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20/9/11 遊戯王ZEXALの感想 ボス戦としてのデュエル

お題箱70

169.ZEXALについて語って欲しい

ZEXALはかなり好きです。中盤までは微妙でしたが、バリアン編に入ってからは毎週楽しみにしてました。

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ZEXALってデュエルの見立て方を一新しているのが非常に面白くて、具体的には決闘を「ボス戦」として再定義しているのが最大の特徴です。

ZEXALまでのデュエル構成は「序盤は小型モンスターで小競り合いをして、場が煮詰まってきた頃にお互いにフィニッシャーを繰り出す」というのが一つのテンプレートでした。
元々遊戯王は宗教的な儀式のイメージを背景としてスタートしたせいか、「数ターンがかりのギミックを経由してフィニッシャーを出す」というように準備の重さがモンスターの強さに繋がるところがあり、それはとりわけGXまで支配的でした。
莫大な生け贄を捧げて降臨する神を筆頭に、《ザ・ヘブンズ・ロード》から出てくる《アルカナフォースEX-THE LIGHT RULER》然り、《虚無械アイン》シリーズから出てくる《究極時械神セフィロン》然り、ボスモンスターは大抵やたらと手間をかけて出てきます。5D'sでは素材を選ばないシンクロ召喚が登場してフィニッシャーの登場はかなり簡略化されたとはいえ、先攻第一ターンでフィニッシャーをシンクロ召喚するキャラクターはほとんどいませんでした。

しかし、ZEXALでは逆にほとんどのデュエルで相手が第一ターンからフィニッシャーをエクシーズ召喚するようになります。「モンスターが2体……来るぞ遊馬!」という台詞が象徴するように、「同レベルのモンスターを複数揃える→エクシーズモンスターを出す」という開幕がZEXALのスタンダードです。相手がとりあえず最速で最強のボスモンスターを繰り出すことにより、以降の戦いは如何にしてボスを攻略するかという攻城戦の様相を呈してきます。
すなわち、一進一退の攻防を描くことをあえて放棄し、ボスを倒せるかどうかという「ボス戦」にデュエルを作り替えたのがZEXALです。この思想はナンバーズという設定にもよく現れています。他のシリーズでは各々のキャラクターが場当たり的に固有のフィニッシャーを繰り出すのに対して、ZEXALでは全てのボスモンスターに一貫したNo.が割り振られ、その場限りではなく作品全体に通底する立ち位置が刻印されています。

とりわけボスの描写に関して最も優れているのはナンバーズ召喚時の変身シークエンスです。これ考えた人、天才だと思います。
フィニッシャー登場時の迫力あるアニメーションは遊戯王アニメ全体を通じて気合を入れて制作されているポイントではありますが、ZEXALだけの特徴はナンバーズが必ず変態を経由して登場する点です。5D'sの《レッド・デーモンズ・ドラゴン》は最初からドラゴン形態で出てくる一方、ZEXALのナンバーズは必ず心臓やコアのような抽象的な形態からモンスターが出現する演出が徹底されています。

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これですね。ちなみにこれは《No.16 色の支配者ショック・ルーラー》の結晶形態です。

この特徴的な演出って、要するにボスの「出現」の表現なんですよね。
古今東西、どんなゲームでも「ボス」と「出現」はライナスと毛布のように切り離せない関係にあります。例えばRPGでは『ファイナルファンタジー』から『デス・ストランディング』に至るまで、ラスボスが出現するシーンでは専用ムービーが流れるものと相場が決まっています。ボスの格は出現シーンで決まると言っても過言ではありません。
よって、デュエルを「ボス戦」と再定義する場合、その目玉であるボスモンスターの登場シーンは単に格好良さを見せるだけでは足りません。「出現」という、無から有へと転じる発生的イメージが必須です。ZEXALに限ってボスモンスターが卵的な形態から誕生するものとして描かれるのは、デュエルの開始時点ではなくボスモンスターの出現時点こそが本当の意味での「ボス戦」のスタート地点だからです。

また、中盤で登場したRUMもボス戦という文脈の中で理解できます。RUMとは要するにボスの形態変化です。
ボスの形態変化自体は、過去シリーズでも《ラーの翼神竜》や《ユベル-Das Extremer Traurig Drachen》などラスボス格のキャラがよく使うものでした。しかし、ZEXALでは全てのデュエルがボス戦として再定義されることに伴って、ボスの形態変化ですらもRUMという一つの普遍的なシステムを成すようになります。実際、RUMによる形態変化の最大の特徴は、それまでに登場した全てのボス(=ナンバーズ)が使えるという点にあります。決して《ラーの翼神竜》のように単発のボスだけが特異点的に使うものではなく、いわば「第二形態」の民主化・システム化を行ったのがRUMです。

こうしたRUMを用いて高度にシステム化されたボスバトルが頂点に達したのが、ほぼ同時進行した遊馬vsエリファスとⅣvsナッシュで間違いありません。この二つが遊戯王ZEXALのベストバウトです。どちらもエクシーズモンスターはRUMする(=ボスは形態変化する)という前提の下、そのシステム自体を変奏したボスラッシュが行われます。
例えばエリファスが使う《RUM-アストラル・フォース》《ランクアップ・アドバンテージ》はボスの形態変化システムを限界まで加速させ、二回や三回どころではなく無限に変態し続けるボスという究極系を提示します(これに対するアンサーが《No.39 希望皇ホープ・ルーツ》による「あえてのランクダウン」です)。このエリファスの戦略が形態変化を狭く深く掘り下げる垂直的なアプローチだったとすれば、Ⅳが取った戦略は広く浅く形態変化を展開する水平的なアプローチです。三体のフィニッシャーが立て続けにランクアップすることにより、ボスの形態変化が完全に一般化していることが示されます。

更に、こうしたボス戦の描き方をカードゲームの表現として見た場合、「先攻制圧」の建設的な描き方として捉えることもできます。リアルだと先攻制圧ゲーは(一進一退の切り返しゲーに比べて)しょうもないクソゲーと思われがちですが、物語的にはこれをボスを巡る攻城戦としてポジティブに捉えうるという契機がZEXALによって提示されています。
最近の遊戯王はよく知らないのであまり迂闊なことは言えませんが、このZEXALが提示したポジティブなイメージがOCGで結実したのはかなり最近ではないかという印象があります(2018年以降くらい?)。実際のZEXAL期に猛威を振るった《No.16 色の支配者ショック・ルーラー》《ヴェルズ・オピオン》《エヴォルカイザー・ラギア》の対処方法が非常に少なかったことと比べると、最近では先攻制圧の存在を前提とした「捲りカード」がゲームシステムとして組み込まれているようです。壊獣なり《冥王結界波》なり《禁じられた一滴》なりを使って相手が擁立したモンスターを崩していくゲームはまさしく手を尽くして相手の牙城を崩すボス戦であり、ZEXALが提示したイメージがようやくカードゲームとして健全な形を成しているように思います。

補足328:全然関係ないですが、第138話で遊馬が真月を救おうとしたやつは本当に好きです。これは何度か言っているんですが、自死を前提としたTRUE LOVEって男女だと描けなくて、男同士か女同士でないとダメです。遊馬と真月、ロロとルルーシュ、カヲルとシンジでないと救えないものがあります。遊馬と小鳥、ルルーシュとC.C.、シンジとアスカでは到達できない領域。