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18/4/23 エクセルサーガについて/はいふり劇場版

・近況

普段は大学のことはブログにはあまり書きたくないと思っているのだが(脅威は大学からしか来ないため)、最近は大学が楽しいので更新しにくいという微妙な状況になっている。もちろん楽しいというのはバイトやサークルが充実しているという意味ではなく、アカデミックな講義が面白いという意味で。
というのは、前から常々言っていた「文系についての正統な知識基盤が無く教養に欠ける」というコンプレックスが大学のおかげで解消しつつある。具体的には、今所属している理系大学院からでも文学部の講義が履修可能でしかも単位を修了要件に参入できることが判明したため、哲学と宗教学と文芸論を学ぶことにした。ある程度ちゃんとした大学で正規の教育を受ける意義は計り知れず、在学n年目にして初めて大学に感謝している。
他にも大学で一流のVR研究者にバーチャルユーチューバーをどう思うか聞いてみた話とかもあるんだけど、正直に言ってその回答は俺を少し失望させるものだったので、文章に残すようなことでもない。大学は凄いけど、リアルが絡むとやっぱりどうしても配慮の鬼になってしまう。

・定期

間が空くと記事は重くなる傾向にあるが、微妙な状況を踏まえつつ適当に更新していきたい。

エクセルサーガ

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俺の女性主人公フェチはエクセルサーガのエクセル(主人公)が原因の大きなところを占めている。
基本スペックが高く、冷徹ではないがややドライ、直情型だが打算的というパーソナリティの好みはもろにエクセル由来だ。初期のネプテューヌもそんな感じのキャラだったから、10年前くらいにエクセルとネプテューヌあたりが支柱になって現在の趣味の一つを形成したというストーリーが一応成立する。

しかし、俺がそんな自分語りをしたところで「あー確かにエクセルはそういうキャラだね」と思って読んでいる人は多くもないはずだ。エクセルサーガ知名度、そんなに高くないからね(特に漫画版)。
世間的には有名の範疇に入るはず……というのは10年以上ヤングキングアワーズの看板漫画を務めていて単行本は30巻近く出ているのだが、全巻読んだ人にはあまり会ったことがない。試しにTwitterを検索してもヒットするのはアニメ版の話ばかりで、仮にアニメが放送したくらいの頃の話にはある程度知名度があったとして(これは正しくない仮定である、補足参照)、アニメ版が放送したのは1999年、漫画版が完結したのは2011年だから、コンテンツとしてあまり語られない空白部分が10年分以上存在することになる。

補足126:エクセルサーガのアニメは(漫画版と異なり)実験系不条理ものなのでそちらだけ一人歩きしており、最近はポプテピピックの比較対象としての文脈でよく出てくる。俺としてはポプテピピックの方が明らかに面白いしエクセルサーガ(アニメ)はわざわざ見るほどのものでもなく、更に言えば、こんなオチも主張もない話を書いている動機は「ポプテピピックの添え物にしかならないアニメ版の話をするくらいなら漫画版の話をしろ」というフラストレーションでしかない。

作者の六道氏はいま紅殻のパンドラ(漫画)を描いているから、そう説明すると「あーそういう感じのやつか」と一気に伝わるのだが、これも結構謎なところだ。
紅殻のパンドラの標準的立ち位置は「攻殻機動隊の萌えver」なので、作画担当の六道氏は少なくとも2012年には萌え漫画家だったということになるが、2011年に終了したエクセルサーガが萌えという評価を得ていた記憶はない。エクセルサーガ中盤以降の画力向上というか画風の変化には目を見張るものがあり、最大限譲歩しても20巻以降くらいのエクセルやエルガーラはかなり萌えキャラだったと俺は思う(属性としてはもっと前の六本松二式が登場したあたりからだが、遂に作画がそれに追い付いた)。単に作画上の女性キャラの可愛さ的な意味だけにおいて萌え漫画であったことは紅殻のパンドラの開始で裏付けられたと言っていいはずだが、やはり俺以外に誰も読んでいないので合意を得られることもなく、よくわからないまま終わる。


ハイスクールフリート劇場版製作決定

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二年前のはいふりアニメ本編放送終了以降、OVAを作ったり製作スタッフメインのイベントを開いたりグッズを売ったりカメラを配信したり、(それほど人気が出なかった単作アニメであるにも関わらず)まるで何年も続く人気アニメシリーズであるかのような謎の大御所感を漂わせるサブ展開を続けてきていたが、劇場版という形で遂にアニメ本編が戻ってきた。

俺がはいふりを好きな一番の理由はキャラデザが優れているからだけど(性格とかアイコンという意味ではなく単純に画風というか絵のタッチが)、それを抜きにしてもガルパンの正統後継者の立ち位置になれるポテンシャルはあると思うので、劇場版もそういう感じでいってほしい。というか、中盤までは確かにガルパンの後継者だったのだが、ガルパンの何が優れていたのかを理解せずに変なオリジナリティを出して最終二話で大コケしたというのが俺のハイスクールフリート語りになる。

もともとガルパンが優れていたのは、美少女と戦闘をどう結び付けるのかという問題に対して物理と精神を乖離させた上で日常系の延長に戦闘を位置づけたところにある。
昔、弱肉二式に美少女と戦闘のジャンル的な相性は良くないと書いたのをスタート地点にしよう。いわゆる美少女が戦闘の結果として肉体的・精神的に直接傷付くことは基本的にはグロテスクな事態であり、不愉快な不協和を生まないためには、フェチズムを自覚するかダメージを隠蔽するような描写上or構造的な工夫が必要であるというようなことを昔書いたのだった。
今にしてみると美少女の定義を適当に取りすぎているが、まあいいだろう。いくらガルパンが美少女が戦闘を行うアニメであったとしても、西住みほちゃんのような線の細い女の子が殴り合いに巻き込まれて青あざを作るような事態は少々不憫である。そういった事態を回避して単純娯楽を仕立てるためには、西住ちゃんが肉体的・精神的に直接の傷を負わないような仕掛けが必要になる。


次回に続くかもしれない。書き終わってから投稿しようとすると記事が重くなってよくないので……