LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/9/20 お題箱回

・お題箱70

170.小説・漫画・アニメ(映像)の三つの媒体の中で一番優れた媒体は何だと思いますか?厳密な議論とかでなくオタク仲間との雑談くらいのノリで構いません。

僕はメディア固有の表現とかにはそこまで関心が無いので、割と何でもいい派です。個人的な好みで言えば最近はエアロバイクを漕ぎながらでも見られる映像作品が一番楽ですね。あと消費側ではなく創作側であれば、小説が頭一つ抜けてる感じはします。他の媒体より圧倒的に少ない労力でとりあえずは作品を作れるので。

また、限りなく俗な意味で、メディアミックスで複数の媒体に展開している作品なら一番流行ってる媒体が一番優先度の高い媒体だとは思います。例えば『聲の形』には小説も漫画もアニメ映画もありますが、流石にアニメ映画版をとりあえず見た方が良くない?的な感じですね。

あとここには挙げられていませんが、ゲームは消費したあとの印象が他とは一線を画して別格な感じがします。僕はあまり詳しくないですが、ゲーム研究の分野ではインタラクティビティとかシミュレーションとか色々な概念を検討してゲーム固有の特徴について論じているらしいですね。

171.現在放映しているリゼロのアニメ二期ですが、レムが健在の状況を仮定して視聴するとまた違う見方ができておすすめです。

実は今期まだ見ていませんがそろそろ見ようと思います。てかレムって死んだんでしたっけ?

172.優生思想についてどう思われますか

この質問が来たのはちょうど野田洋次郎が素朴な優生思想をツイートしてボロクソに叩かれていた頃なのでそれについて思うことから書き始めると、やはり基本的には野田洋次郎が知的な浅薄さを晒してしまった事件であるとは思います。
彼が言ってしまったあまりにもナイーブな優生思想称揚は科学的にも政治的にも正しくない、遺伝に対しても歴史に対しても教養が欠落しているということで理系からも人文系からも袋叩きに遭い、しかも「冗談ですよ」というフォローがどちらに対しても火に油を注ぐという流れるような炎上が美しかったです。

補足329:僕は今『グランドエスケープ』を聞きながらこの文章を書いています。

政治的な方面に関しては今更詳述するまでもないと思いますが、歴史に対して致命的に無知であるために発言に含まれるアクチュアルな加害性を認識出来ておらず、どういう文脈で批判されているかがわかっていないので「少し悪ぶってみただけ」というフォローで収拾できると思い込んでいる様子は端から見ていてもちょっと哀れなほど気の毒でした。

とはいえ、僕はナチズムや優生保護法の犠牲者に思い入れがあるわけではないのでそちらはどうでもよく、もっと厄介だなと思うのは科学的な方面についてです。

まず明らかに言えることは、現代科学において人間の優生思想についての科学的エビデンスはまだ無いはずだということだけです(これは僕の認識が誤っている可能性もあるので、エビデンスに相当する論文を知っている人がいたら教えてください)。

補足330:僕よりその辺に詳しいみそ氏にLINEで聞いてみたんですが、どうせ政治的なマニフェストに潰されるからあんま真面目に研究してる人はいないみたいな感じらしいです。

となると、「優生思想は科学的に正しいとも正しくないとも言えない」と述べるのが最も穏当な立場ではありますが、「正しい」「正しくない」と言い切ってしまっても真である可能性は残ることになります。そしてそれが決定的に厄介なのは、それら三つのどの態度でも野田洋次郎を叩けるということです。実際、当時のリプライツリーを見ると野田洋次郎を叩く「良識派」の人々の反応は以下の三つに割れています。

①「科学的には正しいけど、だからこそ政治的には正しくない」
②「科学的には正しいとも正しくないとも言えないけど、少なくとも政治的には正しくない」
③「科学的には正しくないので、当然政治的にも正しくない」

