LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

24/4/29 2024年2・3月消費コンテンツ

メディア別リスト

漫画(55冊)

アクタージュ(1~12巻)
亜人(全17巻)
PSYREN(全16巻)
鉄鍋のジャン!R 頂上作戦(全10巻)

書籍(3冊)

推し、燃ゆ
死亡遊戯で飯を食う。5
ソフィーの世界

映画(1本)

ボーはおそれている

 

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

亜人

消費して良かったコンテンツ

鉄鍋のジャン!R 頂上作戦
死亡遊戯で飯を食う。5
ソフィーの世界
ボーはおそれている

消費して損はなかったコンテンツ

アクタージュ

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

PSYREN
推し、燃ゆ

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

(特になし)

 

ピックアップ

ボーはおそれている

saize-lw.hatenablog.com

そこそこ面白かった。

 

亜人

「なんか昔アニメになってたやつ」くらいの認識で読み始めたがめちゃめちゃ面白かった。傑作!

超大器晩成型のコンテンツで、平凡な少年がある日いきなり事件に巻き込まれる凡庸なスタートからハードな軍事ものにスライドしてどんどん面白くなっていく。「主人公のキャラとか作品のテイストが途中で変わりすぎじゃね?」と思ったら、一巻の時点で原作担当が降りて残りの話は全部作画担当が考えていたらしい(最終巻あとがきより)。たまたま作画担当が天才だったパターンを引いてるのが面白すぎる。

タイパラ状態

ただ最初に言っておけば、全体のストーリー自体がそこまで秀逸なわけでもない。

タイトルになっている「亜人」というのはざっくり不死身系能力者みたいなやつなのだが、当初に提示された「亜人vs人類」という対立構図は早々に放棄され、その後は不死身の狂人・佐藤を止めるために軍隊を巻き込んだ戦争が延々と続いていく。途中から敵と目標が固定されて動かなくなり、主要キャラクターたちの思想もブレない。

正直なところ、テーマ設定もかなり粗い。特に最終巻で唐突に差し込まれた「亜人とは諦めないことだ」みたいな適当な締め括りは要らなかったと思う。どのキャラクターも亜人だろうが亜人でなかろうがムーブが全く変わらないので説得力が全然ない(このキャラ造形の異様さはまた後で書く)。他に「とりあえず出してはみたが落としどころがなくて放棄されたテーマ」もちょいちょいあり、「頭部破壊設定」はその最たるものだ。初期は「亜人は何度死んでも蘇生できるが、頭部を破壊されて蘇生した場合は主観的には別人になる」というスワンプマン系のアイデアがいかにもキーであるかのように提示されていたのに、いつの間にか誰も気にしなくなっていた。

だからたぶん凡庸な漫画家が描いたら「のっぺりした戦争漫画」にしかならないのだが、しかしこの漫画に限っては人物描写があまりにも上手すぎるために勝手にハイレベルな群像劇として成立してしまったというのが傑作たる所以である。どんどんリアル調に渋くなっていく絵柄も併せて浦沢直樹のような巨匠を思い出す水準と言って全く過言ではない。

人物描写の巧みな点を具体的に言うと、説得力のある背景プロットをしっかり組んでエピソードを示すのではなくむしろ逆で、ふと漏れた本音・僅かな表情の変化・空白紙面の使い方などで「ミクロな感情の機微」を描くのが有り得ないくらい上手い。ずっとかっちり動いていたお堅いキャラの最期のセリフが「疲れた」の一言だったり、最初からずっとお人好しな振る舞いをしていたキャラがふと「めんどくせぇ 全部」と見開きで吐き捨てたり、そういう人間の泥臭さとかままならなさを一撃で描けてしまう。構図もやたら上手い。

異常な解像度で等身大の人間を描けるおかげで勝手にキャラが立っていくので、小手先の成長物語みたいなプロットをわざわざ組む必要がない。むしろドキュメンタリーチックな淡々とした群像劇としての全面戦争が最適解になり、冒頭に書いた経緯も相まって「物語屋の漫画」というよりは「作画屋の漫画」として非常に納得感がある。

