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18/7/22 「世界の複数性について」補遺

・「世界の複数性について」補遺(参加者向け)

7/21のYubit映研オープン企画「世界の複数性について」講義は無事終了しました。
会場の設備や講義中の雰囲気など、何もかも予想していた100倍くらいいい感じで本当に良かったと思います。暑い中話を聞きに足を運んでいただいた皆さん、特に会場等の準備を担当してくれたFordさん、ありがとうございました。
主に参加者向けにトピックを目次として振り返りつつ、話し損ねた補足事項と参考文献を書いていきます。
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☆1章:漫画・アニメ・映画・ゲームでの例
◎目次
・複数世界を持つ作品例
・基本世界と別世界の関係に注目した分類:分離型、階層型、多層型
・分類の現実世界への適用

◎補足
補足134:ハルヒの特異性について
複数世界ものの中でも比較的ハルヒが特異なのは、メインヒロインが基本世界にのみ所属している点にある。大抵の場合、作品で一番重要な要素は別世界の方にある。ルイズやシャナは別世界からの訪問者だし、レディプレやインセプションでも話の舞台になるのは別世界だ。しかしハルヒはそうではなく、むしろ最重要要素であるハルヒを別世界にアクセスさせないためにキョンたちが奔走するという真逆の構図になっている(ちなみにハルヒ自身も実際にSF的な事態が起こりそうになると意外にも常識的な意見を述べるところがある)。この特異な構図はハルヒセカイ系と日常系の二つの顔を持たせるためのギミックとして理解できる。
まず、講義中で提示した重なり合う世界のモデルは、そのままセカイ系のモデルとして解釈できる。セカイ系とは個人の内面と世界の危機が短絡してリンクする物語構造を指すが、それはローカルな世界とグローバルな世界が重なり合う関係として表現できるからだ。一方、日常系は世界の危機とは無縁であり、常にローカルな世界でのみ展開する。よって、セカイ系は日常系を後方互換する性質があり(セカイ系がグローバル+ローカルである一方日常系はローカルのみであるから、セカイ系は日常系を要素としてスケール的に内包するということ)、両立は容易ではない。
しかし、ハードSFとしてのハルヒと萌えコメディとしてのハルヒはそれぞれ完璧に成り立っている。それが何故かと言えば、最初に述べたようにハードSFにおける根本原因のハルヒを別世界から遠ざけているからだ。これによって、ハルヒは設定的にはセカイ系の原因でありながら、表面的には日常系を謳歌する萌えキャラとして位置づけられる。キャラクターとしてのハルヒを日常系の方に押し込むことで、セカイ系に完全に軸足を移すことなく日常系に踏み留まっているわけだ。また、2000年頃のエヴァと2010年頃のけいおんの狭間にあるゼロ年代セカイ系から日常系への移行期と捉えれば、それらの両立に成功したハルヒゼロ年代を代表するのは自然な流れである。
ちなみに、以上のような事情を踏まえれば、フォカヌポゥコピペのオタクは割とまともなことを喋っていたのがわかる。「メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですので」とは、ハルヒセカイ系(SF)と日常系(コメディ)をそれぞれあえてベタベタに行い、意識的に両立して見せているという意味で、それらのメタジャンルとしての立ち位置を持っているということを指摘している。「ポストエヴァのメタファーと商業主義のキッチュさ」という部分についてもほぼ同様であり、エヴァ以降のセカイ系と商業的に有利な美少女コメディとしての日常系をメタジャンルとしての視座から半ばパロディ的に行っているとしてやや批判的に言及しているのだろう。

☆2章:キャラクター論における適用
◎目次
・二種類のキャラクター類型:自立型と世界依存型
・漫画史における経緯
・自立型キャラ優勢の現代
TRPGモデルの崩壊
・事例1:学園エヴァの衝撃
・事例2:バーチューバーのキャラタイプ変遷
・事例3:ソシャゲキャラの同一性喪失

◎参考文献
1.『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』伊藤剛、2014
議論のスタート地点にした本で、キャラクター類型と漫画史の経緯について書かれている。ボリュームがあってやや読みにくいので、関連箇所だけ拾い読みしてもいい。

2.『キャラクター小説の作り方』大塚英志、2006
基本的にワナビ向けの創作指導本だから読みやすいけど、TRPGモデル自体に触れてるのは実は5ページくらいしかないのであまり読む必要はない。

