LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

19/10/8 お題箱回

・お題箱55

97.小規模サイゼリヤがオープン企画になるのであれば是非参加したい(といってもLWさんとほぼ面識ないですが…)

現状ではオープン企画にする予定はありません。お客さん(ゲスト)へのバリューが保証できないからです。
今かなり手探りでやっていて内容も場所も毎回探しているような状態なのですが、回を重ねるとピシッと洗練されていくのかというと恐らくそうでもなくて、このまま緩い状態を維持したいと思っています。「緩い」というのは雰囲気ではなく「全参加者に責任が伴わない」という意味です。それって「全参加者にバリューを保証しない」ということと裏表でもあって、究極的には「誰も責任ないから今回誰も何もやってないんで何もバリューないけどまあいいか」で許される、理念的には駄弁り場的な会合です(まあ、そこまで極端なことにはならないと思いますが……)。
ある程度責任とバリューがあるピシッとしたオープン企画は恐らくYubit映研(Fordさんたち)とやるので、それとの差別化という意図もあります。なので小規模サイゼリヤでは発表者と参加者が分かれておらず、全員に発言権がある座談会形式になっています。カードゲーマー風に言うと、CSではなく調整会みたいな感じです。
そういうわけなので場所も内容もクソかもしれないけど、それでも良ければ小規模サイゼリヤ用のLINEに入れておくのでTwitterでDMを送ってください。お題箱に投書してくれるくらいモチベーションがある人は是非歓迎したいです。
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98.信頼出来るオタクの友達ってどうやって増やせば良いんですかね…

難しいですよね。
僕も好き語りや設定考察以外の批評的な語り方に興味のあるオタクを探して大学のオタク系サークルを結構回った過去があります(一部は現在進行形です)。結構どこでも話せば面白がってくれる人はいるというか、別に排斥されるようなことはないんですが、僕が欲していたのは積極的に新しい知識を取ってきてディスカッションできるようなコミュニティで、結局ニーズに合うサークルを見つけることはできませんでした。愛好会は無数にあるんですが、研究会がありません。それで最終的には何年も前から仲が良かった人たちのところに戻りつつあります。小規模サイゼリヤを始めたのも、大学でサークルを探すのは諦めたからという側面があります。
一般化は出来ないと思いますが、完全に個人的な経験則としては未開拓の地を探すのってわりと無謀で、確実にある足掛かりを深めて広めていくようなやり方の方がベターだなあ~という教訓はあります。でも最初からチャレンジしないよりはした方がいいと思いますし、結論は出ません。

99.ちょっと古いですが京アニの事件の実名報道の是非について書いて欲しいです

そもそも京アニ放火事件にあまり興味が無いです。アフリカの子供が死ぬのと同じくらいの手触りしかなくて、考える以前の基本的な関心がありません。
だから思想的には是非のどっちに与する気もないんですが、実践的なレベルで思うこととしては、利益を求めて行動する報道機関に対して倫理的な見地から批判してもそれが直接ストッパーになることは無いと思います(利益は倫理より強いので)。人道的な共感が十分に集まったら、次はそれを利益を破壊するような運動、例えば不買運動とか制度設計に繋げていくべきです。そういうムーブメントの方向付けは誰がやるのか、あるいは今誰かがやっているのかはわかりませんが。

100.ブラックジャック辺りの古い作品を見たりしますか?

漫画は読みますが、古いアニメはそんなに見ないですね。たまに押井守のVHSを借りたりはします。
アニメ史には詳しくないので非常に雑な語りになってしまうんですが、1クール深夜アニメを量産して質より量で勝負みたいになってきたのってかなり最近のことで、昔のアニメって割と年単位でやってませんでした? とにかく話数が多い印象があって、それでハードルが高いところはあるかもしれません。

101.以前のツイートで「呪術廻戦」に触れられていたと思うのですが、是非LWさんの評価が知りたいです

まだ巻数が少ないので、現段階で評価したいことは正直特に無いです。
一読者としての展開への希望として、ユウジにスクナと和解してほしくないっていう気持ちは結構強いです。初期設定では非常に敵対的で一歩間違えれば殺されるっていう緊張感があって、「不服ではあるが一心同体だから力を貸してやる」みたいな安直な協力展開にはなってほしくないですね。そういう力を合わせる系のバディものって結構見飽きててあまり発展性が無いように思うので、殺伐とした関係を大切にしてほしいです。

102.アニメ鑑賞や読書をする際に、話の本質を見抜くために意識してる事などはありますか?

言葉尻を捉えるようで恐縮ですが、娯楽作品の本質と、書籍(小説を除く)の本質は別物だと感じます。
書籍の場合は作者が本当に主張したい内容が本質だと思うので、それを理解しようという気持ちで頑張って読みます。最初から全体の文脈を追っていると個々の話題が追いづらいし、逆も然りなので、両方を捉えるために二周することが多いです(個々の話題を理解したあと、それぞれが全体の文脈の中でどう位置づけられるのか理解するイメージです)。
一方で、娯楽作品の場合は本質は一意に特定できないという立場を取ります。個々の鑑賞者の興味や慣習に依存した、ある文脈における本質はあっても、絶対的な本質はありません。その上で相対的な本質を掴むためには、その本質を規定する論点がどこにあるのかを知るために勉強する(主に書籍を読む)のと、自分の中での引っかかりに敏感でいることだと思います。わりとありきたりな結論ですね。