LWのサイゼリヤ

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22/5/29 人生で初めて歌ってみたに激ハマりしてる話

音楽投稿カルチャーと初接触

最近YoutubeVtuberとか歌い手の歌ってみたを聞くことにハマっている。
俺は今までアマチュア歌ってみた文化に触れたことがなく、動画投稿サイトで歌をディグりまくっているのはこれが人生で初めてだ。

補足413:「アマチュア」とは言ったが最近(?)はアマとプロの垣根は曖昧で、歌い手が商業コンテンツに楽曲を提供することも珍しくないし、そもそもVtuberの歌ってみたは企業がバックアップしていたりする。とりあえず桃井はることか霜月はるかみたいな明確なプロの職業歌手ではない投稿者は概ね歌手としてはアマチュアという感覚だが、それは実質的にはどの時代にブレイクしたかの問題でしかないため、時代遅れの感性なのは間違いない。

 

あらすじ

歌い手ボカロ文化に逆張りしてた歴

まず考えざるを得ないのは、本来であれば「歌ってみた文化」に触れるべき人生の段階はもっと早かったということ。
というのも、俺は中高生時代がニコニコ全盛期であり、ボカロ歌い手文化が直撃するはずの世代だからだ。どのくらい直撃かと言えば、例の「胸が熱くなるな」コピペの発生をリアルタイムで見ていた。

623 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/10/18(木) 13:46:49 id:na4SfZ+90
>>566
ひっくり返るよ、当然
だって、今まで
曲作る→歌詞作る→歌手探す→スタジオ借りる→レコーディング→TVかラジオに頭下げて流してもらう→

曲作る→歌詞作る→ミクさんお願いします→ニコニコ
になるんだから

723 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/10/18(木) 13:52:33 id:ydA2Ce+H0
>>623

何か胸が熱くなるな
新しい技術の夜明けを見ているようだ

しかし当時の俺が新しい技術の夜明けに胸を熱くすることはなかった。生来の逆張り精神が強すぎて、ニコニコ文化を敵視して2chに入り浸っているタイプのオタクキッズだったからだ。多感な中高生時代にボカロ歌い手文化に触れてこなかった後遺症によって、メリットやデメリットが色々と生じている。

まず、単に有名な古典ボカロ曲を一つも知らないことがある。「これ良い曲だな」と思って曲名を調べたものが「炉心融解」とか「ワールドイズマイン」だったりする。メロディは一度も聞いたことがないが名前くらいは目にしたことがある曲、であることが調べて初めて判明する。これに関しては人生一周目で新鮮な気持ちで聞けることは概ねメリットではあり、当時消費せずに温存された熱量がそのあたりから供給されているのかもしれない。
一方で致命的なデメリットとして、初音ミクが歌っている状態の曲を未だに曲と認識できないことがある。初音ミクが歌っている段階は曲というよりは曲の設計図的なものであって、誰かが歌ってくれて初めて曲になるという感性があるのだ。良いボカロ曲があってもその時点ではリストに入れることができず、そのあと誰も歌わなければ上手く消費できずに忘れ去られていってしまう。この「誰かが歌わない限りは曲として認められない」というデバフは後述する「キャラソン原理主義」として発動することになる。

 

ホロライブに普通にハマった歴

結論から言えば、歌ってみたにハマる入り口はVtuberだったが、Vtuberというかホロライブに普通にハマり始めたのがたしか去年の年末だと思う。なお「普通にハマる」とは、Vtuberの哲学的意義を検討する4万字の長文(→)を書くようなハマり方ではなく、ファンアートを収集したり歌を聞いたりするハマり方のこと。

オタク十人くらいで熱海に旅行に行くときになんか適当に知らんカードゲーム買って遊ぼうぜみたいな話になって、Reバースとかいう版権寄せ集め型キャラカードゲームのホロライブストラクチャーデッキを買ったのが始まりだった。

このでかいストラクチャーデッキAmazonで7000円もしたが、この段階でその額を払ったのは別にハマっていたからではない。割と安上がりな旅行だったし、年末の大型連休だし、何かを景気よく買いたかっただけだ。当然この時点ではよく知らんキャラの方が多く、「誰?」「無名モブを召喚」とか言いながら遊んでいた記憶がある。

