LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

19/1/17 今期アニメ感想

・今期アニメ感想

・わたてん
6554c273
今期最強アニメ


・えんどろ~
9096ae91
味のしないガム


・サークレットプリンセス
4eda9823
キャラデザだけガチで神


・バーチャルさんはみている
90b233df
永遠の文化祭


けもフレ2
6c35b780
キュルルちゃん ←は?


かぐや様は告らせたい
6f2e1218
早坂はやく出して


・ぱすてるメモリー
34b0c4eb
根幹設定として「既存作品から世界を切断して探索可能なデータベースとみなす」というコンセプトを持ち,二話でそれが大々的に行われたことは注目に値する.この発想自体は新しいわけではないが,

1.アニメ媒体
2.無許可
3.(比較的)新しい作品を扱う

という3点のマイナーチェンジをそれぞれ評価しうるということを順に書いていく.

まず一つ目「アニメ媒体」について.この手の「既存作品世界群をデータベース化して探索する」というコンセプトの先駆者はシュガーラッシュ・レディプレ・ピクセル等の洋画が主であり,(俺の知る限りでは)国内アニメとその周辺ではピッタリ該当する作品の記憶がない.近いコンセプトの作品としては,

仮面ライダーディケイドジョジョ七部(D4C)・劇場版遊戯王等.これらの「既存シリーズ作品世界を探索する」という発想はかなり近いがパラレルワールドとして設定上の整合性を与えられる程度に隣接した世界に留まっており,各作品世界がパッケージングされているレベルの完全なメタ視点ではない.

〇シュタゲや打ち上げ花火のようなゲーム的マルチエンドに由来する作品群は,マクロには同一なパラレルワールドの探索に留まる.各世界で細かいプロットが異なるものの,地形や時代背景等の作品世界としては同一であり,作品世界を越境しているわけではない.

〇主にソシャゲにおいて,きららファンタジアやヴァンピィちゃんのように複数作品世界を横断するキャラクターはいるが,力点は作品世界ではなくキャラクターの方にある.キャラクターが結果的に複数世界に所属するように見えているだけで,世界の間を移動するプロットには乏しく,探索は行っていない.

以上のように,近いコンセプトの作品は数多くあるが,このコンセプトそのもののアニメはまだ無いような気がする.アニメ媒体ではまだ誰も明示的に行っていないのであれば,その中でのパイオニアの位置を主張できるだろう.後に述べる通り,このコンセプトは「見立て」という完全にメディア依存の行為を要求したり,作品のジャンル的知名度を問題にしたりするので,新しいメディアに進出することの意味はそれなりに大きい(先行するアニメ作品を知っていたら教えてください).

次に,二つ目「無許可」について.無許可というのが本当かどうか裏を取ったわけではないが,まあ,許可を取った上であの内容になるとも思えないので,少なくとも公的には認可されていないのだろう(パロディ系オナホールくらいの許可は裏で取ったのかもしれない).

当然ながら「(シリーズ系列ではない)既存作品世界を探索する」というコンセプトは著作権上の問題を孕むので,ちゃんと許可を取った上で扱うのが常識的な発想ではある(上で挙げた洋画3つもきちんと許可を取った上で登場させている).ただ,これは逆に言えば許可を取らない限りは既存作品を扱えないということでもある.
これを「息苦しい」と断じ,無許可引用を正当化するための理論武装を考えよう.例えば,「剣と魔法の世界」のようにいまや完全にオープンソース化している作品世界も元を辿ればどこかの作品に辿り着くはずなので(具体的な作品名を調べようとしたが諸説あるらしい),「木組みの家と石畳の街」が未だごちうさの権利影響下にあるのはたかが時間と程度の問題でしかない……という強弁が考えられる.
あるいは,「既存作品世界探索」というコンセプトが消費者が日常的に作品に接する感覚に立脚していると仮定すれば,著作権の制約はリアリティを減じる効果しかもたらさないと主張した方が良いだろうか.つまり,レディプレにおいてシャイニングの世界を探索可能な世界の一つとみなすという発想が,消費者がシャイニングを視聴する際に棚の中からシャイニングのパッケージを探す視点に対応しているのであれば,このときに目に映る作品は多ければ多いほど良い(少なくとも,許可が取れたものだけしか棚に無いというのは不自然な設定だ).これはリーズナブルな仮定に思われるし,著作権の制約が破壊された方が消費者の現実に近いということに特に異論は無いだろう.とはいえ,実際問題として,この先どれだけ風通しが良くなっても著作権が全面的に破棄されて任意の作品が任意の作品世界を扱える事態になるとは考え難い.よって,現実的な方法としては無許可で他の作品世界を勝手に使わざるを得ない.

