LWのサイゼリヤ

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18/5/14 完全な社会とVRchatについて補足

・お題箱38

59.おかずは二次元ですか?三次元ですか?
8:2で二次です。

60.固有名詞としての社会と一般名詞としての社会のくだりで、VRchatの社会は完全でないという話がありましたが、人と人が関係性を持って何かしらの文脈を築いているならそれは社会(例えば家族や学校のクラスもそれ単体で社会と言える)だし、完全も不完全も優も劣もないのではと思ったんですけど、ここでいう完全性とはどういうものなんでしょうか? 今後もVRchatの社会が曖昧なままである(というか曖昧という形で完成する)可能性もあるのでは?
非常にもっともな疑問です。
未定義の言葉で書いた文章だったので、今からちゃんと補足します。別に専門用語とかでもなくて、誰にも通じない自分語をめちゃ適当に使ってすいませんでした。

VRChatについての文脈で言及した社会とはシステムや制度とほぼ同義であり、対置されるのは個人の興味や目的や信条です。
よって、僕にとって「社会が完全に回り始める」とは、個人の合目的的性を全体の制度が凌駕することを指します。構成員が自らの興味に紐づいていない行為をするようになり、個人レベルで見て目的から遊離した行為だけの世界が維持され駆動していることが確認された段階で社会は完全になります。

これだけではあまりイメージが湧かないと思うので、人間集団の発展段階みたいな話をします。
とりあえず、社会より前の段階として人が集まっているだけの何かしらの集団があるとしましょう。あまり多くても少なくても大変なので、精々5人くらいで。VRChatとかボードゲーム会とか何でもいいんですが、「作業用Skypeグループ」という例に何度か代表してもらうことにします。

こういう集団って設立当初は「集団の目的」と「個人の目的」が一切のズレなく完全に一致しています(というか、個人の目的に合わせて集団が作られたので当たり前なんですが)。
作業用Skypeグループで言えば「作業中の気晴らしに使う」という集団の目的と「作業中の気晴らしに使いたい」という個人の目的が重なっており、全メンバーが無秩序に好きな時間にSkypeを繋いで適当に話したり話さなかったりして十分機能している段階です。各個人から見て自分の全ての行動が直接的に自分の欲求に直結し、全時間を自分のために使うことができます。この段階の集団って、社会というよりは「たまたま目的が一致した自由な個人の集合」って感じです。

しかし、こういう社会以前の集団の空気感は大抵は長く続きません(集団の規模を拡大する場合は特に)。「集団の目的」と「個人の目的」が必ずしも一致しない事態、すなわちルールが必要とされる段階が大体どこかで来ます。
ルールができる理由は

・そのルールがあった方が都合が良い人が多い
・規模的に必要になった
・階層的に必要になった
・ルールを作りたがる頭のおかしいやつが現れた(←最悪!)

とか色々あります。
作業用Skypeグループで言えば、人数が100人とかになってくると(100人規模の作業用Skypeグループに参加したことがないので適当に想像で書きますが、)回線が重くなるから喋らない人はマイクを切るとか、どういう人がいるかわからないから黒人の悪口は言わないようにするとか、明に暗にルールが発生することは想像に難くありません。

そういうルールが発生すると一気に集団が社会っぽくなってきますね。僕みたいな社会不適合者は多分20人くらいの段階でドロップアウトしていそうですが、今はルールが堅苦しいとか窮屈とかいうことを言いたいわけではありません。
重要なのは、ルールはその存在自体が集団の目的と個人の目的が合致しなくなったことを示す一つのメルクマールであるということです。もしそれらが完全に一致しているのであれば、ルールなんて作らなくても個人も集団も問題なく動作するわけですからね。そういう意味で、ルール的なシステムや制度が発生するということはただちに個人が直接には目的としていない行動を強いられるようになるということを意味します。
マイクを切りたい!!!という目的意識を持つ人がいない以上、マイクを切っておくというのは制度的な要請による自分の目的から外れた行為ということになりますし、(黒人の悪口を言いたい!!!というわけではないにしても)黒人の悪口を言いたくない!!!という信条の人もそういませんから同様です。

こうしてルールがエスカレートしていけば、個人の目的や興味がほとんど介在しない集団の目的(ルール)が支配的な世界、制度の塊に到達するのはそう遠くありません。僕からすれば個人の興味から直接くっ付かない行為は全て制度による行為ですから、明日家を出てから行うところの「家の鍵を閉める」「赤信号では止まる」「改札に定期を通す」「電車が来るのを待つ」「公道でオナニーしない」あたりは肯定形・否定形問わず全てが制度によるものです。目的から遊離した制度システムが駆動しているというニュアンスはこれで伝わったでしょうか。

