LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

20/10/10 お題箱回:ブロックス、論理包含、BIなど

お題箱72

今までお題箱は全て来た順で答えていたのですが、最近投稿の増加に伴って回答にコソ勉が必要なものや早く答えた方が良さそうなものも増えてきたので、少し順番を前後させたりもしようと思います。

182.ブロックスしたことありますかー?

あります。年に二、三回くらいですが、日本人の平均よりはかなりやる方だと思われます。
ブロックスが最も優れていると思うのは、誰がどうやってもゲームが終わる頃には四色が混ざり合ってビジュアル的に綺麗な盤面になっていることです。

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よほど実力差がヤバすぎない限り、だいたいなんかこんな模様になりますよね。
どれか一色が支配的なことはほとんどなく、四色が入り乱れて花火のように綺麗な模様を描きます。そのためにインテリアとしても適しており、ボードゲームカフェをカードショップの亜種ではなく喫茶店の延長として捉えているようないけすかない連中がオシャレを兼ねて部屋の隅に置いておくテーブルゲームの典型です。

こうした模様はルールに従ってプレイしていれば自然と作られるようになっています。具体的に言えば、「自分の辺に隣接する場所にはコマを置けない」というルールによって同色のコマは固まらずになるべく遠方にバラされるようになり、「角が隣接する場所にのみコマを置ける」というルールによって2色が市松模様を成すように組み合わされることになります。
とはいえ、ルール上で有利が不利に転じたり不利が有利に転じたりするメカニクスがあるわけではないので、ビジュアル的な乱戦ぶりがゲーム上の拮抗を反映しているとは限りません。実際には初心者が何手も前から死にパーツを抱えさせられたりクリティカルな進路を塞がれたりして詰んでいることはよくあります。しかしだからこそ逆に、ルールや対戦内容の単純さに反して盤面を彩るゲームデザインが美しいと感じます。

あえて言えばブロックスと対照的なのはモノポリーとかシヴィライゼーションで、勝ち馬に乗っているプレイヤーが雪ダルマ式に勝っていく様子が外部からも可視化されるため、最終盤面は一色が支配的なビジュアルになります(インテリアに転用できる美しさはない)。

183.嘘喰いについて語って欲しい

saize-lw.hatenablog.com

前に上の記事で少しだけ語りましたが、そんなに文字数使ってちゃんと語ることはあまり思いつかないですね。嘘喰いは珍しく完結後も単行本を売らずにおいてある漫画ですし、なんか思い付いたら書きます。
てか、そろそろ『バトゥーキ』買います。

184.弱肉二式とかサイゼ初期のちょっと突き放す感じの文体とか語りが好きなので、またああいう感じでオタク感想書いて欲しい

ありがとうございます。
僕はあまり感性的なレトリックを弄する方ではないので、たぶん説明順序とか具体例の有無みたいな論理レベルの話なんでしょうね。最近はこなれてきて説明が丁寧になりすぎているということなんだと思います。
僕はかなり手癖寄りというか流れで適当に書く方なので、あまり意識的に変わることは無いとは思います。が、それ故に自分で変化に気付くこともほとんどないので、一応気に留めておきます。

185.ブログ書いて❤️

186.サイゼ記事もっと供給して欲しい、供給不足で死んでしまいそう

ありがとうございます。
書こうと思えば書くことはあるんですけど(まだ8月コンテンツ消費記事も書いてないし)、ブログにあまり時間を取られすぎるのも良くないので、最近は基本は週1、多くても週2更新という縛りを設けています。

僕は毎日8時間くらいテレワークできちんと働いているわけですが、1日は24時間なので仕事をしても16時間余ります。ここから8時間を睡眠に、3時間を食事や風呂や掃除に充てても平日でも1日5時間は趣味の時間が確保できます(休日は予備日兼休息日みたいな感じで計算に入れていません)。
よって、趣味をこなす義務がある時間が週に5×5=25時間あって、そこから映画なり書籍なりアニメなりブログなりラノベなりに割り当てます。例えば全部映画に振ると朝と夜に1本ずつ見て月~金で10本は見られます。

ブログは一週間に集中して書くよりも毎週コンスタントにやった方がいいので毎週20%≒5時間くらいを割くのが良くて、その時間で書けるのはまあ1・2本かなという計算ですね。もちろん気分によって変動しますし来月には全然違うことを言っている可能性もかなりありますが、今の時間管理意識はそんな感じです。

187.第七回サイゼミ記事のクリプキの部分について意見です。

"命題4:現実に夜桜たまが楠栞桜でないならば、必然的に夜桜たまは楠栞桜でない

命題4が真である状況は「現実に夜桜たまが楠栞桜でなく、全ての可能世界において夜桜たまが楠栞桜でない」だが、"

とありますが、命題4が真である状況は正確には、上述の他に「現実に夜桜たまが楠栞桜である」場合も含まれるのではないでしょうか。
つまり、「AならばB」型の条件命題が真であるのは「Aが偽である」場合と「AもBも真である」場合のどちらでも構わないということです。

