LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

12/6 腋窩:左右を上腕と胸壁に,前後を大胸筋と広背筋の付着部によって囲まれる部分

・お題箱30

43.LWさんって以前から腋窩についてそんなに言及されるような方でしたっけ???

今年の頭くらいにはそんなに言及してそんな記事を書いていました。

でも、一年前の段階では腋全般のフェチという感じで、腋窩に対してはそれほど執着してない感じがありますね。一年を経て特化したのかもしれません。

僕だけではなく、世の趨勢としても二次元で腋を性的なアピールポイントとみなす流れは来ていると思います。特にソシャゲのキャラデザで顕著なんですが、「とりあえず女の子には腋が空いた服を着せておけ」みたいな風潮は明確にあって、上のブログでシャドバを検証した通り「腋が出ているキャラの方が出ないキャラよりも多い」という事態が普通に起きるようになっています(未検証ですがアズールレーンの腋露出率も体感で60%を超えていると思います)。
DP8XeAsVQAAm1YU[1]
(次回のアップデートで追加される新キャラ、カワE)

最近そんなに言及してたっけと思って「腋 from:lw_ru」でツイート検索をしていて思ったんですけど、腋に限ったことでもなくフェチズムの根の深さを感じるのは全裸と比べたときですよね。
当然ながら全裸状態では常に腋が露出していることになるんですが、じゃあ全裸のサフォークがノースリーブを着用したサフォークよりもセクシーか?というと全くそんなことは無くて、むしろフェティッシュな魅力は減退します。露出度合いで言えば完全に勝っているはずの全裸に黒星が付く以上、「腋の露出」という言い方が既に不正確で、本当は露出ではなく覆いが重要な役割を演じているのではないかという疑いが出てきます。

その「覆い」を構成するミニマムは恐らく襟ではないかという予想をしているものの、ブーツフェチや手袋フェチと同じような意味での襟フェチというわけではないので、まだ謎が多い部分ではあります。

たぶん腋窩に一番言及したのはこのツイートで、言いたいことはここでだいたい全部言ってますね。
補足として、腋が閉じているタイプのイラスト(上のツイートで言うfig.1)はあまり絵師間で差が見られない一方、腋が開いてカメラが回り込んでいるイラスト(fig.3)はデッサン自体が何パターンかあるという話をします。腋窩の描き方は人によってまちまちですが、恐らくあまり日常的に見る部分ではないので手や膝と比べて描き方が確立していないんでしょうね。

1.胸と腕の間パターン

胸を構成する筋と腕の根元の筋に挟まれた部分がそのまま腋窩になる描き方で、恐らく一番リアルに近いのではないかと思います。胸の大きいキャラというか、胸に対する執着も比較的強そうな絵師の絵はこうなっていることが多い気がします。

2.独立した窪みパターン

比較的胸との接続が薄く、腕の根元から体幹への接続部あたりに腋窩を設置するパターンです。1では胸筋と腕の隙間に結果的に窪みが発生するという構図でしたが、こちらは窪みが先行しているという差異があります。腋窩というよりは、胸の裾野がどこに接続するのかという点で見解が異なっているのかもしれません。

3.腕と体幹の接続パターン

上二つと異なり、そもそも腋窩に窪みを設けようという意志をあまり感じないパターンです。
円柱状の腕と比較的扁平な体幹がそのまま直結しており、三次元的な凹の窪みではなく接続部周辺に発生する段差として腋窩部位が現れます。

4.皺パターン

腕と胸壁の間の肌が引っ張られて皺になっている部分に腋窩が見出されるパターンです。
3Dモデルでいうところのボーンのレベルで三次元的に腋窩が発生した三例と違い、体表面の肌が主役になっています。多分これも相当リアルに近いですよね。いや、現実の腋にはあまり興味がないので知らないですけど。
まあ、皆違って皆良いので僕はどれでもいいです。何でもいいのでもっと腋窩の出たイラストを描いてほしいですね。

44.初期の綾波は性格という一点においては現実の人間と近い構造を持っている、みたいなことって言えるんでしょうか。
「混沌を持つ三層構造」と「混沌があると錯覚させているだけの三層構造」は理解の段階でちゃんと違うものとして認識できるのかな、というか…

前回の記事→への質問ですね。正直自分でも「これ全部読む人いるのかな」と思いながら書いていたのですが、ちゃんと読んでくれてありがとうございます。
それぞれの質問に対する回答は明確なのですが、二つの質問の接点が見い出せていないため、一つずつ分割して答えようと思います。質問の主旨を捉え損ねていたらまたどこかで聞いてください。

