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18/10/9 PS4スパイダーマン/今期アニメ総括

スパイダーマン

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PS4スパイダーマンをクリア。

このツイート、具体的には少女歌劇とスパイダーマンに対してのものだったのだが、プレイしないまま言いっ放しにしておくのもあんまり良くないので自分で遊んで本当に斬新なのかどうかを確かめてみることにした。

ここで「ゼログラビティ系オープンワールドゲーム」と書いたのは、「重力に縛られないオープンワールドゲーム」「水平方向だけではなく垂直方向にもどこにでもいけるオープンワールドゲーム」くらいの意味。
ビルやタワーの頂上にも行けるし、壁に遮られて進めないということもない(飛び越えられる)。既存のゲームとしてはインファマスグラビティデイズあたりが該当し、逆にゼログラビティではないものとしてはGTAとか。まあ、GTAにしても最近はジャストコーズさながらに航空機やパラシュートを使ってかなり自由に立体駆動ができるらしいし、×ボタンでのその場ジャンプしかできないオープンワールドゲームの方が少数派になっているようではある。

実際に遊んで確かめた結果から言えば、スパイダーマンはアクションゲームとしては特に新しくない。
空中移動時に糸(ウェブ)を用いる操作感は独特だが、アイデアは10年前のPS3時代からある。特にprototypeと酷似しており→、そっちもマンハッタン島を舞台にしているので、(リアルで行ったことは一度も無いのに)「ここって軍隊が常駐しててめっちゃ攻撃してくる場所やんけ~!」みたいな既視感がいちいちあって面白かった。

さて、今日は流行りに水を差すメガネクイクイオタクな内容を書いているのも理由があって、ゲームの自由度の限界については前から思うところがあるからだ。
以前にもリンクを貼ったが、ニーアオートマタについて製作者が語っているように→、「オープンワールドゲームは見た目ほど自由ではない」ということに俺も同意する。「何でもできる」は「何もできない」と紙一重で、どこへでも行けることは「どこへでも行けるから何?」という退屈に転じる危険が常にある。この記事の中では、本当に自由を感じさせるための解決策として「あらかじめ不自由の枠組みを作っておいてそれを打開する」というマッチポンプなプロセスが提示されている。
それを一つのゲームの中でやるというのがニーアオートマタの思想だったわけだが、より広い視野で見れば同様のプロセスは複数の作品を通じてメタな次元で実行されてきたはずだ。つまり、先の作品よりも自由度が高い作品が現れるという繰り返しでジャンルレベルでの打開と前進が実現されていた。この意味で、「ダンジョンゲームと(ゼログラビティでない)オープンワールドゲームの関係」は「(ゼログラビティでない)オープンワールドゲームとゼログラビティ系オープンゲームの関係」とパラレルであると考えていい。前者しか遊んだことのない状態で後者を遊ぶと、前者の不自由さが打開されるべき枠組みとなって爽快感が得られるが、だからといって後者が標準になった時代ではそれが当たり前になってしまい、いちいちどうということもなくなってくる。
俺が見る感じではゼログラビティ系オープンゲームもそういう停滞期にある。まあ、多分VRゲームが打開するんだろうし、それをスパイダーマンがやらなければいけない理由も特にないわけで、俺の期待に沿わなかったからといってことさらに評価を下げる理由はない。

このままではディスっただけで終わってしまうのでシステム面で優れていたところを挙げると、敵への自動注目が異様に優れていたように感じた。
最近のゲームらしく、攻撃ボタンを押したときにその場でパンチするのではなく近くの敵に自動的に的を合わせて移動してくれるのだがその精度が高く、よほどへたくそな入力をしない限りは非常にいい感じに敵をボコってくれる。しかも、Z注目もないのに「いま攻撃したい敵」に勝手に照準が合う。画面外の飛び道具持ちから銃で撃たれていて「ウゼ~」と思っているときに攻撃ボタンを押すと画面内の敵よりも優先してそっちを攻撃してくれてストレスがない。たぶん、敵注目アルゴリズムに自分からの距離だけじゃなくて攻撃を受けた順序とか脅威度とかも組み込まれているんだろう(違ったらすまん)。

