LWのサイゼリヤ

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6/5 ストロベリーパニック最終話Cパート

・続/dth

Thanatophobia

100歩譲ってアニメ考察マシーンでは無いとしてもアニメ分解マシーンではあるらしい。
まあ、そうかもしれない。この辺はもうアニメの見方というより、物の考え方じゃないかという気もする。
A級戦犯(04環境の開祖)に「今はたまたま話すための媒介にアニメが選択されているだけで、本当は君たちが喋るための道具は何でも構わないよね」的なことを言われた記憶があるが、そういうことだろう。

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・語ることと恥について

何故語ることは恥ずかしいのかというQに対してのAは明確で、語りには常に二次情報が乗るからだ。
4/28にも書いた通り、人が物を語るとき、その単純な内容であるところの一次情報以外にも、色々な情報が二次情報として乗ってくる。上の記事で触れたのは「何故その情報を提示したのか」というメタ情報だが、同種の二次情報は他にも無数にあり、それらは語り手の生身と結び付くことが多いため恥にも繋がりやすい。

代表的なものは「語り手がどのような知識を持っているのか」という二次的知識情報で、語り手が明らかに間違った知識を提示してしまった場合が一番わかりやすい。
例えば、「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドにおいて、単なるダンジョンではなく広がった世界を冒険できるシステムはゲーム史上でも画期的だった」という評価は(何度か見たが)単純に間違っている。オープンワールドのゲームは既にいくらでもあるし、その点については別に画期的ではない。この評価をした人はオープンワールドゲームを他に知らず、人生でGTAをプレイしていないし、最近発売されたHorizon Zero Dawnも購入していないのだろう。
このとき、主張の誤りはもはやブレスオブザワイルドについての話を貫通して、語り手にダイレクトに突き刺さっていることに注意してほしい。一次情報として「ブレスオブザワイルドがゲーム史上でどういう立ち位置だったか」という話をしていたはずが、そこから得られる二次情報は「語り手のゲーム知識について」になっている。

一般に、二次以上の情報は語り手生身の情報が含まれることが多い。好むと好まざるとに関わらず語り手は語った時点で二次情報までも間接的に公開し、我が身を矢面に晒すが如き状況になってしまうのだ。
今のは誤った主張をした場合に生身の知識情報がダメージを負う例だったが、正しいことを言ったとしても流出する副次情報はたくさんある。

まず、物を語った時点で「語り手が想定する世界の知的レベル、世界観」がある程度割れる。
明らかに誰でも知っている、情報量がゼロの話はわざわざ語る必要がないからだ。比喩でも何でもない「1+1=2」だけをわざわざ語る人はいない。完全な新出事項ではないにしても、聴衆の中に完全にはそれを知らない人がいることを想定している(厳密に言えば、「そう想定していることが想定されてしまう」。また、「誰でも知っている」も正確に言えば「語り手が誰でも知っていると想定している」)。
当たり前っぽいことをわざわざ喋るときに「御存知かもしれませんが~」という前置きをするのはこのためだ。「知らなさそうだから語っている」というニュアンス=「聞き手は語り手が発話する情報を知らないことを想定される」というメタ情報は失礼にあたることもあるので、それが乗るのを防いでいると解釈できる。

「知識」「世界観」以外にも、「経歴」もよく割れる二次情報の一つだ。
例えば、見たアニメからスタートする話をした時点でその人がそのアニメを新しく見たことがわかるわけだが、これは裏返すと、見たアニメからスタートする話をした時点でその人がそれまでにそのアニメを見ていなかったことがわかることにもなる。これがけものフレンズだとしたら(今なら)精々3ヶ月の情報が漏れるだけで済むのだが、ストロベリーパニックだとしたら10年近くの時間情報が漏れる。
ブログで例えると、ある日唐突に「ストロベリーパニックを見た感想」という記事が出現して、「玉青ちゃんがかわいそうでした~」などととりとめのないことを話し始めたとすると、ストロベリーパニックを見たことがその記事を書くモチベ―ションになっていることは明らかであるため、(「ここ一週間で一気見しました」と書いていなくても)そいつが初めて最近ストロベリーパニックを見たこと&過去10年近くは見ていなかったことが割れる。
このとき、「見たアニメからスタートする話をした時点で」という部分が地味に重要だ。見たアニメからスタートしさえしなければ経歴を隠すこともできる。
先程のブログが「最終回に納得いかなかったアニメ」というタイトルの記事で、その流れの中でストロベリーパニックの話を出したとすれば、二次情報はチャフできる。この記事のモチベーションはより大きな題材を語ることにあり、ストロベリーパニックを視聴したことに動機付けられているわけではないからだ。最終的な内容は同じだったとしても、生身の視聴経歴情報を持たない形で語ることに成功している。

そういえば、このブログの最初の記事→もほとんど同じ内容だった。俺はこのあたりに敏感で、すぐにそういうことをする癖がある。
こういう立ち回りは「経歴」という生身情報の流出に対して自衛策をとっているわけだが、冒頭で触れたような「知識」に関して自衛策を取ることは難しい。というか、原理的に不可能である。

人は知らないことを知ることはできない。「調べればわかるじゃん」という話ではなくて、「何を知らないのか」を知ることはできない(これもちょっと前に同じ話をした記憶があるな)。
ブレスオブザワイルドが世界初のオープンゲームだと思った人は、一呼吸置いてオープンワールドについて検索をかければ勘違いは防げたかもしれない。オープンワールドという単語は知らなくても、「広大な世界 自由 探索 ゲーム」などと入力すればオープンワールドwikipediaか何かに行きついたかもしれない。
しかし、それを行うためには「オープンワールド(的なもの)は既にあるのではないか?」という疑惑を持つことが必要である。「知らないことは何か」という断片的な知識(か、それ以前の疑惑)があって初めて検索が可能になるのであって、全く知らない状態から知る状態に辿り着くことはできない(自分が書く全ての単語と概念を疑うのは日常では現実的ではない)。

この辺は「世界観」についても概ね同じようなことが言えて、メタ情報を経由して生身の私秘的領域が傷付くことは防衛不能であり、常に恐怖との戦いにならざるをえない。

ちなみに、語った内容についてコメントされるときの辛さもこの辺の話に帰着できる。
「君は間違っている(You're wrong.)」と指摘されるのは一次情報の話なので全然構わないのだが、自分と同じかそれ以上に頭の良いやつとエンカウントすると「君は正しい……だから何?(You're right......so what?)」と言われるパターンがあり、明らかにこっちの方がきつい。このコメントは二次情報=生身の俺=理論武装していない部分に攻撃を加えているからだ。

まあ、無理なもんは無理なんでどっしり構えていきましょうみたいな感じです。