LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

4/21 プロシュートは過大評価されてる

・続き/萌えキャラのアリとナシ

 

(「動物を虐待する萌えキャラって""アリ""じゃない?」という話をしていたとき)

仮に前回話したような相乗説を支持したとして、美少女がシナジーを発見できるのはどこまでなのか(「いいところ」を発見できる要素に許容限度はあるのか)。この「動物を虐待する萌えキャラはセーフ」という話をしたのがもう一年前だが、そういう許容度を可能な限り正確に定位したいというのが今日のモチベーションである。
美少女性に組み合わせる要素は肉体的なもの/精神的なものの二つが考えられる。

まず肉体的なもの、つまり外見的なものについて考えたとき、これは美少女性それ自体に関わってくることがわかる(美少女性と折衷されるのではなく、美少女性それ自体に侵食してくる)。というのは、例えば、美少女に組み合わせる肉体要素として150cm/100kgくらいのボディを考えた場合、それは明らかに美少女要素までも打ち消してしまうだろうからだ。
いい機会なので、かなり適当に使ってきた「美少女要素」という言葉の定義を今回は「外見が優れていること」にしてしまおう。となると、肉体的な要素の組み合わせという話は、外見の美醜度合いがどの程度まで美少女要素として許容されるかという限度問題に帰着されてくる(肉体的なステータスとして弄られる部分とは概ね外見であるため)。
あるキャラの外見が優れているか否かという評価については、前にやったように作品内/外からの評価が可能である。作品内/外両方で優れている場合、及び両方で優れていない場合は自明なので除外すると、以下の2ケースが残ることになる。

A.作品内で外見が優れ、作品外で優れない場合
B.作品内で外見が優れず、作品外で優れる場合

A.作品内で外見が優れ、作品外で優れない場合


中盤以降はバチバチのバトル漫画だが、初期設定はかなり萌え文法に従っている。
スレンダーな女子高生の主人公がストリートファイトで男性と渡り合うというだけでも十分戦闘美少女的なのだが、巨乳で容姿端麗でお嬢様で主人公に同性愛的な恋愛感情を抱いているという萌え設定のバーゲンセールのような親友枠のキャラがいる。
しかし作者の画風のせいで、どちらも全く可愛くない。昔読んだとき、何故作者はこんなに萌えない絵柄でこんなに萌えっぽい設定をやるんだろうと思ったのをよく覚えている。
これを作品内/外で外見が優れる/優れないのパターンとしてみると、このキャラたちに美少女性は特に感じない。彼らの認識は男性キャラに近く、美少女キャラ特有の美少女感は特にない。

B.作品内で外見が優れず、作品外で優れる場合
古いエロゲーで、平安時代へのタイムスリップもので、何故かヒロインたちに「当時の社会では美人ではない」という設定をされているものがあったはずだ(タイトルが思い出せないのでエロゲーマスターがいたら教えてほしい)。
少なくとも消費者から見たヒロインたちは可愛い正統派萌えキャラであり、現代と平安時代で美的基準が違ったことを鑑みるに時代考証としては正しいのだが、そのためだけにヒロインの美少女性を犠牲にするというのはなかなか挑戦的な試みである。
これは作品外で外見が優れて作品内で優れないという例になるが、このヒロインたちに美少女性を感じるかというと、これは普通に感じる。

まあ、美的基準自体が人によってまちまちなので一般論的な感じにはどうやってもならないのだが、俺的には画風とかも含めた(かなり浅い意味での)見た目の評価が大きい気がした。

精神的な部分については、本当に何でもいい感がある。
殺人鬼の美少女は萌え要素の塊みたいなもんだし、クズとかドライでも全然許容される。今重要なのは美少女がそれらの異常性からどういう「いい部分」を引き出しているのかということなのだが、一旦美少女から離れて、ジョジョ五部でのプロシュートとチョコラータの作品内/外での扱いというか、風潮について語る(古典なので各キャラの詳しい説明はニコニコ大百科でも見て)。
チョコラータはジョジョ屈指のカス(DIOみたいな悪のカリスマではなく擁護できないカス)である一方、プロシュートは魅力ある良敵、兄貴扱いする風潮が作品内/外にある。チョコラータがカス扱いされるのは彼が快楽殺人者であり、グリーン・デイで関係ない街の人間まで大量殺人したことが大きいが、それを言ったらプロシュートも主人公パーティーを倒すためだけにザ・グレイトフル・デッドで電車の乗客全員を巻き込んでいる。

彼らは何が違うのかというと、多分信条の有無だ。
プロシュートは願望は行動で示せというスタンスを押し出していたのが良かった。そういう一貫した信条が強く示されればなんとなくいい感じのキャラに見えるが、チョコラータのように本能的に動いているキャラは肯定されないところがある。漫画なら、見開き・太字フォント・鍵括弧多用で何か良いことを言っている風に信条を示せば、大抵のキャラは魅力的に思わせることができるような気がする。

とはいっても、チョコラータみたいなキャラが美少女だったら普通にバリバリに人気が出ただろうから、あまり関係ない話だったかもしれない。

キャラが一貫性を持っているというのはキャラの完結性、自閉性とも繋がってくる話で、俺自身は完結性が高いキャラを好むという自覚はかなりあるが、それが一般的にどうなのかはよくわからないとか、表現が規定する内容みたいなことを本当はもうちょっと話す予定だったけど、同じトピックを4回くらい続けて飽きてきたので、それはまた気が向いたら触る。

・ダイエット

体重が増えてきたのでダイエットを始めた。
美容目的ではなく、適正体重からズレたので元の体重まで戻すというもので、今までにも何度かやっている。こういうときに使うLW式ダイエットメソッドは既に確立されていて、大学に入る頃に一ヶ月で10kg近く減らした実績もある。

食事:米を一食に一杯までにして、足りないときや間食したいときはスープを飲む(スープは無限に飲んでいい)。
運動:毎日5km走る。

まだ若くて代謝がいいからか、これだけで面白いように痩せる。
たぶん人間に備わった自律作用みたいな感じで、多い体重を減らす分にはスムーズにいくのだろう。適正体重を超えて痩せようとするのは健康的ではないので、体重が減らなくなってきたら終了のサインだ。

サクラクエスト二話

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主人公に対するしおりちゃんの立ち位置がほたるんに対するこマちゃんに似ている。
のんのんびよりを見ていると、容姿と能力と家柄に優れているのに田舎に来たばかりに人生を著しく限定されてしまったほたるんの境遇をどうしても哀れに感じてしまうところがあるけど、こマちゃんがいて良かったねっていう、人生が袋小路になっても広義の(美少女の)味方がいれば問題ないみたいな感じが。