とはいえ大金を払ったサンクコストを回収するためか、何となくYoutubeを開いてから何となくカードで目にしたキャラクターを検索したりするようにはなる。もうそこからは早かった。

ホロライブの歌ってみたいいね……

他のVtuberの歌ってみたもいいね……

他の歌い手の歌ってみたもいいね……

よくわからん素人の歌ってみたもいいね……

という感じで雪崩れていった。

触れるコンテンツがなし崩し的に増えていくようなやり方も俺には馴染みがないものだ。俺はある程度の規模感があるコンテンツに触れるときは、「全部やる」とか「ここからここまでやる」とか最初にはっきり決めてチェックリストを作って印刷してから消費を開始することが多い(例:映画100本見たとき→)。MCUを全部見たときも最初に全部見ると決めてそれを遂行しただけなので沼にハマったという感じはなかった。

その一方、投稿文化では「どこまでが一連のシリーズであるか」を俺はもちろん生産者側すらもあまり認識していない。誰がいつ新しいコンテンツをリリースするかは本人にすら予測できず、画定されていない偶然の中でずるずると連鎖していく感じが恐らく巷で「沼にハマる」と言われているやつの原理なのだろう。よくわからない表現だと思っていたが、「境界がわからない」という状態を沼と表現するのは言い得て妙だ。

ちなみに今に至るまで配信はあまり見ていない。配信者文化は俺のテリトリーではないという感覚はまだ生きており、演者が秒スパンのリアルタイムにアドリブでコンテンツを生成することに対してはそれほど価値を見ていない。ホロライブにしても、配信者としての文脈から展開されるコンテンツよりは、キャラクターIPとしての文脈から展開されるコンテンツ、ホロライブオルタナティブとかショート動画とか企画動画の方が好みだ。もちろんそれは歌も同じであり、キャラクターIPとしてのコンテンツを求めて「歌ってみた」を消費しているという前提がある。

 

ホロライブ全般と評価指針

そんなわけで俺は「歌ってみた」をキャラクター文化の文脈で消費することにしている。すなわち「キャラソン」として完成度が高いものを評価するということだ。

「キャラソン」というのはキャラクターオリジナルソングという意味ではなく、何らかのキャラクターの自己表現が主眼に置かれたソングということだ。別に具体的に何らかの名前を持つキャラクターを表現していなくてもよいのだが、技巧的な精度やクオリティを追求する歌手というよりは、キャラ萌え文化の担い手として歌ってほしいという気持ちがある。
幸いにも歌ってみた動画はブログにガンガン貼り付けられるので、この胡乱な説明が実際に何を言いたいかを豊富な例と共に提示することができる。歌ってみたはオフィシャルがYoutube投稿なので違法投稿とかを気にせず共有できるのは大きな強みだ。

例えばホロライブの面々でも「歌手として上手い人」と「キャラとして上手い人」は明確に分かれている。

歌手サイドで上手い人の典型は星街さんだ。


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ふつうに上手い。アニメキャラっぽい萌えボイスやアレンジを排して若い女性歌手としての歌に寄せており、友達と行くカラオケでかなり上手い人みたいな感じ(カラオケ行ったことないけど)。このタイプには他に紫咲さんや沙花叉さんがいる。

一方、キャラサイドでは尾丸さんがズバ抜けている。


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こちらはかなりキャラソンっぽくなる。キャラボイスのまま、つまり現実に生きている人間が日常的に発していたら割と異常な声で安定して歌っている。また、キャラにあったアレンジを積極的に入れてきており、カラオケでこの歌い方をする人はなかなかいない(カラオケ行ったことないけど)。

常闇さんなどはどちらに分類されるのか人によって諸説あるが、俺はとりあえずこれはキャラボイスと認識している。


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また、キャラボイスの中で更に区分を設けることもできる。
尾丸さんは「『歌が上手いキャラ』の上手いキャラボイス」として成立しているが、それとは別に「『歌が上手いわけではないキャラ』の上手いキャラボイス」というドメインがあるのだ。つまり、「キャラ声を出すことは非常に上手いが、そこで表現されているキャラクターはそれほど歌が上手いキャラではない」ということだ。
具体的には白上さんやダークネスさんがそれに該当する。


