お題箱回102
この歌ってみたにハマった記事の反響が若干あり、関連する質問が複数来ています。
460.歌い手の記事とても面白かったです。自分も現在20代後半、高校生くらいの頃に周囲でニコニコや歌い手文化が隆盛する頃に正に思春期を迎えており、自分はハマらなかったものの周囲には様々な歌い手ファンがいました。
その中でもLWさんの「キャラソンとして楽しむ」という楽しみ方は余り見たことのない楽しみ方だったので興味深いです。
自分の周囲では「地下アイドル的/インディーズバンド的な、世間は知らないけど私は知っていて応援しているミュージシャン」的な楽しみ方をしている方や、「前提として特定の好きな曲がありそのバリエーションを楽しむ手段として歌ってみたをdigる」方が多かったです。LWさんがそこまでキャラクターという概念が好きで、実在人物を避ける理由は何ですか?
Vtuberでも、世間の人々はすぐキャラクターよりも前世だの中身だの彼氏だのに興味があるようですが何か思うこと等もあればお聞きしたいです。
ありがとうございます!
Twitterでも独特な見方みたいなことを少し言われましたが、オタクは皆キャラソンが好きだと思っていたのでやや意外でした。でも冷静に考えたら皆キャラソン好きだったら皆キャラソンみたいな曲を歌うはずなのでそんなわけはないですね。
とはいえ同じことはキャラクター自体にも言えます。僕は萌えオタクの類は皆キャラクターが好きだと思っているので、むしろキャラクターが第一関心ではない萌えオタクが存在していることが意外な気持ちです。
だから自分が実在人物を避けているとも思っていません。オタクだからキャラは明確に好きな一方、実在人物を好きになる理由は特に持っていないから完全にフラットで、相対的にキャラクターがめっちゃ好きな人に見えるのではないかと思っています。そしてキャラが好きであることに関して深い理由やエピソードは特にありません。美少女キャラクターが好きというのが岩盤で、その先はないということです。
Vtuberの中身に関して思うことはかなりあります。ここ一年くらいで「Vtuberの中の人」に対する僕の考え方は大きく変わりました。
結論から言えば、「別にVtuberの前世とか中身が気になるからといって、それはキャラより演者の人間の方が好きなことにはならないだろう」ということです(彼氏は流石にどうでもいいですが)。
Vtuberを配信者ではなくキャラとして見ているがそれはそれとして中の人は重要
— LW (@lw_ru) 2022年5月30日
中の人に興味あって前世を調べたりすると結局キャラじゃなくて配信者が好きな人間ファンか〜みたいな風潮、よく考えると普通に意味不明だった
結局人間じゃん勢が1番キャラの存在を認めれてないんよな
— ひふみ (@hifumi_justine) 2022年5月30日
結局人間じゃん勢が1番キャラの存在を認められていない(至言)
例えばファーストガンダムを見てシャアのかっこよさに感動した人が「これすげえアニメだから監督が何を思ってこれを作ったのか知りてえ」と思って冨野監督のことを調べ始めたとして、「それ結局シャアじゃなくて冨野が好きなだけじゃん」「本当にシャア好きなら冨野関係ないだろ」とはならないですよね。
それと同じで、ラプラスダークネスのキャラとしての振る舞いに感心した人が「どういう経歴があったらこのラプラスを演れるようになるんだろう」と思って演者に関心を持って調べるのも不自然なことではありません。Vtuberの演者はVtuberの創作者として最も重要な位置を占めているわけで、生身の人間というよりは一人のクリエイターとしてリスペクトされる権利があるし、クリエイターとしての能力に関連する範囲で関心を持たれるのはむしろ自然です。
Vtuberの場合はたまたまクリエイターの人が(声が)可愛い(多分)若い女性であることによって変な邪推がはびこっているのは相当に不健全だと思います。本当にキャラを信じていれば、演者を生身の人間ではなくキャラに奉仕するクリエイターとして見ることができるはずです。
僕が考え方を変えた背景には、Vtuber文化が商業化の末に極めてスキルフルな戦場になっていることがあります。
正直なところ、Vtuber黎明期においては「Vtuber演者がキャラクターを演じる才能」については少なくとも今と比べればかなり軽視していました。当初はキャラクター文化というよりは技術的な文脈も強かったこと、個人勢が強くてマネタイズするビジネスというよりは好きベースの趣味として見られていたこと、単に人数が少ないためにクオリティがそれほど高くなくても問題なかったことなどが理由としてあります。
しかし次第にブランディングビジネスとしてVtuberをやる大手事務所が参入し、無数の視聴者に対してキャラクターを演じる能力は誰でも持つものではない、むしろ類稀な宝石のようなスキルであることが明らかになっていきます。どんどん加熱する視聴者の奪い合いの中でファンを惹き付け続けられるキャラクターは極一握りですし、裏ではネタ集めに苦しんだり精神を壊したり声帯結節を患ったりで多くの脱落者を出しながら、最前線で生き残っているのは希少で高度なスキルを持つキャラクリエイト人材です。キャラを信じてクリエイターをリスペクトしましょう。
補足421:この文脈で僕がいま一番「持ってる」クリエイターだと思っているのは、るしあを演じていた人です。Vtuberで精神を壊したクリエイターの末路って大抵はお気持ち砲を一発撃ってフェードアウトするくらいが精々ですが、るしあを演じていた人は蓄積したスキルと信者を十全に活かし、なりふり構わないムーブで配信システムをハックしてあくまでも配信者としての数字で戦争を続けています。正直なところ、僕はるしあも飴宮もキャラ自体は別に好きではないですが、るしあを演じていた人のキャラクター配信における怪物的な才覚は敬意に値します。
461.LWさんが女性絵師や女性Vtuberを各段地位を上げたり特別視するのは女性が性的対象だからでしょうか?
