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18/1/7 ポプテピピックアニメの感想

ポプテピピック

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なんだか何をどう喋っても「わかっている感を出している玄人気取りの視聴者」みたいな風に見られてしまう気がするんだけど、そういう巻き込みを含めて不条理というシステムなのだということも込みで感想を書く。

漫画版の話から入ると、俺のポピテピピック(漫画)の評価はかなり高い。「これはクソ漫画です」みたいな斜に構えた立ち位置は戦略的に選択したものなんだろうけど、それを無くしたとしても単独で質の高いギャグ漫画として読まれることができると思う。

その理由を喋るために、まずは不条理ギャグというジャンルについての説明から始めたい。
「不条理」を「不・条理」、すなわち「アンチ・条理」と読んだときの「条理」とは、辞書的には「物事のそうなければならないわけがら。筋道。」を指し(Google調べ)、特に不条理ギャグ漫画においては「読者の期待」や「常識的な予想」に相当すると考えてよい。それに対してアンチするということは、「読者の持つ期待や常識を常に裏切り続ける」ということを意味する。我々が何故それを面白く感じるのかという説明は今回は省略するとしても、世の中のギャグのほとんどがこの構造で説明できることには納得してもらえると思う。期待通りのこと、予想通りのことしかしないのに面白いというギャグはない。

補足105:「天丼ギャグ」はまさに読者の期待通りのことをするギャグじゃないかという反論があるかもしれないが、これには三つの再反論が考えられる。

1.天丼ギャグは「まさか同じことは繰り返さないだろう」という期待を覆すものであり、その意味で不条理ギャグが行う裏切りと変わらない。
2.天丼ギャグは人が躓いて転んだのを笑うような「動きの固さ」「融通の効かなさ」におかしさを見出す感情に由来するもので、裏切りの構造とはまた別の起源を持つギャグである。
3.天丼ギャグはそもそもギャグではない。例えば「アイーン」は一種の天丼ギャグだが、首をチョップする動作自体が面白いのではなく、志村けんというキャラクターに対する親しみや安堵による笑いである。

今回扱いたいのは不条理ギャグだけで、ギャグの全てを説明しようという意気込みはないので、どれにも納得できなければ例外として除外してもらってもいい。


重要なのは、ギャグが「常識的な予想」→「裏切り」という二段階のステップを経るということだ。
裏切られるための常識を踏まえていて初めておかしさが発生するのであって、「常識的な予想を踏まえておらず、ただただ意味不明なだけ」という不条理ギャグは意外と面白くない(最初から最後まで意味不明な生き物がひたすらウンコを撒き散らすだけの漫画が面白いだろうか?)。

補足106:とはいえ、ポジショニング次第では「ただただ意味不明」ですらギャグにできてしまうのが不条理ギャグの懐の広さであり、困難さでもある。「意味があること」を常識的な予想とみなすと、「破滅的に無意味であること」を常識への裏切りとみなせるからだ(後でもう少し説明するが、この手続きを厳密に実行すると無限退行を起こして最終的に白紙に行きつく)。もちろんこの路線は極めて極めて難易度が高いもので、メジャーシーンで成功した漫画はボーボボくらいしか知らない。

このあたりの「裏切り」は不条理ギャグに限らない、ギャグ全般が持つものだ。
何をもって「不条理ギャグ」と「その他のギャグ」を分けるかは難しいが、とりあえず今回は

1.裏切り部分しか提示しないこと
2.裏切りの程度が甚だしいこと

の二つを不条理ギャグの要件としたい。
無題
これは典型的な不条理ギャグで、二つの要件がわかりやすい例として挙げる(無料公開分、URL→)。
先程の構造に当てはめれば、この漫画のおかしさは

「普通は壁ドンしても壁に穴は開かない」→「でも壁ドンしたら穴が開いた」
「普通は部屋はレールの上にはない」→「でもレールの上にあって走った」

という二段オチとして説明できる。

まず「1.裏切り部分しか提示しないこと」については、上の説明のうちで「常識的な見解」への言及は漫画内では省かれ、極めて突発的に裏切りだけが発生するようになっているということだ。裏切りが「何を裏切っているのか」を補完するのは読者が暗黙かつ事後的に行う仕事で、「ちょっと壁が脆すぎる」などと常識についていちいち説明するようでは、少なくとも不条理感はない。

補足107:裏切られて初めて何が裏切られたのか=常識的な予測がわかるというのは順序が逆転しているように思われるかもしれないが、特に問題は無い。実際のところ、裏切られた瞬間と常識を思い巡らす瞬間はほぼ同時であり、裏切りだけが先行する時間が存在するとは考えにくいからだ。2コマ目の段階で「壁に穴は開かない」という常識を思い浮かべる読者はいないものの、3コマ目の段階で何がおかしいのかを理解できない読者もいない。

「2.裏切りの程度が甚だしいこと」は少し曖昧だが、「とにかく予想ができないこと」と置き換えて貰えればよい。
「母だと思った相手の肩を叩いたら見知らぬ女性だった」という程度の裏切りはエッセイくらいにはなるかもしれないが、不条理ギャグとしてはあまりにも貧弱すぎる。「母だと思った相手の肩を叩いたら、肩にあった核発射ボタンを押してしまって地球が滅びた」くらいまでやって初めて不条理ギャグだろう。不条理ギャグは物理法則だの因果関係だのを嘲笑い、著しく条理に反さなければならない。