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この両名は星街さんに比べるとキャラボイスで歌っているが、尾丸さんと比べると歌い方が淡白で素人っぽい印象を受ける。想定のベースラインをキャラに置くならば、歌声としては並程度であるとも言える。

ただ重要なポイントとして、キャラソンにおいて歌い方が素人っぽいことは決して減点要素ではない。
既にキャラクターの歌として成立している前提でそれが上手いか素人っぽいかということは、キャラ依存の性格や個性に属する問題であって、歌の優劣を定めるものではないからだ。「恋のミクル伝説」が素人っぽいのはキャラに合わせた結果であって、朝比奈さんの歌が下手だからといってキャラソンとしての価値が下がることはなくむしろ上がるのと同じだ。キャラソンにとって肝心なのはキャラが立つかどうかという一点しかない。

補足414:俺が「キャラソン」と言うときは「恋のミクル伝説」がコンセプト上の成功例として念頭に置かれていることが多いが、ジジイのオタク感はある(貼ろうとしたが合法アップと確信できる動画が見つからなかったので聞いたことがない人は自分で検索して聞いておいてほしい)。

上記を踏まえてキャラソンとしての性質を考慮するならば、「ボイスが歌手声であるかキャラ声であるか」の軸に加えて、「歌い方がプロっぽいか素人っぽいか」の軸を足した二軸プロットが必要になる。
俺の耳によるとホロライブ勢については概ねこのような分布だ。

hololive_charasong_distribution

俺はキャラソンを聞きたくて歌ってみたを聞いているので右側に寄っているVtuberの評価が高くなるが、それは好みの問題で優劣の問題ではない。

そしてこの評価指針は他の歌い手や素人投稿にもすべて適用される。キャラソンらしく一癖ある歌の評価が高くなり、逆に単にカラオケがめっちゃ上手い人の歌は記憶に残りにくい。具体的には弁別しやすい特徴的な声をしていること、挑戦的なアレンジを入れていること、腹から萌え声が出ていることなどが加点要素になってくる。

 

オススメ

以上を踏まえてオススメを、つまりキャラソンマトリクス上で右の方に属するVtuberや歌い手を紹介する。たまにはゴチャゴチャ評価せずに普通に好きなだけの曲を紹介するだけの記事を書こうと思っていたのだが、結局事前説明に4000字費やしてしまった。

Vtuber

星川サラさん


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一番聞いているホロライブ勢力はもうだいたい全部貼ってしまったが、ホロライブ以外の大手では星川さんが圧倒的に上手い。ほぼ佐倉綾音と同じ萌え声が安定して出ていてブレることがない。あとたまに英語でも歌えるのが強い。

 

FAKETYPE

Vtuberではなく楽曲提供ユニットだが、FAKETYPEの曲はVtuberにキャラソンを歌わせるのが異常に上手く、ほとんど外れがない。キャラボイスで歌う前提で作曲しているのは確実として、収録時にも陽に指示しているのだろう。

杏戸さんも戌神さんもさえきさんも普段はそれほどキャラらしく歌う方ではないのだが、FAKETYPEプロデュースのときだけは完璧なキャラ状態になる。


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ねむみるつさん

キャラソン型のVtuberが歌ってみたを歌う際の巧拙には当然キャラクターマネジメントが関与するため、恐らくそれなりに高度で固有の技術が絡んでくるように思われる。よって素直にスペックが高い大手の人の方が上手い傾向にはあるが、新人Vtuberにもポテンシャルを感じる人はたくさんいる。

というのも、「キャラソンとして歌えるか否か」が技術の問題だったとしても、「キャラソンとして歌いたいか否か」は明確に思想の問題だからだ。「この人はキャラソンを歌おうとしているのだな」という気持ちは伝わってくるし、そのケースでは現状が微妙でも追跡調査を試みるのに吝かではない。

とはいえ微妙な人を貼るのは気が引けるので(俺の性格的に適当に褒めるということができず「全体的に微妙だが」と普通に書いてしまう)、キャラソンがかなり上手い新人Vtuberの事例を一人貼る。

