LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

19/2/19 アニメ『バーチャルさんはみている』のコンセプト定位による正当化

akari

・美学芸術学レポート

アニメ『バーチャルさんはみている』のコンセプト定位による正当化(pdf)
美学芸術学の講義で東大文学部に提出したレポート.成績は優上.我ながら面白いと思うので,今回も全文アップする.
レポート課題は「講義内容に関連する文章を何か書け」で,講義内容は著者の教授本人による「エンドレスエイトの驚愕」という本の解説だった.


この「エンドレスエイトの驚愕」は「一般には評判の悪い『エンドレスエイト』をコンセプトに注目することで再評価する」という内容だったので,俺もそれに則って「一般には評判の悪い『バーチャルさん』をコンセプトに注目することで再評価する」というレポートを書いた.論旨は以前ブログに書いた感想(→)をきちんと書き直したもので,内容自体はそれと変わっていない.

俺は個人的に三浦先生の大ファンで,夏にやった池袋での講演内容も彼の著書をかなり参照していたし,普段のブログでも議論のベースにしていることが多い.直接会える機会を逃すわけにはいかないと教室に本とマッキーを持参して「サインください!!!」ってやった直後だったので,優上を取ってかなり嬉しい.2019年嬉しかったランキング暫定1位.

レポートを読むのに必要な事前知識として,2点だけ書いておく.

まず第一に,「コンセプチュアルアート」という単語について.
コンセプチュアルアートとは,通常の芸術作品とは違って実際に見る必要がなく,コンセプトだけ聞けば済むようなアイデア全振りのアートのこと.マルセル・デュシャンの「泉」が最も有名なコンセプチュアルアートで(美術の教科書で見たことあるよね?),「その辺の便器にサインして芸術と豪語したやべーやつがいるらしい」というコンセプトだけ聞けば作品の鑑賞が終了する(実際に便器を見ても得るものはない).バーチャルさんは見ていて本当につまらないけど,実は便器と同じで直接見ることには特に価値がないタイプの芸術作品なんじゃないか?ということをレポートに書いている.

第二に,アニメに対する「物語-表現-プロジェクト-コンセプト」という4段階評価について.
それぞれ日本語の通りだが,

物語:エンタメとしてのストーリー,お話
表現:物語を実現する作画・声・動きetc
プロジェクト:メディアミックス等の展開,社会的な影響
コンセプト:作品のアイデアや哲学

を意味している.
バーチャルさんは純粋にエンタメとしてつまらないし(物語評価不能),動きも声も稚拙だし(表現評価不能),色々なクラスタからボコボコに叩かれてるけど(プロジェクト評価不能),コンセプトに注目すればそれら欠点を全て必要経費として正当化できるんじゃないか(コンセプト評価適正!)というのがレポートの主旨.

冒頭に貼ったpdf形式のレポートをブログ記事にしたバージョンを以下に貼る.内容は全く同じなのでどっちで読んでも構いません.

0.概要

『バーチャルさんはみている』は2019年1月9日に放送を開始し,1月27日時点で第3話までが放送されているアニメ作品である.2017年末頃から高い人気を誇るバーチャルユーチューバー(Vtuber)初のアニメ化作品として放送前の期待は非常に高かったが,現在の評判は芳しくない.
そこで「物語-表現-プロジェクト-コンセプト」という4段階の定位を用いて作品の分析を行い,物語-表現-プロジェクトのレベルでの難点を確認したあと,コンセプトレベルでの正当化を試みる.その後,コンセプチュアルアートとしての評価が可能か否かを判定する.

1.はじめに

『バーチャルさんはみている』は2019年1月9日に放送を開始したアニメ作品である.全12話が予定されており,2019年1月27日現在では第3話までが配信されている.
この作品は「バーチャルユーチューバー(Vtuber)」と呼ばれる特殊なキャラクター群を史上初めてアニメ化したものであり,Vtuberというムーブメント自体の流行及びアニメに登場する個々のVtuberの人気から,放送前の注目度は非常に高かった.実際,同時期に配信を開始したアニメの中ではニコニコ動画における第1話再生数トップを獲得しているほか(*1),放送中は常にTwitterで関連ワードがトレンドになるなど(*2),SNSを中心に現在進行形でオタクコミュニティの話題の中心に居座り続けている.