3.『虚構世界の存在論三浦俊彦、1995
虚構世界だけではなく虚構キャラクターについても学術的に論じた貴重な本だが、難易度が高い。記号論理学と可能世界論に精通している程度の知識が必要。講義中では扱ってないけど、キャラクター研究にすごく役立つと思うので読める人がいたら。

☆3章:ポストモダン論における適用
◎目次
ポストモダンとは?
モダニズム大きな物語
モダニズムの失墜からポストモダン
ガンダムの整合性からエヴァの不整合性へ
大きな物語の終焉
シュタインズゲートに見るデータベース適合

◎補足
補足135:リニア時間軸について
モダニズム的な時間感覚の反例として扱った農村で流れる円環型の時間は仏教的だが、線形に過ぎ去っていく時間感覚はキリスト教との親和性が高い。キリスト教では創世をスタート、最後の審判をゴールとして明確に始まりと終わりが定められているので、始まりから終わりに向けて線を引くと、自動的に同じ方向に流れ続ける時間軸が生成される。

補足136:けものフレンズのメディアミックスの凄さについて
けものフレンズのメディアミックスは一見すると整合性を持っておらず、エヴァ的である。漫画ゲームアニメそれぞれでフレンズは同じ見た目をしていても性格や挙動が全く異なり(例えばキタキツネはアニメ版ではマイペースで寡黙だが、漫画版ではツンデレでうるさい)、動物同士の関係性もまちまちだ。これは旧劇と学園エヴァ系でシンジの立ち位置が異なるように、一つの世界にまとめられるような整合性を持たないパラレルワールド的なメディアミックスとして見ることができる。
しかし、実は裏設定として(アニメで公言されてるしそんなに裏でもないけど……)、メディアごとに時間軸が異なるという背景がある。フレンズは世代が違う別個体だから、メディアによって違う振る舞いをすることは当たり前というわけだ。世代交代まで込みで考えれば何の問題もなく各メディアのフレンズを同じ世界上に置くことができる。
このように、「一見すると矛盾しているが実はそれを正当化する理由があって整合性を保っている」という事態そのものは別に珍しくもない。例えば、ニンジャバットマンは一見するとゴッサムシティとは全く違う世界の違う話をやっているように見えるが、ゴリラが時空移動装置を開発することによって「時代が違うのも設定のうちなので破綻していませんよ」という一応の言い訳が立っている(もしゴリラの発明がなければ、商業的な理由で作られた完全なパラレルワールドの話ということになっていただろう)。これに限らず、何かSF的な装置を使うことでパラレルワールドを説明するということは普通に行われている。
しかしここで気付くのは、けものフレンズにはSF的なギミックが無いということだ(世界観にもそぐわない)。時空移動装置を使わずに別々の時代で同じ見た目のキャラクターが存在できるのは何故?という風に考えると、それは「動物は世代が変わっても見た目が変わらないから」に他ならない。別世代の別サーバルが全く同じ見た目であることを疑問に思った人はあまりいないと思うが、動物設定が無意識のうちに強力に作用していたという背景があるわけだ(人間ではこうはいかない、ジョセフと承太郎の見た目は違わなければならない)。
以上をまとめると、けものフレンズは「動物は世代が変わっても見た目が変わらない」という無意識の直感を利用することで、異なる時間帯に同一のキャラクターを擬似的に配置してパラレルワールド的なメディアミックスを行ったことがわかる。いわば動物要素によって時空移動装置を再現したわけだ。動物というテーマを利用した高度なギミックが気付かれないうちに仕込まれていたと思うと、これはなかなか凄みがある話ではないだろうか。

補足137:2章と3章の関係について
池田さんから指摘があった通り、2章と3章の内容は密接に関係している。大きな物語の崩壊に伴って、旧劇と学園エヴァ系のように整合しない複数世界が構築されるようになるというのが3章の論旨だったが、このとき世界が変動してもシンジというキャラクターは完全に維持されていることに注目したい。世界の変動に対してキャラクターの存在は非常に頑健であり、矛盾した世界においても同じコンテンツである限りは基本的に同じキャラクターが存続する(というか、キャラクターが変わったら別のコンテンツになってしまうという方が正しいのかもしれない)。これはそのまま2章におけるキャラクターの世界移動可能性と接続する。
また、2章から議論を繋げることも可能である。2章においては物語の陳腐化・マンネリ化が戯れるキャラを生み出し、世界との接続が緩いキャラは世界間を自由に移動するという形で世界の複数化が進行したのだった。このとき、原因である物語の陳腐化という事態は大きな物語の崩壊と相同な現象として捉えることもできる。つまり、そもそも大きな物語を必要としない世代が登場したことで、整合性を大切にするクラシックな物語の需要が減ったということ。