この際に強力な武器になるのは「見立ての原理」だろう.すなわち,元の作品世界のオリジナルな表現を避け,似た表現の組み合わせで「これは実はアレのアレを指しているんですよ」と視聴者にわかってもらうということだ.二話でチノそのものは無許可では登場させられないからチノ的なキャラクターを出し,「これは実はごちうさのチノを指しているんですよ」と暗に示したことがこれに該当する.ごちうさなど常識のように知っているアニメオタクたちはほぼ無意識にこのメッセージを受け取っただろうが,この伝達が(少なくとも直接チノを登場させる場合と比べて)高度にハイコンテクストであることは言うまでもない.チノというキャラクターを知っていることは当然として,見立てるのであれば抽出されるであろう特徴についての知識も要求しており,視聴者への全面的な信頼が無ければ成立しない表現なのだ.
これがよくある「パロディ」と異なるのは,こうした「見立て」がこのアニメのコンセプトの根幹を構成しているという点にある.「わかる人にはわかる」では困るのだ.「作品世界を救済する」という内容が伝わるためには,暗黙にごちうさ世界を指示していることの伝達はマストである.切実な見立て行為であるという点で,単なるお遊びとしてのパロディと一線を画している.

よって,この作品が無許可であることで,開けた作品世界共有に向けてシリアスな見立ての原理を提示するという点に先駆者としての価値が見られる.

最後に三つ目「(比較的)新しい作品を扱う」という部分については,(オタク世界では既に確固たる地位を築いているとはいえ)ごちうさが高々十年未満の歴史しか持たない作品であることを指している.比較対象としては,シュガーラッシュで扱われたパックマン,レディプレで扱われたシャイニングはいずれも40年近い歴史を有しており,コンテンツとしての知名度も段違いだ.この歴史の差も「既存作品世界探索」というコンセプトに対しては一定の意味がある.

まず直感的な理解として,歴史の古い作品を引用するという手続き全般が人類史ないし個人の記憶に堆積した作品をサルベージして利用するものだとすれば,時間的に垂直な引用と言える(過去→現在への移動).その一方で時間的に水平な引用は何かを考えると,現在展開しているコンテンツを横目で見て引用するものとなるだろう(現在→現在への移動).ごちうさは記憶の海からサルベージするような作品ではなく,まだまだ現役で連載中の作品なので,二話での使用印象は垂直よりも水平の方が近い.
この垂直⇔水平というイメージを対比させたとき,後者の方がオープンで現実に近いことは言うまでもない.(消費者層は一旦忘れて)時間的な展開模様だけでいえば,消費者の日常生活に近しいのはシャイニングよりもごちうさである.シャイニングは古典映画で既に完結しているので人生のどこかで一回見れば十分だが,ごちうさは現役の作品であり毎月まんがタイムきららMAXが刊行されるたびに新たな情報が発生する.この意味で,先に述べた通り「既存作品世界探索」が消費者視点に起源をもつのであれば,水平的引用の方が実情に近く好ましいと言えよう(少なくとも,優位性の一つを主張することくらいはできるだろう).

とはいえ,レディプレのような一般映画でごちうさの引用をしたところで「リアルな現実に近い引用」として受け止められる可能性は低い.アニメオタクしかごちうさを知らないからという意味ではなく,(仮に同じような立ち位置の作品でも)古い作品の方が単純に触れた人数が多いために知名度が高いので,古くて有名な古典には敵わないのだ.よって,知名度に期待できない水平的引用はある程度消費コンテンツが共有されているような内輪なコミュニティで行うことが望ましい.そう考えるとマイナーゲームの地味なアニメ化であるぱすメモを視聴する層はごちうさを既知であると読んだことにも一定の判断の形跡を認めることができる.

ちなみに,ゲームではどうなっているのか調べたところ,最大公約数的な架空世界を探索する程度に甘んじているようだ(アニメのように具体的な作品名を提示するところまではいかない).どういう権利関係の問題がクリアされたのか(されなかったのか?)は知らないが,アニメで初めて本来のコンセプトに立ち戻ったことを評価したい.
あと,このアニメは次話以降もどこかを無許可で探索するのかは気になるところではある.まあ,ここまで書いたような功績は後からひっくり返される類のものではないので,別に続けても続けなくても論調を変えることは無いのだが.