LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

6/7 マテリア姉妹 vs 白羽=ラフィエル=エインズワース

・マテリア姉妹 vs 白羽=ラフィエル=エインズワース

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小説版によると、マテリア姉妹は別にサディストではないらしい。
マテリア姉妹は皆が大好きで世話焼きなお姉ちゃんズなのだが、女の子が泣いたり恥じたりしているネガティブな表情を可愛いと感じる美的感覚を持っているため、「せっかくだから可愛くしてあげよう」というお節介と愛情表現で加虐行為に走るというのが真相。

この設定はかなりイイ。
コメディでありがちな(類型的な)萌え属性としてのサディストキャラは「加虐行為が快感と結び付くためにそれを行う」という説明をされることが多いのだが、この設定には性格に無駄なノイズが乗ってしまうのであまりうまくない(マテリア姉妹にはそのノイズがないのでうまい)という話をする。
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(ありがちであまりうまくないサディストキャラの例)

一般に、欲望を表す行動はワンステップで完結するものではなく、発生→発露という段階を踏む。
例えば、「腹が減った」という欲望は「飯を食う」という行動で表現されるが、食欲が発生することと飯を食うことはそれぞれ別の話である。腹が減ったからといって、それがただちに食事に結び付くとは限らない。一時間後に友達と飯に行く約束をしているならしばらく我慢するだろうし、業務時間内だったとしてもやはり終業までは耐えるだろう。欲望が発露するかどうかはTPOによる。
欲望が外部からもわかる形で表れるまでには発露の過程が必要であり、否定形で言えば、「発露を止めない」という精神の働きがあって初めて欲望は表に現れるわけだ。

サディストの話に戻ると、「加虐行為が快感と結び付くためにそれを行う」という設定の「加虐行為が快感と結び付く」という部分は欲望の発生、「それを行う」という部分は発露に相当する。つまり、「加虐性を持つ」「加虐性の発露を止めない」という2ステップを経て、ようやくサディストキャラは加虐行為を行うことになる。
このとき、後者の段階にちょっとした気持ち悪さがある。恐らく純粋な性格設定として機能するのは「生得的な加虐性を持つ」という部分だけだと思うのだが、それを視聴者に見せなければならないという外部要請の段階で「欲望の発露を止めない」(サディストの場合は「自重しない」「TPOをわきまえない」「奔放」等に繋がる)という性質が自動的に付加されてしまう。

この発露性の問題はサディズムに限った話でもなく、コメディ全般で感じることが多い。
現実とは違って消費者に見てもらうためのショーであるコメディにおいては、ある属性を持つキャラは、それを示すためにその属性が肯定する行動をしなければならない(属性行為論)。欲望の発生と発露が一度に行われてしまうので、「欲望」に対して「欲望の発露性」が衛星になることを避けられない。特に欲望が異常である場合は、その異常性を表出することを許容しているという反社会的な性質が勝手についてきてしまう。

補足38:ここでいうコメディは「単純娯楽もの」「小噺集的なもの」くらいの意味。
登場人物の葛藤にフィーチャーする余裕のあるアニメなら隠れた欲望やそれが生む葛藤(発露に至らない・至れないという問題)を描くことは可能なのだが、それができない程度に話が単純な娯楽ものというニュアンスがある。


補足39:厳密に言えば、どんな属性であろうが発露性という問題は常に付きまとう。例えば、「親切」という属性から派生する「親切の発露性」は「独善的」という性質を含みやすいだろう。しかし、今回はその顕著な例として、(あまり尋常ではないという意味で)異常な属性、発露時に反社会性が付与されるような属性に注目する。

その点、マテリア姉妹のケースでは、発露に対しては比較的ニュートラルな形でサディズムを描くことができている。
彼女たちが破綻しているのは欲望の発生ではなく具体的な内容を規定する価値観の部分なので(欲望は正常なので)、それを発露することによって性格の捻じ曲げが起こらない。実際の見栄えはともかく、行動原理の段階では皆が大好きで常識的という性質を保つことができる。

発露性の問題を避けるためには、発生する欲望ではなく価値判断や倫理観に異常性を押し付けることが一つの解決策になるのかもしれない。

・fav処理

favに溜めてある記事って、一度消すとツイートが見つからなくなって二度と読めないかもしれないし、せっかくの興味のログが消えるのももったいなくてなかなか整理できないんだけど、ブログに感想込みで貼っておけば全ての問題が解決することに気付いた。

19歳のときに企画って、普通にヤバいな。桜井氏の才能というより、現場のスケール感がヤバい。
こういう容量絡みのネタって、俺が作るレベルのプログラムではまず問題にならないからあんま真面目に聞くことないけど、業務レベルのプログラミングでは(こういう画像の切り貼りという話ではないにせよ)普通に重要なんだろう。
俺が容量で苦労した記憶といえば、昔マイコンでロータリーエンコーダーのプログラムを書いたときくらいしかない。マイコンの容量が小さすぎて履歴を保存する領域を確保できないので、bit単位でメモリ操作して記憶を格納する羽目になった(たしかint型の変数が持つbitそれぞれを0/1のbool型変数とみなして、bit数分のbool型配列みたいに扱った)。

「フレームレートを確保するために処理とかポリゴンの軽量化を頑張った」「アセットが便利だった」くらいのことしかわからなかった。Unityは無料公開verでも素人がひとかどのものを作れる本当に凄いツールなので、そうやって実際に作っている人たちにとっては身に染み入る記事なのかもしれない。

牛腸先生って講義を受けたことはないけど、文脈の提示に意識的なのはすごくGOODだと思う。
何週か前に書いたけど、学問は「何故その話をするのか」「何が目的なのか」を明示してくれると格段に理解が進みやすくなる。教授たちはそれを認識していないわけではないにしても、講義で実践してくれることは滅多にないから(教授は研究をする職であって教育をする職ではないので、わかりづらい講義をしても罪は重くないのだが……)、こういう教授がいると学生にとっては本当にありがたい。

競技寄りの環境調整に力を入れているというのはわかったけど、トップダウン式のデザインだったり、ストーリーを表すデザインについてはどう思っているのか聞いてみたい。
俺がシャドウバースで一番酷いデザインだと思ったカードって、「ドロシー」でも「ライブラ」でもなくて「ゼウス」なんだよね。
パックの顔なのに効果がキーワード能力の組み合わせだし、既存アンコモンの「アンドラス」に挙動が似ていて、「使ってみたい!」っていう特別感が全くない。それまでパックの顔だった「オリヴィエ」と「バハムート」は唯一無二の能力を持たせた上で環境の強さの上限を定義しててかなり凄いと思ったから、つまらない上に弱い「ゼウス」の失望感は半端なかった。
そういえば、最近「シャドウバースの何がいけなかったのか」みたいな動画がニコニコに上がってたから一応見たんだけど、時間の無駄だった。