私は男性で性嗜好も女性ですが、配信に関しても創作に関しても同性の方が感性が近い感覚があり好ましく思っています(時流的に大声では言えませんが)。女性だからと特別視する理由が余りわからず、気になります。
かなり大きな誤解があるようです。僕は女性Vtuberを特別視したことはあっても、女性絵師を特別視したことは一度もありません。
その二つはそもそもカテゴリーが異なるので同様に扱うことができないというのは僕にとっては自明だったのですが、適当に作った画像が思ったより真剣に解釈されたりして少なくない人に本意ではない誤解を招いてしまったようなのでここで釈明します。
とはいってもこれは当たり前の社会常識の話で、レースクイーンとかグラビアアイドルのような陽に性別が関与する職業ならともかく、そうではない場合に女性だからという理由で態度を変えるのはかなりやばい人で、僕はその手の異常者ではないというだけの話です。
イラストレーターはイラストを供給するのがパブリックな仕事で、それ以外は全てプライベートであるはずです。よって本人が関心を持たれることを望んで公開しているのでもない限りは、イラストと関連しない要素によって評価を変えるべきではありません。僕はその可能性が生まれることすら徹底して避けており、絵師の性別が女性である場合は支援をしないことに決めているほどです。
俺も頑張ってほしい絵師を欲しいものリストとか投げ銭で支援すること稀にあるんだが、自分が倫理的であるために絵師が女性ではないと確認できるまでは支援しないことにしてるのそれはそれで普通に性差別のような気もする
— LW (@lw_ru) 2020年6月14日
男性が女性を支援する営みは外から見たときに下心があるかどうか区別できませんし、最初からパブリックの領分を超えた個人的な接触の可能性は全て潰しておくに越したことは無いということです(これはこれでネガティブな特別扱いをしているという説はありますが、少なくともあらぬ誤解を受けるような文脈ではありません)。
これに関しては「女性絵師Vtuberの歌ってみたが熱い」と書いたときにも我ながら上手い表現をしています。
俺は絵師に対しては常にかなり強いリスペクトを持っており、その敬意は絵師がVtuberになったときに具体的な対象を得てより強固に適用される。具体的に言うと、他のVtuberが0点スタートで評価を積み上げていくとすれば、絵師Vtuberは80点くらいからのスタートになる。
絵師が「具体的な対象を得」るのは「Vtuberになったとき」で、それ以前はそもそも対象ではありません。他のVtuberと同じように消費コンテンツになって点数が付き始めるのはVtuberになった瞬間で、それ以前はカテゴリーエラーにつき点数が付かないということです。女性絵師VtuberはVtuberなのでコンテンツですが、女性絵師は生身の人間なのでコンテンツではありません。
もっとも「雑な一枚絵でマリンの配信に顔出してた時代のrurudo先生」「クリエイターと芸能人の間くらいの振る舞いをする女性声優」というような微妙な事例はいくらでもありますが、境界付近に事例が存在することは明らかな区分を無効化することにはなりません。
462.LWさんのブログやTwitterを見る限り、アニメを見ている割にはあまり特定の声優の名前を出す事が無いなーと思っていたのですが、何故だか佐倉綾音さんだけ異常に(といっても数件だけですが)名前を明記していますが、何故でしょうか?
