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19/10/21 日本興行収入上位映画100本を見た感想

・日本興行収入上位映画100本マラソン

日本興行収入上位映画100本マラソンが終了しました。

補足216:リストはwikipediaのものを参照しました→。出典が無いので信憑性には疑問が残りますが、まあ完全に誤っているということもないでしょう。

実際に興収上位ランキングに載っている映画だけではなく、それらと関連の強い作品も可能な限り見たので、実質的な視聴本数は120本くらいだと思います。
具体的には、ナンバリングシリーズは他のタイトルもなるべく見るようにしました。例えば『ダイ・ハード』シリーズのうち興収上位に載っているのは『ダイ・ハード3』だけですが、『ダイ・ハード1』も『ダイ・ハード2』も見ています。また、リメイク・スピンオフ関係の作品も同様で、『マレフィセント』がランキング入りしているためリメイク前の『眠れる森の美女』も見ています。ただ、極端にナンバリングタイトルが多いシリーズや(例えば『コナン』劇場版シリーズ)、テレビドラマの劇場版作品の原作(例えば『踊る大捜査線』のTV放送ドラマ版)などについてはあまりにも要視聴本数が多すぎるので断念しました。

ラソンを始める前はこういう記事にありがちな「映画を100本見た僕が選ぶ名作ベスト10」みたいなやつをやりたいとうっすら思っていたんですが、それはやらないことにしました。というのは、主観的に見れば「それほど面白くない」という不当な評価を下さざるを得ない映画が多く、ランキングにしたところであまり得るものがないからです。
もちろんそれは映画としての質が低いと言っているわけではなくて、

・後続のジャンルを定義するパイオニア的な作品が多く、現在から見ると新鮮味には欠ける
・一元的な価値を称揚するプロパガンダ的な作品が多く、同時代性抜きでは評価できない

という事情によるものです。
どちらも人類の文化を規定するような影響力の高い映画たちであるが故の弊害で、前者の典型が『マトリックス』や『ジュラシック・パーク』、後者の典型が『ラストサムライ』や『アルマゲドン』です。『マトリックス』なんて公開当時に初めてシミュレーテッドリアリティ概念を知ったのがこの映画だったらどんなに衝撃的だったんだろうとは思いますが、残念ながら現在においてはありふれたモチーフでしかありません。繰り返しますが、それはその価値を貶めるものでは全くなく、逆に高く評価されていることの証拠です。優れたものは模倣されるのも早いです。
映画史上での重要性は個人的な面白さとは別物なので、主観的に評価をしようというスタンスで無理に面白がるのも却って不誠実というものでしょう。元々このプロジェクトの目的は映画を楽しむことではなく映画的教養を付けて知識データベースを充実させることなので、それはかなり満足いくレベルで達成できました。

とはいえ興味深い作品や引用価値の高そうな作品はたくさんあり、今リストを見ながらパッと思いつく範囲で論点と並べて箇条書きすると、

・ディズニー映画全般:リベラルについて
・『踊る大捜査線FINAL』:現場主義=反システム主義という倫理性について
・『A.I.』:人間型ロボットというモチーフの解釈について
・『劇場版コード・ブルー』:対話の倫理性について
・『名探偵コナン ゼロの執行人』:欺瞞的ナショナリズムとキャラクタービジネスについて
・『ダ・ヴィンチ・コード』:宗教ギャグと宗教者について
・『ターミネーター』シリーズ:ファンタジーと精神病について
・『永遠の0』:語りそのものを規定する右翼の作戦について
・『世界の中心で、愛を叫ぶ』:非オタクの皆さんの恋愛感性について
・『STAND BY ME ドラえもん』:アルケーとテロスの非対称について
・『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ:物語が終わった世代について
・『花より男子F』:ホモソーシャルの共犯関係について

あたりです。
これらについては、ちゃんと感想を書くかもしれないし書かないかもしれません。というのは、恐らく今わざわざ作品ごとに感想を書かなくてもいずれどこかで同じ論点について考えるときが来て、そのとき初めて「例えば『ターミネーター』においては~」みたいに引用して語ってもいいかなと思うからです(そして「有名作品をサラッと引用してくる」という身振りはカッコイイだろうなという見栄を張るための打算があります)。
でもせっかくの感想を浮かせっぱなしにさせておくのも勿体ないので、暇なタイミングで書くかもしれません。挙げた中で聞きたい作品があったらコメントかお題箱で聞いてくれれば書きます。

