LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

4/11 作品内の自由意志とは

・お題箱2

5.サイゼブログに対抗して墓場ブログでウンコしようと思う
サイゼリヤと墓場と、あとユニクロ出来たら衣食住が揃いますね。

6.フレームアームズ・ガールの主人公にアイコン変えますか?
三話くらいまで様子を見てから考えます。
ちなみに前期はガヴリールのアイコンを作る予定だったんですが、アニメが面白くなくなって萎えてるうちにそのまま終わりました。

・作品内の自由意志について


フレームアームズガールから派生した話題だったのだが、四女神オンラインのネタバレを含んでしまった(が、今回はネタバレ部分まで辿り着かなかったので追記扱いにはしていない。ネタバレ過激派の人以外は多分読んでも大丈夫だと思う)。

とりあえずフレームアームズガール第一話の動画を貼るので見てください(本当は全部見てほしいんですけど、記事的には~6:00で十分なので、余命残り6分の人はそこまででいいです)。

見た?

3:55あたりから轟雷を開封したアオが「最近のオモチャって凄いね~」「会話スムーズ~」と言っており、(少なくともこの時点では)アオは轟雷は自動応答プログラムのようなものだと考えていることがわかる。

このシーンでは視聴者とアオの間には微妙な認識のギャップがあって、視聴者は「轟雷はアオが考えているような無機質なプログラムではなくて、自我を持つキャラクターである」と直感し、アオの発言に対しては「それは違うぜ」というツッコミをしているはずだ(ここは感覚的というか無根拠な話なので、この時点で「いや、轟雷は5:38で自称する通りAS(=AI)であって自律的に喋っているわけではない」と感じる人にはこれ以上説明できない)。

堅い言い方をすれば、視聴者から見て轟雷は自由意志を持つ一方、アオから見た轟雷は自由意志を持たない(少なくとも、冒頭5分の時点では。Bパートに入る頃にはアオは轟雷には普通の友達のように接しているし、二話以降もずっとそのままだろう)。

ここでいう自由意志とはわりとストリクトな意味であり、「哲学的ゾンビ」「クオリア」といった話題を扱うときに持ち出されるものと同じと考えて差し支えない。
つまり、轟雷について「自由意志がない」とは無機質なプログラムによって自動応答しているのがたまたま意志を持っているように見えている状態、「自由意志がある」とは(あなたが今そうであるように?)内部意識を持っている状態を指す。

ただし、「作品内で自由意志を持つか」とは、

・「作品内で本当に(自然科学を超越して)自由意志を持っているか」
・「作品内で設定上自由意志を持っているか(設定として人間か機械か?)」
・「作品内でどういう扱いを受けているか(人間扱いされているか?)」

のいずれともそれぞれ微妙にニュアンスが異なる。
「我々にとって、その者は作品内で自由意志を持つ者として扱われるのが妥当と思われるか」というのが最も正確な表現であるが、これだけではわかりにくいだろうから、図を使って説明しよう。

通常の意味で「人間が自由意志を持っているか」という疑問を立てたとき、想定する状況を図にしてみる(本当は自由意志ではなくクオリアを扱いたいのだが、親しみのない人にはわかりにくいだろうし、話の流れ自体は全く変わらないので、このままいく)。
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外見上は自律しているように見える人間に対して、本当に自由意志があるのかを問う(Do you have free will?)、ありきたりな構図である。

しかし、人間ではなくキャラクターに対してこれを適用しようとするとたちまち問題が生じてくる。
何故なら、物理的には電気的に・紙面上に構築された物質であるキャラクターたちが自由意志を持っているわけはないからだ(強弁することもできなくはないが、通常の認識からはかなり外れた主張になるだろう)。上のような図に当てはめて"have?"と聞いたところで、"NO"以外の返答は有り得ない。

よって、図式を少しだけ工夫しなければならない。
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こうだ。