*1 「バーチャルさんはみている #1『バーチャルさん誕生』」https://www.nicovideo.jp/watch/so34448815
*2 「人気 VTuber 集結の異色アニメ『バーチャルさんはみている』世界トレンド 1 位の快挙」
https://gunosy.com/articles/RdWd0

ところが,そうした関心の高さに反し,内容に対する評価は芳しくない.ニコニコ動画での放送後アンケートでは5段階評価で「最も良い」を選択した視聴者の数が第1話では63.7%,第2話では48.6%,第3話では58.3%という水準に留まっている.これは同時期に放送しているアニメの中では中程度の評価ではあるものの,特にネガティブな背景を持たず高い期待の初期値から放送をスタートしたことを鑑みれば,少なくとも当初の見込みは裏切られていると言わざるを得ない(同時期に放送しているアニメの中では『けものフレンズ2』も高い注目度を持ちながらアンケート評価が異様に低いという似た立場にあるが,そちらは権利関係のいざこざが後を引いているというネガティブな背景が存在する).また,擁護に回る意見は元々のVtuberファン層からの「好きなキャラクターがアニメで見られて嬉しい」というアニメ内容とは関係のないものが大半を占め,否定側の意見が「ここが良くなかった」「こうすれば良かった」とまとめサイトや動画投稿サイトで盛んに議論されるのに比べて具体性を欠く.
低評価の要因としては,物語として「脚本や演技の質が単純に低い上に内輪に籠っている」,表現として「何故か複数のコーナーに分割されたコント仕立てで見づらい」,プロジェクトとして「元々のVtuberが持っていた意思疎通できる魅力を欠く」等が挙げられる.これらについては後でより詳しく検討するが,少なくとも通常のアニメに比べて実験的な試みを多分に含んでいることはも明らかであり,そのために事前に期待されていた内容にそぐわなかったと解釈できる.

しかし,元はと言えばこのアニメはVtuberという高々2年程度の歴史しか持たない新しいキャラクター形態を用いて創出されたことを思い出したい.新しい概念が新しいアニメを生み出すことはむしろ必然であり,一見すると低評価しか導かない実験的な内容が,実はVtuberという今までにないキャラクター群をより良く表現するためのコンセプト先行型の前のめりな試みであるとすれば,新奇なムーブメントを理解する上で重要な意義深い作品として捉え直すことができる.具体的には,奇妙な内容は「自律型キャラクター」というコンセプトに忠実であろうとした結果として理解でき,最終的にはこの作品にコンセプチュアルアートとしての評価を与えることが妥当か否かを検討したい.

以下,まず第2節で作品を分析するための基礎知識としてVtuberの概要について述べる.第3節で『バーチャルさんはみている』に対する消費者の否定的な反応を整理する.第4節でVtuberが持つ「自律型キャラクター」というコンセプトをYoutuberと比較しながら記述していく.第5節では第4節で得たコンセプトを用いて第2節で見た難点に対する正当化を行う.最後に第6節で『バーチャルさんはみている』はコンセプチュアルアートとしての評価に値するか否かを判定する.

2.バーチャルユーチューバー(Vtuber)概要

この節では,作品を分析するための基礎知識として,Vtuberの概要を技術的基盤と普及過程の二つに分けて述べる.

2-1.バーチャルアバターの技術的基盤

Vtuberを支えるバーチャルアバター技術を簡単に言えば,「キャラクターを実際の人間のように動かす技術」である.バーチャルアバターモーションキャプチャレンダリングの二段階で実現される.まず人間の演者(アクター)の動作をモーションデータとして抽出し,そのデータにキャラクター画像を適切に合成することで,キャラクターがアクターと同じ動作を行っているような動画を生成できる.

比喩的に言えば,人間であるアクターの挙動だけを維持したまま外見だけを任意のキャラクターに換装する技術であると表現できる.
このイメージから導かれるバーチャルアバターの論じ方には大きく分けて二つあり,一つは主体としてのアクターに注目するもの,もう一つは客体としてのキャラクターアバターに注目するもの.前者としては,人間が本来の外見と異なるキャラクターとして振る舞うことで生まれる身体感覚や心理の変容を議論する身体拡張論等が盛んである.しかし,本稿は完全に後者の立場を取り,外部から見た限りでのキャラクターの性質や振る舞いについて論じる.