それと、声優やVTuberの演者について哲学的な視点からしか語っていないのは三次元の人間を性欲の捌け口にする事に抵抗が有るからでしょうか?
(仮にそうであった場合、私はこの考えに共感を覚えます)
その様な記事を見た記憶があるのですが、見つけられなかった故の質問です。
一つ目の佐倉綾音の名前を出すことが多いことについてはそんなに深い理由はありません。
分析哲学者が任意の人間一人を指すときに適当にソクラテスを使いがちなのと同じで、最初は適当に挙げていたのが癖になった程度のことです。一応かなり特徴的な声をしているので好きな方の声優ではありますが、早見沙織の方が好きです。
二つ目については完全に正しいです。
正確に言えば三次元の人間を性欲の捌け口にすること自体は構わないと思っていますが、AV女優のような最初からそれを誰もが意図しているケースでもない限りは、それを公に発信することには抵抗があります。キャラクターにはどんなに性欲を向けていることを表明してもよいが、現実の人間に対しては徹底的に避けるべきであるという線引きが明確にあります。
Vtuberのキャライラストとか百合イラストをリツイートに関して萌え~とか言ってるときも僕は徹底してキャラクターの話しかしていないのですが、演者の話と思われていることがあるらしいのはかなり不本意な誤解です。
フィクションと実在の異性に対する倫理に関しては以下の記事が僕と同じ見解なのでこちらを読んでください。特に冒頭の表には完全に同意します。
ただ相違点があるとすれば、僕はキャラのことを100%キャラとして見ている自信があるので、「半ナマモノかもしれない」という悩みは抱かないところです。
というのも、わざわざ丁寧に「言及してもよい」と付記してあるため言及しますが、冒頭に書いてある「○○さんのエロ絵がほしいな」みたいなツイートをしたのは僕で、そのツイートは以下です。
ヰ◯◯◯◯さんが涎をバケットの上に塗ってるイラストをSkebで描いてくれそうな絵師急募
— LW (@lw_ru) 2022年5月30日
これはキャラに関するツイートで演者とは無関係です。一応検索避けをしているのは単にクリエイターに対する配慮です(つまり対象のナマモノへの配慮ではなくキャラ周辺の関係者への配慮です)。
例えば「ワンピのウタが四肢切断されてるイラストが見たいンゴねえ」と思ったとして、そのままツイートすると普通のウタ好きのフォロワーを嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないから一応鍵垢でのツイートにしとくのと同じです。クリエイターなどの関係者が検索をしてツイートが目に入ってしまった場合に不愉快な思いが生じることは本意ではないので検索には出ないようにしただけです。ナマモノがどうという話とは関係ありません。
463.V.W.P(ヰ世界情緒さんがいる箱)の方々の歌ってみたの評価が気になります。
基本的に歌以外の情報をあまり調べないので、この投稿で箱所属であることを初めて知ったのですが、やはりヰ世界情緒さんが一番良かったです。
良い意味で一番変な声をしているというか、特徴的で弁別しやすい声をしています。他の方も歌が上手いですが、星街すいせいさんタイプと同じで普通に上手い以上のキャラクターソング的な強さはあまり感じられませんでした。これって僕が特徴的な歌声ベースで評価しているからそうなるのか、それとも人によって特徴的だと感じる歌声そのものが異なるのかどっちなんでしょうか。
464.いつもブログを拝見させていただいてます。Twitterでウマ娘とBOSSの広告について厳しく発言されていたのが印象的でした。私はウマ娘に明るくないので静観するのみですが、LWさんが本気でお気持ちの文章を書いたら滅茶苦茶バズりそうだなと思ったりしてました…。というただの感想です。これからも応援しております。
ありがとうございます。これは5月頃にBOSSが怪文書マーケティングをやった頃の話ですね。
BOSSの広告戦略流石にライン超えてるって 恥を知りなさい
— LW (@lw_ru) 2022年5月16日
オタクどんだけ舐めてたらこんな広告打てんねん
— LW (@lw_ru) 2022年5月16日
商材の質も価格もブランドも理念も何も伝えずに同族アピールの仲間意識だけで金払ってくれると思ってんだぞ
二度と物作って売るな
今見るとキレすぎだろという気もしますが、こういうマーケティングに流行ってほしくないという気持ちは変わっていません。
サントリーという企業の粒度で見たとき、このマーケティングはオタクの推し文化に便乗してコーヒーを売ろうとしている文化のフリーライド以外の何物でもないからです。ウマ娘コラボ担当者がウマ娘大好きなオタクなのは本当だとしても、このマーケティングを仕掛けている主体はどう考えてもその担当者個人ではなく巨大資本です。