100本マラソンをしながら全体的に思ったこととして、価値観の両側面を描くことについてがあります。
まず極めて大雑把な一般論として、何らかの価値観には良い側面と悪い側面があります。例えば、「家族とは素晴らしいものだ」「温かい家庭が健やかな人間を育てる」「祖父母・両親・子供の三世代家族同居は理想的な環境だ」みたいな伝統的な家族主義は、良い面では多くの人々に安心できる場所を与えて社会への適合力を高める効果がありますが、悪い面では親に恵まれなかった人々を疎外したり同性愛者などの多様な家族の在り方を抑圧するという効果もあります。こういう、価値観の両義性における負の側面は「じゃあ前提に含まれない人はどうなるの」というロジックでマイノリティ・例外者からの異論として提出されることが多いですが、それに限るわけでもありません。
例えば、「諦めないことは素晴らしい」みたいな忍耐の道徳性は小学校で教わるものです。実際、諦めないことが良い結果に繋がる傾向にあることは大抵の人が認めると思いますが、これもまた一つの価値観である以上、当然に負の側面もあるはずです。具体的には、マイノリティの見地から「努力できない人もいる」と反論するのも一つの手です(発達障害者について広める運動はこれと関連するものとして理解できます)。しかし、他にも色々方法はあって、「諦めずに結果が出なかった場合は投資が無駄になる」とか、「手段に固執することは目的に対して本質的ではない」とか、「鬱病を誘発する」とか、色々な考え方があり得ます。

あえて断定しますが、一般的に言って、あらゆる意味で良い面しか持たない価値観というものは存在しません。よって、ある価値観を称揚したいがために問題設定の方を都合よく作って「ほらこれでうまくいきましたね、だからこの価値観は素晴らしいですね」というのはあまりよくない映画で、負の側面と格闘したり、それを示唆できる映画の方が魅力的に感じます。
そういう価値観の両義性は映画内で描かれることもあれば、映画外で受容される過程で論じられることもあります。例えば『劇場版コード・ブルー』は(邦画にしては珍しく)「対話を行うこと」の両側面についてきちんと扱えていたと思います。その一方、『永遠のゼロ』はヒューマニズムを隠れ蓑にして右に寄る感じの映画でしたが、受容の局面ではその欺瞞について激しい攻撃を受けて戦争を語ることの両義性が炙り出されていきました(個人的なことを言えば『永遠のゼロ』が戦争を美化していること自体は大した問題ではなく、真の邪悪さは別の部分にあります)。

あと最後に一つ、ディズニー映画が圧倒的に面白いです。
冒頭でランキング作りを拒否したのは、実際にランキングを作ったところで上位がディズニー映画に埋め尽くされてしまうのであまり意味がないからでもあります。100本マラソンを終えてオタクの皆に言いたいことがあるとすれば、「ディズニーを見なさい」ということくらいです。
ディズニーって明らかに多文化主義的リベラル思想に傾倒していて、そういう意味では粗い解像度で見るとどれも似たような話だから大したことはないということにもなりかねないのですが、全部エンタメとして面白いのが凄いです。「思想的に強力であるにも関わらずエンタメとしても面白い」っていう作品が攻守共に最強なんですよね。少年漫画では『ワンピース』や『進撃の巨人』がその典型です。
また、さっき述べた価値の両義性という点でディズニー映画が誠実だと思うのは、欺瞞をやらないことです。やや贔屓目に見ている可能性はあるのですが、リベラルを持ち上げるにあたって生じるコストを引き受ける覚悟がディズニーサイドにはあって、耳障りの良いように都合よく問題設定を矮小化することがありません。『マレフィセント』の異常としか言えない展開や、『アナ雪』でレリゴーがラストではなく中盤に来ることはその象徴です(とはいえ、『トイ・ストーリー』はあまり上手くなかったと思いますし、例外はあります)。

次はディズニーマラソンMCUラソンでもやろうと思います。それでは。