LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

19/12/31 オタクの中韓コンテンツ張り

・オタクの中韓コンテンツ張り

俺のオタクライフが中韓産オタクコンテンツに侵略されて久しい。
冬アニメで一番楽しみにしていた『どるふろ癒し編』は中国産アニメを輸入した翻訳吹き替え作品だし、LINEでは中国語の萌えスタンプを愛用しているし、お気に入りの絵師はツイートが韓国語で一つも読めなかったりする。

f:id:saize_lw:20191231150630j:plain

(俺はSimon Creativeのスタンプをよく使っている→

補足229:研究室にいた中国からの留学生のオタクに聞いたところ、このスタンプは中国よりは香港だか台湾だかのものらしい(中国は当局の検閲があるからなかなかネットには出てこない的なことも言ってた)。正直なところ、俺は繁体字簡体字の見分けすら付かないし、なんか中国語が使われてるからだいたい中国語圏くらいの解像度しかない。政治的にはそういう括り方をするのは非常に大きな問題があるのだが(特に今は時事的にも)、まあ。

2019年を通じて俺の中韓産オタクコンテンツへの好感度は上がり続け、最近ではそれだけで評価が加点されるようになってきた。
というのは、アニメにせよゲームにせよ、手を付けるかどうか決める段階で「絵が好み」「主人公が女性」「脚本が井上敏樹」「信頼できるやつが勧めてた」とか色々な加点要素(もしくは減点要素)を総合的に判断するのは皆やると思うのだが、この中に「中韓産」が普通に入っている。アニメが中韓コンテンツ原作だったらとりあえず見る方に入れるし、LINE萌えスタンプも中国語だったらとりあえず買ってしまう。

ただまあ、だからといって安直に「中韓産オタクコンテンツは質が高い」などとデカめの主語で言ってしまうのにはかなり問題がある。俺はそこまで意識高く中韓圏の作品原作に手を伸ばしているわけではなく、日本でも入手可能な(主にローカライズされた)コンテンツしか触っていないからだ。そもそも他言語圏に輸出されるのは元々質が高く売れている上澄みだけだろうし、日本に輸出してくる時点で日本人をターゲットにしているのは明らかなワケで、結局のところ日本人にウケてほしいものに日本人の俺がウケてる予定調和なだけではという節はある。

それでも中韓産がクールだなと思う理由を主に二つ挙げておくと、一つは画風だ。

これは別に中韓絡みに限ったことでもないのだが、オタク界全体で最近の萌え絵は「可愛い」から「綺麗」へのモードチェンジが起きているような気がする。

ゼロ年代は萌え絵といえばエロゲー絵、頭身が低くて目が大きい、デフォルメが強いタイプの絵がオタク界を席巻していたように思う。具体的に言えば、萌木原ふみたけとか涼香とか藤真拓哉とかがそうだ。

f:id:saize_lw:20191231155202j:plain

藤真拓哉のなのは&フェイト)

その一方、体感では2010年以降くらいに、逆に頭身が高くて目が小さいリアル寄りの萌えイラストを目にする機会が増えてきた。明らかにこの方向に力を入れているのがサイゲームスで、特にグラブルやシャドバのイラストを手掛ける内製イラストレーターたちがそう(ただし、プリコネはデフォルメが強い)。中韓系の萌えイラストもこちらの流れを汲んでいるように感じる。

f:id:saize_lw:20191231155249j:plain

(少女前線のUMP45)

一応言っておくけど、別にこの二枚が史実的に見て代表的なイラストと言いたいわけではないし、例外は無数にあると思う(ゼロ年代でも頭身の高い萌えキャラを描く絵師はたくさんいたし逆も然り)。サンプルイラストが無いよりはあった方が俺が何を喋っているのかわかりやすいから、Google検索で適当なやつを貼った。

中韓系コンテンツのイラストがリアル寄りであることについて芸術に詳しい友人に聞いたところ、「デザインが洗練されておらずまだデフォルメに到達していないだけではないか」という手厳しい意見だった(横にいたオタクからは「オリエンタリズムじゃん」と煽られた)。真偽は定かではないが、個人的には、経済や技術と同じで萌え絵についても日本が中韓に追い抜かれつつあるとした方が夢があるとは思う(発展の余地があるので)。

補足230:オリエンタリズムとは、西洋人が東洋文化に対して抱く神秘的・幻想的なイメージのこと。一見すると異文化に対する健全な憧れのようではあるが、実際には東洋を蔑視して西洋文化に比べて劣位とする偏見ではないかとサイードによって告発された。つまり、俺が中韓系の萌え絵をクールだと言って楽しんでいるのは、発展段階が低い文化に対して萌え絵宗主国の側から祭り上げるフリをして実際には見下している態度なのではないかと煽られている。

もう一つはパロディやキャラクターに対する感性の違いだ。具体的にはよくわからないのだが、何か言動や振る舞いについて「そうはならんやろ」ということが平然と起きてくる新鮮さを感じる。

f:id:saize_lw:20191231160114j:plain

例えばこれは強すぎる罵倒&直訳調でわけのわからない言動を行う萌えキャラSOPMODⅡで、日本のソシャゲでこの台詞はなかなか出てこない(ザリガニの脳味噌に生ゴミが詰まっているのは前提なのか?)。アズールレーンも初期は失望ボイスの打点が高かったりストーリーが何度読んでも不明だったりと独特の感性を感じられたのだが、最近ではすっかりジャパナイズされて毒が抜けてしまった。

パロディについては中韓産コンテンツでも多用され、今のところはネタ元が日本のアニメであることが多い(しかし、中韓圏でパロディ体系が自立して回り出すようになれば、我々がそれを追う立場になるだろう)。
中韓産コンテンツには比較的健全なパロディが多いというか、まだまだサブカルチャーが正しくサブカルチャーである段階のパロディだなと感じることが多い。というのは、日本では、オタク文化サブカルチャーであった時代は「わかる人だけわかるものをわかりにくく表示する(だからわかると嬉しい)」という使い方をされていたのだが、メインカルチャー化に伴って「誰でもわかるものをわかりやすく表示してデータベースの共有を確認し合う」という馴れ合い行為にすっかり変質してしまったように思うからだ(この文章の主語は少しデカい)。

f:id:saize_lw:20191231160926j:plain

これは『どるふろ癒し編』第2話におけるエヴァンゲリオン第24話のパロディなのだが、G11が見る悪夢の中で数フレームだけこのカットが挿入された。有名なシーンなので内容的にはかなりの人が気付くだろうとはいえ、「よく見なければ見逃してしまう」という挿入の仕方はオシャレだ。
しかし、本当に嬉しかったのは、このアニメを誰も見てないからこのパロディを誰も話題にしなかったことだというのは認めざるを得ない。これがポプテピピックなら「今週のパロディ」を鼻息荒く解説するオタクのツイートが出回ってそれが否応なく目に入ってしまっていたのだが、『どるふろ』は誰も見てないから俺だけがテレビの前で「今のエヴァやん」と呟いて黙っていれば、どこからも馴れ合いビームが飛んでこず、昔懐かしい健全なパロディの楽しみ方をしているような気持ちになれた(だからこうして俺がブログに書いてしまうことは、そうやって黙っていた層に対して馴れ合いビームを発射してしまうことになるのではないかというジレンマはある)。