そしてこの裏切りの甚だしさ、際限のなさこそが不条理最大の難関となる。
裏切りとは常に否定形であり、「~~でない」という形でしか語れない。何に対しても可能でありながら、肯定文として記述できる基盤を何一つ持てないという超不安定状態にならざるをえないのだ。
「何でも否定できる」という性質が自己否定として現れたときに破壊的な挙動をすることは想像に難くない。つまり、不条理という枠組み自体が一つの「予想」を可能にする体系を構成してしまうことも珍しくなく、そうなれば今度はその体系を裏切らなければいけないという一段階の退行が起こる。例えばコマ枠を破壊するギャグなどは漫画の黎明期には比較的不条理であったのだろうと思うが、今それをギャグのオチとしてやったとしても意外性に欠ける。不条理ギャグと言わせるには、もうひとひねりくらいは欲しい。この退行は無限に発生し、最後には白紙に行きついてしまう。
他にも、「何らかの意味がある」ということを常識的な予想だと考えれば、「全く無意味である」ことが不条理ギャグとして成立する。この意味でも、何も書かずに黙って白紙を提出すればそれを一つの不条理漫画とすることはできる。ただし、それには「意味があること自体」が裏切られているのだという読者とのコンセンサスが取れていることが条件になる。常識を踏まえない裏切りがただの破綻だということは述べた通りだし、不条理ギャグの要件1に従えば意図は読者に汲み取ってもらうほかない。ハイコンテクストなやり取りを踏まえた微妙な綱渡りの上にしか不条理は成り立たない。


では、そろそろポピテピピック(漫画)の話に戻ろう。
ポプテピピック(漫画)がかなり出来の良い不条理・シュールギャグだと感じるのには、四コマという体裁をわりとちゃんと守っていることに大きな理由がある。冷静になってポプテピピックを読むと、クソ漫画を自称しているにも関わらず、四コマとして破綻していることは意外なほどに少ない。ほぼ全ての作品が起承転結や起承転転の範疇に収まっており、四コマというステージの中で、パロディを交えつつハイコンテクストな綱渡りを披露している。

注意してほしいのは、「意外にも行儀の良い四コマとして成立している」という事実は不条理ギャグとしてのポプテピピックの地位を貶めるものではないということ。むしろ逆なのだ。
本当に読者の期待を裏切りたいのであれば、例えば四コマを突き破って一コマに大きくピピ美の顔を描くなり、四コマを百コマに区切ってストーリー展開してみせたりすればよい。しかし、そんな形式だけの小手先の不条理を始めたが最後、無限退行か制度化による限界が来ることは目に見えている。そう遠くないうちにコマ割りの破壊描写は「ちょっと工夫したコマ割り」程度に転落し、不条理ギャグとしては成立しなくなるだろう。もう少し噛み砕いて言えば、不条理というジャンルが要求する斬新さのハードルはかなり高いので、油断して形式に甘んじるとすぐに飽きられてしまうというとこだろうか(255の5コマなどはもう目も当てられない状態になっている)。
そうした事態を避けるために、形式に縛りを設けてその中で戦うことにするのは不条理を制するためにむしろ妥当な施策なのだ。もちろん、この場合は小細工無しのネタ勝負にならざるをえない。そういう意味で、ポピテピピックは「四コマ制度」という比較的狭い範囲内で質の高い不条理ギャグ(ありきたりな言い方になるが他に言いようがない)を提供しているところが職人芸だと感じる。


ポプテピピック(漫画)の感想は書き終えたので話題を数段階戻すと、「予想の裏切り」という不条理ギャグは漫画以外でも常に可能だ。
ポプテピピックアニメ広報が取っている宣伝戦略もそうで、アニメの放送開始時期が勘違いで延期される、発表した声優があまり使われない、同じ放送を二回やるというようなパフォーマンスは社会通念的な約束を守らない、条理に反するという意味でまさにお手本的な不条理ギャグだ。このくらいの広義の不条理性は概ね「斜に構えるスタンス」と言い換えてもよいが、あまりにも射程が広いために漫画を飛び出して広報や視聴者までも飲み込んでいくというのがポプテピピック周辺の状況でもある(そして感想を書きにくい理由でもある)。

話題を広げすぎても追いきれないのでアニメの話題に絞るのだが、それでも不条理という怪物を制御するにはまだまだ自由度が高すぎる。
ざっくり言って、アニメは漫画よりも提供できる情報量が多い。カラーだし、1秒に何十枚も絵があるし、声も付く。さっきの「それこそ不条理を追求するなら」という話のアニメバージョンは、意味不明な作画をするなり、よくわからない音声を当てるなり、ホワイトノイズを流すなり、漫画とは桁違いの方法が考えられてしまう。
メディアを移したからといって「不条理の射程をどう定めるのか」という問題から逃げられるわけもなく、むしろ四コマ枠という檻から解き放たれた不条理が暴走するのは目に見えているのだ。「不条理すぎて何が裏切られているのかわからない」「意味不明、本当にクソだ」という感想を避けるためには、漫画版が四コマという制度をうまく利用していたように何らかの縛りを設けなければいけない。
そういう意味で、アイキャッチ・夢・ザッピングを駆使してある程度秩序立てた分割方法によるオムニバスという体裁を取ったのは上手だった。唯一ボブネミミッミだけは明らかにやりすぎだったが、他は漫画版の優れていた内容を保ってメディア間の橋渡しをできそうだと思う。


ちょっと話が長くなったので最後に復習して終わる。

1.ギャグは予測→裏切りというステップを持つ
2.不条理ギャグは裏切りに際限がないために暴走しやすい
3.枠組みを設けることで不条理の暴走を止められる
4.漫画版は枠組み作りをうまくやっていた
5.自由度の高いアニメメディアで良い枠組みを設けられるか疑問だった
6.一話を見た限り結構そこそこうまくやってた

おわり