスコアアタックの方が近いです。

教本の内容は可能な限り全て頭に入れることにしていて、だいたいの試験はボーダーに関係なく9割前後の得点率で通るオーバーキルが基本です。雑学の寄せ集めみたいな理解でパスしてもあんまり意味ないので、なるべく体系的な理解を心がけてもいます。

 

968.メモアプリって何使ってます?それともそもそもアプリではなく紙派ですか?

紙ノートの他にPCではWindowsにデフォで入っているメモ帳を使っています。ネームドのメモアプリは全く使っていません。

最近のメモ

Markdown形式とか他のメモアプリを試したこともありますが、迂闊に表示が綺麗で多機能だと体裁を整えるのに意識や労力を奪われて逆に効率が落ちると感じました。論理構造の整理はインデントや改行や記号だけで十分済みます。

ちなみに小説を書く用途では例外的にメモ帳やワードでは色々不便なので、PCではTATEditor、モバイル・タブレット端末ではLiquidLogicを使っています。

tateditor.app

www.megasoft.co.jp

 

969.紙の本と電子の本どちらが好きですか?
また使い分けなどあったら知りたいです。

気に入った本は紙で買うのですが、収納場所が少なく置き場所に困っています。

好きなのは紙の本です。

少し前にも書いた通り、物理的な柔軟性があるおかげで縦横無尽にランダムアクセスできる点が最大のメリットです。一応電子の本にも「全文検索ができる」というかなり大きなメリットがあるのですが、読み心地においてはまだ紙の本に軍配が上がる印象です。

実際に本を入手する際にはまず最初に図書館を確認するので、購入を検討するのは図書館に無かったり予約行列を待てなかったりするケースに限られます。その際、紙は場所を取るので電子で買うのが原則ですが、一度目を通したら処分してもよい本で中古が安い場合や、ページを行き来しにくい電子では読みにくい難解な専門書などは紙媒体を買うケースもあります。

 

970.先進的なはずの東京で男尊女卑的とされる地域より共働き率が低い理由はなんでしょうか

確かに総務省統計局のデータ(pdf10ページ)によると東京は全国で一番共働き率が低いらしいですね。

www.stat.go.jp

ただ、資料をよく読むとこの共働き率は「一般世帯数に対する比率」で算出されています。一般世帯の定義には単身世帯も含まれているため、単に東京には独身者が多いから形式的な共働き率が低く出ている可能性があります。夫婦間での男尊女卑がどうこうという話をするためには「分母を婚姻世帯に限る(単身世帯を含まない)」方が妥当であるため、他の適当なデータから補正する必要がありそうです。

その上でまだ東京の共働き率が低いのであれば、「(ある種のリベラルな意識が高いという意味で)先進的であるという仮定が誤っているから」か、「一定先進的ではあるが給与水準などの他のファクターの方が共働き率への影響が強いから」のどちらかだと思います。あとは自分で調べてください。

 

971.大学院と研究室が好きじゃなかった理由を教えてください。今からやり直せるとしたら修了出来ると思いますか?

研究室の環境が悪すぎたからです。

メンバーが少ない上に全体のモチベーションが低いので基本的に行っても誰もおらず、いたところで国籍の問題で流暢に意思疎通できる言語がないので情報交換やディスカッションもできません。過去に自殺者も出ているゼミの雰囲気もだいぶ悪くなかなか地獄でした。なんか時を経るごとに「今思うとあの研究室ヤバかったな」という感じでどんどん記憶の中の印象が悪くなっている気がします。

今からやり直したとて前にいた研究室での修了は無理だと思いますが、環境がもう少しまともな研究室なら修了できるかもしれません。

 

972.失敗に対する恐れが強いです 仕事で間違いを少し指摘されただけでもすごく苦しくなります どうしたらいいですか

僕よりカウンセラーか精神科医に聞いた方がいいと思いますが、たぶん「自分が失敗した」というイベントの重みを過剰に高く見積もりすぎているので、「失敗自体は大したことではない」という方向に認知をスライドした方がいい気がします。

一人でウンウン考えていても重みの認識を修正する契機がないので、「すみません間違えました」とか「ちょっと対策してみました」とか口に出してみて周りを巻き込んでいくことが第一歩でしょうか。自分が大事だと思っていても周りは大して気にしていなかったり、本当に見られているのは失敗それ自体よりはそこからどうリカバーや対策をしたかだったりするものです。

ただ失敗したことを過剰にアピールしすぎるとそれはそれで弁解か自虐っぽくてウザいですし、本当にかなり反省した方がいい規模のミスを連発していたとしたら別の処方が必要なので、やはりケースバイケースだと思います。これ以上は1on1面談とかカウンセリングで聞いてください。

 

973.例えば、周囲から義理人情を重んじるという評価を受けている方がいらっしゃるとして、それを表す具体的なエピソードってどんな感じのものがあるでしょうか?

作家でもないのに聞かれるのが謎ですが一応答えます。

「義理人情を重んじる」というのは基本的には誰でも従おうとする一般的な美徳の一つなのでさりげなく披露しても印象に残りにくく、何か強調するような仕掛けを施す必要があると思います。つまり義理人情以外の要素を大きく下げたり、義理人情を重んじた代わりに何かを失ったり、義理人情以外では絶対に突破できない状況を作ったりするなど、対比される要素を明確にしなければいけないということです。

例えばキャラクターレベルで特に義理人情を強調するとすれば、逆に他の部分を下げまくるのは一つの手でしょう。盗みや殺しを躊躇わない悪党なのに一飯の恩だけは絶対に忘れずにきちんと返しに来るキャラや、超ズボラで生活の全てが崩壊しているのに人と交わした約束だけは律儀に守るキャラなどが一例です。

状況から攻めるのであれば「義理人情」と「他の大切な何か」のどちらかしか取れない状況を作った上で前者を取ることを即決するとかでも良さそうですね。また「周囲から評価を受けている」というところに力点を置きたいのであれば、当該キャラに対して「あいつは絶対に仁義を通すから大丈夫」という全幅の信頼を置いているキャラが他にいて、その前提で動いたせいで途中けっこうヤバいことになるけど、土壇場で本当に義理人情を重んじるムーブをして全てが丸く収まるみたいなエピソードもいいですね(状況との対比に他のキャラクターを巻き込むパターン)。

 

 

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