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20/10/2 『Vだけど、Vじゃない!』:Vtuberはどこにいるのか?

『Vだけど、Vじゃない!』

kakuyomu.jp

カクヨムで『Vだけど、Vじゃない!』という20000字くらいの短編を書きました。

私は演者じゃなくてアバターなのかもしれない!
Vtuberルーシア・アージュこと足流慈亜はそれに気付いてしまった!
でもどうすれば証明できる? 親友の礼衣と一緒に考えまーす!

女子高生Vtuberが「自分は演者じゃなくてアバターかもしれない」と気付き、親友と一緒にその検証を試みる話です。かなり面白いので読んでください。

Vtuberはどこにいるのか?

上の短編では「エルフのVtuberは『剣と魔法の異世界』に住んでいる設定である」ということを自明の前提としたが、一般的に言って「Vtuberはどこに住んでいるのか?」という問いに対する回答は全く自明ではない。
Vtuberの所属する世界に対するイメージは、Vtuberがオタク界で市民権を得てからの4年近くで目まぐるしく変遷してきた。「ファンタジー異世界に住むファンタジー設定Vtuber」というイメージが広範に受け入れられたのは恐らく2019年初頭頃であり、少なくとも2017年以前には上の短編は成立しなかっただろうということを、俺はかなりの確信を持って言える。

以下、「Vtuberが所属する世界」のイメージが変遷する過程について追っていくが、あえて有名どころだけを扱い、個人Vtuberは積極的に捨象する。
具体的に言えば、今ならにじさんじとかホロライブとか、誰でも知っているようなコンテンツだけを取り上げる。新規性のある試みを行える個人Vtuberが新しいムーブメントを先導してきたことは周知の事実だが、今は厳密な系譜を追うことが目的ではないからだ。何となく共有されているイメージの変容を掴むことを目指しており、それはメインストリームの中にこそ最もわかりやすく結実し、かつ後々のコンセンサスを形成するという前提に立つ。

補足335:この記事での「Vtuber」とはシンプルに独立したキャラクターのことを指す。「孫悟空」や「ハリー・ポッター」の水準の話であり、「野沢雅子」や「ダニエル・ラドクリフ」、つまり演者がどうこうという話は関与しない。

補足336:俺が昔よくVtuberの記事を書いていた頃はVtuberとはほぼ全て美少女キャラクターだったので「彼女ら」という代名詞が使えたのだが、今ではそうもいかなくなった(と言いつつ使う)。

電脳世界に遍在するVtuber(2017年末頃)

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四天王とか言って盛り上がっていた頃、Vtuberは技術的・電子的な出自や設定を持つことがやたら多かった。キズナアイがシンギュラリティに到達したAIという設定からスタートしたことが代表的だが、別に設定上はAIではないはずのVtuberも何故か似たような設定を引き継いでいたものだ。
特に「電脳」というワードは明らかに「バーチャルユーチューバー」というワードに隣接していた(当時はVtuberという略称はまだ成立していなかった)。今でもさくらみこが「電脳世界生まれの巫女」という設定を持っていたり、シロには「電脳少女」という訳の分からない二つ名が付いていたりする。昭和生まれの人間の肩によく判子注射の痕が付いているように、「電脳」絡みの肩書きは古参Vtuberのみが持つ瘢痕ですらある。
また、設定モリモリな後世のVtuberと比べると、2018年前後のVtuberは相対的に設定に乏しい。現在では初配信では一通りのキャラクター設定を捲し立てるように紹介したあと特技の一つでも見せるのが一つのテンプレートだが、当時はミライアカリが記憶喪失であるようにむしろバックグラウンドに乏しい人格からスタートすることが多かった。この「電子空間に突如ポップした白紙人格」が黎明期の典型キャラクターであり、それはワールドワイドウェブ上での存在を前提とする。

初期のVtuberサイバーパンクSFという限定された世界観の中で営まれがちだった理由を三つ挙げておこう。一つは技術的な背景、二つはキズナアイの影響、三つは既存コンテンツからもたらされたイメージ。

まず、Vtuberというカルチャー自体が最初期は技術系ギークに独占されたものだったことは端的に事実だ。その中で形成されるキャラクターが技術的なバックグラウンドを持つことは必然ですらある。「キャリブレーション」のキャの字も知らない萌え豚にまでVtuber文化が降りてきて「技術発展の産物」というイメージを取り払うまでには多少の時間が必要だったのだ。
なお、当時に比べて技術が云々という話題が発動する頻度が相対的に低くなっていることは間違いないが、もちろんそれは技術水準の低下を意味するのではなく、技術が一定速度で発展すること自体が驚きに値しなくなったという方が実情に近いように思われる。発展速度が正であることは自明の前提であり、瞠目するには更に加速度が正という条件を必要とする。