別にオタク文化を金に換えるなと言っているわけではなく、「最低限の誠意ってあるよね」という話です。
他の数多のコラボ商品だって萌えキャラのイラストをあんま関係ない商品にくっつけて売り上げを伸ばしていますし、パセラとかスペイシーはもっと露骨に推し活の場所を提供するという形でオタク文化にライドしています。
とはいえ、その二つはどちらもオタク文化を支援するという体裁が存在しています。仮に資本サイドが金儲け目的だとしても(仮にというか事実ですが)、オタクサイドは新規イラストが得られるなり活動場所が得られるなりでウィンウィンであるという関係があります。その実質的な貢献部分が抜けてしまって仲間意識の強調しかない怪文書マーケティングには、資本側からの一方的な利用関係しか残っていません。
一応、今回もウマ娘がジャケットを着ているけっこういい感じの新規イラストは別途に供給されていたので、ボスコラボの全てがダメだったというわけではありません。ウマ娘の新規イラストさえ隣に描いてくれるのであれば、それで資本サイドから一定の供給をしているという体裁は成立するので良いと言えば良いです。
ただし駅や媒体によっては怪文書広告だけが並んでいてウマ娘のイラストが見当たらない場所も多くありました。少なくともその現場においては怪文書だけでもコーヒーを売る効果があると見込まれて出稿されているのは明らかで、その部分的に舐めている搾取的な態度が僕は著しく気に入らなかったということです。
465.サブスク系のサービス(Amazon primeとかSpotifyとか)使ってますか?
使っています。以前からよく使っているのはAmazon PrimeとYoutube Premiumで、最近Spotifyも登録しました。実体のないサービスにお金を払うことに抵抗がある時期もありましたが、今は適応してサブスクというものを完全に理解しました。
サブスクは単体購入よりもコスパが良いことに加えて、潜在的な可能性に対する課金というかなりハイコンテクストな購入形態でもあります。具体的に言えば、実際に映画を見て利を得る以外に「俺はアマプラに登録しているから見ようと思えばいつでも見られるんだぞ」という安心感を得るために加入している節があります。つまり「実際に消費していないし消費しようと思ってもできない状態」と「実際には消費していないが消費しようと思えばできる状態」が明確に区別されていて、実体ではなく権利を得ることに対してお金を払う価値があります。
こういう「構え」って非常に大切で、貯金の本質ってそういうものだった気もします。人生計画が単純なため何事もなければこの先の人生で大きく散財する予定がない人でも(具体的に言えば結婚や出産の計画が無い人でも)、「いきなり結婚したくなったときのため」「いきなり病気になったときのため」「いきなり欲しいものが生まれたときのため」というモチベーションで貯金を貯めていることはよくあります。
この構えとして蓄積した現金はどこかで清算されない限りは構えとして無限に繰り越されることになりますが、サブスクに換えた場合は構えの形式が変わります。「構えの現金」を物品に実体化するのではなく「構えの視聴権」に変換するという、構えの変形に僕はサブスクの本質を見ます。
466.ブログ見て自分も書見台買おうかなって思ってるですけど本を立てかける部分の奥行きってどのくらいのものを使ってますか?
今測ってみてちょうど3センチでした。
実際に見るとやや狭いですが、800ページくらいある辞書みたいな本を読むときもあまり困ったことはありません。さすがに本来の形できちんと収めることはできないものの、背表紙あたりが乗りますし厚い本は自重で抑えられるのでどうにかなります。
467.コンテンツに対してどの程度消費するかの基準を決めてからコンテンツに触れるようになったきっかけってあったりしますか?
あまり思いつかないですが、強いて言えば受験戦士だったこととかが関係あるのかもしれません。受験勉強はまさしく規定されたスキルセット(私大以外は原則として標準的な中高教科書カリキュラム)の中で精度をどれだけ高められるかという戦いなので思想としてはよく似ています。
468.かしでっくって何者なんですか?
この質問は昔から無限に来るのですが「実はあのアルファツイッタラーのサブアカウントです」「実はあの有名ブログを書いている人です」「実は昔一度話題になった人になったあの人です」みたいな答えが望まれていることが最近わかってきました。
そういう意味では特に何者でもないただの男です。親しい友人の一人ですが、インターネット上で対外的に紹介するプロフィールは特にありませんというのが僕が言うべき答えだった気がします。