2-2.Vtuberの発生と受容

バーチャルユーチューバー(Vtuber)は文字の通りバーチャルアバターを用いたYoutuberである(Youtuberとは,再生数に応じて支給される収益を主な目的としてYoutube上で活動する動画投稿者のこと).
最も古いVtuberは2016年に制作された「キズナアイ」で,ゲーム実況動画や10分程度の軽いコント動画を投稿する典型的Youtuberの3Dモデルキャラクターバージョンとして発生した.「バーチャルユーチューバー」という語は元々はキズナアイが自らの肩書として固有名詞的に使用していたが,2018年初頭頃から同様の活動を行うキャラクターが増えていくにつれ,動画投稿を行うバーチャルアバターキャラクター全般を指す単語として広まっていく.
2018年のバーチャルアバター文化は一般向けに参入障壁を下げる普及フェイズであり,アバター作成から配信までをスマートフォンのみで行えるアプリがリリースされるほか(*3),導入手段を解説する指南記事がSNS上に多く公開された.これらを用いることでVtuberは個人でも(ある程度の技術と文化への理解があれば,アニメ・ゲーム製作等と比べて)気軽に参加できる点に大きな特徴があり,個人・企業製作のいずれも毎日のように数が増え続けている.数の増加に伴いVtuberが活動する領域もYoutubeへの動画投稿に留まらなくなり,リアルタイムの生配信・コミック化・テレビ番組出演・雑誌へのエッセイ掲載等の展開も行われるようになった.
現在ではYoutubeに動画を投稿しないにも関わらずVtuberと呼ばれるキャラクターも珍しくなく,「バーチャルアバターに出自を持つキャラクターの総称」程度の意味で「Vtuber」という語は用いられている(バーチャルユーチューバーがVtuberと略称されるようになったのは,もはや活動にYoutuber要素が必須ではなくなったことにも起因するだろう).

*3 「カスタムキャストhttp://customcast.jp/

以上の経緯を踏まえ,『バーチャルさんはみている』はVtuberが遂に地上波アニメに進出した作品として位置付けられる.
アニメ化は一つのメディア展開に過ぎずそれ以前にも様々な媒体でいわゆるメディアミックスコンテンツのような展開を行ってきていたこと,元々「バーチャルユーチューバー」という名前から想像されるようなYoutubeに依存したムーブメントではなかったことには注意したい.


3.アニメ『バーチャルさんはみている』への反応

この節では,アニメ『バーチャルさんはみている』に対するネガティブな反応を物語・表現・プロジェクトの3つのレベルで整理する.以下のネット上の意見をまとめるにあたっては,ニコニコ動画における公式配信のコメント,まとめサイト掲示板(*4),投稿動画(*5)等を参考にした.

*4 「『バーチャルさんはみている』への罵倒がまとめられる」http://blog.livedoor.jp/qmanews/archives/52229456.html,「バー チャルさんはみているはアニメですらない糞アニメ」https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/anime/1545160761/
*5 「悲報、Vtuber アニメがあまりに酷すぎてトランプ大統領ぶち切れ」
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34468072,「総統 閣下はアニメ『バーチャルさんはみている』の出来にお怒りのようです」https://www.nicovideo.jp/watch/sm34474194

3-1.物語レベル

『バーチャルさんはみている』は基本的にはセリフ回しを中心にしたコメディアニメであり,一つあたり1~2分のコーナーを10本強繋げることで構成されている.これらのパートは視聴者を笑わせることを目的としているギャグパートと,毒にも薬にもならない他愛のない発言を行う日常パートに大別される(前者は「VIRTUAL WARS」等,後者は「ひなたちゃんは登校中」等).
まず前者に対しては「単純に面白くない」という質の低さを嘆くコメントが極めて多い.滑り芸を含めればギャグそのものに対する定量的な評価を行うことは難しいものの,ニコニコ動画上ではギャグが披露されるたびに「?」コメント(「理解不能」や「反応に困る」旨を示す)が多数流れてくるような有様が視聴者の冷めた反応を表している.また,後者に関してもアニメ内では説明されない既存の内輪ネタの確認に終始し,わざわざアニメで見たいと思わせるような新規性を欠く.
具体的なネット上の意見は以下(「『バーチャルさんはみている』への罵倒がまとめられる」コメント欄より).

