LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

21/8/21 お題箱回:AI、批評、勉強、受験、暗記、仕事など

お題箱87

316.東大合格者のノートはみんな美しいって本当ですか?

「みんな美しい」は恐らく嘘ですが、少なくとも東大合格者ノートの平均は一般ノートの平均よりもかなり美しいと思います。素朴に考えてノートの美しさと持ち主の理解度はそれなりに相関する気がします。
ちなみに僕は自分のノートを非常に美しいと思っていますが、「赤一色で目がチカチカする」「字が小さくて読みづらい」と極めて不評なので平均値を押し下げている可能性があります。

f:id:saize_lw:20210822001304j:plain

 

317.AIモノを観る度に思うのですが、AIが実質的に亜人種族と変わらない扱いになっていたり、無条件に感情や人格を持っていると、一体誰が何の目的で人格なんて余計な機能を取り付けたのだと無粋なモヤモヤが込み上がってきます。これは自分が情報系を齧っているからなのでしょうが、LWさんはこのような経験はお有りですか?

あります。が、微妙に異なる気もします。

まずAIに人格があるかのように動く機能を付けること自体にはかなりの合理性があります。「CUIよりGUIの方が使いやすい」と同じくらい素朴な意味で、人間を模したUIは使いやすく優秀だからです。特にその手のアニメでありがちな汎用的かつ専門家以外も使用するAIであれば、人間を模倣した対話的なUIを用いることは誰にとっても理解しやすい優れた設計と言えます。

よって機能的なレベルでAIが感情や人格を持っているかのように描かれることは納得できますが、問題はそれがAIが内面的に人格を持っていることと同一視されること、及びそれ自体が主題化されることです。
当然ながら「外見上人格を持っているように見えること」と「内面的に人格を持っていること」は全く別の事態であり、前者と後者を結び付けることはまだ人類史で誰もクリアできていない難題のはずです。よって「自分以外の誰かが内面を持っている」という空想の対象をAIに限る理由はありません。それは他者一般に対して言えることです。
フィクションにおいてこの外面と内面の一致を正当化する必要は必ずしもありませんが、その飛躍を行った時点で題材がAIである必要と説得力が失われることが問題です。例えば「人間との触れ合いの中で感情を体得するAI」というモチーフはありふれていますが、僕はそれはある種の仮想的な精神障碍者に対する想像力に立脚したものであって、AIではなく精神障碍者の表象と見る方が妥当であるという立場を取ります。

補足389:更に言えば、内面的な人格を描写できているのは本当はAIという題材ではなく表現媒体の成果であり、メディアの力能を窃盗しているという罪も加わりかねません。それについては『イヴの時間』の感想で書きました(→)。

しかし逆に言えば、AIが感情や人格を持っているかのような描写それ自体はギルティではありません。それに慢心して題材を全く活かせていないことが問題なのであって、AIを用いる他の合理性を示したり、AIに特有なドラマを描けたりしていれば十分に面白い作品も可能です(というより、鑑賞者側も無理矢理にでもそういう視点で良いところを探してあげた方が建設的です)。
そういう観点では僕は意外と『AI崩壊』とか『A.I. Artificial Intelligence』あたりも結構好きですし、特に『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の評価は極めて高いです。『GIS』でも人形使い亜人格的なAIとして描かれていますが、それ自体はほんの前提に過ぎません。危うい境界を持つAIの存在様態を、無機物の側から人間の側へと近付く人形使いと、義体を介して人間から無機物に近付く草薙素子の鏡写しの間で照射することがこの作品の主題であり、それは明らかにAIに特有の題材です。

 

318.すめうじの食事描写好きなんですが、あれは食事への関心無しに書けるものなんでしょうか。Twitterの言動と印象が違って不思議に感じます。

ありがとうございます。食事描写が人気のすめうじをよろしくお願いします。

kakuyomu.jp

食事描写ってだいたい虫食描写ですが、開幕のこの辺でしょうか。

 蛆、パスタ、レタス、蛆、蛆、白米、蛆、ハンバーグ、蛆、蛆、牛乳、蛆。

 

 食卓の上のコンビニ弁当は酷い有様だった。消費期限は三ヶ月以上も前、ずっと部屋の隅で常温保存していた弁当だ。

 プラスチックの容器の上、食べ物の上に蛆の群れが乗っているようにも見えるし、蛆の群れの中に食べ物が埋まっているようにも見える。どちらが地でどちらが図なのかわからない。

