LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

4/13 自由意志とかバイバイ人類三巻

・続き/自由意志について


(四女神オンラインの話の続きは追記)
ネタバレ話を挟んで一回空いたので、前々回の内容を復習する。

1.キャラクターの自由意志は、キャラクターそれ自体に対してではなくオブザーバーの頭の中で形成するイメージに対して有無を確認することにする
2.オブザーバーの存在する次元には、作品内/外の二つの立場が考えられる
3.作品内/外と有/無の組み合わせによって、キャラクターの自由意志の在り方には2×2=4パターンが考えられる

分類が済んだので、次にフィクションの自由意志はどのように担保されるのかを考えたい。

まず、作品外からの自由意志について。つまり、我々が作品外からキャラクターを見て、それが自由意志を持つ存在かどうかをどのように判断するのか。
といっても、たぶん基本的には社会生活を営む中で人間に接しているときと大して変わらない。フィクションのキャラクターに感情移入して楽しめる人は、現実で他人を自分と同種の人間だと感じる人と同じくらいたくさんいるだろう。

だが、現実とフィクションで決定的に異なる点が一つだけあり、それはモノローグの存在である。
ノローグとは原義では演劇における独白パートであるが、漫画では声に出していない心中のセリフ、アニメでは口が動いていないのに声優のボイスが入る部分、小説では()で括った部分など。
-Jtwubk8[1]
広義のモノローグの定義はイマイチ固まっていないようで、「モノローグとはセリフとは完全に独立したものを指し、四角で囲まれたりコマを占有しているもののみを示す(吹き出し付きの心の呟きとは分けなければならない)」と主張するサイトも結構あるが、ここでは上のような心の呟きも全部ひっくるめてモノローグとしてしまおう。

ノローグはキャラクターが考えている内容を直接に示す描写であり、考えている内容がそのまま漏れ出しているのだから、究極の自由意志の証拠ということになる。よって、一度でもモノローグが提示されれば、そのキャラクターがものを考えていることは疑いようがなくなる。
当然ながら現実にモノローグは存在しないため、フィクションでは自由意志の存在を現実よりも強力に(というより、有りか無しかというデジタルな問題なので根本的な性質の違いとして)伝えることができると言えるかもしれない。

次に、作品内からについて。
正直、これはよくわからない。作品内におけるアオと轟雷の関係は現実における我々とペッパー君の関係に近いが、我々がペッパー君に少しでも自由意志を感じることは確実にない。多分これは単に技術レベルの違いによるもので、現実ではペッパー君に自由意志を感じてもおかしくないほどに自然なやり取りはまだとても出来ないからだ。現実で感じられないものについて作品内でキャラクターたちがどう感じているかを正確に考えるのは概ね無謀であり、描写を素直に受け取る他ない。
一応、自動応答が人間を模倣する試みとしてチューリングテストなどのトピックもないではないが、あれはあれで機械であることが隠蔽されているのが前提であるため、フィクション内での「機械であることを知っておきながら自由意志を感じる」というシチュエーションとは異なり、あまり参考にならない。

前回は作品内/外という分類は「オブザーバーのいる次元」を用いて定義したが、これは階層数の違いとみなすことも可能である。
<自由意志の有無を検証される者>←<自由意志の有無を検証する者>という形で関係を書き出してみると、

作品外:轟雷←視聴者
作品内:轟雷←アオ

という関係だったのだが、アオは作品内に存在しているので、正しくはアオを更に観測している視聴者がいて初めて検証は可能になる。よって、もう少し拡張して<脳内を覗かれる者>←<脳内を覗く者>という形で書き出すと、

作品外:轟雷←視聴者
作品内:轟雷←アオ←視聴者

となるわけで、階層の問題だったような気もしてくる。
この三重の入れ子をどうほぐすか~という話をしようと思ったが、さっきまで話してきた話題から発展しそうもないので、ここで畳む。

・バイバイ人類

 



表紙、100点。

ゾンビものというか「感染系異形もの」、日本の娯楽作品だと「異形化ウィルス的なものに感染したにも関わらず化け物にならずに超人的な力だけを発揮できる人間」が90%くらいの確率で登場する気がする。
このパターンって本場アメリカだとそんなに多くないと思う(普通に人間vs化け物でドンパチして終わる)んだけど、国民性かオタク性か?

・続き/四女神オンラインの話


ネプテューヌシリーズはいわゆる変身ヒロインもので、登場キャラクターのほとんどが戦闘時には女神形態に変身することができる。
変身ヒロインには身体的/精神的に変わる/変わらないで4パターンあるが、ネプテューヌシリーズは変わる/変わるのパターンだ。つまり、肉体的にも精神的にも変身前後で別キャラクターになる。
a01[1]
ネプテューヌさんの変身例)

だが、何度も話した通り四女神オンラインというゲームは「架空のオンラインゲーム」上で進行するので、いくら変身ヒロインと言えどもオンラインゲーム上で変身することはできない。
しかし、変身要素はシリーズの売りの一つなのだからどうにか登場させなければならないという苦肉の策(でもなさそうだけど)として、四女神オンラインでは変身形態は「架空のオンラインゲーム」上に実装されたオブジェクトとしてプレイアブルになる。

何を言っているのかわからないと思うのでもう少し詳しく説明すると、変身形態のキャラクターたちは作品内ではアイドル的な存在なので、「架空のオンラインゲーム」とコラボしたという設定の元で「架空のオンラインゲーム」内に組み込まれている。
よって、今作で登場する変身形態はシリーズキャラクターとは別個体であり、設定としても「架空のオンラインゲーム」上に架空の運営会社が製作したデータに過ぎない。一応プレイアブルキャラクターではあるのだが、ジョジョのスタンドと同じで、作品内外から自由意志を持たない。

人気キャラクターを無機物化する扱いにはけっこう驚いたのだが、ネプテューヌシリーズは(キャラゲーにしては珍しく?)昔からキャラクターの同一性には比較的無頓着なところがある。無印とそれ以降のネプテューヌは別個体だし、パラレルワールドに飛んだためにメインキャラクターのほとんどが別個体になるナンバリングもあった。