一つ目の「初期の綾波のような規定不能な性格を持つキャラクターは現実の人間と近い構造を持っていると言えるのか」という質問の答えはNOです。
・「『現実系に存在する混沌』を模倣したキャラクター」
・「『現実に存在する人間』を模倣したキャラクター」
は別の概念です(質問文の「人間」という単語が持つウェイトの判断が出来なかったので、とりあえず力点が置かれていたものとして解釈しました)。

僕が模倣されていると考えるところの『現実系に存在する混沌』の具体的なイメージとしては、津波や大地震のような破滅的な天災が最も想像しやすいと思います。我々が作り上げてきた様々な秩序(整った街並み、日常のルーチン、明日への信頼など……)を完全に無視して破壊していく意味不明さ、不条理さ、何にも制御されていない挙動を目の当たりにしたときの畏れが(本来認識不能な)混沌の出現を辛うじて認識している状態に近いです。

そういった天災に相対したときの「理解不能感」をコピーして性格に変換し、キャラクターに詰め込むという操作によって初期の綾波のようなキャラクターが発生すると考えます(これは説明のために少し製作者寄りの言い方をしすぎていて、「我々が初期の綾波と相対したときの規定不能感は天災のそれに起源がある」という言った方が主旨に照らしては正確です)。
『現実に存在する天災』は議論の対象にしていますが、『現実に存在する人間』に対しては検討を加えていません。「初期の綾波は性格という一点においては現実系の混沌と近い構造を持っている」という修正を加えればYESになります。

補足95:全く別の話題として、「『現実に存在する人間』は混沌であり得るのか?」という疑問は非常に難しいです。認識を生成するのが人間である以上、人間は秩序的な存在であると考えることも可能ですが、無意識のような曖昧な領域に関してはまだまだ謎が多く、その意味では混沌を持っているのかもしれません。「現実で独特の感性を持つ人に遭遇したときの理解不能感」が本当に混沌なのかどうかを確かめるには彼には自由意志が存在するのかを検討する必要がありますし、哲学的ゾンビのような領域に足を踏み入れることは不可避です。

二つ目の「『混沌を持つ三層構造』と『混沌があると錯覚させているだけの三層構造』は理解の段階でちゃんと判別できるのか」という質問ですが、条件付きで概ねYESです。最も厳密な意味では不可能ですが、実際的には容易です。

「最も厳密な場合」とは何かと言うと、本当に現実系ないしは虚構系の理解層に入り込み、他の情報が一切存在しない場合です。具体的には、いくつか前の記事で紹介したVRの悪用についての実験→が(偶然にも)非常に的確な例として挙げられます。
この実験は被験者にHMDを被せた状態で「現実の映像をそのまま映すライブカメラ」「過去に録画した映像を映すビデオ」のいずれかを見せるというものです。このとき、もちろん前者が現実系、後者が虚構系に対応していますが、被験者は自らの知覚からそれぞれを区別することができないというのは述べた通りです。例えばこの状態で「実際に洪水が起きている現場に行かせる(めちゃめちゃ危ないですが!)」とか「洪水のCGを見せる」とかいうことをしても、目の前の洪水が本物かCGかはわからないわけですから、受け取る理解不能感は錯覚かどうか判定できません。よって、この状況においては二種類の三層構造は判別不可能となります。

しかし、実際のところ、このようなシチュエーションが起こるケースは極めて稀です。
我々がテレビの画面を見ながら「これは録画された映像なのか、それとも本当にこの箱の中で起きている出来事なのだろうか?」などと考えることはまずありません。若干チート気味ではありますが、虚構系かどうかはメディアの付加によって一瞬で判断できてしまうというのが実情です。「作り物は作り物だ」という了解は普通は意識的に行われており、「作品にのめり込んでいる間は現実を忘れてしまう」というような感想は少し盛っているというか、本当に言葉通りではなく修辞を含んでいるということは明らかでしょう。
一応「客観的に見ればどう見ても作り物なのに本人は本物だと思い込んでいる」というケースもあり、補足93で述べたアイドル、宗教、精神病等はこの範疇に属します。僕は本人の認識に最終的な決定を委ねたいと考えているので、それらの場合は虚構系に分類したいというのも述べた通りです。