LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

21/5/23 二月の勝者の感想 本物の受験戦争を見よ!

二月の勝者の感想

f:id:saize_lw:20210523180406p:plain

現行で出ている10巻まで読んだ。かなり面白かった。
まだ未完結だが、既に受験漫画の水準を何ランクも上に押し上げた金字塔と言ってしまってよいと思う。

俺は長いこと受験戦士をやっていたので、元テニス部がテニス漫画を好むのと同じ意味で受験ものという題材が無条件に好きだ。俺の中では受験ものはスポーツものとほとんど同じ場所にカテゴライズされており(自己研鑽によって敵を倒す営みなので)、俺が唯一心から楽しめるスポーツものが受験ものであるような気もする。

この漫画がかなり独特で面白いのは、受験生の小学生だけではなくそれを取り巻く様々な利害関係者にスポットを当てていることにある。
その典型は主人公の職業である塾講師だ。『ドラゴン桜』では桜木は子供たちを導くお助けキャラに過ぎなかったが、『二月の勝者』では「塾講師ですらも透明な協力者ではない、むしろ一つの利害主体である」ということが大きなテーマの一つになっている。塾講師は決して子供を導く大人の模範ではなく、塾という企業に雇われているサラリーマンに過ぎない。本当に重視されるのは子供の合格ではなく、それによってもたらされる信頼のバリュー、そして最終的には高額なコースの受講者を増やすことによる金銭的ノルマの達成。
そもそも教育者としての塾講師が持つ裁量は、全人格的に子供たちを導く学校教師に比べて大きく制約を受けている。塾講師による子供たちのプライベートへの介入は基本的には職権濫用として認められないだろう。しかしその一方、過酷な受験戦争を勝ち抜くには各家庭との密な連携が必要というジレンマがある。家庭崩壊や虐待すら発生しうる中学受験という極限状態において、塾講師はどこまで家庭に干渉してよいのか。サラリーマンでも教育者でもある塾講師という職業自体が既に矛盾の産物であり、その立場は常に危うい。

そして受験に巻き込まれて試練を課せられるのは受験生と塾講師だけではない。小学生の親もまた受験の参加者であり、合否に大きく影響する因子の一つである。
これは中学受験に特有の年齢の問題でもある。「受験する子供を信頼して親は黙って見守る」というのは港区在住でハイソ気取りのお受験ママがいかにも言いそうな理想論だが、中学受験でその夢が現実化することはまずない。小学生はまだ自分の進路決定に責任を持ったり金銭的な支払いを行ったりできる年齢ではない以上、本当に親が黙って見守っていたら受験は絶対に始まらないし進まないのだ。受講料や受験料の支払いを一手に引き受ける親には、試験の回答以外の受験に係る決定の全てをパトロンとして代行する権利と義務がある。そうして親が選ぶ教材や塾や受験校に振り回されるのは子供だけではなく、サラリーマンに過ぎない塾講師も金銭と信頼の取引を通じて多大な影響を受けることになる。

この「受験に関わるのは子供だけではない」という当たり前の事実。中学受験の利害関係者は常に三者いるのだ。試験を受ける張本人の子供、営利企業のサラリーマンである塾講師、金銭的なパトロンである親。彼らは表面的には協力して受験に立ち向かう味方同士でありながら、常に強烈な緊張関係の中で牽制し合っている。
例えば塾講師は子供を導く教育者だが、学校教師とは異なり職権が限られている中でどこまで子供のプライベートに介入してよいのか。そしてサラリーマンとしてのノルマを達成する踏み台として子供をどこまで利用してよいのか。塾講師は子供を導く存在なのか。例えば親は子供を支援するパトロンだが、勉強法や受験校に無数の選択肢がある中で今目の前にある塾を信じる根拠はあるのか。そして幼い子供たちの成績や意志をどのように汲み取って彼らの人生を代行する責任をどうやって履行するのか。親は子供を信じるべきなのか。例えば塾講師にとって親は金銭的な契約を結ぶ大切な顧客だが、どうすれば転塾を防ぎ高額なコースを受講させられるのか。そして親に何を言えばプロフェッショナルとしての信頼を得て直接干渉できない子供を間接的にコントロールできるのか。塾講師は親を信じさせ続けられるのか。

「合格を目指す」という表面的な協力関係の下に無数の疑心暗鬼が潜んでいるのが本物の受験戦争だ。大人たちも巻き込んだ腹の探り合いの中で、子供が学ぶ「勉強の知識」などそのほんの一部を占めるに過ぎないことを思い出させてくれる。
実際、広い視点で様々な利害が盛り込まれる『二月の勝者』では作中で描かれる受験戦略も非常に多様だ。それは単なる「試験対策」や「勉強方法」の範疇を大きく逸脱し、「塾講師が親を説得するレトリック」「受験に起因する虐待を防ぐ術」「親のメンタルコントロール法(子供ではなく!)」「塾講師が子供に接する際の倫理」にまで及んでいく。
こうして描かれる包括的な受験戦略は極めて解像度が高く、一部は受験経験者以外はさっぱり意味がわからないのではないかと心配になるほどだ。例えば「2月頭の受験スケジュールは親が合否を見ながらリアルタイムに決定していく必要があるため、最初から全合否の組合せを想定した意思決定チャートを用意しておかないと間に合わない」とか、「大手塾が行う統一模試は塾ごとに強い傾向があり、単に点数から学力を計るだけではなく個別の傾向を踏まえた検討をしなければ意味がない」とかいうことは受験経験者には常識だが、たぶん大手中学受験塾を5つくらいはソラで言える程度の中学受験リテラシーがなければ、これらがどれだけ切実な話なのかを理解するのはかなり難しいように思われる。
ちなみに漫画内で登場する大手塾はいずれもSAPIX日能研四谷大塚といった大手受験塾を露骨にモデルにしているのだが、それぞれの体制や模試の傾向は実際のものに酷似しており、綿密な取材が行われていることを伺わせる。個人的なことを言えば俺はSAPIXの出身なので、「(SAPIXをモデルにした)フェニックス塾においては熾烈なクラス変動制度があるが最上位クラスの上位10席程度は実質的な固定席でありそこには宇宙人が居座っている」という描写には「あるあるあるあるあるあるあるあるある……」とマジで千回くらい頷きながら見てしまった。

以上、『二月の勝者』は単純化を嫌って様々な利害をリアルに織り込んだハイクオリティな中学受験漫画であり、受験ものの水準は大きく更新された。
幸いにも都市部で意識の高い親の下に生まれて中学受験をガチったことがある人は読んだ方がいい。子供の頃から大手塾に通って中学受験などするような教育水準にある層は生まれの格差と再生産という観点からネット上で叩かれがちな昨今だが、彼らには「『二月の勝者』を楽しめる」という大きなボーナスがまた一つ付け加わってしまったようだ。

補足380:これは前にも一度書いた気がするが、俺が受験を好んでいるのは受験は学力で人を殺していい唯一の機会だからだ。勉強でも研究でもいいが、理性的な営みは年齢を重ねるにつれて徐々に抽象的で崇高な使命を帯びるようになってくる。それは特に理系で顕著であり、研究室に入る頃には学術研究の目的は「人類に貢献するため」か「真理を解明するため」か「自分の好奇心を満たすため」あたりになっているだろう。「他人を殺すため」と述べる研究者は失格で、「受験など学力レースであって本物の研究や真理からは程遠い」という見解に俺は同意する。そしてだからこそ良いのだ。他人を殺すためだけに自己を研鑽する無為な営みがどれだけ楽しいかは対人ゲーマーなら誰でも知っている。