LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

6/3 (*>ω<*)

・お題箱14

24.自らの死生観について語ってください(こういう死生観だ→何故か。何故1回分くらいを期待しています)

もし既に書いていたら過去の記事を紹介してください

死生観!?
各人で好きにすればいいタイプの話なんであんまり喋ることないけど、僕は死亡状態は特にどうということもないプラスマイナス0のフラットな状態だと思っています。理由は、検証できないものに対しては白紙とするのが一番フェアなような気がするからです。

恐らく多数派は死亡状態を最悪な状態(期待値マイナス無限大)と捉える派閥だと思いますが、これはたぶん怪我とか病気によって発生する苦痛からアナロジーによるものです。
怪我とか病気ってその度合いが大きくなるに従って、苦痛もどんどん大きくなっていきますよね。怪我の度合いがMAXになったときに人は死ぬので、じゃあ死っていうのは恐らく苦痛もMAXになっているんじゃないか?っていうことでしょう(知らないけど)。

ただ、個人的にはよくそんな死生観で生きていられるな~と思います。
そういう人たちって、死が無限に最悪なので、どんな状況においても死んだら状態が悪化することが確定しています。死に逃げられない場合、現実で辛いことがあったとき、生の絶望とどうやって戦うんでしょうか。

その点、プラマイ0派の展望は明るいです。
現実が悪くなったとき、死ねば強制的にゼロに揺り戻されるので、相対的に見て状況を好転させることができます。別に実際に死ぬわけではないにせよ、「いつでも死ぬことで救われることができる」と思っていた方が生きやすくないですか。今から20年以上前に出た「完全自殺マニュアル」はそういう思想を汲んでいるんですけど、実際的には人が死んだら周りが困るという社会的な要請が大きいので、プラマイ0派がメジャーになることはないでしょう。

そういえば、デッドライジングをプレイしているときに思ったんですけど→銃社会の死生観ってそうでない社会と比べてさっぱりしていることってないですか?
例えば包丁で切り付けられた場合は苦痛と死に度合いは「ちょっと痛い、ちょっと死にそう」「かなり痛い、かなり死にそう」「激痛、ほとんど瀕死」っていうアナログ過程を踏むんですけど、銃は然るべき場所を撃てば一発で死ぬので、「無傷」or「死亡」(0or1)にデジタル化するじゃないですか。そういうデジタル過程では段階的な苦痛と死のアナロジーが通用しないので、銃(というよりは銃殺)が十分に発達した社会では死と苦痛はある程度切り分けて考えられそうですよね。

・続/devoted to hifumi

2017-06-03_191230
(ニコ生一挙ひふみ先輩)

俺が国語の文章題みたいなことをしているという誤解を招く原因にはラノベに書き込みをしていたこともあるらしいので、その誤解を解きたいと思う。

これは別にけものフレンズみたいな考察ではない。
というのは、俺は設定とか登場人物とか作者の気持ちについて考えているわけではない。その証拠に、俺の書き込み部分にあるのは一般名詞だけで、固有名詞は一つも書かれていない。

補足36:けものフレンズの考察が俺が「考察」と呼んでいるものに一番近くて伝わりやすそうなので、「けものフレンズみたいな考察」という言い回しはこれからも使う気がする。

これは物語における物語内容と物語言説の間にあるものを発見したいという試みだった。
小説は世界・人物・設定等を内包した一つの世界を構成する一方で、現実世界では無機質な模様の連なりとして認識される側面もあって、その隙間を埋めているものが何なのかを考えていた(多分これは記号論構造主義の範疇なのではないかとは思ったが、どういう形であれ現実世界と別世界のギャップを埋める試みは現実逃避における最重要事項なので、自分で可能な限り考えてから解答編に移りたかった)。題材にラノベを使ったのは、書き込むのに胸が痛まない、余白が多いので書き込みやすい、なるべく内容が単純な娯楽小説の方がやりやすそうだったくらいの理由しかない。

補足37:車輪の再発明と言われるかもしれないが、俺は既存解答に進む前に自分で手を動かして考える段階にはそれなりに意味があると考えることが多い(もちろん限度はあるし、内容にもよる。運動方程式を自分で導出しようとするのはやりすぎだが、新セットのドラフトカード評価は晴れる屋やDigの記事を見るのとは別に自分でも検討した方がいい)。
一般論に対する具体例に根拠として一定の価値を見ているとか、一般化とは捨象過程であることが多いので例外事項を拾い上げたり独自に拡張するのに役立つとか、主張と導出過程は全く別の問題だからとか、流用可能な知識定着のためとか、理由は色々考えられるが、単に好みの問題のような気もする。


分解した要素の静/動、内/外、論理性の程度、事実性、発生源みたいな細かいパラメータを割り当てて属性を整理し、それらが実現する内容についてまとめるようなことをしていたが、最終的に大した結論は得られなかった。そうやって出てくるパラメータを取捨するためにはもう少し一般的な指針的仮説が必要に思われたが、しっくり来るものが思い付かなかった。
流石に諦めて少し物語論の勉強をすることにして、前回紹介した本はそういう流れで読んだ(虚構性と物語性についてはかなり納得のいく形で結論を得ることができたのだが、具体的に書くにはあまりにもボリュームがありすぎるのと、本題と直接関係ないので今回は見送る)。

話を戻すと、俺は常に書き込みをしているわけではないし、そもそもこれは普段アニメを見るのとは関係が無いし、考察でもない。

語ることと恥については次回に続く。