しかしこの指摘によって記事の他の主張に影響が出ることはないと思いますが。

以下の記事に対する指摘ですが、完全に正しいと思います。ありがとうございます。

saize-lw.hatenablog.com

様相命題の量化命題への言い換え(「必然的にAである」→「全ての可能世界でAである」)に力点があったため、論理値の記述の方がアバウトになってますね。変に言い換えずに「現実に夜桜たまが楠栞桜でないならば、全ての可能世界において夜桜たまが楠栞桜でない」と書いた方が一貫していて良かったかもしれません。

あまり関係ないですが、「AならばB」って本質的に否定寄りの表現であるような印象を持っているのって僕だけでしょうか。
というのは、「AならばB」の厳密な真偽値は真よりむしろ偽に注目した方が書きやすいからです。具体的には、「Aが真かつBが偽であるときそしてそのときに限り偽」と表現するのが最もスマートです。無理に真だけで記述しようとすると「『Aが真かつBが真でない』でないとき真」という二重否定のような味わいが出てきて、結局「ならば」が表現したいのって肯定じゃなくて否定だよねみたいな感触がします。

188.機械学習の記事書く予定ある?

微妙ですね~。
少なくともいわゆる機械学習の解説みたいな記事はあまり期待しないでください。

論文や書籍を読めば済むことはそのリンクだけ貼って済ませたいというのもありますし、僕が理系的な内容を書くことにそれほど興味が無いというのもあります。機械学習は昔やったのでやろうと思えばk-meansだのSVMだのCNNだのについてザーッと書くことはいつでもできますが、それが楽しそうな感じはあまりしません。

次回のサイゼミで機械学習をやりますが、僕の興味は具体的な技術の詳細ではなく、「理系でない人がニューラルネットを数学的にどう理解するのか、どの程度まで理解できるのか」というかなり個人的なところにあります。技術的な到達度としてはかなり常識レベル、せいぜい単純な全結合三層ネットワークをフルスクラッチできるくらいのレベルだと思うので、サイゼミまとめ記事を書くかどうかも微妙なところです。

189.ガチ教養0マンでもサイゼミ行って良いですか?(というかサイゼミの参加層がどんな感じか気になる)

別にいいですよ。むしろ勉強会は何も知らない人がいた方が捗りますし、参加層もカードオタクくらいしかいません。
誰かわかりませんが、DMとかくれればとりあえずLINEにでも誘います。

190.実際ベーシックインカムが実施されたらどうなると思いますか?

僕はわりと賛成寄りなのでハッピーになってほしいと思います。(最近竹下平蔵の発言が話題になった)ネオリベ的な全集約型ではなくて、ついでに福祉政策を増強するくらいの左派的なやつがいいですね。
長期的に見て崩壊するとしても何かの間違いで僕の代で実装されて僕が死ぬまで持ち堪えてほしいです。持続可能性は僕はどうでもいいです。僕は100年後の人類が皆苦しみ抜いて死ぬ代わりに今コカ・コーラが無料で1本出てくるボタンがあったら迷わずに押します。

とはいえ、ベーシックインカムの成否や説得力を左右するのは思想そのものの是非というよりは、制度をどうやって運用するかどうかという現実的で泥臭い議論にあることは認めざるを得ません(逆にベーシックインカムが「理想的に運用される」という前提があるなら日本国民の過半数が賛成すると思うんですが、これはバイアスドな見解でしょうか?)。
これはプラトン『国家』を読んだときに思ったんですが、民主制でも君主制でもあらゆる社会体制は理想的に運営できれば皆が幸福になる最強の制度なわけで、それはその制度が完全に挫折したときですら変わりません。つまり、ある制度が上手くいかなかった理由って「当該の社会にそれを理想的に回しきるだけのリソースや予測が足りなかった」という比較的瑣末なミスなのか、それとも「制度が内包している欠陥により自壊した」という原理的な宿命なのか、この区別に境界線を引くことは出来るんでしょうか。

要するに僕が言いたいのは、本当に実現可能性があるものとして真剣に考えるなら、大義として掲げられている思想を吟味するより、それを制度上どうやって頑健な形で実現するかみたいな割と小さくて具体的な設計をちゃんとやった方が良さそうだということです(と言いつつ僕はそれにはあまり興味がないですし、中身のないアジテーションが重要なことも強く認めるのですが……)。

191.LWさんは自分の書いた文章が世界一面白いと言っていましたが、俺は世界一面白く書いたはずの文章が数日後読み返すとゴミで毎日泣いています。LWさんにもそういう時期はありましたか?

僕が言ったのはこのツイートですね。これは100%事実です。
さすがに三年前とか五年前の文章を読むと「もっとマシに書けたな」「こんなしょうもないこと書くなよ」って思うこともありますが、数日スパンでそうなることはまずないですね。そういう時期があった記憶もないです。

たぶん数日スパンでもう面白く感じなくなる文章って基本的に勢い重視の文章、「深夜テンションだと面白いけど昼テンションだとつまらない」みたいなやつだと思うんですけど合ってますかね。そういう感性によって評価される文章は気分によって感じ方がコロコロ変わりますが、ロジックが明記されている文章の面白さは割と長持ちするような気がします。物の基本的な考え方はそんなに激しく変わらないので。