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この曲はまだ500再生くらいだが、腹から出ている萌え声がクリアでいい感じだ。やや出力不足のきらいはあるものの、途中で入ってくる合いの手も良い。アニマルは歌い出しのサビ直後(0:10あたり)に「ニャー!」と言う人と言わない人がいて、言う人の方が評価が高いことは言うまでもない。
ちなみに「アニマル」は全体的にキャラソンシンガーとしての力量が試される良曲で、試金石としてよく活用している。萌え声推奨のアップテンポであることに加えて、「ずっきゅんだ~」とかボイス挿入部でのキャラとしての声が必要になる。特に「ハッハッハッハッハッ……いやいやいや」(1:14~あたり)は短いながらも引きボイスをいかに上手く発せられるかが腕の見せどころだ。

 

絵師Vtuber

俺は絵師に対しては常にかなり強いリスペクトを持っており、その敬意は絵師がVtuberになったときに具体的な対象を得てより強固に適用される。具体的に言うと、他のVtuberが0点スタートで評価を積み上げていくとすれば、絵師Vtuberは80点くらいからのスタートになる。
最近は企業やグループのバックアップが無くても個人で配信活動を開始するクリエイティビティに溢れた絵師が多く、嬉しい悲鳴が俺の部屋から上がっている。

principle_of_the_world

絵師Vtuberは本業であるイラスト作業動画をメインコンテンツに据える傾向があり非絵師Vtuberに比べると歌ってみたの投稿率が低いが、歌える絵師Vtuberも少なくない。

rucaco先生は並居る絵師Vtuberの中でも頭一つ抜けてキャラソンが上手い。漫然と歌っていても出ない声、「このように歌おう」という明確な思想を感じる歌い方とはこういうものを指す。
なるみゆう先生や麻呂太先生も貴重な歌ってみてくれる絵師Vtuberで更なる投稿を楽しみにしている。

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歌い手

歌ってみたにハマって初めて知ったが、最近の歌い手はキャラクターIPという意味でVtuberとの境界がかなり曖昧になっているらしい。最初からかなりフィクションキャラクターに寄せた自画像を持っており、歌ってみたの投稿時にはそのキャラクターを表示するフォーマットが一般的になっているのだ。

例えば麻婆豆腐さんは髪をツートンカラーに染めた陽キャっぽい歌い手Youtuberだが、歌ってみたを出すときは同じ髪色のヤンキー風の美少女キャラクターが使われることになっている。キャライメージとばっちり合っている芯の通った声が非常に良いが、このキャラクターを経由しなければ俺は上手くキャラソンのイメージを作れずにリストインできなかった可能性が高い。 


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俺にとっては歌い手が美少女キャラを経由するようになっているのは本当にありがたいことだ。俺が関心があるのは常に配信者ではなくキャラクターであるから、Vtuberではない歌い手層もフィクショナルなキャラクターアバターアイデンティティを託す形式が普及していることはあまりにも嬉しすぎる誤算である。
このおかげでVtuberに限らない歌い手のディグが捗るようになったし、どちらかと言えば歌い手の方がメインのディグ対象になっている節すらある。Vtuberは必ずしも歌うとは限らないが歌い手は絶対に歌うからだ。というか初めはこのタイプの歌い手は皆Vtuberだと勘違いしていた。

補足415:15年ほど前の歌い手文化ではもっと素朴なデザインの自画像が主流だったような記憶がある。良く言えば親近感のある、悪く言えば洗練されていない、せいぜい髪がカラフルなだけの普通の顔が多かったような記憶が。有識者によると、黎明期の歌い手自画像は本人が準備するよりはファンがイメージを膨らませて作るものだったらしい。時代は流れて自画像も自己マネジメントの一環へと変質したということか。

また、俺は最初からフィクション属性を持っているVtuberの方が歌い手よりもキャラソンを上手く歌うのではないかと当初は思っていたが、どうも事態は逆であるらしいことがわかってきた。つまり驚くべきことにVtuberよりも歌い手の方が俺が言うところのキャラソンが上手い傾向にある。
これはたぶんVtuberがキャラクターという体裁を最初から持っているが故に却ってキャラソンを歌わなくても許容されやすいということなのではないかと俺は睨んでいる。ホロライブだと沙花叉さんが典型的だが、それなりに設定が煮詰まっているVtuberがキャラに寄せずに普通にかなり上手い歌を投稿したとき、それはかなりの賞賛と共に迎えられる。歌に先立ってVtuberは成立しているため、「意外と歌が普通に上手い」というギャップはキャラの魅力に転化できるからだ。
しかし歌い手はそうはいかない。歌い手は歌う以前に既に受け入れられているキャラクターを持たないので、歌の中で自己表現をするしかない。だが声楽のカノンに従ってテクニックを高める方向ではYoutubeでいくらでも聞けるプロ歌手の下位互換になってしまうので勝算が薄く、それよりは個性を伸ばす路線で勝負した方がやりやすいから割と個性的な歌い手が多いのではと推測している。

