LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

19/8/9 前回の補足とか

・お題箱51

88.様相論理学に興味が出てきた理系なんですが、おすすめの本とかありますか?

圧倒的に三浦俊彦『可能世界の哲学』をオススメします。平易でわかりやすい割に議論の射程も長く、入門はこれで間違いないと思います。


「様相論理学について聞いているのに可能世界の本をオススメされるのは何故?」と思われるかもしれないんですが、この二つは密接に関係していて切り離せません。

ざっくり言って様相論理学というのは「~かもしれない」(可能性)や「~に違いない」(必然性)という表現を含む命題を扱う論理学です。我々も日常生活で「雨が降るかもしれない」とかよく言っているんですが、論理学として厳密に扱おうと思うと、

・「そもそも『~かもしれない』とはどういうことなのか?」(意味論=セマンティクスの問題)
・「『~かもしれない』という命題の真偽はどう定めればよいのか?」(統語論シンタックスの問題)

というような議論をきちんとやる必要が出てきます。こういうことって改めて聞かれると答えるのはなかなか難しいですよね。ほとんど禅問答というか、「雨が降るかもしれないってどういうことですか?」と聞かれても「雨が降るかもしれないということです……」と答えるのが関の山です。
しかし、可能世界概念を導入することによってこうした疑問をきちんと定式化して定量的な議論に還元できるようになります。この手続きが非常に鮮やかで面白いですし、「パラレルワールド」とか「世界線」みたいなものを好むオタク文化とも親和性が高くて応用の幅が広いところです。

89.最近カタハネとかflowersとかプレイして百合ゲーにハマりつつあるんですが、オススメの百合ゲーがあれば教えてください(ノベルゲームじゃなくてもいいです)

もう認めざるをえないんですが、ノベルゲームあまり得意じゃなくて言うほどやってないんですよね。

アカイイト
サクセス
2004-10-21


アカイイト』は棺に入れてほしいくらい好きですが、それは恐らく思い出補正で、評価に値するような試みがあったとは思えないので人に勧めることができません。

たぶん適当なwikiとかで趣味に合うものを探した方がいいと思うんですけど、このブログのお題箱で聞いてくれたことを汲んで個人的なことを言うなら、『ネプテューヌ』シリーズの一作目です。


百合ゲーとしてのポイントはキャラクターがクソ可愛いのにクソ険悪なところです。

たまたま何か誤解とか行き違いがあって喧嘩しているのではなく、根本的に反りが合ってないから表面的には協力することもできるけど肝心なところで譲歩できないみたいな関係です。ツンデレキャラかと思ったら普通に嫌いなだけだったみたいなことが発生して、「そうは言っても本当は仲良し」というヌルいやつではなく、「そうは言っても本当は嫌い」に近いドライな雰囲気が僕は非常に好きでした(この辺は前にも書いたので読んでください→)。

こう書くと「ずっと仲が悪いのを見て何が面白いの」と思うかもしれないですが、このゲームのメインの萌えキャラって全員国の責任者でそこそこ大人なので、顔を合わせると口喧嘩をしているとかそういう表面的な話ではないんですよ。むしろ協力的なことも結構あるんですけど、世界を救うために力を合わせるマジなやつを「でもあいつ嫌いだしな~」と渋ってくるので、彼女たちの関係って深いところでヤバいんだなあっていう味わい深さがあります。

女の子の仲が良いゲームは山ほどあると思うので、たまには殺伐としたゲームをやりたいと思ったら思い出してみてください。ちなみに二作目以降やリメイク版は普通に仲良しになってしまっているのでオススメしません。
20190222-23077[1]

遊戯王GXの記事

本当は今期アニメの話を書こうと思っていたんですが、お題箱を二つ答えたら中途半端な長さになってしまったので中途半端な内容を書きます。

前回書いた遊戯王GXの記事が人生で書いた記事の中で一番伸びました。誰か知らないけどお題箱で遊城十代について語ってくださいと言ってきた人に感謝。タイトルを誤字ってるんですが(×過少 〇過小)、そのまま伸びてしまいました。

Twitterのフォロワーも相当増えたので自分の立場が揺るがないように一応言っておくんですが、僕は「作品を褒める人」ではないです。好きな遊戯王GXを褒めようとしてそうしたのではなく、ただ単に事実として遊戯王GXは傑作なので「何故傑作なのか」を書けるというだけです。逆に言えば、駄作だと思ったら「何故駄作なのか」を書きます。『天気の子』は駄作だなと思ったのでそれを書きました。

補足184:しかし本当のことを言うと、作品を評価する論理を立てる作業って「如何にしてこじつけるか」みたいなところもあります。「褒めたいかどうか」が「褒めるかどうか」と無関係であるとは言えません。

とわざわざ言うのは、前回の記事が伸びたのは作品を極めて高く評価したことが最大の要因になっているのは間違いないはずだからです。誰だって自分が好きな作品を低く言われるよりも高く言われている方が嬉しいに決まっています。ですが、別に道徳をやりたいと思ってブログを書いているわけではないので、褒めたくないときは褒めないというのは揺るぎません。

あと、Twitterで指摘されたこととして、「動員」という単語を選択したのはファシズムのイメージが背景にありました。これについて補足します。
「無自覚な動員が何故悪いのか」という部分はアニメの話から逸脱すると思って前回あまり突っ込んで書かなかったんですが、これは無自覚な動員には気付きの契機が無いからです。先導者が自身の影響力に無自覚な場合、大衆の方も同じくらい無自覚に先導者に同調してしまうので、「いま自分が良くない方向に動かされている」とか気付くチャンスが無くなってしまいます。
具体的に言うと、先導者が非常に悪いやつで自分の利益のために意識的に大衆を扇動しているならまだいいんですよ。何故なら、その悪の企てを白日の下に晒すことができれば大衆が目を覚ませますから。しかし、先導者が何も考えていないのに大衆が付いて行っている場合、暴かれて困る急所が無いので、大衆が目を覚ますきっかけもありません。となると、うっかり何かの間違いで悪い方向に進んでしまったときにブレーキが効かなくなる極めて脆い状態でもあるわけです。
サブカル的に言うと、自覚的に大衆を扇動しているタイプのキャラクターは『DEATH NOTE』の夜神月とか『コードギアス』のルルーシュです。彼らは自分がしていることが一般的な道徳としては悪に属することを理解した上で大衆にリーチしていますから、隠さないといけない急所がちゃんとあります。が、裏表が無い十代にはそれが全くない。そういう意味では、十代(を含むヒーローの多く)は実はルルーシュよりも悪いということになりますね。

最後に、本当にどうでもいいんですけど、Twitterで「佐藤先生スパイダーマン見てたのか」みたいなコメント見てちょっと笑いました。
確かに佐藤先生って休日は一人で映画見て過ごしてそうですし、十代に説教しながら途中で思い出してつい名セリフが口から出ちゃったのかもしれないですね。