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18/8/13 少女歌劇/邪神ちゃんの感想

・少女歌劇

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当初期待したような内容にはなっておらず,概ねラブライブだけど,地力が高いので全然楽しく見られる.
特にレビュー開始時のボス戦前演出がいいね.主人公と敵がお互いに口上を述べたあと,もうしばらくなんか喋ったりするところ.アニメではあんまり見ないけど,ゲームではよく見る.

こういうやつ.
戦闘開始前に敵が台詞だけでなく動きや演出を交えて思想や哲学を圧縮して示す1~2分くらいのムービー,ノーモアヒーローズとかメタルギアソリッドみたいなボスを順番に倒していくタイプのゲームによくあって,俺はとても好き.
別にアニメにも無いわけじゃないんだけど,キャラとしっかり紐付くような形で記憶に残ることが少ない.これって時間がきちんと切り分けられているかどうか,「ここはこのキャラクターのための時間です」という場所が不連続に確保されているかどうかによる.ゲームの場合はアクションパートとアクションパートの間でムービーを流すことで緩急を付けて特別な時間を作れるんだけど(コアゲーマーからは評判の悪い操作不能ムービーの有効活用),少女歌劇の場合は日常とレビューの相転移の間に演説を挟み込むことで同じような効果を生んでいる.そういえば,スクリーンにレビュー内容をベタ書きする手法もアニメというよりはゲームに近いな.

さて,「アタシ再生産」というフレーズは執着に値するものだから,俺にしては珍しく他の感想を探したりなんかしていて,このブログが非常に良いことを言っていると思う.現状で俺の見解もこれに一致するけど,それでも「アタシ再生産」は素晴らしいという話を,せっかくなのでウテナイデオロギーに絡めてもう一回くらい繰り返させてほしい.

少女歌劇と何かと比較されるウテナに対しては,たしか宇野常寛(違ってたらすいません)が「大きな物語の崩壊以後,強者二人の相互承認によって小さな物語を担保するモデル」みたいなことを言っていたけど,このモデルは恋愛のネタ化によって破綻した(このあたりは前にも書いた→).じゃあどうするのという話になったとき,小さな物語を生産することすら諦めて,絶対運命をかなぐり捨てて再生産されたアタシで別にいいやっていうドライな割り切りは好感が持てるし,時勢にもよく合っている.
2018年はSNSが発展して発信の民主化が進み,どんなに小さな個人でも大企業と張り合える土壌が整った時代だ.昨日まで無名だった個人が今日記事がバズって明日にはどっかに雇われるようなことも珍しくなくなった一方,バズれない人間には非常に厳しい側面もある.自分ではどんなに凄いことをしたと思っても,バズれない限りは上には上がいることがSNSを通じて嫌でも目に入ってくるからだ.オリジナルのアイデンティティが上位互換に押し潰されるくらいならもうアタシは再生産でいいという妥協は,この大SNS時代を生き抜く一つの生存戦略として正しい.

閃いた!ここまでの話が全部劇中劇っていうのはどうだろう.それで全ての辻褄が合う.
華恋なんて女の子は本当は存在してなくて,華恋みたいな容姿の女の子が華恋っぽいキャラクターを再演してるだけ,レビューは再生産の決意を新たにする自己催眠的な場だったみたいな.
そういう爆弾を……落としませんか?

・邪神ちゃんドロップキック

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二話まで本当につまらないと思って見てたけど,三話あたりからガチで面白くなってきた.
心変わりしたのは,原作は本当に面白いと発見したことが大きい.結構な量が公式で公開されているのでアニメ版がつまらない人は読んでほしい→.漫画版はシュール・不条理系のギャグなのだが,アニメ版はハイテンションギャグと解釈しているために魅力が削がれたという印象がある.これは多分メディアの問題もあって,アニメは場面ごとに声優が感情を込めて喋った声を聞きながら大きさ一定の画面を数秒見ないといけないから,どうしても押し付けがましくなってしまい,シュールギャグで重要な間とか無意味さが伝わりにくいところがある(逆に,漫画は台詞のフォントやコマのサイズを自由に変えられるので,情報の力点を操ることに長ける).

それでもアニメもまあ笑って見られる程度には面白い.
安易にオチや救済を作らずに何も起こらない話をきちんとやるところに好感が持てる.四話のぺこらの話が特に面白くて,キチガイに混じって薄給の辛い仕事をして疲れて帰ってきたらキチガイに住処を破壊されていて終わり.これがガヴリールドロップアウトなら最後にゆりねが邪神ちゃんをしばいてちょっと反省してぺこらを一晩泊めてあげたりするだろうけど,そういう取って付けたような収拾をしないのがグッド.不条理の笑い,無生産の笑い,悲惨さの笑いっていうのは『散歩する惑星』あたりに通じるところがある.

あと,「不愉快なコミュニティ」っていうのがすごくいい.
このアニメ,まともな人間が本当にいない.邪神ちゃんは徹頭徹尾カスだし,ゆりねも大概頭がおかしい.ぺこらは被害を受け続けるだけで,婦警は一番ストレートに終わっている.メドゥーサも共依存,ミノスはよくわからないけど多分どこかネジが外れてるんだろう.「実は良いやつ」みたいなよくあるフォローが無いのが優れていて,お互いにマジで何一つ良いことがないけど,それでもゆりねは邪神ちゃんと一緒に行動するし,たまには皆で鍋パもするっていうのが素晴らしい.
このコミュニティの団結は強い.これ以上落ちるところがないから,破綻可能性がほとんどないのだ.対照的なのは絆とか信頼で結びついている「快適なコミュニティ」で,例えばアイドルアニメのアイドルグループではこうはいかない.わかりやすく言うと,穂乃果ちゃんがことりちゃんの財布を盗んだ場合,ミューズの解散は避けられない.高度に道徳的な繋がりには本能に反する約束が含まれているので,それが破られた瞬間に瓦解するという脆弱性があるのだ.しかし,邪神ちゃんがゆりねの財布を盗んでも彼女らの結束は特に揺るがない.最初から不愉快なコミュニティは内乱に対して頑健なのである.まあ,この辺はアニメだから(あと顔が良いから)成り立っている話であって,リアルだったら一秒で壊れるけど,これはフィクションなんだし,フィクション特有のそういう絆の形は魅力的だと思う.いや本当に.
この辺に関しては,悪徳の栄えとか悪魔のリドルみたいな悪意を内包したコミュニティについて色々思うところがあるので,また改めてするかもしれない.ちゃんとやるなら自己愛とかカント倫理学の話もすることになると思う.