 

iceさん

iceさんも声と明確に合った白く儚い系の美少女キャラクターの図像を持っており、キャラソンが非常に上手い歌い手の一人だ。

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投稿頻度も割と高いのでディグのベースラインとしてよく聞いていたが、ちょうど三日ほど前にいきなりかなりクオリティの高い2Dアバターで配信を行っていてびっくりした。イラストタグとファンネームもある。

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いや、びっくりしたというのはちょっと盛った。何故なら、歌い手がモーションキャプチャーを用いてアバター配信を始めることはもうそれほど珍しくはないからだ。更に言えばそれは歌い手ばかりではなく、女性ゲーム実況者がキャラアバターを使うケースもある。そしてその状態で歌を投稿することすらあり、そうなってくるといよいよ正しい属性がわからなくなってくる。

そういう事態をつい総Vtuber化と呼びたくなる気持ちはあるが、多分それは視野の狭い表現だ。恐らくYoutuberとしてVirtualを志向するとかしないとかいう評価軸は本質を外していて、単に「アバターを嚙ませると自己表現がしやすい」というアバター利用の方に力点があるのが真相だろうから。
これはアバターの普及であってVtuberの増殖ではない。最初に歌とかゲームとかキャラクターのように自己規定しなくても、色々なことができる普通の人間がアニメ風のアバターを使うようになった。この認識がアップデートできたことは歌ってみたにハマって得た大きな収穫の一つだ。

少し脱線した。話を戻そう。歌い手はキャラクターIP化が進んでおり、歌ってみたにもキャラソンが多くて嬉しいという話だった。

 

ヰ世界情緒さん

一番激ハマりしていて一生聞いている。

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早見沙織に似た穏やかに吐き捨てるような特徴のある声に加えて、どんな歌い方でもそれを保つ一貫性があり、歌うキャラクターとして揺るぎない強度を保持している。しかも動画概要欄を見るとたまに自分でサムネイラストを描いていることがある。無敵。

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黒兎ウルさん

萌え志向のキャラソンが上手い歌い手。特に名前に兎が入っているだけあってこの「バニー」の完成度が傑出している。キャラソンの到達点の一つ。

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一貫して綺麗な萌え声が腹から出ているのは前提として、ベストタイミングで萌え声の合いの手が入ってくることに加えて、間奏パートでずっと台詞が入っているアレンジがとても嬉しい(2:15~に謎のコント)。これが良すぎて他のバニーが味気なくて聞けなくなってしまった。

 

白籤ねんねさん

ベースの舌っ足らずな声に加えて、多用される巻き舌っぽい発声が特徴的。この歌い方は別の曲でも保存されており、やはり一貫性の強みがある。

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「デビル」は元からアニメ声推奨でアベレージの高い嬉しい曲だが、たぶんこれが一番上手い。1:44の「あはは……」が神。

 

MaRさん

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現在300回再生くらいだが、「ギガンティックO.T.N」1:32~のラップパートがYoutubeで一番上手い。これを聞くまでは何の目的で入っているパートなのかわからなかったのだが、これによって正解が判明した。他の曲でも独特のアレンジによって正解を提示することが多く、俺は「正解者」と呼んでいる。
全体的な再生数があまり伸びていない歌い手でも、独自性のある歌声か歌い方を持っている場合はどれか一つの曲やパートがバチっとハマった瞬間がYoutubeで一番上手くなることは珍しくない。噛み合いでいくらでもアベレージを捲れるのがキャラソン評価の面白いところだ。特にそれまで他の誰が歌ってもなんかしっくり来なかった部分にぴったりピースをはめることができる歌い手は貴重。

 