 容器に充満した蛆はダイニングテーブルの上にまで這い出してきていた。

 

「うわー……」

 

 まずはレタスにフォークを突き刺した。

 持ち上げると、大量の小さな蛆がカビのようにへばりついてくる。軽く振っても脱落するのは一匹二匹、全てを振り払うのは無理がある。

 そのまま思い切って口に入れた瞬間、蛆が舌の上を元気よく転がって跳ね回る。茶色く変色したキャベツは紙のようにパサパサで苦みしか感じない。

 顎を開け閉めすると、ぷちぷちという感覚。蛆の半分を咀嚼で噛み殺し、もう半分はそのまま飲み込んだ。

せっかく好きだと仰って頂いているので「食事は好きなので頑張って書きました」みたいなことを言いたくなりますが、これに関してはそれっぽく書いてみただけで、仰る通り食事への関心は一切ないです。人真似をして何となくそれっぽい文章を出力するAIみたいですね。
ただ、美少女が蛆虫を食べるという最悪なシチュエーションへの関心はかなり高いのでそのファンタジーに対する追求心が働いた可能性はあります。しかしとはいえ、僕はそもそも題材への関心と文章の解像度にはそこまで相関がないと思う方です。別に興味のないことでも必要なら書けます。

 

319.LWさんみたいな批評ってどんな勉強すれば書けるようになるんですか?

うーん……勉強したことは無いですし、体系化されているわけでもないので思い当たるところが全然無いですね。
そもそも僕は批評を書いているという感覚はあまりなくて、批評クラスタ?が好む「批評とは何か」みたいな話にも関心が薄いです。作品を消費して得た解釈なり感想なりを駄弁る代わりに発信しているだけでそれ以上の意義はあまりありません。ブログタイトルの「LWのサイゼリヤ」もなんかオタクがサイゼリヤに集まったときにするような話を書くかという気分で命名されています。

強いて言えば、言語化能力を高めるのが良いと思います。そしてサイゼミをやって思ったのですが、やっぱり本の要約はかなり言語化能力が鍛えられる気がします。理系でも人文でも技術書でも新書でも何でもいいので一通りのロジックがありそうな本を一冊読んで、何も見ない状態で何も知らない人に一から説明して「へーそうなんだ」と言わせるのはかなり練習になると思います(これはそのままサイゼミでやっていることでもあります)。

ちなみにいわゆる文学批評の本は何冊か読んでいますし、大学でも文学部に潜って文学理論概論みたいな単位を取ったことがありますが、それがこのブログで書くような感想に活かされているとは全く思いません。一応何か読みたければ『批評理論入門』をオススメとして挙げておきますが、これはある程度確立された人文学的制度としての批評の解説なので、普通のオタクが言語化したい感想とはたぶんかなり異なると思います。

 

320.勉強とか学習を効率的に、効果的にやる工夫に関して。
学校や仕事の勉強もそうだし、新しいプログラミング言語とかスポーツみたいな新概念を身に着けて実務に生かすとか、単に知識をつけるとか。LWさん的にそんな感じのことを何かご存じでしたりお考えご経験がありましたら教えてください。

上の回答と被っていますが、アウトプットするのが一番だと思います。
アウトプットが目指すのは自分一人で議論を再構築できるようになることであり、それはただちに自分に知識が定着したことを意味します。なので原本を見ながらアウトプットしてもあまり意味がなくて、なるべく何も見ないで全部説明するのが望ましいです。ここまでガチる必要はありませんが、この有名な文書で言われていることはかなり真実です→
とはいえ研究ではなく趣味である場合、僕は議論の解像度はある程度は下げてもいいと思います。原本の全てを正確に再現しようとして迷走するよりは、多少粗くても自分の中で一本筋の通った議論を一つ構成する方が有益だと考えます。

もっとスケールのデカい話をすると、最近ようやく「勉強とは捨象である」ということがわかってきました。
大抵の本には情報が多すぎます。ほとんど言いがかりのような反論への再反論とか、絶対に後で思い出せなさそうなテクニカルな証明とか、些末な実証例や例外の指摘とか、そういう補足的な議論はあえて言えばやむを得ず記載されていることで、その本が本当に主張したい内容ではない場合が多いです。
よって、得た知見を頭に保存する段階ではそういう本筋でない話は一旦より分けておいて、コアの部分だけを抽出する作業が必要です。国語教育でやっていた「四百字で要約せよ」みたいな問題は本当に大事だったということを今更噛み締めています。