次に、「バーチャルユーチューバー」という単語を創造してVtuber文化を牽引したキズナアイが強烈なシンギュラリティ思想を持っていた影響がある。そのラディカルさはだいぶ時代を下って分裂騒動あたりでようやく明らかになったが、今にして思えばそこまで強い目的意識を持つVtuberがスタート地点にいたことは決して自然の成り行きではない。
強い思想を持たない他の誰かがVtuber文化を創始することは恐らく有り得たし、この現実世界はキズナアイという様相的な特異点がたまたま絶大な影響力を持った比較的特殊な歴史を歩んでいる。つまり俺が言いたいのは、VtuberサイバーパンクSFというイメージからスタートしないことも全く有り得ただろうし、その意味でキズナアイの影響は記述から絶対に外せないということだ。

最後に、初期Vtuberの「バーチャル人格」のイメージは明らかにサイバーパンクなアニメ作品群のキャラクターイメージと結合していたことがある。具体的に言えば、『攻殻機動隊』の草薙素子人形遣いとか、『serial experiments lain』の岩倉玲音だ。彼女らが肉体を捨ててワールドワイドウェブ上に揺蕩う精神だけの存在と化した経緯が、そのままVtuberに投影されていた。

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初期Vtuberの所属する電脳世界も、こうしたアニメに由来するワールドワイドウェブと同一視できる。彼女らは現実と全く異なる仮想の異世界ではなく、むしろ現実世界を拡張した電脳世界に存在していた。このブログ記事やツイートが流通する0と1で出来た電子的な世界、この世と重なる裏面のような場所。

仮想世界に局在するVtuber(2018年中頃)

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にじさんじ」のスタートは、サイバーパンクSF的世界観からVtuberのイメージを解き放つ転機の一つになった。にじさんじのキャラクターはもはや「電脳」に限定されない豊富な独自設定を持っており、特に月ノ美兎、樋口楓、静凛の三人が 「JK組」という徒党を組んだことは注目に値する。
彼女らが同級生という設定は「同じ高校に通っている」という背景が下支えしているわけだが、高校という一つの閉鎖空間に局在する地に足の着いたイメージは、電脳空間に遍在するSFチックな前世代のイメージと対照的だ。岩倉玲音が辿った足跡を逆に辿るかのように、Vtuberは電脳世界から高等学校へ、身の丈にあった世界への退却を開始した。

補足337:個人的には「(比較的)何の変哲もない女子高生」という安直なキャラクターが現れた瞬間こそ、キャラクター集合としてのVtuberがポジションゼロを取った瞬間であるような印象を受ける。というのは、ある種の萌えオタクにとって、「女子高生」とは可能な限り固有の成分を削ったときに現れるいわば「原点(0,0)」のキャラクター原型だからだ。俺は一切何の理由もなければキャラクターはとりあえず女子高生にするし、冒頭に挙げたラノベでもそうした。

それと前後していよいよVtuberカンブリア紀が到来し、数えきれないほどのVtuberが出現する。あまりにも多すぎて何を挙げても恣意的に抽出した感が出てしまうが、ナースだったり吸血鬼だったり魔界出身だったり狐だったり、ビジュアル的にも設定上でも多種多様な属性を持ったVtuberが跋扈するようになる。
それと共に、キャラクター設定を担保する世界設定も強化の一途を辿っていく。「性格」以外のビジュアル的にわかりやすい属性は、大抵は世界や背景との結びつきに由来するからだ。ナースなら「病院」、魔人なら「魔界」という特定の異世界を要請する。Vtuberたちがそれぞれの異世界に住み付くことで、「電脳世界に遍在する」というイメージはいよいよ「異世界に局在する」というイメージに変質し始める。

補足338:吸血鬼なら「文京区」という特定の異世界を要請する。

こうした動きが生まれた理由として、一つはただ単に差別化狙いということがあろう。今思えばキズナアイもミライアカリも改造制服の女子高生と言ってもギリギリ通るような外見をしていたのだが、無数のVtuberが生まれる環境ではもっと華やかな設定を付け加えなければ埋没してしまうというだけのことだ。

また、「仮想世界への局在」と結び付く変化として、動画投稿からライブ配信が主流になり始めたことも挙げられる。2018年の正月にはミライアカリの生放送は絶大な衝撃をもって迎えられたが、この頃には動画投稿と生放送の比重は完全に逆転しつつあった。
既に撮影した動画を投稿するだけならば、撮影時点=キャラクターの存在点と我々の観測点には乖離があり、遍在という特殊な存在様式も許容されうる。しかし、ライブ配信は「いま」「そこで」活動しているという強い局在を予感させる。今目の前のモニターで配信されているのであれば、今まさにそこにいるのは間違いないのだ。きちんと寝て起きて決まった時間に配信をするという時間感覚から滲み出る人間臭さは、草薙素子のような眠らない電脳人格のイメージを追放する。

異世界から現れるVtuber(2019年前期頃)