3 名無しさん 2019年01月18日 06:54 ID:BB0tmam50

ハイコンテクストの極みみたいな構造のわりにコンテクストを理解していても

たいして面白いわけでもないというアニメ作品としておよそ最悪の部類

内輪受けを狙う以外ないのに内輪から見てもつまらないってどうしろと…

 

3-2.表現レベル

先述のように,『バーチャルさんはみている』は本編を一つあたり1~2分の10本強のコーナーに分割する比較的珍しい形式を採用している.もともとVtuberは短い動画を作成して投稿するキャラクターであったため,アニメでも短時間のコーナーを接ぎ合わせていくこと自体は本来の挙動に忠実である.
しかし,メディアの性質を考慮しない作品作りはあまりにも安直に過ぎ,わざわざYoutubeと同じ形式をアニメで採用する必要があったのかという疑問が残る.そもそも,2-2節でも述べたように,VtuberがYoutuberであったのは活動最初期だけの話で,いまやVtuberは様々な媒体に進出して適合できる汎用性の高いキャラクターとして振る舞っていたはずだ.例えばテレビインタビューを受ける,雑誌にエッセイを載せる等,アニメ化以前から既に活動領域は「短時間動画投稿」を脱していた.
今回改めてアニメで展開するのであれば,古い体裁に拘らずに30分かけて一定のストーリーを展開させることも可能だったはずである(なお,正確に言えば,番組表上で30分の枠があるアニメでもOP・ED・CMを除いた正味の放映時間は20分程度である).その方法は色々考えられ,スターシステムのようにキャラクターを流用するのでもいいしVtuberに演劇をさせるという体裁を取ってもいいというのに,それら新規の試みを捨ててまでわざわざ初心に戻る以上は,いわゆるストーリーアニメとしての展開可能性を潰すに値するほどの理由が要求される.

また,積極的な合理性が見当たらないコント形式への拘泥が批難される理由として,アニメ化によって得られたはずのコンテンツ消費者の新規参入を排除してしまったことが挙げられる.
先述のようにバーチャルアバターはいまや個人製作が容易であり,Vtuberの数も増え続けているが,しかし,キャラクター数の無尽蔵な増加が文化の複雑化を招いていたことも事実である.すなわち,元々バーチャルアバター文化に強い興味を持つ制作側にとっては活発に動ける土壌が整備された一方で,バーチャルアバター文化にそれほど興味のない層にとっては,少なくともVtuberキズナアイしかいなかった頃と比べ「展開が大きすぎてどこから手を付ければいいのかわからない」という裏返しの敷居の高さを与えていた側面もある.
そうした状況を踏まえて,地上波放送アニメである『バーチャルさんはみている』にはいわば普及版としての役割がVtuberコミュニティから期待されていた.アニメならばわざわざ動画を探す必要もなく(深夜アニメを見る習慣さえあれば)気軽に消費でき,アニメから関心を広げて主にはネット上で展開するVtuber文化に足を踏み入れるというような入り口の役割を持てたはずだ.一般的なアニメと異なり,Vtuberが企業レベルだけではなく個人レベルでも製作・消費・流通するものでもあったことを鑑みれば,この期待が多大なものであったことにも頷ける.
しかし,結果としてはYoutube動画の繋ぎ合わせのような内容を選択したことで,アニメファンの興味を引けなかったと言わざるを得ない.具体的なネット上の意見は以下(「バーチャルさんはみているはアニメですらない糞アニメ」より).

156風の谷の名無しさん@実況は実況板で2019/01/13(日) 21:40:15.59

出演してるVtuberは普段見ないアニメだけ見る層にも広がるかもしれないって語ってたのに

 

内輪丸出しそもそもアニメとして構成する気なしのバラエティ番組方式でアニメをバカにしてるような態度でそっぽ向かれるんだから

 

哀れ極まりねえな 誰も幸せにならないVtuberをアニメ化!って言っときゃ儲かるぞ

 

とかあっさい考えで企画した奴の財布のために不幸が生まれるゴミ番組

 

3-3.プロジェクトレベル

2-2節で述べたように,『バーチャルさんはみている』は大規模なVtuber文化の展開の中の一つとして位置づけられる.アニメを包括する全体のメディアミックス及びそれを支えるファンコミュニティという広い視野で見たとき,このアニメはVtuberが持つ共同体を構成する根本的な機能を否定する内容であったという批判が散見される.その機能とは,「コミュニケーション可能性」である.

次の節でより詳しく述べるが,VtuberTwitterや生配信でファンとの交流を行うことが一般的であり,アクションすればレスポンスが返ってくることが既存キャラクターと比べたときの大きな違いだった.
しかし,アニメ媒体では配信の性質上情報伝達は往路のみにならざるをえないため,意思疎通の魅力を全く表現できない.直接的なレスポンスが期待できないという意味ではテレビ出演や雑誌掲載も同様ではあるものの,キャラクターについての情報を増やしコミュニケーションを活発化するという意味で共同体に間接的な寄与をしていた.ところが,『バーチャルさんはみている』は既に述べたように内容自体のクオリティが低いせいで(視聴報告以外のポジティブで豊潤な)話題を生み出すことが難しく,内輪ネタの確認に終始するためにインタビューで得られるようなキャラクターについての新情報も提供されない.
つまり,元々共同体の発展に直接には寄与できないアニメ展開であることに加えて内容的にも間接的な貢献が難しく,更にそうした難点がVtuber文化において重要視されている「コミュニケーション可能性」に真っ向から逆行するものであるためプロジェクト全体から見ても擁護できないと言える.具体的なネット上の意見は以下(「『バーチャルさんはみている』への罵倒がまとめられる」コメント欄より).

