LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

18/1/2 2017年良かったコンテンツ・放送アニメ編

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feathさんに言われて2017年メディア別良かったコンテンツを書こうと思ったんだけど、全然終わらなくて年も明けてしまったので何度かに分割します。

プリンセス・プリンシパル


女の子しか出ない萌えコンテンツの分類を前にしたんだけど→、俺はこのうちで消極的に女性キャラクターを選択した勢力なので、その文脈に沿った作品であれば評価が高くなるしそうでなければそうでないというだけで大体の話は尽きる。女性主人公ものが氾濫する昨今でも「女性主人公ではあるが女性主人公でなくても質が高い」という転倒した要請を叶えるコンテンツはそう多くはなく(少なくもない)、その中でもプリプリほどのクオリティがあるものは貴重。

補足104:話の筋として本当は(女性主人公という点を抜きにしても)プリプリが面白い!という話をしなければならないのだが、俺はそれを発信することに興味がないし皆の感想とそう違うこともないだろうから省略いたす。

女性主人公ではなくもう少し百合に寄った視点からコンテンツを箱に入れ直すと、最近よくある現代型の百合ものは

1.女の子2人をベタベタさせるというルールに従ったもの
2.徹底したキャラクター主導の結果発生したもの
3.ヘテロとしても完成していた作品の主人公を百合に替えたもの

の三つにざっくり分類される(排反な分類ではないので抜けも多いが)。
1は桜Trickやきらら系、2はソシャゲ派生全般(参考→)、3はプリプリが該当すると思うけど、完全に分かれるわけでもないし人によってもまちまちかもしれない。

こういう分類に関連してそもそも何故百合が必要とされるのかを考えたとき、「男女では表現出来ないことを同性愛でやらせる」っていうモチベーションもかつてはあったと思うんだけど、その時代は今まさに終わりつつある。
話題の導入としては、ユリ熊嵐のガイドで幾原監督が言っていたことがわかりやすい。

今、男女のキャラクターで恋愛を描くのは難しいと思う。
「愛」ということ自体が、男女の関係で描こうとした途端に、もう「ネタ」じゃないですか。

俺の解釈が幾原監督の意向と完全に合致しているかはわからないけど、アニメってある意味ではドラマとか映画以上に恋愛脳なところがあるでしょう。アニメは記号がベースだから「見た目が眉目秀麗である」「存在が特権的である」というような恋愛の種に使えるモチベーションを最初にキャラが画面に映った瞬間から強く提示してしまって、一目惚れとか好き合うとかいう事態に発展するまでの文脈的な余白がほとんどない。ジャンル自体が恋愛ものならともかく、そうでなければ「自明な文脈=ネタに回収されないポジティブな人間関係」を男女で描くことがほとんど不可能になってしまう。
そんな状況で繊細な「愛」を描くことはできないけど、まだ恋愛の文脈に侵犯されていない百合という舞台であれば扱えるのではないかという、まあそんなところだと思う。

愛っていう単語がファジーな上に俺は社会不適合者だからイマイチ説得力がないけど、同性愛を使わないといけなかった(いけないとは言わないまでも同性愛で書く方が効果的だった)例としてエヴァまどマギもそこに入るはずだ。

ただしこれって「(異性愛と違って)同性愛はネタじゃない」ということが大前提になければいけなくて、どう考えてもその前提はもう破綻している。
それどころかいまや状況は完全に逆転していて、距離の近い女性キャラクターが二人いれば(男女がそうであるように)好き合っているという認識はアニメではそれほどおかしくない。これは別に俺が百合脳だからという話ではなく、きらら系萌えアニメでは男女が恋愛するブレンドSの方が例外だし、タペストリーでもアンジェとプリンセスは事後になってるし、百合系ファンアートの数については俺の観測範囲の問題を脇に置いて多いと言ってしまって良いはずだ(その原因まで探っていくことは今はしないが、その端緒にキャラクターの権力増長があるとは思っている)。

百合がネタ化したことで、かつて百合が持っていたと思われる「人間関係の自明さへのアンチ能力」みたいなものはもう機能しなくなった。
良いか悪いかで言えば能力を失っただけなので良くはないのだが、まあ俺はこれからも女の子同士が比較的自明な関係の中で仲良くしているところを見てニコニコしているんだろう。それにこれはマジックのメタゲームみたいなもので、流行れば定型やそれに基づく了解ができるのは自然の成り行きだ。次は性差以外の因子がその役割を担うものとしてメインストリームに出てくるのかもしれないし、別に何もなくアンチ能力自体が忘れ去られるのかもしれないが、それに注目しようという気にもあまりならない。

・フレーム・アームズ・ガール


多分2017年のサイゼリヤで一番喋ったアニメ。放送時期に色々書いたのでそっちを読んでほしい。
でもこの作品について喋っていたというよりはこの作品をダシにしてあんま関係ないことをダラダラ喋ってただけのような気がするし、そもそもこういう作品レビューみたいなやつに俺は向いてない……向いてなくない?
戦闘パートの一部とフレズ周りはちょっと時間を取りすぎていたような気もするけど、序盤のコメディパートはギャラクシーエンジェル級に優れていたと思う。さっきの話題風に言えば、「そもそもクオリティの高いコメディを女性主人公化したもの」と呼べなくもないか。

ガヴリールドロップアウト


これもよく話題に出した気がする。
一番設定的な絡みの薄いラフィエルとヴィーネが二人で喫茶店に行く回をかなり早い段階で作ったのを見て「このアニメ、、、できる!」って思ったんだけど、今思えばそこがピークだった。
多分このアニメはアニオリによって悪い意味で定型化したアニメなのではないかと疑っていて(特に10話以降)、俺の予想では原作のガヴリールはもっとドライに寄っているはずだ。いつか原作と見比べてうかみverの世界ではどうなっているのかをちゃんと調べないといけないと思っているのだが、放送終了から九ヶ月経った今もやっていない。