LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

5/13 いやガチャ引くなよ

・お題箱7

12.実際KSU(悪?)はゴールできそうなんですか?

ゴールへの歩みは人それぞれですし特に知りません。
まあでも、人生早期リタイアという目標を共有しているのといないのではモチベも変わってきそうなので、悪の存在はゴールに対してはいい方向に働くような気がします。

・ガチャの確率

最近、ガチャの確率のツイートをよく見るようになった。「当たり確率10%のガチャを10回引いても当たる確率は65%しかない」とかいうやつだ。

これを一般化すると

ということになるらしい。

補足18:1-1/eとか63.2%とか書きたくなるのをグッとこらえて「約2/3」と書くセンスは重要だと思う。

難しい数学の話はともかく、感覚的に10回で当たりが出るような気がするのは仕方ないことのような気がする。
そもそも確率「0.1」という値は、1を10分割したものだ(確率における1とは「all」「全て」を意味する特別な値であるから、ある値に対して「1に比べてどんな数字か」を考えるのは自然な発想だろう)。
よって0.1と10には密接な関係があると予想されるが、確率は1が上限なので、10という数字を適用できるのはもう試行回数くらいしかない。じゃあ10回という試行に何か特別な意味があるような気がしてくるのだが、その結果が65%という煮え切らない数字なのだから、これは直感と著しく反する結果であるような気がする。

そもそも、確率0.1という値は何を示すのか、確率を使わずに日本語で正確に表すのは意外と難しい(少なくとも、浪人していた頃の俺には難しかった)。
つまり、

「くじが当たる確率が0.1のとき、概ね<~~~~~>と言える」

の<~~~~~>の中身を「確率」「%」という言葉を使わずに日本語で書くとどうなるのか(確率は常にブレるため、100%正しいことは言えないかもしれないので、「概ね」という言葉でちょっと誤魔化した)。
冒頭のガチャの話は<10回引くと最低1回は当たる>というワードを入れて調べたものとして言い換えられ、このときは65%しか成立しないので概ねでもまあ誤りということになる。

この問題設定で一番最初に思い付くのはこういうフレーズだろう。

「くじが当たる確率が0.1のとき、概ね<10回引くと1回当たる>と言える」

正しいか?
C_U7lrCU0AAOMZp[1]

全く正しくない。
「厳密にはそう言えない」という引っ掛け問題ではなく、かなり致命的なレベルで正しくない。
実際に計算してみると、確率0.1のくじを10回引いて当たりが1回出る確率は僅か38%しかない。50%にすら届かないのだから、「概ね」すら正しくないと言っていい。

横軸に当たり数、縦軸に確率を取ったグラフを出すと次のようになる。
2017-05-11_214337
1回当たりが一番多いというところまではいいのだが、0回当たりや2回当たりの確率も結構あるせいで、確率が左右に散ってしまっている様子がわかる。

「試行回数が少ないから良くない」と思った人もいるかもしれない。10回というスケールだから運に左右されただけで、もっとたくさん実験すれば確率は収束していくのではという。

ところが、確率0.1のくじを1000回引いて100回当たる確率は僅か4%しかない。試行回数を増やせば増やすほど、n回中n/10回当たる確率はどんどん下がっていく。

これは直感的にも当たり前のことだ。
1000回試すと、当たり100回以外にも当たり99回や当たり101回のようなばらつきがそれなりに発生してくるからだ。1000回中1回分のばらつきが、10回中1回分のばらつきよりも発生しやすいということはなんとなく感じ取れる。

<10回引くと1回当たる>すら嘘となると、いよいよ確率0.1が何を示すのかわからなくなってくる……わからなくなってこない?

こういう定義に近い部分のものごとがよくわからなくなったときは、教科書に戻ってみるのが一番いい。

補足19:教科書を侮ってはいけない。
国の教育システムの根幹をなすだけあって、どこをどう突かれても矛盾しないように頭のいい人たちが頑張って作っている。かの東京大学の入試問題も高校までの教育課程=教科書の内容を逸脱しないという約束になっているので、教科書を完全に習得すれば理論上は東大に満点合格できる。


中学教科書で確率について調べた話は次回に続く。

・ブログのモチベーションについて

俺が誰かに「ブログ書いてくれない?」って言ったとき(最近は常に言ってるけど)、「何のために文章を書くのか」「誰のために書いているのか」的なことをよく聞かれる。のだが、そういうことを真面目に聞かれても俺は答えに窮することが多い。
俺が実際に書いているときの感じはハースストーンをするときに近い気がする。
ベッドに寝っ転がってソシャゲを起動するのって、暇潰しにゴムをビヨンビヨンさせて遊ぶのと同じで、特に目的は考えてなくて、何もしてないよりはマシくらいのモチベーションで吸い込まれていく感じでしょう。
全てが常にああいう感じだとは言わないけど、そういうところがわりと大きい。