ストーリーに関してはスーパーヴィランについて言いたいことは山ほどあるけど、そっちはバットマンで言う方が適切だし後日また書くかもしれない。

・今期アニメ総括

最終回付近で評価が変わったアニメが無いので簡単に書きます。なんかネガティブ寄りの内容が多くなった気がするけど、誠実さの表れだと思う。

・邪神ちゃん

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放送当初に危惧していたことが最終回とFDで起こってしまったけど、もうキャラが好きだからゆりねと邪神ちゃんがベタベタしてるだけで結構嬉しいし俺の負けでいい。
あとFDでぺこらが地味な身体能力の高さを見せたのが良かった。

・少女歌劇

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別に嫌いとかでは全然ないんだけど(特に5話がめっちゃ好きなんだけど)、最終話が終わってみるとこのアニメを見る目がかなり冷めたものであったことは否定できない。
ウェルメイドなストーリーをそれっぽく脚色するのが上手いというか、最近流行った要素を市井の人々でも考察ができる程度に適度に衒学的な演出でくるんだ焼き直しと言うとちょっと攻撃的すぎるけど、だいたいそんな印象になってしまう。
別に頭から否定しているわけではなく、実際その辺のバランス感覚はかなり優れていたとは思う。特にタイムリープネタを二週で終わらせるスピード感はかなり良かった。大場ななって裏主人公になれるくらいのポテンシャルがあったけど、このアニメはそれっぽい要素のジャンブルだからそこに固執しないでワンオブゼム程度に相対化できるわけでしょう。なんかそういう意味でこの作品自体が非常によくできた再生産っていうのは腑に落ちる(無理矢理そういう正当化はできるので、実際にはウェイクアップ程度の内容であるにも関わらず工場のバンクまで使って大量生産的再生産というミスリーディングを誘ったことを許してもいい)。
書いてる俺ですら皮肉にしか聞こえないけど、決して評価が低いアニメではございません。

・はねバド

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前回書いた内容に付け足すことはないけど、最終回の文字のベタ書きで心象風景を描写する演出はさすがに……さすがにヤバくないですか!?
小林さんちのメイドラゴン最終話で何の伏線もなく「私はお前の心の闇だ」演出をやり始めたときに「これより寒い演出ないだろ」と思ったけど、それを悠々と超えてきた。

なんか創作指導みたいなことを言うけど、「示すこと」と「語ること」って明確に違うじゃん。
例えば週刊漫画雑誌で、主人公が味方キャラを全員殺すような狂気的な行動をして「うぉースゲー展開だ」とか思ってるときに、アオリで「☆狂気……!!!」とか書いてあるのが目に入ってすごく萎えたみたいな経験ありませんか。確かに今週の内容は狂気だったかもしれないけど、それを絵とセリフで示せるのが漫画家の凄みなのであって、文章で語ってしまったらいかにも陳腐になってしまう。
じゃあ常に文章を使う小説は「示し」じゃなくて「語り」しかできないんじゃないか?と言えばそんなこともない。

「ライバルに追い詰められた過去を思い出すと怖かった」

という風に感情を直接語る文章に対して、

「彼の頬は剣が掠めていく感触をはっきりと記憶していて、それが再生されるたびに全身から粘っこい汗が噴き出るのだった」

みたいに間接的な有様を示す文章の方が高級感がある。
要約を語るのはwikipediaでもできるんだからメディアの力で示してくれよ!という気持ちなのだが、まさか映像媒体でここまで露骨な語りを見ることになるとは思っていなかった。これを超える演出ってもう無いよ。並ぶものはあるかもしれないし、あったかもしれないけど。