・補足138:シュタゲについて
シュタゲは岡部の視点で見ればリーディングシュタイナーによってストーリーの一貫性が保たれるので、整合性を持たない複数世界を探索するアドベンチャーの例としてはあまり適切ではないのではという指摘を受けた。その通りだと思う。他に例として挙げたYU-NOやプリズマティカリゼーションは主人公は記憶を保持せず(世界が変わると記憶もリセットされる)、主人公視点でもストーリーが一貫しないのでそっちの方が論旨には沿っている。シュタゲを使ったのはメカニズム化したデータベースを扱ったものの中で一番知名度が高そうなゲームだからだが、確かにその辺は微妙だった。

・補足139:美少女ゲームについて
基本的にアドベンチャーゲーム全般はマルチエンドを単一世界上に整合性を保って配置することができないのだが、とりわけ美少女ゲームの場合はそれが心性にまで食い込むのが問題になる。というのは、各ルートではそれぞれのヒロインと恋愛をしておきながら、全体的に見れば複数の女性と付き合っていることになるからだ。そういう行為は普通は浮気と呼ぶのだが、しかし、各ルートを順番にプレイするプレイヤーにその自覚はまずない。ローカルには一人のヒロインとの純愛だが、それはそれとして、グローバルには複数のヒロインと浮気をするという異常な構図に無自覚であり……(続きは参考文献4へ)

◎参考文献
4.『動物化するポストモダン東浩紀、2001
主な種本。前にも書いたけど、ポストモダンについての記述は薄いのでそれは別途で学んだ方がベター。講義で話したような内容をベースにして人間性の変化について論じるという主旨だが、今回はそこまで喋ってないので興味がある人はどうぞ。

5.『知った気でいるあなたのためのポストモダン再入門』高田明典、2005
タイトル通りの内容で読みやすいのでオススメ。

☆4章:ミクロ物理系における適用
◎目次
・やたら好まれる量子力学用語
・ミクロ物理系とは
コペンハーゲン解釈
・エヴェレットの多世界解釈

◎補足
補足140:多世界解釈の物理学的な優位点について
わざわざコペンハーゲン解釈に対抗して多世界解釈を持ち出すのは別にSF的に面白いからじゃなくて、物理学的な優位性もちゃんとある。具体的にはエンタングルした量子における物理現象の非局所性の回避……という話が参考文献6の本に書いてあるので興味のある方は参照してください。

◎参考文献
6.『量子力学の解釈問題―実験が示唆する「多世界」の実在』コリン・ブルース、2008
多世界解釈派の本。ちなみに今回の話で興味を持ったとしても量子力学をちゃんと学ぶのは費用対効果がイカれるのであまりオススメしない。数式の出てこない一般書を読むくらいでいいと思う。

7.『量子論はなぜわかりにくいのか 「粒子と波動の二重性」の謎を解く』吉田伸夫、2017
他の派閥の本も一応。ほんのちょっとだけハルヒとかにも言及してたけど、本当にちょっとなので別に読まなくてもいい。

☆5章:物語と様相論理学
◎目次
・物語における可能性と必然性
・様相とは
記号論理学から様相論理学へ

☆6章:可能世界論の起源
◎目次
・神学とは
・概念装置としての神
ライプニッツの提唱

☆7章:可能世界論と様相
◎目次
・様相論理の問題点
・可能性と可能世界の再解釈
発想の転換:可能性から可能世界へ
・数学的な表現の確認

☆8章:可能世界論の応用
◎目次
・様相を織り込んだ正確な物語イメージ
・物語性と虚構性の分離
・反実仮想と最小離脱法則

◎参考文献
8.『可能世界・人工知能・物語理論』マリー=ロール・ライアン、2006
この講義はひふみさんにこの本を説明しようというところからスタートした。内容的には8章に相当するのだが、その前提になる5章と7章の議論がそれほど丁寧に行われないのでやや難しい。というか、俺も今回読み直したけど、事前知識ゼロでこれを理解するのはほぼ無理。前に軽率にオススメとか書いてすいませんでした。

9.『改訂版 可能世界の哲学 「存在」と「自己」を考える』三浦俊彦、2017
7章の議論に相当。内容は充実しているが説明が丁寧なので、初手から読んでも大丈夫なはず(これは本当)。もしこの本を読んで躓くとしたらそれは記号論理学が全くわからないケースだと思うので、その場合は大学一年生向けの記号論理学入門みたいのを何か一つ読むかネットで調べてください。