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19/8/11 今期アニメの論点

今期アニメもそろそろ折り返し地点ということで、見ているアニメの感想をまとめておきます。
最終的な評価がどうなるかはまだわからないけど、現状で評価を決定するだろうと考えている論点について簡単にまとめた走り書きです。やや端折っているので意味不明な部分があったらすいません。各項は独立しているので見てるアニメのとこだけ読んで大丈夫です。

通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?

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(胸がでかい)

シミュレーテッドリアリティのモチーフについて、ラカンの三界構造を用いて想像界を「シミュレートされたユートピア」、象徴界を「プログラムシステム」、現実界を「ユートピア外の寄る辺なき世界」と解釈される作品として、世界的には『マトリックス』、日本的には『メガゾーン23』などが挙げられる。『お母好き』(この公式略称センスなさすぎる)はシミュレート世界に「母」そのものが登場するためにエディプス・コンプレックスとの相性が良く、精神分析的な意味で母の領域である想像界への回帰としてこの文脈の上に位置づけることができる。
このように見たとき、第4話での不自然な展開は注目に値する。ワイズの毒親との和解という課題に対して論点になっていたのは一貫して母の問題であり、子供の問題ではなかった。子供は絶対に成長しないのであって、母の方がそれを許す存在に成長しなければならないのだ。つまり、近親相姦をベースとしたシミュレート世界の稼働は自明ではなく、それがきちんと駆動するための条件=母サイドの自覚が問われているところが、『マトリックス』『メガゾーン23』とは異なる。また、オタク界で最近人気の「ママキャラ」「疑似母」(最近だと仙狐さん)ではなくわざわざ実母を起用しなければならない理由もここにある。「母であることをやめようとする母」を描くに際しては、母の表象として最も強力な実母を使わなければ、「これは母の問題なのだ」と表現するのが難しくなるからだ(母を偽っていたものが本性を表しただけと解釈されてしまう)。
「実母」「シミュレーテッドリアリティ」という一見すると無関係な二つのモチーフは精神分析を通じて接続し、近親相姦への回帰の営みを描くという目的の下で十分に活用されている。

・まちカドまぞく

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(胸がでかい)

主人公の一人である千代田桃は引退済みの魔法少女であり、いわゆる「魔法少女もの」が既に終わったあとの世界を舞台にしている。同じコンセプトを持つ作品としては『るろ剣』や『銀魂』がある。それらは少年漫画的バトルが既に終わったあとの世界で、成熟した主人公がかつて熱狂した時代の後処理を行う、ポスト・ビルドゥングスロマンとして位置づけられる。
これとアナロジカルに『まちカドまぞく』をポスト・魔法少女ものとして位置付けるにあたっては、元々桃が所属していた「魔法少女もの」の文脈をどう確定するのかが問題になってくる。魔法少女ものへのアンチテーゼと言えば自動的に『まどマギ』が思い出されるが、それを流用してアンチ魔法少女論の中に立ち位置を取るのか、もっと別のものなのか。これは純粋にプロットの問題なので原作を読めばわかることなのだが、俺はアニメしか見ていないのでどうなるのかはまだわからない。
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もう一つ全く別の話題として、このアニメには漫画的擬音を背景にそのまま書き込み、時には音読する表現が目に付く。最近のアニメの作画が必要以上に忠実に原作漫画をなぞるようになってきたことは感じるが(一枚絵化するアニメ)、それにしても文字まで書き写す過剰さは必要なのだろうか。
アニメでの書き文字の使用はメディア固有であるはずの時間系の境界侵犯でもある。というのは、基本的にアニメが連続時間系で駆動しているのに対して、漫画や書き文字は無時間系か、せいぜい離散時間系だからだ(パロールエクリチュール)。ポジティブに解釈するならば、例えばアニメではどんな言葉も否応なく特定の時間を占有してしまうという特徴があってそれが特にコメディ的表現について「言葉をさらりと流せない」という弱みに繋がっていたのが、書き文字の使用によって解決されているなどの評価は可能。

・ソウナンですか?&ダンベル何キロ持てる?

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(胸がでかい)
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(胸がでかい)

日常系が衰退して久しいが、その代わりに勃興してきた新勢力として異世界転生系以外にも一つの議題についてのみ集中して扱う「ワンイシュー系(one issue)」の台頭が見過ごせない。最近このワンイシュー系こそが日常系の正統後継者ではないかと感じるようになってきた。
可愛い女の子がワチャワチャやっていることは日常系とワンイシュー系で共通するが、日常系があってないような偶発的な馴れ合いに重点を置いているのに対して、ワンイシュー系は特定の議題が一つ定められていてそれに対して積極的にコミットするという違いがある(言うまでもないことだが、『ダンベル』は筋トレ、『ソウナン』はサバイバル術がイシューである)。なお、日常系とワンイシュー系ははっきり分けられるというよりは恐らくスペクトル上の点在であり、『ゆるキャン』あたりが中間にある。
日常系からワンイシュー系への移行は「学校からSNSへ」というコミュニケーション空間の移行とパラレルである。その辺の少年少女が十把一絡げに集められる学校とは異なり、SNSでは趣味を同じくする同志によるファンダムを構成できるので、コミュニケーションも特定の議題にコミットするものへと変化していく。

・グランベルム

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(胸がでかくない)

第二話時点で書いたように(→)、手段と目的が転倒したバトルロワイヤルを描けるかどうか。それを貫徹できれば、同時代的に変質したバトルロワイヤルとして引用価値が生まれる可能性がある。
第三話以降では普通に周辺状況が語られ始めたため先行きは暗いと思っていたが、第五話での主人公覚醒シーンでも依然として主人公だけ回想が他の人に比べて貧弱というか空虚で、バトルロワイヤルをバカにしている感が生きているため、これからも見守っていきたい。