16 名無しさん 2019年01月18日 12:25 ID:3imNOjSG0

ドワンゴによるつべ発のコンテンツ潰し説は草生えた

 

意志疎通できるキャラクターであることがvtuberの最大のウリなのにもとの枠に納めればそりゃどっちつかずで面白くないよね

 

4.自律型キャラクターとしての Vtuber

この節では,前節で述べたような難点をコンセプトレベルで正当化する前準備として,Vtuberが体現しようとする「自律型キャラクター」というコンセプトについて整理する.
ここで言う「自律」とは「人間と同じように独立して生きている」というほどの意味であり,より具体的には,物語・表現・プロジェクトの3つのレベルに対して「物語からの独立性」「自己立案性」「リアルタイム性」という3点に切り分けられることを述べていく.また,これらは元々はHIKAKINのようなYoutuberに由来する性質であってVtuberが持つべき性質として正当であること,逆に言えば自律型キャラクターとしてのVtuberが出生時にYoutuberという形態を選択したのが合理的だったことについても並べて論じる(なお,VtuberはYoutuberの部分集合で有り得るが,以下で「Youtuber」と書いた場合は「Vtuberを除外した,HIKAKINのような生身のYoutuber」に限定する).

4-1.物語からの独立性

2001年に東浩紀が『動物化するポストモダン』の中で,ポストモダン状況における大きな物語の衰退から導かれる帰結として,キャラクターが一世界的な物語との対応関係を脱して複数世界を縦断するようなあり方が許容されるとした.その後,この論に呼応した伊藤剛が2005年に著した『テヅカ・イズ・デッド』の中で,原始的な図像としての「キャラ」とそれに加えて豊富なバックグラウンドを持つ「キャラクター」の違いについて漫画史における経緯と組み合わせて論じた.
この小節で主張するVtuberの「物語からの独立性」とは以上の経緯を念頭に置いた表現である.つまり,Vtuber社会学的ないし漫画史的な経緯で物語から切断されたキャラクター形態のバリエーションとして位置づけるものである.ただし,物語から独立したキャラクターという概念自体の生成模様や意義について繰り返すのではなく,この性質の存在を前提として,それがVtuber文化の中ではいかにして表現されてきたか,また,Youtuberからどのように受け継がれたかを論じる.

まず,Vtuberが物語から独立したキャラクターを基本としていることについて述べる.
この性質はVtuber文化初期に顕著であり,キズナアイは初登場時に「人工知能なのでこれから学習を行う」という設定を披露しているほか(*6),『バーチャルさんはみている』を主導する「ミライアカリ」は記憶喪失という設定で登場した(*7).これらの設定に共通するのは,出自・年齢・人間関係・出身というような,通常はキャラクターに必須となるバックグラウンドを完全に欠いていることだ.更にそうした背景に関する設定は現在に至っても補完される気配が全くないどころか,伏線が引かれたり,ファンの間で考察が行われることもない.逆に,明確に保持されている設定は容姿や性格といったすぐに見て確認できるような表層的なものに留まる.世界や過去と接続する深層の設定を欠いているという意味で,彼女らは物語から独立したキャラクターと表現できる.
なお,Vtuberの数が増えた現在は差別化のために豊富な設定を付与することが標準的となっているが(*8),その際でも背景設定は一時的な放棄が可能な程度の暫定的なものに留まる.例えば,コラボレーション動画では世界観も立場も異なり設定上は不整合なはずの魔王のキャラクターと女子高生のキャラクターの競演が行われることがあるが,そのちぐはぐさに設定のレベルで言及されることはまずない.矛盾を許容する柔らかい設定であり,例えば『機動戦士ガンダム』における細部まで整合性を検証される硬い設定とは異なっている.

