・お題箱59
111.たまにツイッターに載せてるような難しい本を読む時何か音楽は聴いてる?
聴いていることが多いです。イヤホンでちゃんと聴くよりはスピーカーで部屋に流します。作業時は完全な無音よりも何か邪魔にならない程度の音が鳴っていてほしい派です。
音が必要な理由は、時間感覚を確保するためです。完全に無音の空間で本だけ読んでいると時間の指標が存在しないので、一行読んでいる間に一秒経っているのか一分経っているのかわからずに不安になってしまいます。とりあえず何かの連続的な音が鳴っていればだいたい時間の流れがわかるのが便利です。ほどほどに物音のする喫茶店とか図書館も同じ機能を果たしてくれるので読書に適します。
受験生時代は筋肉少女帯やアーバンギャルドを大音量で流してハァハァ言いながら勉強していましたが、最近は歌詞がある曲を聞いていると集中できなくなってしまい、Youtubeで「カフェ BGM」とか検索して出てくるようなやつをよく流しています。昔は勉強してる雰囲気に浸りたいだけの人が使うやつだと思って正直ちょっと下に見ていたんですけど(色ペンをふんだんに用いて作られた「まとめノート」とかと同じ)、邪魔にならない程度のBGMのありがたさがようやくわかるようになりました。
112.LWさんってブログなどの文章を書く時は構成から練る派ですか?
昔、弱肉一色とか弱肉二式を書いていた頃は構成から練る派で、まず目次から作っていましたが、今は何も考えずにとりあえず書き始めることの方が多いです。最近では書いている途中は最終的にどこに着地するのか自分にもわかっていません。書きながら考えます。
とりあえずガーっと書いてそれで書きあがれば良し、書きあがらないときに初めて構成を検討する感じです。
113.オススメの筋トレ方法とオススメのプロテインについて語ってください
これは筋トレ記事を書く前にお題箱に投稿されたんですが、記事を書いたのでご覧ください。
この記事を書いてからも筋トレは続けていますが、この一ヶ月は森俊憲の筋トレ本を離れて色々なことを試していました。
上の記事を書いた時点では、筋トレをやったことがなかったので適当なフォームでがむしゃらにやってもかなり結果が出たのですが、これよりワンランク上に行くには色々考えてやらないといけないフェイズに来てしまったのです。
具体的な課題はだいたい以下の通りです。
・自重トレでの筋肥大には限界があるような気がする
・筋肉を付けるのと同時に脂肪も落としたい
・トレーニング時間を伸ばしたくない
これを解決するために以下のようなことを試しています。
・ダンベルを用いたウェイトトレーニングの導入
・サラダチキンなどで摂取カロリーを減らす
・有酸素運動を行う
・もっと負荷の重い自重トレを探求する
こうして並べると順調に課題が解決されているように見えますが、色々と困難があり迷走しています。
例えば、ウェイトトレーニングにしても自重トレーニングにしても、負荷が上がってくると怪我を避けるためにうまくトレーニングするテクニックが要求され、とにかくやりまくるという話では無くなってきます。最近では背中を痛めて三日間筋トレを休んでしまいました。また、ジムには絶対に行きたくないのでダンベルを購入したものの、ダンベルではスクワットやベンチプレスはできないため、足や胸については結局自重トレメインで頑張っていく方向にならざるをえません。
動画もよく参考にするようになりました。Youtuberで見られる動画のうちでは、NHKのみんなで筋肉講座とSho Fitnessの二つをよく使います。
NHKのみんなで筋肉講座は大学教授が解説しているため信頼できるのと、比較的負荷が高い自重トレーニングを紹介してくれるのがいいところです。ここで上がっているトレーニングを出来なくなるまでやって、30秒くらい休んでから繰り返すみたいなのを5セットくらいやることが多いです。
Sho Fitnessは医者の同期にオススメされたというだけの理由で信頼しています(権威主義)。特にウェイトトレーニングのフォームについて、サイドレイズなどは非常に難易度が高いので動画での解説があると重宝します。
114.この前の「お気持ち表明~」のツイート、LWさんは普段あまりそういった強い主張をしないのでかなり印象的でしたが、たまにはそういう記事も読みたいなと思いました(以前の自殺についての記事が結構似ているように感じました)
このツイートですね。
今酔ってるから言うがお気持ち表明をバカにする風潮はかなり嫌いなんよな
