LWのサイゼリヤ

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23/1/15 お題箱回107:ちいかわ、ゲイ疑惑、データサイエンスetc

お題箱107

513.LWさんのちいかわについての見解が聞きたいです。

ちいかわはけっこう好きです。毎回欠かさずチェックするほどではないですが、気が向いたタイミングで適当に遡って読む程度には好きです。

描写されていない裏設定を示唆するいわゆる「考察」的なものが少し目の肥えたオタク層にも受けている要因だと思われがちですが、絵柄と世界観とのギャップとかを一旦抜きにしても「キャラの描写」みたいな漫画の基本的な部分も質が高く優れていると覆います。つまり「進撃の巨人は漫画が上手い」と評するのと同じニュアンスでの「ちいかわは漫画が上手い」という評価は全く妥当です。

僕が最初に「ちいかわ、漫画上手いな!!」と思ったのはキメラ回でした。この回までは「なんか最近流行ってるやつあるな」くらいだったのですが、これを見て一気に「この漫画はやるやつだ」と認識を改め、今でも一番好きな回です。

線やコマ割りの図像自体はシンプルなのにキメラというキャラの背景に複雑な経緯と葛藤があることを示す描写が巧妙で、暗黙に含んでいる情報量とそれを描写する力が凄いです。もっと垢抜けない漫画なら回想コマを挿入してキメラの過去を匂わせたりすると思うのですが、ちいかわはそんな安っぽいやり方をしません。

終始変わらない泣き笑いの表情と「なっちゃったからには……もう……ネ……」という台詞が非常に秀逸で、これで「ナガノ天才だろ」と思いました。この台詞だけで「不本意にも化け物になってしまった」という悲劇のベースに「変身を受け入れて開き直る」というやけくその反転が加わり、そして「いて いて ひーこわいこわい」とコミカルに退散していく部分からはもはや一周して喜劇的な有様も伺えます。異様な言動と表情と動作だけで、悲劇が極まって喜劇に転ずるようなキャラの奥行が描かれています。特にアンビバレントな葛藤の中で覚悟を完了してウルヴァリンみたいな爪を出す中2コマがめちゃめちゃ良いです。

 

514.LWさんは「作品の評価は作品内の描写が全てであり作品外の要素は考慮しない」というスタンスだそうですが、そのスタンスは原作者が関わっていないメディアミックスや続編などにも適用されるのでしょうか?それとも完全に別の作品としての評価になるのでしょうか?

いえ、そもそも「作品の評価は作品内の描写が全てであり作品外の要素は考慮しない」というほど過激派ではないです。「作品の評価は作品内の描写を全てとしてもよく、作品外の要素は考慮しなくてもよい」くらいのスタンスです。

というのも、「作品外の事情を無視する」というスタンス自体に強いこだわりがあるわけではなく、それは「何とかして作品をポジティブに評価したい」という目的を達するための手段に過ぎないからです。つまり「作品のポジティブな面を引き出すにあたって作品外の要素を考慮しないことが有効なのであれば、そういう手を取ることを辞さない」という感じです。具体的には「作者の意図を積極的に無視した方が作品を高く評価できる」とか「恐らく制作側の意図からは外れているだろうが、それを問題にしない限りにおいては良い効果が生まれている」とかいうケースがかなりよくある典型です。

最近だと、リコリコの評価でもそんなスタンスを取っていました。

saize-lw.hatenablog.com

制作側の意図を想像すると「描写や設定が杜撰であったために本来意図されていたであろうハードな社会派アニメを描くことには全く成功していない」という酷評しかできませんが、作品外の意図は問題にしないことで「制作側は意図していたかは定かではないが(たぶん意図していないが)脚本の適当さが結果的に良い効果を生んでいた」という評価が可能になります。

そもそも「作者が本当に意図していたかどうか」を評価の軸足に置いてしまうと、それを立証する作業はインタビューやツイートを漁る羽目になって大抵は非常に困難か不可能です。よってその線で評価することは諦めて、「作者の意図などは作品外の要素として考慮から外して評価する」という態度を取った方が建設的なことが多いです。

逆に言えば、今したい評価に応じて合目的的にスタンスを選択しているだけなので、メディアミックスで作者が変わるような顕著な状況では普通に作品外の事情を考慮してもよいと思います。例えばカイジスピンオフのトネガワとかを評するにあたって、「作者が変わった分だけ自由な見方が可能になって良い味が出ている」のように作者変更に立脚した評価を述べる可能性は大いにあります。

 

515.LWさんってゲイじゃないんですか?