*6 「【自己紹介】はじめまして!キズナアイです」https://www.Youtube.com/watch?v=NasyGUeNMTs
*7 「【自己紹介】ねぇ…聞いて欲しいの…【MiraiAkariProject#001】」
https://www.Youtube.com/watch?v=0V1vk83iV-o
*8 「にじさんじメンバー一覧」
http://nijisanji.ichikara.co.jp/member/

 

また,こうした性質は元々はYoutuberが持っていた性質を流用したものだ.
例として,現在HIKAKIN TVの最新動画である「Youtubeから怪しい謎のダンボールが届きました。。。」(*9)を取り上げる.この動画の内容は「Youtubeから届いた荷物を開封したらクールなシャツ等が入っていて嬉しかった」というものだが,注目すべきは,「この動画は一本だけでも消費できるように作ってある」という点だ.HIKAKINの過去や背景に関する事前知識を要求しないため,HIKAKINファンでなくても十分に内容を理解できる.これと対照的なのはアニメや漫画で、途中のある一話だけ見て楽しむというわけにはいかない。
この特徴はYoutubeという配信形態が全話見ることを想定していない,断片的に再生されるメディアであることに由来する.そのためにYoutuberの動画は基本的に「一話完結の一発ネタである」という性質を持ち,その際に当座の「ネタ」以外の背景文脈は積極的に切断されるという意味で,キャラクターとしてのYoutuberもまた深層の物語との切断可能性が高い.Vtuberはアニメや漫画ではなくYoutubeから登場することで,元々はYoutuberが持つ性質を利用し,自然に物語から独立できたと言えよう.

*9 https://www.Youtube.com/watch?v=fO_1fNo-vik

4-2.自己立案性

表現というレベルでキャラクターの自律性が如何に表されるかを考えたとき,自らの行う表現形式の自己決定という意味での自己立案性として体現されるだろう.
これにはまずYoutuberの振る舞いから考える方がわかりやすい.演者とは別に脚本家が存在する演劇やバラエティ番組とは異なり,Youtuberの動画ではその内容はYoutuber自身が考えたものであると消費者に受け取られるのが普通である.Youtuberが日常ではしないような演劇的なリアクションをしたときであっても,他の誰かに台本を渡されて指示されて行っているとはあまり考えない.この理由は単純で,Youtuberは市井からの叩き上げカルチャーであり,基本的にはテレビ局などの後ろ盾を持たない小規模な個人活動だからだ.人員が少ないために企画者と演者が一体となり立案から実行までを一人でこなすスタイルが,Youtuber動画とテレビ番組を差別化してYoutuberに親近感を与えるポイントの一つである.

そしてこのYoutuberの「自己立案」という性質がVtuberの自律性に説得力を持たせた.つまり,キズナアイがいわゆるアニメキャラクターのように「脚本家に動かされるキャラクター」ではなく,「自ら企画して動画を作るキャラクター」という体裁を保つことができたのは,このYoutuberに対する鑑賞態度が流用されたからに他ならない.Youtubeというメディアを介することで,キャラクター自身が自分の行動をメタな視点から定義しうる自律的な存在であるという情報が暗に伝達されていたと言える.


4-3.リアルタイム性

プロジェクトのレベルでは,Vtuberが現在進行形で様々な展開を行うことで我々と同じようにリアルタイムに生きている存在であるという時間的な感覚が自律性として対応する.
Vtuberは日々SNSYoutubeを介して新たな情報を提供し続けており,「シャーロック・ホームズ」のような作品が完成した時点で時間が停止するキャラクターとは対照的である.これもまたこまめに動画投稿を行うことでプロジェクトを更新し続けるYoutuberから受け継いだ性質と言える.
しかし,Vtuberのリアルタイム性はYoutuberよりも急進的だ.特に最もタイムスパンが短いものは生配信であり,Vtuberの生配信中に視聴者がコメントを送信するとその場でレスポンスが返ってくるという現象には数秒単位にまで短縮されたフィードバックが見られる.逆に,最も巨視的には,無数のメディアミックス的展開が行われていること自体がリアルタイムな動きとして感覚される.例えば,アニメ化が決定したというイベントに前小節で述べたような自己立案性を組み合わせれば,Vtuber自身が断続的に働きかけたことでアニメ化が実現したというリアルタイムな経緯を読み込むことができる.この意味で,Vtuberは個々の活動と文化全体の動的な進行という二つの階層でリアルタイム性を表現している.