— LW (@lw_ru) 2019年11月13日
他人の不快感を偽だとか不正だとかいう理由で棄却することが俺は許せない、他人の不快感の真正さは認めた上でそれでも不快感を与え続ける暴力を振るう方がまだ良い
自分でも意外だがそれが俺の正義なんだと思う
このツイートに書いた通り、とにかく他人の苦しみを真正なものとして認めることから始めなさいよということはずっと思っています。
仰る通り、自殺ガチアンチに対する反感とも繋がるところがありますね。自殺を止める言説って、「本当は生きたいはずだ」とか言って他人の「自殺したい」という気持ちそのものを不正なもの、偽のものとして否定にかかるタイプが多くて、そういうところは好きではありません。
最近だと、大晦日あたりで除夜の鐘を中止するしないっていう話題のときも同じことを思いました。
あまりにも多くの人が同時多発的に同じ内容をツイートしていたのでわざわざ引用しませんが、「除夜の鐘は煩悩に効くものだから、除夜の鐘が煩く感じる人の煩悩を退治してるんだ」みたいなツイートが多く出回りましたよね。これも他人の不快感を不正や偽として否定するタイプの言説で、僕は非常に醜いと思います。「音がうるさい」っていう知覚レベルの切実な苦しみを、「除夜の鐘が煩悩を退治する」などという保守側でしか通用しない内輪ネタで否定するのは本当に良くありません。リベラル寄りっぽいTwitter知識人みたいな人まで平然とこのネタでリツイートを稼いでいて愕然としてしまいました。
誤解のないように言っておきますが、僕は「音がうるさくて苦しむ人がいるから除夜の鐘は禁止にした方がいい」などと言っているわけではありません。苦痛を認めたあと、自分の行動を変えるかどうかは全く別の話です。僕が言いたいのは、「音がうるさくて苦しむ人の存在を認めた上で除夜の鐘を鳴らし続ける」の方が、「音がうるさくて苦しむ人の存在自体を認めない」よりもまだいくらかましであるということです。
他人の苦しみの真正さを認める際に障害になるのは、その際に自分が悪であると受け入れる必要があることです。自分の行為で本当に苦しんでいる人の存在を認めることは、自分や自分の文化は他人を苦しめるような悪徳を含むと認めることとイコールです。誰だって悪にはなりたくありませんから、「そもそも自分の行為は他人を害していない」というように前提を否定したくなる気持ちはわかりますが、それではポジショニングが強化されていくだけです。宇崎の献血の件とかもそうで、美少女の図像で苦しむ人がいることを認めてしまうと、美少女文化自体が悪徳を含むと認めることになってしまうので、「苦しむ方がおかしい」という方向に論を持っていきたがる人は多いように思います。
この話ってちゃんとしようとすると、補足して解決すべき事項が「真正でない気持ちも確かに有り得るのではないか」「理解を示すことは付け入る隙を与えるのではないか」「形だけ内省する素振りが免罪符にならないか」「皆が開き直ったらむしろ解決からは後退しないか」「気持ちを棄却する気持ちの真正さはどうなるのか」「あらゆるブラックジョークが許容されないのか」など恐らく無数にあるんですが、この辺はあまり重要ではないというか、突っ込まれて初めて理論武装のために腰を上げるみたいな部分で別に積極的に書くほどの価値がないので、まあ今はいいでしょう。コアにあるのはざっくりこんな考えですという話でした。
115.巨悪って何ですか?
僕にもわかりませんが、巨悪学園は結構面白いのでオススメです。
巨悪学園 - 長沢克泰うどん / MISSION 001 死の登校 GO TO SCHOOL OF DEATH | コミックDAYS
確かに全巻読んだんですけど、感想を記録する習慣をつけ始める前に読んだせいかあまり内容を覚えていなくて、言うべきことが全然浮かばないです。
途中で概念がインフレして主人公ズの身体くらいなら普通に取り戻せるようになってしまい、連載を終わらせないために手段に拘るようになったのは面白いなと思ったのでよく覚えてます。何か思いついたら書きます。
117.LWさんがサブカル批評の為に本を読みだしたきっかけって何ですか?
批評のために読んでいるわけではないですが、暇だからとか面白そうだからくらいで大した理由はなかったと思います。これ系の質問を受ける頻度が高い気がしますが、面白いオリジンエピソードとかは別にないです(忘れているだけかもしれないし、後々捏造するかもしれませんが)。