VRchatについての話に戻ります(前々回から当該箇所を引用します)。
VRchatを愛好するタイプの人間はバーチャル領域を拡充することに積極的であり、バーチャル仕事やバーチャル食事やバーチャル睡眠ということを半ば冗談で言うのだが、そうやって一定数の人生がバーチャルワールドに移ったとき、彼らは現実ではないが完全な一つの社会に行き着くことを是としているのだろうか?
俺は3に寄っているので(完全にではない。俺よりも徹底して3であるタイプの人間も多い)、VRchatのことをもう少し冷ややかに見ている。バーチャル社会が魅力的な気がするのはそれがバーチャルだからではなく完全な社会として成立していないからであり、コミュニケーションに対しても同様だ。
「完全な一つの社会に行き着く」というのはルールが支配的な世界に至るという意味です。生活の空間をVRchatに移せば移すほど自身の興味から発生したのではない行為を行わしめる制度が増えるのは明らかですから、それを指して社会としての完全度を増していくと表現しました。

ここで言いたかったのは、少なくとも僕の社会不適合な目線から言って、社会が現実のものかどうか(=肉体がある世界のものかどうか)っていうのは別に大して重要ではなくて、未発達故に完全度が低い(=ルールが生まれる必要がなく自由に振る舞える)からVRchatは楽しいだけなんじゃないかということです。下手にVR空間を広げて現実社会のパロディを作るのは方向性として間違っていて、この未成熟故に自由な状態をどう保護するのかを考えた方がまだいいんじゃないの……って感じですね。

まあでも、現実社会を好まない割には社会一般を好んでいないわけではない奇特な人が結構いるようにも感じていて、彼らにとっては現実社会のパロディでも満足いくわけですから、そういう人たちを指すために「固有名詞の社会を好まないが、一般名詞の社会ではこの限りではない」類型についても言及しました。

補足130:「一切の社会的ルールから独立した、本当に個人的な興味などというものは存在するのか?」「個人的な興味に基づかないことがルールによることであったとして、個人的な興味を明確に定義しない限りトートロジーに陥るのではないのか?(ここまでの情報だけでは個人的な興味=ルールに基づかないと定義されかねないので)」という反論は有り得ますが、これは社会契約スケールではなくSkypeグループとかLINEグループスケールの話であるという言い訳で回避します。
一切の社会を経験したことのない人間がいかにして初めてのルールを知るかという話ではなく、とりあえず現状として現実社会や自分というものを知っている人間が(比較的小規模な)別社会にどう参加するかという話です。

・更新用画像を貼るための刀使ノ巫女感想

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戦闘描写に気合いが入っている雰囲気はあり、1話あたり1秒くらい人間戦闘の理想形に近いと言ってもいいくらいの動きをすることがある。そのシーンは本当に鮮やかで、多分本物の剣術のモーションを参考にしてトレースしていたりもするんだと思う(知らんけど)。
実は人間同士の戦闘って未だにアニメで上手く扱い切れてないというか、ロボットアニメの戦闘に比べて水準が低いように感じることが多い。RWBYみたいなもの(列車内のニオvsヤンがLWベストバウト)をアニメ作画でもバンバンやるべきだと俺は思うんだけど、俺が思っている以上にコストがかかるのかもしれないし、俺が好むバトルスタイルがそれというだけでマジョリティはそうでもないのかもしれない。

で、刀使ノ巫女の戦闘はたまに一瞬だけ奇跡的に格好いいんだけど、それ以外の戦闘パートは全て完全に外しているので、格好良さを見る難易度が異様に高い。
基本的にはキャラが水平直線移動したりガシャガシャうるさいクソダサスーツを着用したり(考えたやつのセンス本当に狂ってると思う)いかにもクソアニメですって感じの戦闘だから、集中して見てないと奇跡の1秒を見逃してしまう。
しかも、リアルの何かをモデルにしているちゃんとした流派剣術を使うキャラクターと、5メートルくらいある剣を振り回す漫画剣術を使うキャラクターが共存しているので、前者の正統派描写が目立たない。
あと、たぶん凄いことを外連味なくサラッとやるので非常にわかりにくい。三段突きとか巻き上げとか相当高度な剣術描写をコンマ5秒くらいで何のエフェクトもなくやって、しかもそれが伏線で後のカウンターに繋がったりするんだよね。俺は「今凄いことをやったはずなんだけどよくわからない」と思ってニコニコでの最新話放送に確認しに行くことがよくある(刀剣オタクが解説したりコメントで触れていることがあるため)。

脚本もそういうところがあって、勢力が入り乱れる様子とか善悪が固定されてない雰囲気とかちゃんとやれば面白くなりそうなのに、キャラを動かせばいいようなシーンを立ちっぱの駄弁りで終わらせてしまうから盛り上がらない。攻防共にポテンシャルは高いのだが、名作のなりそこない感あり。
何話か忘れたけど薫がキャプテンの回は面白かった。キャラが非常に可愛いため普通に動けばそれだけで楽しくていいと思う(浅)。