左側にいるのが「対象にしているキャラクター」、右側にいるデカい人がアニメを見ている我々のような「オブザーバー」、オブザーバーの頭の中にいるのが「脳内で形成されたキャラクターのイメージ」である。
キャラクターそれ自体ではなく、我々が脳内に構築したキャラクターのイメージに対して自由意志があるのかどうか問うことにする。

本当に何でもいいのだが、誰か適当にキャラクターを思い浮かべてほしい。
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この画像自体は数千kbの電子情報だが、我々がこれを脳内に取り込んだときには、この女の子は笑った表情を取ることも可能な一人の女の子のイメージとして定位されるはずだ。電子情報ではなくそのイメージに対しては、この女の子は(なんか混乱してるし)自由意志を持つ存在だと言って差し支えない。

このとき、イメージを取り込むオブザーバーは現実系の我々でもいいし、物語系の(対象とされているキャラクターとは別の)キャラクターでもいい。現実系のオブザーバーは作品外、物語系のオブザーバーは作品内にいることを鑑みて、前者を「作品外から自由意志を持つ」、後者を「作品内から自由意志を持つ」と呼ぶことにしよう。
先程の轟雷の例で言うと、我々が脳内に取り込んだ轟雷のイメージは自由意志を持つが、アオの脳内に取り込まれた轟雷のイメージは自由意志を持たないので、自由意志は「作品外:有 作品内:無」ということになる。

作品内/外という二軸について自由意志の有/無という二値が存在するため、自由意志のありようについては全部で4パターンが存在することになる。
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それぞれについて解説していこうと言いたいところだが、実は1と4のケースは解説するまでもない。

1は血肉を持つキャラクターほぼ全てが入る。妙な設定が付いていない限り、普通に生きているキャラクターはブラックジャックピカチュウもマリオも、全て作品内/外で自由意志を持つだろう。
逆に、4には無機物全般が入る。というか、作品内/外で自由意志を持たないものはそもそもキャラクターとは呼ばないかもしれない。草木や石ころ以外に強いて挙げるとすれば、ジョジョのスタンドはキャラクターっぽい見た目をしているのに自我を持たないので、性質が近い(ホワイトスネイクやエコーズAct3のような特殊なスタンドを除く)。

分類が自明な例を扱っても仕方がないので、以降はやはり轟雷のように血肉を持たない、ロボット絡みのケースを扱うことになる。
更にいくつか例を挙げていく。

まず、火の鳥のロビタたち(復活編ではなく、未来編のロボット形態)について。
ロビタは人間の記憶と精神をロボットに移植したものが大量生産された存在であり、作品外から見て彼が自由意志を持っているのは明らかである。
しかし、作品内では彼らは意識を持たない人工知能として使役されている。よって作品内では自由意志を持たないものとするべきかもしれないが、そういう扱いを受けているのはただの誤解によるところが大きい。ロビタはモノローグという究極の内部意識を行使しており、作中でロボット扱いされるのはただ単に情報不足であるような気もする。
よくわからない。1と2の間くらいにいる気がする。

次に、紅殻のパンドラクラリオンについて。
クラリオンは更に微妙な例だ(どちらかといえば、「記憶と精神を移植された」という設定のロビタの方がロボットとしては特異なのだが)。
作品外部から見たときには、どちらかといえば自由意志があるものと考える人が多いような気がするが、断定はできない。この先、完全に電気的なプログラムで動いていたことが明かされたとしても特に矛盾を生じないし、どちらにしても決定的な証拠はない。
作品内部から見たときも、同じくらいよくわからない。主人公の七転福音だけはクラリオンを親友として扱うが、他の登場人物は全員がクラリオンをロボットとして扱っている。福音の頭がお花畑なだけとも取れるし、福音以外は見る目がないとも取れる(言うまでもないかもしれないが、全身義体の福音は1である)。
よくわからない。1から4までのどこにいてもおかしくない。

で、メタ性も絡むもっと面白い例が四女神オンラインであったので、それについてはまた次回。