補足390:ただ、ガチな学者が書いた論文みたいな本や、本が扱っている分野によっては本当に必要な情報だけがギチギチに詰まっていて一切削れないこともありますし、ケースバイケースの範疇ではあります。

ただし最初から細かい部分を読み飛ばすのは最悪です。一度は全部ちゃんと読まないとそもそも何が重要な話なのかわかりませんし、コアを掴むことが大事とはいっても、コアだけあっても大抵は浅薄で使い物にならない知識しか得られません(削除した枝葉末節は完全に忘れるのではなく、頑張れば思い出せるか、少しのヒントがあれば再生できるくらいが望ましいです)。
オススメなのは、一度は細かいところまで丁寧に全部読む精読の作業をしてから、あとで必要な部分と不要な部分をより分けて整理しながら議論を再構築する作業をすることです。一周目がインプット、二周目がアウトプットに相当するイメージです。僕は難解な書籍は大抵その手順で二周以上回ります。ちなみに一周目でコアの部分がわかる場合はその時点で付箋紙とか貼っておくと、二周目で「どこが重要だったっけ?」といちいち考え直さなくて済むので楽です。

 

321.受験って結局のところ暗記ゲー?

普通に暗記とアドリブが半々くらいじゃないですかね?
なんかYoutuberとかは断言した方が再生数が伸びるので「受験は全て暗記だ!」とか「受験に暗記は全く必要ない!」とかいかにも言いそうですけど、常識的に考えてどちらも必要という方が真相に近いと思います。
あと「どこまでの記憶を暗記と呼ぶか」みたいな話もあって、例えば数学の整数問題とかだと個々の問題の解法は暗記できなくても一定の解法パターンを覚えておいてそれを総当たりで試すのが最上位層の標準的な戦略だったりします。年表のような個別知識に限らずそういうセオリーとかテクニックまで暗記に含めるのであれば、暗記で賄えることはもう少し多くなります。

補足391:これは僕が理系だから偏見があるかもしれないんですが、社会系の科目でよく言われる「世界史は流れを抑えるのが重要で暗記科目ではない」みたいな言説って普通に嘘ですよね? 流れを抑えるのは重要だし、それに加えて固有名詞や年代をかなり暗記する必要があるというのが真相のような気がします。

ちなみに僕は覚えなくても済むことは覚えたくない方だったので、いつでも導出できる定理とかはそんなに覚えていませんでした。三角関数の積和の公式を覚えていなくて東大を受けたときですらその場でちょっと頭捻って導出していましたが、それも暗記してしまった方が楽な人もいるでしょうし、人それぞれではあります。

 

322.スペースやらないんですか?(やるなら是非参加したい)

現状では特にやる予定はないです。別にやらないという信条があるわけではないですが、ブログの方が楽だし得意なのでスペースを開く動機が特にないくらいの感じです。
ちなみにブログ書いてる画面の配信とかしてもいいんじゃないかみたいな話をこの前友達としたので、それはするかもしれないし、しないかもしれません。

 

323.そろそろ研修おわる新社会人なんですが、配属が不安なのでlwさんの仕事への考え方とかこれやった方がいいよって事があったら教えていただきたいです。

これ三ヶ月前くらいの投稿ですが、そろそろ配属先に慣れましたかね?

f:id:saize_lw:20210821233632j:plain

意外にも僕はわりと楽しく働いている方で、少なくとも興味ない研究室に配属された大学院よりは会社の方が明らかに良いです。ネットには仕事に行きたくない社会人が無限にいるので学生のうちはそれを鵜呑みにして怯えていましたが、アレは思想が先鋭化しているやつは声がでかいといういつものパターンに過ぎませんでした。
結果を出すまでが自己裁量の大学院と違って会社は退勤した瞬間に仕事のことを何もかも忘れていいですし、月収いくらで雇われてる限りは本質的に責任がないのが楽なところです。会社員は雇用主とリスクリターンを共有する運命共同体ではなく、雇用主が現金リソースを変換して確保する作業リソースに過ぎないので、会社員の動作不良は全部雇用主の責任です。