5.コンセプトレベルでの正当化

前節では,Vtuberが自律型キャラクターというコンセプトを持つことを述べた.この節ではVtuberのアニメ化作品である『バーチャルさんはみている』においてもこうした自律性が活かされていることを確認し,第3節で見られた批判に対する反論として,「コンセプトとしては適正である」という正当化を試みる.その際,いわゆる普通のアニメとVtuberが持つ自律性の相性が基本的に悪いことを示し,後者を優先することで通常のアニメの価値が犠牲になった様子を確認する.

以下,物語レベルでの難点には「自己立案性」が,表現レベルでの難点には「物語からの独立性」が,プロジェクトレベルでの難点には「リアルタイム性」が反論として対応する.自律性の物語レベルでの発現がアニメで見たときは表現レベルの難点に,自律性の表現レベルでの発現がアニメで見たときは物語レベルでの難点に対応するという捻れに注意.

5-1.物語レベル

4-2節ではVtuberが自己立案という性質を持つキャラクターであることを確認したが,地上波放送アニメにおいてこの性質を維持することは難しい.何故なら,OPやEDのキャストクレジットで脚本家を含む様々な人間がアニメ制作に関わっていることが明示され,Vtuberが自分でネタ出しから撮影までを行っているというスタンスが否定されるからだ.Vtuberは多くの人間が考えた脚本通りにしか動けない役者,もっと悪ければ意志を持たないキャラクターと解釈され,本来のコンセプトであった自律性を失ってしまう.

こうした問題を踏まえると,『バーチャルさんはみている』の内容が極端に貧相であったことは自己立案性を確保するための苦肉の策だったという弁明が可能になる.ハイクオリティなアニメであれば「Vtuber自身で立案したのではなく他のアニメ制作のプロが作ったのだろう」という印象を抱かせてしまうが,素人が作ったようなロークオリティなアニメであれば「プロではなくVtuber自身が立案したのだろう」と解釈せざるを得ない.実際,元々VtuberYoutubeに投稿する動画を見てもプロの芸人に匹敵するようなギャグのクオリティを持つものは極めて稀で,Vtuberのエンタメ的アニメ制作能力は決して高くないとすることには一貫性がある.
すなわち,3-1節で確認した「単純にギャグの質が低すぎる」「ギャグ以外の会話も内輪すぎる」という批判に対し,「アニメ制作のプロではないVtuber自身が考えているのでクオリティが低いのは当然である」と反論できる.自己立案性に忠実に振る舞った結果と解釈することで,質の低さ自体を合理化しうる.

5-2.表現レベル

4-1節ではVtuberが物語からの独立という性質を持つキャラクターであることを確認したが,30分間切れ目のないストーリーを展開するようないわゆるストーリーアニメでこの性質を維持することは難しい.長時間連続するきちんとしたストーリーを描こうとすれば,Vtuberはその物語に拘束されてしまうからだ.Vtuberのコンセプトに反するだけではなく,アニメ外の媒体でもアニメ内で付与された設定との整合性を取らざるを得ないという悪影響を及ぼし得る.

この問題に対しては,深層の過去や背景を読み込ませない程度に断片的で一貫性のないストーリーしか描かないことが一つの回答になる.つまり,内容をぶつ切りにしてコーナーに分割することは物語を形成しないために有効なのだ.特に『バーチャルさんはみている』内の「レッツゴー!教室」というコーナーでは,Vtuberたちが『新世紀エヴァンゲリオン』で登場した女子制服を着用しているにも関わらず,それについて言及したり利用したりすることが一切ないまま,『エヴァ』とは全く関係のないちょっとしたイベントをこなして終わってしまう.これはかつて『エヴァ』最終話Aパート(いわゆる「学園エヴァ」)において,登場人物たちが本筋とは全く関係のないパラレルワールドでコメディを行ったシークエンスを継承していると見ることができる.すなわち,「学園エヴァ」においてキャラクターが物語を無視した経緯を引き継ぎ,「レッツゴー!教室」でも同様の行為が描かれているのだ(なお,東浩紀は『動物化するポストモダン』において「学園エヴァ」をキャラクターの物語からの自律の例として挙げている).
以上のように,3-2節で確認した,「ストーリーアニメとしての可能性を潰した」という批判に対し,「Vtuberはコンセプト上長いストーリーを紡がないキャラクターである」と反論できる.物語からの独立性を擁立したと考えれば,新規層を排除してまでストーリーアニメを選択しなかったことを合理化しうる.


5-3.プロジェクトレベル

4-3節ではVtuberがリアルタイム性というコンセプトを持つことを確認したが,地上波放送アニメにおいてこの性質を維持することは難しい.3-3節でも述べたようにアニメは一方向性のメディアであり,物理的にフィードバックが不可能なのでリアルタイム性を表現できない.Vtuberというプロジェクトが不確定性を孕んで展開するシミュレーションであるのに対し,アニメは全て既成のフィクションであるため,そもそもメディアが適していなかったと言える.