実際、類稀なキャラクターの描写能力に反して、キャラクターを物語的な合理性の側面から描くことにはあまり興味がないように感じる。つまりキャラクターの人格設定が過去の形成過程を経ずに無根拠かつ無時間的にポップするという描き方になっていることが多いのだ。

尖った性格をしているキャラクターの過去エピソードで示されるのは「常にそうだった様子」であって「そうなってしまった原因」ではない。佐藤は亜人になる前から一貫してゲーム感覚で殺人を繰り返す異常者だったし、永井は記憶喪失になって亜人の自覚を失っても即決で自殺できる合理性を備えている。つまり、この二人は不死身かどうかとは特に関係なく最初から異常者で、そういうやつがたまたま後天的に亜人になっただけなのだ。

また、バトル内容も非常に面白かった。亜人の不死身設定は戦闘が苛烈になるにつれて何度も再解釈されていき、例えば最速回復手段として自殺が常用されるのは絵的にも映えて印象的だ(亜人は蘇生時に全身の傷が治癒するため、損傷を受けた場合はとりあえず自殺すれば最速で回復できるというロジック)。よって亜人を殺害すると蘇生で全快されてしまうので気絶か睡眠の状態に持っていくことが作戦目標になるが、亜人側もそれを認識しているので気絶させられても自動発動する自殺手段を準備しておくことで対抗する等の異常な戦略が次々に開発されていく。

ただ作者がミリタリーオタクということもあって別に亜人が絡まなくても面白く、能力バトルとハードミリタリーバトルの両面を満遍なく備えてもいる。いかにもモブっぽい見た目で異常に強い特殊部隊や職業意識の高すぎる自衛隊など、亜人以外の戦闘職であるオッサンたちが次々に参戦してくるところもいちいちいい味を出している。

 

鉄鍋のジャン!R 頂上作戦

かなり面白かった。鉄鍋のジャンで好きだった部分が全部レベルアップして凝縮された正統な続編という印象で、打ち切りっぽく早めに終わってしまったのが惜しい。

主人公のジャンが中国での修行を経て成長したことで腕を上げてあまり小細工を使わなくなっているが、その代わりに民度が低い料理人たちの濃いキャラと煽り合いがヒートアップしている。挨拶でとりあえず「キショ!」って先制人格攻撃しておくカスぶりが好きすぎる。男の子だから無印版でも裏五行編が一番好きだったし、殴り合いメインの料理バトルがまた読めて嬉しい。

女性キャラの平均レベルが上がっているのも嬉しいところ。この作者、女性キャラを描くのがかなり上手い割には無印版では結局キリコを超えるキャラが生み出せなかったのだが、その辺りもRになって無事にクリアされた。大谷水月とかいうバケモンみたいな萌えキャラが誕生していることに加え、妙にビジュアルが強いクレイジーお嬢様も光る(大会後半で活躍すると見せかけて大谷にも相手にされずいいとこなしだったが、もう少し連載が続けば成長していたのかもしれない)。どいつもこいつも口が悪くて気性が荒くすぐ手が出る女ばかりだが、それで需給は完全に一致しているので問題ない。

あとキリコとジャンの空気感がめちゃめちゃいい感じになっていてそんな引き出しもあるんだと感心した(エロ漫画家経験によるもの?)。二人とも恋愛する性格ではないしこれは料理漫画なのであからさまなラブコメイベントが起きることは一度もないのだが、荒いやり取りの節々からさりげなく信頼関係を窺える距離感になっているのが凄い。

 

死亡遊戯で飯を食う。5

このラノで一位を取り、MF文庫Jもいよいよレーベル代表作に育てようと本気推しモードに入ってきた感じのある死亡遊戯五巻。

前巻でかなり強い引きとして登場し、五巻でも長い尺を取って幽鬼と修行していた玉藻が結局サクッと死んだのは驚いた。伽羅や御城もそうだが、生かしておけばもっと使えそうなキャラをあっさり退場させていくことに全く躊躇いがない。