①の人は「優生政策には利益があるからこそ進まないという崇高な理性を強く保たねばならない」として、②の人は「科学的な見解とは無関係に政治的マニフェストとして完結している」として、③の人は「当然あらゆる意味で正しくない」として、皆それなりに語気を荒げる理由があります。
だからよく見ると結構皆ガチャガチャに違うことを言ってたりするんですが、「少なくとも人類史上で優性思想政策には碌なことがなかった」ということにはコンセンサスを形成できるので、科学的な見解の相違が却って政治的な結束を招いているような印象も受けました。

ちなみに野田洋次郎が「冗談ですよ」というフォローによって取ろうとしたポジションは①です。「軽い冗談を言った」と認識していられるのは「前提から何もかも間違っている」という可能性には思い至っていない場合に限られるからです。ここでも皮肉なことに、「冗談ですよ」というフォローで彼の「科学的には正しい」という前提が揺らいでいないことが証明され、理系に対しても怒りを煽る結果になったわけです。

173.以前Vtuberに関する面白い考察を読みましたが、では逆に、ヒカキンやはじめしゃちょーといった「ポピュラー系(?)Youtuber」が人気を博すことに成功した理由はどのようなところにあるとお考えになりますか。両者が社会に需要される要因には根源的な違いはあると思いますか?

HIKAKINとかはじめしゃちょーが人気になった理由はあまりよくわからないです。
いや、「芸能人とは違って近所のお兄さんのような人気者の延長というポジションを取った」「毎日投稿という形式によって生活を切り売りした」のような通り一遍のことは言えますが、僕は根本的に彼らにあまり興味がないので何を言っても空回りしてしまうと思います。

根源的な違いはあると思います。そもそもVtuberってヒカキンとかはじめしゃちょーみたいに大衆全体に需要されてないですからね。一部の萌えオタクに需要されているだけです。だから萌えオタクの異常性がそのままヒカキンとVtuberを決定的に分かつわけで、今思い付いたことをとりあえず二つ挙げるならロールプレイと美少女的図像です。

まず、Vtuberが生主の亜種みたいな感じになってきた今でも未だにロールプレイというスタンスが全然崩れていない、身も蓋もない言及に対する警戒心が強いのは僕は結構凄いことだと思っています(リゼ女王が「静岡」とか言うことでウケが取れるのも、そのズラしを下支えする前提が崩れていないことの傍証に過ぎません)。
いい年をして空疎なごっこ遊びに興じるのにはかなりのオタク的才能が必要です。昔からあるオタク仕草ですが、架空のキャラクターの架空のバストサイズを弄ってキャッキャと楽しむのはかなり異常です。そういう幼児性はヒカキンとかはじめしゃちょーのファン層にはなかなか真似できない部分、仮にVtuber的なものがオタクの手を離れて世に浸透していくことがあったとしたら多かれ少なかれ捨象されていく部分だと思います。

もう一つ、オタクワールド外には受け入れられないだろうなと思うのはVtuberの美少女モデルです。というかこれは因果が逆で、一般に何の抵抗もなく受け入れられてしまったらそれはもう美少女ではないです。
キズナアイとか宇崎みたいに公衆の面前に出た美少女キャラが燃えるのってその図像が性欲を暗示するのが気持ち悪いからという側面が明らかにあるわけですが、逆に誰に対しても性欲を喚起できない美少女ってそれはもう美少女じゃなくないですか? 僕は美少女の魅力には性欲と結び付くポテンシャルがあるべきで、それは大衆が受け入れない否認の身振りによって証明される節があるとすら思っています。ただし、オタクは性欲を煽られるけど一般的にはそうではないみたいな高度に体系化されたフェチズムって無数にあるわけで、そういうのがすり抜けて通っていく可能性はあるかもしれませんね。

補足331:ただ、僕がほとんど興味がないせいか、男性Vtuberのポジションは本当によくわからないです。実は上に書いたような反社会性が妥当するのは女性Vtuberだけで、男性VtuberはHIKAKINと大差がないという可能性はあります。

174.藤本タツキさんの描いた漫画、ファイアパンチをおすすめします

全巻読んでいて、以前簡単に感想を書きました。ちなみにチェンソーマンは読み始めるタイミングを逃していますが、そろそろ単行本を買うかもしれません。

saize-lw.hatenablog.com