LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

4/28 声が低い子供キャラはマジモン

ひなこのーと/子供キャラの声

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二話の幼少期ひなこ、三話の迷子キッズの声がマジっぽいので調べてみたら、二人ともわざわざ本物の子役を起用していたらしい。

アニメの子供キャラには佐倉綾音みたいなタイプのキンキンした高い声が割り当てられることが多いが、実際の子供がそんな声を出すことはまず無いので、高い声だと(驚いたときに目玉が飛び出す表現と同種の)記号的・演劇的なフィクション特有のリアリティに欠ける表現だと感じてしまう。
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赤が成人声優が演じる子供ボイスで、青が子役が演じる子役ボイス(の俺のイメージ)。縦軸が音の高さ、横軸が時間。

リアリティのある子供(子役)の声はもっと低く、淡々としている。
より正確に言えば、声に弾力性が無く、テンションが上がりきらない。例えば気持ちが昂ったときや驚いたとき、演劇的な表現では声が裏返るくらい上に跳ねるべきなのだが、本物の子供の声は大して上がらず、棒読み気味の発音になる(子役の声は全体的にも棒読み気味のことが多いが、それは現場としても子役に作った声は求めておらず、地声で演技することが了解されているのかもしれない。知らんけど)。

大人の声優が子供の役を演じるときに子供特有の弾力に欠ける声を出すことは滅多になく、それは技術的に不可能なのか、それともやろうと思えば可能だが、現場から演劇的な高い声を要求されるからのどっちかなのかは気になるところではある(ハードの問題なのかソフトの問題なのか)。
前に見たロリ系R18同人ゲームで「本物の子供の声はそんなに高くありません、声優と協議して声の低さにこだわりました」と主張しているものがあって、「お前めっちゃわかっとるやんけ」と思った記憶があるが、タイトルを覚えていないので知っている人がいたら教えてほしい。

・20歳の自分に受けさせたい文章講義


一年前くらいにTwitterで話題になったときのfavを今更発掘したので読んだが、かなり良かった。
今まで文章関連の本は「悪文 第三版」を勧めていたが、読みやすさが段違いなので、こっちを先に読んでもっと知りたかったら『悪文』という順序の方がいいだろう。『悪文』は内容も多いので数日がかりだが、『20歳の~』は最速30分くらいで読める。

俺が文章について常々思って書き溜めたり飲みながら喋っていた内容と本の内容がかなり被るので、いい機会だし感想という体でここに残しておく。

補足11:なんだか優勝レシピが公開されたあとに「俺も同じ構築使ってたw」と後出しする賢者のようなので一応言っておくが、これは別に「俺でも書ける」というアピではなく、そういう俺のあやふやな着想をちゃんとした実績と体系(と作者は自称するが、それは流石に言い過ぎな気もする)にまとめた本なのでオススメという趣旨。

・情報と信号を区別しろ
三週間前くらいに書いたフィクション生成のエンコード/デコードモデルの話は、最初に書いた段階では文章のエンコード/デコードから来ていた(二式の没記事参照)。
文章とは「意味内容」が「変換」されて「文字列」になって伝わる一連の過程であるから、よくわからない文章があったときに、エラーが「意味内容」→「変換」→「文字列」のどの段階にあるかで対策も変わってくる。元々の意味内容が破綻しているのを丁寧に変換したところで読めるものにはならないし、逆に元々の意味内容がきちんとしているのに伝わらない場合は、変換か文字列の方に問題があるだろう。
『20歳の~』では、ここで言う「意味内容」「変換」が「ぐるぐる」「翻訳」という単語で示されている(ニュアンスは完全に同じではないかもしれないけど)。

・レトリックは要らないから正確に書け
「正確に書け」というのは説明文では当たり前なのだが、飲食レビューや物語文でも概ね同じだ。
レトリックを盛って自己陶酔している文章があまりにも多すぎる。スラングや褒め殺しを読んだところで魅力は伝わってこない。「素敵」「素晴らしい」とか情報量ゼロの修辞を書く暇があったら、五感情報を可能な限り正確に描写してほしい。修飾するならその後である。
肉が「素晴らしいまでに柔らかい」というのは、前歯で抵抗なく切れるレベルなのか、それとも舌で押し潰せるレベルなのか?スパイスが「恐ろしく強烈」というのは、ワサビ系のピンとくる感じなのかそれとも七味系の拡散する感じなのか、舌に余韻はどの程度残るのか、胃にまで攻撃してくるタイプなのか?
この正確さへの欲求というのは、俺がアスペだからそう思うだけで一般的には修辞が十分に魅力を表現するものなのかもしれない……という懸念もあったが、『20歳の~』にも「主観は客観の後についてくる」ということが書かれていてちょっと安心した。

・単一情報と文脈を明確に区別しろ
一つの文にはほぼ常に二重以上の文脈が含まれている。一次的な情報の上に、「何故その情報を提示したのか」というメタ情報が常に乗ってくるからだ。
例えば、俺は前回「イワヤマトンネルでうろちょろしているとレベルが上がる」という話をしたが、これは「コンシューマーゲームでは無限レベリングが可能である」という話の具体例を示すために書いたのだ。もしこれが「手持ちのイワークのレベルを効率的に上げるにはどうすればよいでしょうか?」という質問に対して答えるために書いたものだとすれば、全く同じ文章が全く違う文脈を持つことがわかるだろう。

「文脈を伴った情報が多重化する」と言うとなんだか大仰な話に聞こえるが、実際のところ、日常会話のレベルであっても発信者の側が文脈を持たないということはまずない。「何故その話をするのか」が自分でもわかっていないようなことを唐突に喋り出すのであれば、それは連合弛緩や観念放逸のような思考障害の疑いがあるわけで、ふつう、人は自分が喋っている内容の文脈を理解している。
しかし、実際には文脈が伝わらないことも少なくなく、このときの問題は伝わり方や受け取り方の部分にあることが多い。特に……

次回に続く。