ただそれは露悪趣味ではなくむしろ逆で、「幽鬼の王道成長物語」というラインをブレさせないためにやっているのだと思う。このラノベの白眉は「デスゲーム」という露悪的な舞台装置の上で挫折やら成長やら自分探しやらという「部活もの」のようなベタな青春成長物語を展開するギャップにあるからだ。

だから幽鬼の話ではなく群像劇になってしまう可能性をパージするために魅力的なキャラを下手に生存させないようにしているのだろう。玉藻の修行にしても、本当に得たもの(この巻での達成事項)は幽鬼が目に頼らない戦闘能力を身に着けたことであり、幽鬼の話が完了したら玉藻は死んでもいいという判断がある。デスゲームで生じる陰謀や愛憎の話では決してなく、タイトル通りあくまでもデスゲームで生計を立てる幽鬼の話であるというディレクションが一貫している(そういえば表紙も常に幽鬼である)。

毎回登場するキャラクターが最終的には幽鬼が成長するための踏み台として処理されていく、思えばそれは四巻の方が顕著だったような気がする。はっきり言って紫苑のストーリーラインには幽鬼はあんまり関係ないというかほとんど部外者なのだが、最終的に紫苑を殺すのは幽鬼でなければならないのだ(幽鬼と関係ないところで群像劇をやる気はないので)。

 

ソフィーの世界

欲しいものリストからもらいました。ありがとうございます。

哲学史ファンタジーの児童書らしいが、思ったより厚いし思ったよりレベルが高い(哲学史パートもファンタジーパートも)。今の俺でもかなりの読み応えがあったけどこれ子供が読んで理解できるか?

まず哲学史パートについては、会話形式を活かした地に足の着いた説明はかなりわかりやすかった。話し手のアルベルトが一つ前の思想が次の思想にどのように影響しているのかという繋がりを体系的に説明してくれたり、聞き役のソフィーが年相応の身近な感想を言ってくれたりするのが嬉しいところ(たまに物分かりが良すぎることがあるが)。「ロマン主義とルネサンスって似てるよね」みたいなことを話し言葉でちゃんと言ってくれるのでイメージが持ちやすい。

ファンタジーパートのメタフィクションギミックもよくできている。メタフィクションの主な着想になっているのはバークリだが、それに限らず哲学的な思想そのものを本の中の話で実際に体験していく話作りは小説形式ならではでもあり、特にソフィーが薬を飲んで汎神論周りの神秘体験などを実際にやるところが良かった。哲学の専門書では思想はロジカルに説明されるものだが、ネオプラトニズムにせよキルケゴールにせよ、内面的な理解が深く関わるものであればむしろ一人称視点でその体験を語らなければ片手落ちではないか?

 

アクタージュ

欲しいものリストからもらいました。ありがとうございます。

かなり面白く、主人公を筆頭にキャラが萌えでよかった。不祥事によって途中終了したことは勿体なくはあるが、主人公がざっくり役者を目指しているだけの話ではあって、切実かつ具体的な目標があまりないのでこれからどうなるのかがそんなに気にならないのは救いと言えば救いかもしれない(きょうだいが人質に取られているみたいな差し迫った危機はない)。

演劇という(能力バトルに比べれば)地味なテーマを週刊少年ジャンプで扱うにあたり、漠然とした精神論や気持ちの問題にならないように論点をコントロールするのが上手い。クリアに設定された具体的な目標がロジカルに解決されるようにして少年漫画にうまく落とし込んでおり、情緒的な揺れ動きをメインに描く少女漫画にはならないように配慮しているように感じる。

「メソッド演技では自己理解が大切なので主人公の成長ストーリーとリンクさせられる」という目の付け所には感服したが、その反面、そういうメソッド演技のメタロジックがあまりにも強固すぎて他の演技手法で同格のキャラクターを描くのが難しくなっているようにも感じた。具体的に言うとそれは千世子のことで、当初は「役に入れ込むメソッド演技」へのカウンターとしての「役に入れ込まない商業主義の演技」というポジションだったが、ライバルキャラとしての奥行を持たせるためには結局内面の議論が避けられない。それは商業主義者のままでは無理なのでメソッド演技に移行させなければならなかったという事情を邪推してしまう。