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それからVtuberの有名どころが「設定を盛りまくったキャラが毎日ライブ配信とかゲーム実況するやつ」に変質するまでそう時間はかからなかった。「Vtuberが所属する世界」については基本的には「異世界化」が進むわけだが、その一つのメルクマールとしては2019年6月のホロライブ三期生登場、すなわち「ホロライブファンタジー」が挙げられる。

www.moguravr.com

登場時の予告記事を読むと

ファンタジーの世界からやって来たVTuberであるホロライブ3期生

などと銘打たれているが、今見ると「わざわざ売りにするほどか?」と思わざるを得ない。というのも、これ以降は天使だのドラゴンだのホワイトライオンだの雪女だの、どう考えても異世界から来たとしか思えない連中がむしろ標準となり、海賊や騎士団長程度は珍しくも何ともなくなったからだ。
しかし逆に言えば、当時はまだネクロマンサーやエルフを指して「ファンタジー世界から来た」という設定をわざわざ書き立てる程度にはまだ「異世界から来た」というイメージが主流ではなかった。最初に明記したように「メインストリームにこそ最大公約数的なイメージが結実する」という立場を貫くならば、このあたりを境にしてVtuber異世界出身とするイメージが決定的になったと言ってしまって問題はない。実際、設定の過剰添加とライブ配信の主流化は現在に至るまで加速し続けている。

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次のステップへの予感としては、最近にわかに流行の兆しを見せているVeiなりENなりの海外勢はまさしく異世界=別大陸からの配信がある。「異世界からの配信」が「異文化世界からの配信」に変質し、より現実世界に立脚したイメージが完成しつつあると強弁することも出来なくもない。
しかしまあ、それは論が先立ち過ぎているような気もするので、今は一応触れるだけに留めておこう。

MineCraft世界の発見

大まかに拡張世界に遍在していたVtuberが仮想世界に局在するようになった経緯をさらってきたが、かといって「異世界設定」は各Vtuberがそこまできちんと掘り下げるものでもない。Vtuberのロールプレイにおいて肝要なのは「設定に絡めてちょっと面白いことを言う」という当意即妙のトークスキルであり、オールドタイプなオタクが評価しがちな「緻密な設定を矛盾なく構築する」というクリエイタースキルではない。
よって、それぞれが持つ具体的な異世界の様相が話題になることはほとんどないが、しかしVtuber異世界が明確に一つの形を成した事例として、MineCraft世界が挙げられよう。

wikiwiki.jp

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これはにじさんじ運営が保有するMineCraft世界の地図である(右上の全体図が示すようにこれはほんの一部に過ぎず、引用元の地図を見ることを強く勧める)。
この地図を見たとき、俺はかなり感動してしまった。連続した平面の上で各キャラクターの所在が座標で示され、物理的な位置関係を取って関係している。これこそまさしく一つの世界と言ってしまって差し支えない。流石に最近は少し下火になってきたが、upd8もにじさんじもホロライブも774.incも揃いも揃ってMineCraftに飛びついたのにはやはり大きな意味があるのだ。

MineCraft世界が無数のVtuberを許容できる無限の広がりを持つことに加えて、ブロックを組み合わせて自由に世界を作れるサンドボックスゲームであることも重要だ。実際にVtuberが自分のキャラ通りの建造物を作ることは比較的稀だが、潜在的にどんな世界でもあり得るという性質が、Vtuberそれぞれが別々の異世界を背景に持つ乱立状態を調停することになった。更に言えば、MineCraft世界そのものは物理的なイメージが支配する比較的ソリッドな異世界だが、一方でシステムとしてはワールドワイドウェブ上に存在する電子的なイメージを引き継いでもいる。

補足339:Vtuberの所属世界としてのMineCraft世界が利用された事例として、ホロライブがアズールレーンとコラボしたときの有様はかなり面白かった。(恐らくMojangに無断で)勝手にMineCraft的デザインやメカニクスがいくつも流用され、実質的にアズールレーン×ホロライブ×MineCraftのトリプルコラボという無法地帯と化した。

まとめ

当初VtuberサイバーパンクSFの世界観を引き継いでおり、ワールドワイドウェブという拡張世界に電脳人格として遍在するイメージが優勢だった。
しかし独自の設定を押し出すにあたっては逆に外部の仮想世界に局在するようなイメージが提出されるようになり、更にVtuberの絶対数が増えたことに伴う際限のない設定の豊潤化によって、明確に異世界の存在を前提とした来訪者というポジションを取ることが肯定される。
乱立する割には深く掘り下げられない異世界を調停する世界のイメージとして、サンドボックスかつオンラインゲームであるMineCraft世界が果たした役割は大きい。

最近ではリアリティーショーの延長としてリアルでの同居が押し出されたり、海外勢の台頭でリアルな地理的文化的外部の存在が示唆されるなど、現実世界に立脚した方向への出戻りが行われているように思われる。拡張世界→仮想世界→現実世界という流れは実るのかどうか、いずれにせよVtuberが所属する世界のイメージについてはこれからも注視していきたい。