LWのサイゼリヤ

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18/3/28 ポプテピピック総括

・お題箱36

56.俺はアニメでいつも同じ服装のキャラに対し「実際にはバリエーションがあるけどカメラの上では同じ服を着ているように映る」と解しているし、独白を口動かして喋ってても「実際には心の声」と理解しているんだけど、これは「映像における誰に対しても虚偽な表現」ということになりますか?
追伸:例えば、ストライクウィッチーズの拡張として、その世界内では誰もがスカートを履いていると認識しているが、カメラには映らないとか
(書いてて思ったけど、既に紙芝居ゲーで脱衣パッチってありましたね)

それかなりいい例ですね~。
必ずしも画面に映っている出来事が実際に発生しているわけではないという、「ピンク髪のキャラなんて本当は存在しない(それは強調表現であって別に色としてピンクなわけではない)」あたりと同じ話ですよね。確かにそれはカメラが行う誰に対しても虚偽な表現と言ってよいと思います。全然思いつきませんでした。
上位集合としてはたぶん表象と実態の不一致可能性(メディアが行う射影自体に伴う情報の欠落・改変)という話になってくると思うんですが、今はいいでしょう。

前回投稿してからしばらく考えていたんですけど、主に語り手の性質について適当に書きすぎたなと反省しました。
例えば、「カメラを(神が空中に浮かべているのではなく)キズナアイが所持していること」について「誰かの意思の制御下にある」と表現したんですが、これはあまりにもファジーすぎますね。少なくとも「物理的な焦点や画角を決定できること」「ビジュアルイメージを生成する立場であること」は別のことですし、「物理デバイスであるかどうか」はまた別に設定するべきです。また、語り手という単語の意味を情報の提供者として広く定義してしまったので、それが複数存在するだけならまだしも、語り手Aを通じて語り手Bのローカルな語りが出現するという構造になります。
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 要素A.カメラ
要素B.登場人物

に対し、

状況α.A=B(主観視点)
状況β.B have A(カメラの所持)
状況γ.B can't know A(神の視点)

みたいな様々な状況が考えられるわけですよね。まずこの状況の違いが最初にあって、A-B間の相互作用とか影響を受けているとかいうのを状況依存で捉え直した方がスッキリすると思います。これらの状況を単に制御されているとか物理デバイスかどうかとかいう文章で一括りにしようとしたのが間違いでした(もちろん最終的には括れると思うんですけど、まずこれを踏まえるべきです)。
気が向いたらまた書くかもしれません。

57.お話が長いよー
シャムゲームなので三行まとめを読んでから読むかどうか決めたい

確かにまとめ的な文章はあってもいいと思うので、気が向いたら書きます。
前回のまとめは「バーチューバーのカメラは(あまり意識されない割には)神でなく人の制御下にある点が若干特異である。それを活かして何か面白いことが出来るのではないかと思ったが、何ができるのかはよくわからなかった」という感じです。

ポプテピピック総括

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一話の出来は良かったけど、当初の期待を上回ることもなく中空飛行くらいで終わった。

前に書いた(→)不条理ギャグとしての完成度という意味で言えば、ボブネミミッミが全体を通じて一番良かった。一話最初のボブネミミッミ(カバッピョの回)が明確に悪くて、意味不明な映像を流せばいいと思っているタイプの典型的な失敗した不条理に見えたから第一印象は最悪だったけど、逆にそれ以外は全て面白かった。ちなみにボブネミミッミの次に面白かったのは神風動画パートで、原作に忠実なので原作と同じくらい良い。

反面、一番時間を取るスペースネコカンパニーパートが三話以降はあまり面白くない。一話と二話の時点では良かったのだが、それ以降はギャグを捨てて声優とパロディに終始している。
パロディについては前回触れなかったけど、パロディ=「ある程度有名なコンテンツを模倣すること」を共通見解の提示とみなすと、不条理ギャグで転倒させたいところの一般的条理としてのポジションにすんなり入りやすい。だから不条理ギャグにパロディを組み込む場合はパロディに対して何か一捻り加えるような形になってきて、原作だとそれをちゃんとやっているか、そうでなくてもパロディとは独立にギャグとして成立している要素を仕込んでいることが多い(まあ何もしてないこともあるけど)。そういう意味での転倒したパロディ、親近感以外の理由で笑いに昇華されるパロディがスペースネコカンパニーパートにはほとんど無かったので俺の評価は低い。

あと、プロデューサーの須藤さんのインタビューがすごく誠実で好き(→)。
誠実っていうのは人柄がGOODということではなくて不条理を踏まえた意味になるんだけど(ポプテピピックが内容だけじゃなくてマーケティングにも不条理ギャグを採用している以上、関係者インタビューもその文脈に回収されてきてしまう)、斜に構えた姿勢をしていないということ。再放送とか声優シャッフルとか先行上映会みたいなマーケティング的な不条理と解釈されるであろう事柄について全部現実的な意図と経緯を正直に喋ってて、隠し立てするところがない。特に上坂すみれに「ピエロにするな」って普通に怒られた話が一番面白くて、ピエロにされて怒るっていうのは完全に正常な条理が働いている世界の話だから、本来マーケティングとしては喋れないはずだ(これさえも意図的にギャグとして喋ってるなら俺の負けでいいです)。誠実な須藤プロデューサーと現実とアニメを混同しまうタイプの視聴者の温度差が表出するQ&Aコーナーは滑稽ですらある。

補足123:これはもう個人の感性の問題になると思うんだけど、俺には作品の外で不条理をやってほしいという気持ちはあまりない。斜に構えるのが面白いのは作品内までで、素人の精度でリアルにそれをやっても質の低いロールプレイにしかならない。実際のところ素の状態で視線が斜めになってる人はかなり面白い人であることが多いけど、大抵の人は意図的にやっていることを隠蔽できないという悲しさがある(隠す気が無い場合は付き合う理由がない)。
とはいえ、上坂すみれのスタンスはあまり好きじゃない一方で野中英次のスタンスは好きだという矛盾もあって、結局その本人じゃなくてレスポンスとして「定型の不条理」というもはや意味を失った試みをやることになる周囲が問題なのかもしれない(中指を立てることは最初の一回は破滅的なのでギャグとして成立するのだが、それが共通見解となった段階でやっても何も転倒しない。最初の一人は面白かったのに真似をする人がつまらないのと同じ現象で、別にフォロワーの技量が劣るわけではなくて(まあ現実問題劣るだろうけど)、前回書いた通り「不条理は再生産を受け付けない」という原理的な問題である)。