シロナさん

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特にアイコンキャラを持たないが低めの声に一貫性があるので異なる曲でも視認性が高く、割とハイペースで動画投稿されるのでベースラインとして聞いている。
特に声の伸ばし方にかなり特徴があり、恐らく意識せずに発生している揺れによってパターンマッチングしやすい。多分それは通常はある段階で矯正されるものだが、歌声が安定した段階でも残存しているのが独自性になっているような気がしている。

 

まうさん

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魔法少女とチョコレゐト」がYoutubeで一番上手い。この曲はこの歌ってみたで完成したことは間違いないが、色々と複雑な事情によって評価スタンスを決めかねる問題作でもある。

この歌ってみたが「魔法少女とチョコレゐト」の到達点である理由は、この曲のテーマである魔法少女であるところの小学生の歌い方としてパーフェクトな説得力を持っているからだ。ベースとして高い声が上手く出ているが、伸びる音にはやや不安定なところもあり、何より後半になると疲弊して声が出なくなってくるのが素晴らしい。この曲における「ぱっぱっぱっぱらっぱ……」って呂律が回らなくなってきて小学生が歌う体力は3分8秒も持続しないことを表現するのが「正解」だったんだ……と初めて聞いたとき深い感銘を受けた。

つまりある歌い手がテーマに合わせて子供っぽく歌った異常な上手さのキャラソンだと誤認していたのだが、リストに入れる際にサムネを見て実際は本当にリアル小学生が歌っていたことが判明する。

その場合に問題になるのは、コンセプチュアルな歌い方のカテゴリがいわゆる「意図しない効果」というやつに該当してしまうことだ。つまり作者は全く意図しておらず偶発的に生じてしまった効果であるにも関わらず、たまたま環境と噛み合って作品価値を高める影響が生じてしまうこと。アニメで言うと、何か不穏なシーンにおいて単に明白な作画ミスを犯してしまったことによって、却って不気味さの表現に成功してしまったような状況に近い。

「意図しない効果」を評価するか否かは単に批評家としてのスタンスの問題だが、少なくともこれがアニメや映画なら俺の立場は「評価する」一択だ。作品を編むのは作者の書きではなく読者の読みであるというロラン・バルト風の立場を支持しており、作品の評価と作者の意図は全く無関係なものとして分離できると考えているからだ。
しかしこれが「歌ってみた」であることが事態をややこしくする。確かに歌い手と曲は分離できると主張することは不可能ではないが、明らかに消費の実感にそぐわない。この記事の中でも俺は最小単位を「曲」ではなく「歌い手」でスケールしてきた。歌ってみたをキャラソンと考える以上は、曲単体ではなく曲をつなぎ合わせることで浮かび上がってくる歌い手が評価対象となるからだ。そしてここで言う「歌い手」というのも、別にVtuberではない場合は普通にアバターを介さない当人であると考えるのが妥当である。つまり「歌ってみた」では当人の意図と曲の評価を分離できないことになる。

ここで「曲の中で表現されているキャラクターと歌い手は同一ではないため、歌い手が意図しない効果によってキャラクターの評価を高めてもよい」という食い下がりもあり得ないわけではないが、それで実際に評価されるものの実質があまりにも空疎すぎるため、その手を取るのはあまり乗り気がしない。
というのも、小学生が小学生らしく歌いたいと思っていることは考えにくく、たぶん有名歌い手っぽくもっと上手く歌いたいと思っているだろうからだ(小学生の気持ちはわからないけど)。そうなったときあえて言えば失敗を評価するという俺の態度はかなり悪辣なものであり、そうまでして評価の筋を通すべきかという倫理的な疑念が頭をもたげる。

結局「この『魔法少女とチョコレゐト』を評価すべきか否か」には未だに答えが出ていないが、とりあえずヘビロテはしている。

この歌ってみたの衝撃をきっかけに「結局少女の歌は少女が歌うのが一番上手いのではないか?」という仮説を検証するために小中学生の歌をブルドーザーしていたところ、Youtubeに子供と誤認されて機能制限がかかってしまった。

実際のところ、そうやって調べた結果「これは光るものがある」と感じた中学生などの動画はいくつかあるのだが、9回再生とかの子供の動画を紹介するのはさすがにオタクキモスギ罪で逮捕されるのでそれは紹介しないでおく。