多少のバイ要素はあるかもしれませんが、ゴリゴリのゲイではないです。男性の裸体を見て「良い身体だな」と思っていることはよくあるにせよ、それは美的な意味合いに過ぎず、オナニーをする対象は女性の身体に限られます。

何度か同じことを書いている気がするのですが、確かに僕は女性との接触を可能な限り避けているため、結果として男性とのみ接触しているのは事実です。つまり僕が男性としか関わりを持たないのは、僕の方から意識してそう心がけているからという側面は確実にあります。そういう生き方からゲイ疑惑を持たれていることは少なくありません。

ただそれは女性を嫌悪しているからではなくむしろ逆で、女性への関心を抑制する自信がないからです。普通に考えて20後半まで女性と会話していない男性が初めて女性と接触したときに理性的な振る舞いができるとは考えにくく、僕がストーカーやメンヘラやミソジニーと化す可能性は低くありません。それは僕自身にとっても女性側にとっても人生を破壊しかねないほどのリスクであるため、そういう不幸の可能性を生まないように最初から可能な限り接触を回避しているということです。Twitterでマチアプとかにハマって女に狂っているオタクの影には、こうして前もってその危険を回避しているオタクがいるんですね。

 

516.>例えばファーストガンダムを見てシャアのかっこよさに感動した人が「これすげえアニメだから監督が何を思ってこれを作ったのか知りてえ」と思って冨野監督のことを調べ始めたとして、「それ結局シャアじゃなくて冨野が好きなだけじゃん」「本当にシャア好きなら冨野関係ないだろ」とはならないですよね。

これ私の感覚では半分はなると思うんですよ。シャア好きではあると同時に、作品を作った人間も好きになっていると言えるので。
シャアの気持ちは考えたことありますか?シャアは「俺は俺だ。冨野は関係ないだろ」と思ってますよ。私にはわかります。

この回の話ですね。

saize-lw.hatenablog.com

まああまり本気で言ってない冗談だと思いますが、キャラに過度に感情移入している人はそう感じる場合もあるかもしれません。

ただその場合でも「シャアと冨野が同時に同じくらい好き」というだけで、「冨野が好きになった分だけ相対的にシャアへの関心が低い」という話ではないですよね。それなのにVtuberの場合は「演者が好きということはキャラが好きなわけではないんだろ?」という片方しか取れない前提の論法が何故か罷り通っているのが不健全ということです。「白上フブキさんの演者の人にクリエイターとして好意的な敬意を払っているし、それはそれとして白上フブキさんというキャラも好き」という立ち位置は普通に可能です。

 

517.たまにサイゼに出てくる「ラディカル」という表現は「反骨的」「インモラル」的なニュアンスという理解で合ってますか?

いえ、「急進的な」「過激な」くらいの意味です。勢いや程度を表すもので、価値や倫理のニュアンスは含んでいません。過激な運動は結果的に反社会的でインモラルな様相を帯びることが多いというだけです。ニュートラルな言い回しとしては「ラディカルなうどん派(めっちゃうどん推しの派閥)」みたいな表現にも違和感は特にありません。

 

518.漫画・アニメを嗜みたい気持ちはあれど、発掘するほどの時間的余裕が少ないので、LWさん的GOODエンタメは積極的にRTしてくれると助かります。

僕も一時期に比べるとそんなにモリモリ発掘しているモードではなくなっていますが、今後も可能な限り拡散していきます。2023冬はスパイ教室がかなり面白いのでよろしくお願いします。

ch.nicovideo.jp

 

519.周回遅れですが、日本でもデータサイエンス(広義には理系尊重)の流れが少しずつ来ているように感じます。
(勉強を苦と感じなさそうなLWさんには無縁な気もしますが、)差別化をどのように考えておられるのか伺いたいです。

来てますね。僕が大学で情報系をやっていた頃からもう来てると思ってたんですが、今思うと当時はまだアーリーアダプターみたいな段階で、今がマジで来てるんでしょうね。来すぎて逆にもう終わりつつあるという説も聞くんですがどうなんですかね?

