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24/2/17 鉄鍋のジャンの感想 料理は妨害してもいい

この記事の要約(ChatGPTの出力を修正)

このテキストでは、料理漫画に登場する主人公ジャンが料理大会で見せる行動や姿勢について詳しく解説しています。

ジャンは料理大会で他の参加者に対する妨害行為を行うことがあり、この行為は作中では不正義な手段として批判されがちです。しかし、ジャンの行動は彼の料理に対する深い熱意と真剣さから来ています。

料理大会の形式が持つ矛盾として、現実の食事体験では料理が独立して評価されることは稀であり、通常は料理間の相互作用や順序が重要視されます。彼の妨害行為は、料理間の相互作用や食事の自然な流れに対する理解を反映しており、単に相手を出し抜くためだけではなく、料理という総体への深い認識を示しています。さらに、ジャンには料理人としての協調や他者との連携を重んじる一面もあり、そうした干渉全般を重視していることも窺えます。

最終的には、ジャンの料理に対するアプローチが、料理漫画としての独特な立て付けを形成し、審査員や他の料理人との関係においても新しい視点を提供していることが明らかにされています。

鉄鍋のジャン

少し前にやってた全巻55円セールで購入。むかし中華屋かどっかで断片的に読んだ記憶があるが、改めて一気読みするとなかなか面白かった。

いかにもエロ漫画出身らしい力強い絵柄で繰り出されるキリコが萌えすぎ、外道との一騎打ちでバトル路線が一番強い裏五行編が好き。ラスボスの割には堅実なキャラクターをしている黄蘭青も割と好きでいい感じに語っているnoteがあった。

note.com

主人公のジャンについては性格が悪すぎて敵にしか見えないことがよくネタにされているが、実際のところ作中での評判の悪さに反して読者からのヘイトはそれほど買っていないだろう。これだけ悪人面をしている割にはジャンが嫌いだという人は見ないし、この作品自体ピカレスクというほど露悪的なものではなく、どちらかというと痛快バトル漫画のようなところに属すると思われる。

これ、主人公はこのあとどうやって逆転するの?

そんなヘイト管理の基本として、まず基本的なキャラクター造形としてジャンは料理に対しては真剣な努力家だという部分をしっかり描いていることがある。特に極めて早い段階から「大皿料理に失敗して号泣する」という異質なウィークポイントエピソードを入れたのが非常に上手い。傍若無人なキャラが完全に崩れるほどはっきり弱みを見せたのは後にも先にもここだけで、これによって後の料理シーンでも「料理が上手くいかなかった場合は有り得ないほど狼狽える(そのくらい料理が上手くいくように徹底している)」という弱さと裏表の説得力が出てくる。

補足497:麦わらの一味でも最強格のはずのゾロがかなり早い段階でミホークにボコられたことで却ってその後の強さに説得力が出たやつに似ている。

そんなジャンが悪人面の本領を発揮するのは料理大会への出場時だ。そのバリエーションにはゲテモノ料理を披露したり誰彼問わず罵ったりと様々なものがあるが、それらは料理への向上心の表れとして比較的理解しやすい。その一方で「料理大会中の妨害行為」は最も印象的なシーンとしてネット上に流通したり後世の料理漫画にも影響を及ぼしたりしているにも関わらず、料理に真剣なキャラクターとしては理解しにくいところがある。

ジャンは大会においては自分を高める他にも相手を落とすことも立派な戦略の一つと見做しており、食べ合わせや調理工程を通して他の料理人を攻撃することが多い(相手が悪人の場合に限って意趣返しをしているわけでもなく、相手が善良な料理人でも構わずにやってのける)。これは一見すると料理を手段としか考えない不純な姿勢で取り組んでいるようにも見え、実際にキリコは一貫してジャンを勝負ジャンキーと見做して嫌っているほか、観客たちからもよく「汚い手を使う」と糾弾されて直接的に好感度を下げる要因となっている。

しかし実際にはジャンは料理に対してこの上なく真摯に取り組むキャラクターであることは既に確認した。一見したときの印象に反して、ヘイト管理及びキャラクター管理の両面から彼の妨害行為は料理への向き合い方と矛盾せず、その根底には料理大会という形式そのものが抱えている一つの矛盾があるのだ。

まず妨害行為に否定的なキリコや観客の間で共有されているのは、「料理大会で妨害は行われるべきではない」、ひいては「料理大会では全く独立に調理や提供が審査されるべきである」という前提だ。それはコンテストの体裁を取る営みにおいては一定自然なもののように思われる。体操にせよボディビルにせよピアノにせよ建築にせよミスコンにせよ、自分の力量を出し切った上で審査員が独立に採点を行うことがフェアな勝負と解されるし、逆に言えば、参加者同士の相互干渉が認められる大会はサッカーや野球のようなスポーツ競技に限られる。

しかしここでよく考えてみたいのは、果たして一般的に言って食事は「様々な料理が独立に評価される」というやり方で供されているかということだ。そのような状況はむしろ品評コンテストという極めて特殊なシチュエーションにおいてのみ成立する限定的で不自然なものではないだろうか?

実際のところ、複数の料理が供されるようなある程度きちんとした食事において、前後関係を無視してそれらを独立に味わうことなどまずない。コース料理まではいかなくても、まずは軽い前食から入ってメインの肉魚を食べてから最後にデザートという自然な順序は明確に存在するし、日常的な喫食においてすらデザートのシュークリームを食事の最初に持ってくる人はなかなかいない。特にジャンとキリコがもともと所属している中華料理の世界では「前菜→スープ→メイン→点心」というコースの概念が明確に存在している。言い換えれば、彼はラーメン屋のように完成品を一つだけ供したり、居酒屋のように無秩序につまみを追加したりする世界観の料理人ではない。

つまり本来食事とは食べ合わせや順序による干渉が起こってくる領域である。ジャンが厨房でも大会でも変わらず最大の熱量で料理に取り組む真剣な料理人であることを踏まえるならば、厨房のみならず料理大会においても「料理間の干渉」という概念を自明に持っていると考える方が自然である。他の参加者と審査員が日常的な喫食とは切断された不自然な状況に違和感を持たないのに対して、ジャンだけは人生に染み付いた「総体としての料理」という視点を持っているのだとすれば、ひとたびそれが勝負になれば本来のあり方を忘れて特殊な状況に浮かれる同業者を咎めていくやり方は料理への熱意と矛盾しない。

調理工程も同じことだ。雨あられのようにオーダーが降ってくる厨房で料理人たちが戦場のように処理していく様子は日常パートでも描かれていた。名門中華のような規模の大きな飲食店においては料理は一人で落ち着いて行うものではなく、他の料理人と連携を取りながら仕上げていくものだ。ジャンも一匹狼のように見えて小此木などへの面倒見の良さを見せるように、意外にも彼は料理人同士の協調を自然に行えるタイプである。ならば料理人が集う大会という戦いの場においても特に独立な調理工程を遵守する理由はなく、一人で落ち着いて取り組めると勘違いしている者が足元を掬われるのもやむを得ない。

ついでに言えば、こうした事情を踏まえれば「最大の敵が料理人ではなく審査員」という料理漫画としては異質な立て付けにも納得感が出てくる。料理や料理人同士の干渉を自然なものとして許容(して妨害)するジャンの視点においては、一品ごとの料理というよりは料理関係の総体に力点が置かれる。よって料理人同士で一つ一つ単純比較として優劣を付けるというよりは、一連の過程として味わう立場にある審査員のポジションや彼らとのやり取りこそが重要になってくるだろう。