ちなみにそういう文脈でいうと王賀美は非常に良い味を出していて、いちいち役に入り込むメソッド演技とは逆に役に嵌らない魅力を自覚して演技するスターというのが上手い対立項として成立していたりもするが、そのあたりで連載が終了したのでその後どういう運びになる予定だったのかは永遠に闇の中に消えた。

 

推し、燃ゆ

欲しいものリストからもらいました。ありがとうございます。

それでも正直に言うと特に面白くはなかった。異文化理解用途の小説という感じで、推し活への理解は深まったが、小説として思うところはあまりない。オッサンが最近の流行を抑えるための賞であるところの芥川賞受賞作らしい作品ではある。

その分推し文化への解像度はさすがに高い。推し活って推しのことが大好きな疑似恋愛ではなく、自分の人生を仮託して主体的な解釈や理解に努めるものなんですよという主旨は十分に理解できた(だから推しが引退すると自分の人生が崩壊するリスクがある)。

タイトルにもなっている推しの炎上が最初に起きたところでは全然ダメージ入ってなくて、結局その余波で人気なくなってきて一般女性とお付き合いして引退したのが致命傷になっているのはちょっと御白かった。若干のタイトル詐欺である。

 

PSYREN

毎週ジャンプを読んでいた頃に連載されていて、当時なんか腑に落ちなかったのでいつか読み直したいと思っていたのをようやく読んだ。

そしてわかったのは、この漫画はちゃんと読んでも空を掴むような感じだということだ。特に致命的な瑕疵があるわけではないのだが、面白くなりそうで別に面白くならない塩梅が逆に上手い。

単なる能力バトル漫画ではなくデスゲーム要素やタイムトラベル要素や謎解き要素を加えて独特なSF風に仕上げているが、設定が先走りしていて別に面白くはない欠陥が目立つ。スタートから大量にばら撒いた謎だらけの固有名詞が明らかになるのがあまりにも遅すぎることに加え、謎が明かされるまでの話が特に面白くない(ようやく話が繋がってくるのは八巻あたり)。

最も気になるのは最初から最後まで主人公が戦う積極的な理由が特にないことだ。メインの戦争に主人公が絡む意味が分からない。主人公は「被害が出るなら対応する」という対応者でしかないし、政府の実験とSF的な宇宙外生物という本線もやはり主人公と関係ない。あまりにも謎すぎて主人公自身も終盤で病み始めていたのはちょっと面白かったが、本来は何か設定があったのが路線変更か何かで出し切れなかったのかもしれない。

あとこれはこの漫画が悪いわけではなく避けられない時代の流れなのだが、今読むと全体的に設定とか描写がいちいち古すぎて驚く。15年前ってもうこんなに別世界だったんだなと時代感覚をアップデートする良い機会ではあった。

まず主人公の造形が古い。当時のジャンプではBLEACHの一護やべるぜバブの男鹿あたりが典型だったが、喧嘩が強くて女を守るヤンキーみたいな主人公は今にして思えば一過性のブームだったのだろう。ヒロイン一人に男が群がる感じとかいちいち若い女にセクハラするノリもきついがそれもまた時代だ。少年漫画から女風呂覗きが根絶されたのは実はかなり最近の話なのだ。

能力バトル周りの設定も今見ると古い。この時代は大きな能力体系をちゃんと作って色々分類して固有名詞を付けるのが流行っていた。バースト・ライズ・トランスの三系統があって、ライズの中にはストレングスとセンスがあって……みたいな感じ、懐かしすぎる。

あと読者の感覚すらも古い。ネットだと主人公が生身の敵をノータイムで殺害したことが今でも語り草になっているが(vs遊坂戦)、それも今読むと特に引っかからずに普通にスルーしてしまった(後からネットで語り草になっているのを見て驚いた)。今のジャンプ主人公って生身の敵でも必要なら即決で殺せるよね?

一応明確に良かった点として固有能力の名付けセンスはかっこいいと感じるが、これも実はある時代に特有のセンスだったのかもしれないという疑念が実は今ある。「電磁'n(ショッカー)」とか「日輪・天墜」はかっこいい……かっこよくない?