とはいえ僕は起業家ではなく会社員しかやるつもりがないので、普通にスキルで勝負できれば良くて「頑張って差別化する」という方向ではあまり考えていないです。現状ではデータサイエンス業務の需要はどこにでもあるはずなので、普通に求められるバリューを普通に出すスキルがあるという方向性でやっていける想定です。

現状で持ってる手札は「東大計数出身」「統計検定1級」「データベーススペシャリスト」「データサイエンス系資格だいたい全部取った」「データ分析と経営戦略の業務経験がある」「PythonSQL、モダンEXCELが使える」あたりで、この辺を総合して「こいつはデータサイエンス業務ができそうだ」と思ってくれる会社のうちテレワークとかの条件が噛み合うところに雇われるようなイメージです。もしデータサイエンスにかけ合わせられるような差別化点があるとすればゲームプランナー経験によってゲーム運営や企画側についてのドメイン知識があることですが、それを利用するかどうかは定かではありません。

どこも雇ってくれなかったら最終手段としてこのブログに職務経歴書と履歴書を貼る予定ですが、万が一現状で雇いたい人とかリファラル飛ばしたい人がいれば普通にDMとかくれれば話を聞きます。いま就職先一切決まってなくて完全にフリーです。

 

520.チェス盤の問題の問と解の一般化は、グラフの完全マッチングを求める問題だと思います。

ドミノ問題の白黒解法(→)に関する件ですね。

リプ欄でもこの件についてフォロワーと喋ってるんですが、僕の書き方がやや悪かったです。

問題を一般化したときの数学的な解釈は仰る通りですが、僕が言いたかったのは「眼前の問いをグラフの完全マッチングを求める問題へ一般化できるという閃きはどうすれば一般化できるか」というややメタな気付きの話です。「これはグラフの完全マッチングに帰着すれば解けますよ」と助言されれば誰でも解けるとして、じゃあその「これはグラフの完全マッチングに帰着できる」っていう閃きをどうやって得るかという感じです。

一般的に言って解法を読んで理解できることとその解法を利用できることは全く別のスキルだというような話ですが、ここは職人芸とかコツみたいな領域になる気はしています(一般に状況をモデル化する方法は一意ではないため)。

 

521.リコリコは現代版転生王女と天才令嬢だと思ってるんですけど、LWさん的には評価どうですか?

転天は漫画版を読んで「異世界転生者と悪役令嬢で百合やればいいじゃん」っていう発想はマジのガチで天才だと思ったのですが、それ以降の話が異世界転生要素も悪役令嬢要素も大して使わずに凡庸なファンタジーをやるだけで凄くがっかりしました。設定を活かさずに百合パワーだけで押し切ろうとするという意味では確かにリコリコにかなり似ているかもしれません。

まあ期待値もリコリコくらいの感じで、話は面白くないけど時折挿入されるキャッチーなシーンが百合好き民の記憶に残れば御の字というところでしょう。

 

522.『人生のうちで1回は海外に行っといたほうがいい』のような、1回は○○を経験しておくべきみたいな言説についてどう思いますか?

質問の意図としては、「やっている最中の評価よりもやったあとの評価を基準にして行動を決定する」と記事で書いてらしたかと思いますが、私もかなり似た感覚があり、後に残ったり継続できることでないと意味がないという気分になるときがあります。

1回は○○を経験したほうが良い、と言われても、どうせこの1回しか経験しないならやらなくていいなと考えて結局家から出ない、というようなことがよくあるのですが、そうすると新しいことが始めにくく、停滞してしまう不安もあります。『継続した楽しさを重視する』ことと、『完全に新しい楽しみに出会いづらい』ことのバランスをどうとってらっしゃいますか?

概ね同意します。僕も見たことない名前の料理を頼んだら超マズかったとしても「でも知らなかった名前の飯が知ってるマズい飯になったから知識を得た分だけプラスだな」と考える方です。

ただ質問では同列に並べられている「後に残る」と「継続できる」は僕の認識だとかなり違っていて、概ね真逆と言ってもよいくらいです。超マズい料理を食うのって一回はやった方がいいけど、逆に一度理解したらもう二度とやらなくて良いです。大抵の体験的な知識は0から1になるときが一番バリューあって、それ以降はコストに対するリターンが漸減していく傾向があります。「知識だけ後に残すが行動は継続しない」という状態が理想で、「新しいことを始める(そして続けていく)」というよりは「新しいことを一瞬だけ摘まんで捨てる」みたいなイメージです。

むしろ1回しか経験しないようなことこそやった方がよくて、そのために家から出た方がいいという感じですね。