これに関しては反論という形で正当化を与えることは難しく,3-3節で述べた「アニメでは本来の魅力であるコミュニケーションができない」という批判に対し,「アニメ媒体ではどうやってもフィードバックを行えないことを確認した」という程度の消極的な意義付けに留まる.
なお,部分的ではあるが,視聴者からの投稿コーナー(応募されたバーチャルアバターを紹介するコーナー)を設置することによって一応の相互性は確保されてはいる.更にアニメ放送でリアルタイム性を表現するのであれば,データ放送を利用する,公式HPで意見を募って内容全てにそれを反映する,いっそのこと生放送にするといった方策は考えられる.

6.コンセプチュアルアート視は適切か

前節ではVtuberが自律型キャラクターであるという論点を用いてネガティブな反応への反論を行い,コンセプトレベルであれば作品の意義を正当化しうることを示した.これにより,『バーチャルさんはみている』を一般的なエンタメやアートとしての価値を捨ててコンセプトを先行させたコンセプチュアルアートであると主張しうる論理については一応整ったと考える.この節では,そもそもこの論理を採用することが適切な動機に基づきかつ価値ある結果をもたらすか,すなわち,結局コンセプチュアルアート視は適切か否かを最後に検討する.

・受容的動機

本来『バーチャルさんはみている』に期待されていたのは通常の面白いアニメであり,それを裏切ったために現状では失敗作という判断が下されている.しかし,コーナー分割や字幕の存在等,形式的に見ても実験的な意図が多分に含まれていることは明らかであり,通常のアニメとしての枠を逸脱した検討に値するはずだ.すなわち,本来のジャンルとして見たときに感じる不満には尤もな理由があり,受容的動機は十分存在する.

・帰結条件

既に繰り返し述べてきた通り,Vtuber文化は新しいキャラクター形態を提出する最先端の文化であり,まだ高々2年程度の歴史しか持たないために十分に議論されていない点も多い.『バーチャルさんはみている』を駄作と切り捨てるのではなく肯定的な価値を探求することによって,Vtuberについての新規の知見が得られる可能性に期待でき,コンセプチュアルアート視は議論の豊饒化に貢献すると言える.

・発生的正当化

まず,作者がコンセプチュアルアート作品を想定していたとは考え難い.続けて述べるように,内在的にそうした痕跡が全く発見できないからだ.逆にコンセプチュアルアート視を明確に拒絶する意図があったとも考えにくいが,少なくともあまり良い顔はしないと予想する.アニメを見た印象に基づく推測ではあるが,恐らく制作側は「面白い」「笑わせよう」と思って作っており,「実際に見なくてもコンセプトを聞けば十分である(見る価値は無い)」というコンセプチュアルアート特有の鑑賞態度を肯定するとは思えない.

・内在的理由

作品内にコンセプチュアルアート視を促すような顕示的性質は特に発見できない.

・外在的理由

作品に関わる領域にコンセプチュアルアート視を促すような関係的性質は特に発見できない.ただし,5-2節で見たように,『新世紀エヴァンゲリオン』から衣装を借りていることは注目に値する.『エヴァ』が通常のエンタメアニメとして開始したにも関わらず破綻した展開を経て批評的なサブカルアニメとしての地位を確立したことは周知の事実である.更に,ただ単に表面的なパロディを行ったのではなく,『エヴァ』のサブカル批評の論点としてメジャーなポストモダン論についての文脈を継承していると解釈できることも5-2節で述べた.制作陣に『エヴァ』監督の庵野秀明が「アイデア協力」としてクレジットされていることもこの理解を後押しする.『エヴァ』そのものはコンセプチュアルアートでは無いため,ただちに外在的理由にはならないものの,コンセプト定位の理解を促進する間テクスト的な要因の一つ程度に数えることはできるだろう.

以上5つの要件を検討した結果,コンセプチュアルアート視を肯定する要因は半分程度に留まる.よって,残念ながら『バーチャルさんはみている』の完全なコンセプチュアルアート視には疑問が残ると言わざるを得ない.本稿の意義は,「コンセプトレベルで考えることで一見すると難点の部分にも一定の合理性を与える」「コンセプトに注目して肯定的に評価することでVtuberに関する新たな知見を発見する土壌を提供する」という二点に集約されるだろう.